森の中での出来事
早朝、日が出る前に、僕は目が覚めた。口の中がべちゃべちゃして気持ち悪い。でも水がない。我慢するしかないだろう。
「よくこんなところで眠れたよ。動物とかいなくてよかった。」
身体を起こし、軽く伸びをする。
周りは細い木ばかりで、他は何もない。この世界に動物がいたなら、襲われていたかも知れない。
火も起こさずに森の中で寝るなんて、自殺行為ではないにしろ、危なっかしい。
士野が何かしない限り、動物はいないようだが。
目の前に置かれているのは五個の缶詰と、二個のパン。士野が置いていってくれたのか、それは分からない。青いシートの上に置かれている。
僕は缶詰とパンを一つずつ取り、立ち上がった。
一香はまだ寝ているようなので、一人で行く。
彼女の服装も初日から変わっていない。上はピンクの服に何か文字が書かれている服で、下は青いジーパン。
そういえば僕のポケットにまだスマホ入ってるな。壊れなきゃいいけど。
まあ、どうでもいいか。
昨日気になったところへ、僕は歩き出す。あまり離れていないから、すぐここにも戻って来れる筈だ。
途中、生き物に出会うことはなかった。
見るものはすべて、緑だけだ。川も流れていて、底が見えるほど透き通っている。
その水を飲み、顔を洗った。
木が多い割には、葉が一枚も落ちていない。
見たことのないほど幻想的な世界だった。僕達が住んでいる世界ではまず見れない光景。その光景は久しく僕の心を癒してくれる。
今はまだ薄暗いから光はないけれど、日が出ればまた違った美しさを僕に見せてくれるんだろう。
「ここだったかな。」
僕は周りの木よりも少し大きな木の前で止まった。
そしてほんの少し盛り上がっている地面を掘る。
「やっぱり……あった。」
土の中に埋っていたものを取り出し、掘った土で穴を埋めると、一瞬で元の芝生に戻った。
それを不思議に感じながらも、僕は来た道を引き返す。
遠くには、一香が眠っている姿が見える。
昨日、ここで寝たのは正解だった。
この木のすぐ側で寝てもよかったが、玉を掘っている最中に一香が起きてしまうと、何だか話がややこしくなる気がした。
だから少し離れた場所で眠った。星空を見たくて寝たかったのもあるが。
空を見上げると、少し明るくなってきている。それでも星は見える。
夜明けを見たい気持ちもあったが、どうせここからじゃ日は見えない。
昨日は暗くて見えなかったあの丘に、今日は行ってみようか。
ポケットに赤い玉を突っ込む。
***
「…………」
ぐぐっと身体を伸ばす。
こんな時、誰かが居れば「おはよう」なんて言うんだろうが、そんな人はいない。もう慣れたと思っていたが、やっぱり少し寂しく感じる。
目の前に置かれた、パン三つを手に取る。
昨日から何も食べていない。だが、毒などがないかしっかり確かめる必要がある。
匂いを嗅いで、少しかじる。
毒がないことを確認すると、ガツガツと食べ始める。
千夢は、もう既に玉を四つ集めていた。すべて、この丘で拾ったものだ。
なぜかここには玉がたくさん落ちている。地上にあるものを見つけるのは容易い。
あとの二つもここにあると千夢は感知したが、残りの一つはどこにあるのか分からない。
「…………」
目の前に置いてあった物を全部食べ終えると、千夢は動き出す。
天気は晴れ。日はすっかり昇り、暖かい日差しが千夢は照らす。
今日は、森のほうの一つを見つけておこうか。
そう考えて歩き出した時
どこからか、木の倒れる音がした。
***
「ふわぁ~」
日がすっかり上がった頃、一香は目が覚めた。
僕はその時、食べ物と一緒に置いてあった水筒に川の水を汲んでいた。
遠くから見ていると、欠伸をした後、キョロキョロとしている。僕を探しているようだ。
