小春日和の異世界にて
……疲れが全然とれない。
今僕がいるのは、共同スペースの洗面所。
その横には温泉? がある。まあ広い。昨日入ったら、気持ち良かった。それだけ。
顔を洗い、歯を磨く。生活用品は、すべてここにあるらしい。突然異世界に連れてこられたために、私物はない。
僕が持ってるのは、連絡用のスマートフォンだけ。あと、一着の私服。このままずっと同じ服を着ていくのは汚いし、どうしよう。
部屋も広かった。窓一つと、布団と電気以外何もない簡素な部屋だったが。ついでに下はコンクリート。寝心地は最悪だった。
口に含んだ水を吐き出し、もう一度顔を洗い、タオルで顔を拭いた。
そのタオルを部屋の隅にある回収箱に投げ入れ、洗面所を出る。
ガチャリと開けた扉の横には、壁にもたれ掛かる一香の姿があった。
目が合うと、一香は軽く微笑む。
それに僕も苦笑いを浮かべ
「寿さん、だよね。いつからそこに?」
と聞いた。
「今来たばっかりだよ。じゃあ、次入らせてもらうね。」
一香はそう言うと、そそくさと洗面所に入っていった。
僕は首を傾げながら士野の言っていた、共同スペースに向かった。
向かうといっても、二つ扉を開けると、もうそこだが。
「あれ? これって……」
影夢が去った後の洗面所。
チリン、と綺麗な音が鳴る。
***
現在時刻は午前十時。和義以外は全員集まっている。
「もう、和義くんは不良だなー」
士野が、なぜか嬉しそうに言う。
「今から何を?」
「まあ、世界の破壊は難しいからね。その前のトレーニング、とでも言おうか。今から、こことはまた違う異世界に飛ばすよ。三日。三日以内に赤い玉を全員で七つ、集める。それだけだよ。場所は始めは草原、暖かいからジャンパーとかはいらないよ。」
三日、それが士野の言ったタイムリミット。随分と長い。それだけの時間が掛かるということなのだろう。
テストってところかな、僕はもう何も聞かなかった。ただ頷いた。
「集めた数が多いだけ、色々とお得なことがあるよ。お金とか、能力の強化とか、できる範囲だけど、何でも願いを叶えてあげる。」
十歳くらいの女子一人がピク、と反応した。
「準備はいいね? じゃあ行くよ!」
その声を聞いた瞬間、僕達はもう違う場所にいた。
何もない、ただ広い草原のど真ん中。
「結構広いんだ。」
空を見ると、どこまでも青い。
草を優しく揺らす風が僕の頬を撫でる。
一瞬、背筋に悪寒が走ったが、すぐに収まった。
幸い、千夢は空を眺めていて、一香は展開についていけず、あたふたしていたので僕のことには気付いていない様子だった。
はぁ、と溜め息を吐く。
「で、どうする? みんなで行動するってのもあるけど。」
「やだ」
即答したのは千夢。
「私は、一人で行くよ。全部集め終わった後に喧嘩とか……やだから。」
千夢は僕に背を向けると、歩き出した。
「ん、分かった。気を付けてね」
その小さな背に、僕は声を掛けた。
……そういえば、あの青髪の人はどうしてるんだろ。
そんなことを考えながら。
まあ他人の心配をしている暇はない。
「さて、君はどうするの?」
僕は今だ放心状態の一香に聞く。
「え? いや、私は……つ、連れてって!」
一応話は聞いていたようで、僕にすがり付くような声で言う。
「ん、じゃあ行こうか。」
ズボンのポケットに手を入れる。
が、あるはずの物がない。逆のポケットを探しても、ない。
パンパンとポケットを叩いても、ピョンピョンと跳び跳ねても、鳴るはずの音が鳴らない。
「…………」
忘れた。あの鈴。
いや、士野にはめられたのかも知れない。僕が常にジャンパーに鈴を入れていることを知って。
……いや、考えすぎか。
「ど、どうしたの?」
「あ、寿さん、そういえば何の能力使えるの?」
士野はこの場にいる全員が能力を使えると言っていた。
こうなれば頼りになるのは一香だけ。僕を不思議そうに見る一香に聞く。
「私は、えっと……」
しばらく考えた後、一香はこう言った。
「んっと、忘れた」
「忘れた? じゃあ一回目に能力使ったのは?」
「それも……覚えてないの……」
一香の声のトーンがどんどん落ちていく。
――困った。どうしよう――
僕は鈴がないから何もできないし、寿さんも能力が分からないから使えない。能力が。
普通の人間が、山で遭難した、という状況と等しいだろう。
ただ広い自然の中で、何の力もない人間が二人。
「ごめんね、何もできなくて……」
一香は申し訳無さそうに僕に言う。
「いいよ、僕も何もできそうにないし。とりあえず、歩こうか。」
「う、うん。」
僕達は歩き出した。小春日和の、草原で。行き先も分からず。
……本当にどうしよう。
まだ遠くに見える千夢に助けてもらおうと思ったが、無理だろう。
あの少女の性格じゃあ。少し話しただけでも分かる。
「はぁ……」
…………どうしよう。
***
「くそ! ここは一体どこなんだよ!」
どこまでも続く緑の中で、江野和義は怒鳴っていた。
「くそ……」
目的も分からずに、ここへ飛ばされた和義は最悪だった。
三日間、ここで過ごすということも知らなければ、赤い玉を集めないといけないことも知らない。
十分くらい経った頃
「とりあえず、歩くか。」
ここにいてもしょうがないと判断し、彼は歩き出した。
「これで三個目。」
丘の上、赤髪の少女、千夢は呟く。
茶色く濁った瞳に映るのは赤い玉。
青空はもうオレンジ色になり、少し星も出てきている。
あの二人はどうしてるかな、そんなことを考えて、溜め息を吐く。
きっと、死に物狂いで玉を探してるに決まってる。
人間の欲望は、恐ろしいものだし。みんなで協力して集めても、後で起こるのは奪い合い。友情は、簡単に欲望で崩れる。
そんなの、もう嫌だ。
美しい夕日を見ながら、千夢はそう思った。
自然は私を裏切らない。だから私は自然が好き。
こうも思った。
***
少し離れた、森の中。
「ここ、どこだっけ?」
「分かんないよ……」
「だよね……お腹空かない?」
「空いた……」
「だよね……」
僕は溜め息を吐いた。
あれから何時間経ったのか、分からない。空がもう暗くなり、満天の星空が広がる。
途中で森を見つけ、ここにあるかもという微かな希望を求めて入ってしまったのがいけなかった。
周りは闇、でも下は芝生。
ああ、でも、これも悪くないな。
僕は草原に背中から倒れた。優しく草が僕の身体を受け止めてくれる。
「影夢くん?」
一香が僕を不思議そうに見る。
「空、綺麗だよ。」
そんな一香に僕は言う。
「空?」
立ったまま、一香は空を見上げる。
「ほんとだ……綺麗だね。こんな空、始めて見たよ。今までは全然気付かなかったけど。」
「僕は、始めてじゃない、かな。」
腕を頭に当て空をじっと見つめる。
こんなにも綺麗な空で住んでいる僕達は、なんでこんなにも汚れているんだろうな。
そんな下らないことを考えてみる。
まあ、空が綺麗だろうと、生き物には何の関係もないか。
空には人間は、自分を汚す、汚い敵なんだろうけど。
「始めてじゃないって、いつ見たの?」
考え込む僕に一香が話しかけてくる。
「いつだっけなぁ……大分昔だと思うけど……僕が三歳くらいの時かな。なんでそんな時のこと覚えてるのか、僕も不思議だけど。」
一香は、僕の頭の横に腰を下ろす。
「確か、お父さんに連れていってもらったっけなぁ。懐かしいよ。」
…………本当に……懐かしい。
「そうなんだ。私はどこにも連れいってもらえなかったからね。ちょっと羨ましいよ。」
そう言う一香の話し声は、少し沈んでいた。
「そうなんだ。」
僕は空を見ること集中することにした。
暗闇の中に点々とある光、今日もなぜか丸い月、時折流れ星が視界に入ってくる。
月は、異世界だから丸いのかな。それか士野がそういう風に仕向けたか。
綺麗だ。周りが木や草しかないからか、とても落ち着く。
自然って、いいな。
「どうしようか。もうここで寝ちゃおうか?」
しばらくして一香が微笑みかけてきた。
「うん、そうだね。もう動くのも辛いし。今日は、ここで空眺めていたい。寿さんがここじゃ嫌って言うんだったら、もう少し歩くけど。」
「全然! じゃあ、また明日も頑張ろうね。おやすみ。」
「おやすみ。」
今日は歩いただけで何も頑張ってないような気がするけど。
そんな言葉は胸の奥にしまった。
……暗闇だから、光が輝くんだよな。
闇が無ければ、光は輝かない。
彼女が光なら、僕は闇ってところかな。
隣から聞こえてくる寝息を聞きながら、そんなことを考えた。
もう寝よう。明日は早いんだから。
星が綺麗なある日の夜。異世界の森の中にて。
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