その後すぐ前に置いてあった食べ物を見つけ、食べだした。
……このまま隠れたらどうなるだろ。
そんな意地悪な考えが脳裏に過る。
一瞬、本気でやろうと思ったが、ギリギリのところで自制心が働き、僕は来た道を再び戻る。
「あ、影夢くん。おはよう。」
もぐもぐと食べながら、一香は言う。
「おはよう。昨夜はよく眠れた?」
「うん、バッチリ。」
「そう、よかった。」
こうやって話をしていると、すっかり打ち解けられたような気分になる。まだ会って三日しか経っていないのに。
昨日は歩いた時に、長いこと話したせいだろうか。
僕は微笑を顔に浮かべながら一香の前に、ピンクの花柄が入った水筒を置く。ちなみに僕のは青い鈴が書かれた水筒。
「え? この水筒って……」
一香が戸惑うように持ち上げる。
「中身は入ってるよ。朝食べ物と一緒に置いてあったんだ。」
「でも、こんな水筒使うの……」
そういう一香の頬は少し赤い。
「しょうがないよ。人は誰もいないから、別に気にすることないよ。」
士野の考えることはよく分からない。単純に、おちょくっているだけのような気もする。
「昨日から何も飲んでないでしょ。ほら、飲んで。」
もう食べ物は何も残っていない。
ゴミはいつの間にか消えていた。
……今日の分を分けて食べようと思ってたのに。
そんなことを考えている僕には気付かない様子で、一香はゴクゴクと水を飲み始めた。
あっと言う間に、水は尽きる。
僕は立ち上がって
「水淹れてくるよ。貸して。」
「あ、いいよ。自分で淹れるから。どこで汲んできたの?」
気にしないんだ。川で汲んできたこと。
僕がそう思った時だった。
どこからか、爆音が聞こえた。
その音で一香の身体がビクリと揺れ、手から水筒を落とす。
少ししてから木が倒れる音。
地面が揺れる。
戸惑いや、恐怖の感情の前に、怒りを感じた。
それが僕の身体を熱くする。
……なんで、こんな綺麗な自然を破壊するんだろう。
それが理由だ。自分でも可笑しいと思った。
自分達の住んでいる世界では、自然が汚れても平気なのに、なぜこの世界ではこんなにも……と。
でも、この感情は抑えられない。
誰かは、僕の心を安堵させてくれた自然を破壊した。
木の倒れる音がした方向へと走る。
「影夢くん!?」
後ろから聞こえた声は無視した。
ただ、見えない敵に向かって走る。
黒い瞳が、色を変えていく。
蒼い双眸が、空気に軌跡を残す。
***
「何の音だ?」
そこから少し離れた森の中。
森の中を彷徨い歩く江野和義は一人呟く。
一番犯罪率の可能性が高そうなこの少年は、目的も分からずにただ歩いていた。勿論、赤の玉はゼロ。
朝、目の前に置かれていた食べ物を呑むように食べ、近くの川の水を一気に飲んだ。
今は体力満タンで、何でもできそうな気分だ。
そんな時に突然聞こえた爆音。
こんないい天気の日に、動物もいないこの世界で、木など倒れるわけがない。
可能性があるとすれば、人工的に倒されたか、根が腐って倒れたか。
「ふむ」
和義は走り出す。
暇潰しに、少し暴れられたらいい、そんな気分だった。
木が倒れたのは見えた。少し遠いが、走ればすぐだろう。
細い木の間を駆け、横幅十メートルくらいある川を軽く飛び越える。それだけ。
十秒も経たずに、目的地に着いた。
「こりゃ、酷いな。」
目の前で横たわる木は、根本が派手に折られている。
それは一本だけではなく、周りにある木はほとんど折られていた。
音が聞こえたのは、一回だけだったんだがな。
木の倒れる音も、一本だと思っていたんだが。
細いと言っても木は木。歩みを十分に妨げてくれる。
「くそ、邪魔だな。」
それを跨ぎながら、和義は進む。明らかに人間ではない足跡が続く、その先へ。