破壊するのは世界
薄暗い路地裏へと、僕は足を踏み入れた。
空には灰色の雲が広がり、風が強くなってきている。
いつもは出ている月も、今日は見えない。
現在は冬。こんなに寒ければ、ジャンパーでもない限りやってられない。
茶色いジャンパーを着て、僕は歩みを進める。
ここに来た理由は、世界を救うため、らしい。
僕は興味でここに来ただけだが。
「ここか。」
前には、とても古そうな見た目の建物。縦に細長い。
三階建てのビル。
ここの三階に僕は呼ばれた。
とりあえず中に入ると、
「やあ、よく来たね。」
どこからか、声が響いた。
僕はキョロキョロ周りを見渡すが、声の主はいない。
「右にある階段上がって来なよ。」
ここの階は物が何もない。それは二階も同じだった。三階へと進むと、通路に扉があった。右側に階段があったが、多分屋上に繋がっているんだろう。
一度ここで歩みを止め、深く息を吐く。そして、開ける。
ガチャリ、と音がして扉が開く。
中には四人、長い机を囲って座っていた。
真ん中に机があるだけの簡単な部屋。
この部屋は小さいが、壁の右側、左側、前の三ヶ所に扉が付いている。部屋はここだけじゃないんだろう。
座っているのは前に見た紫色の髪の爽やかな少年、短髪赤髪の茶色の濁った瞳の幼い少女、青髪で青い瞳の厳つい少年。
今時扉は珍しいな、そんなことを考えながら空いている椅子に座る。
座っている人達のことは何も考えない。あまり興味がない。紫髪の少年以外は。
「これで全員か。さて、みんな集まったようだね!」
僕が座ったところで、紫色の少年が元気よく話を始める。
「まずは自己紹介といこうじゃないか!」
前会った時とテンションが違い過ぎて、少し困惑してしまう。
「はい、まずは君から!」
と、紫少年が指差したのは青髪の少年。
「……自分から話すのが礼儀だと思うが。」
少し戸惑っているようだが、それでも青髪の少年は冷静に言葉を返す。
「それもそうだね! じゃあ僕から自己紹介行くよ! 僕の名前は倉咲士野だよ! 覚えてね!」
倉崎士野と名乗った少年は、勢いよく立ち上がる。
「まず、君達に集まってもらった理由を話そう!」
「今は自己紹介じゃなかったのか?」
一瞬で最初の話題から反れた士野を、青髪の少年が指摘する。
「あー、そうだったね。じゃあ次、行こうか。青髪くん。」
ビシッと指を差す。その先は勿論青髪の少年。士野は若干テンションが下がったようだ。
青髪の少年は渋々立ち上がる。
……別に立たなくてもいいと思うけど。
「俺の名前は、江野和義だ。」
それだけ言ってドカッと席に座る。
「はい、次ー、誰いくのー?」
面倒そうに士野が言う。
自分が始めようって言ったくせに、と僕は思う。
後残っているのは、黒髪の僕と、赤髪の少女。
どこからか、小さな声が聞こえてきたような気がするが、気のせいだろう。
長い間、場は静まり返る。士野に関しては、半分眠っている。見てても分かる。
面倒になって僕は立ち上がった。ガタ、と椅子が音を立てる。
士野以外の全員がそちらに注目した。
「僕の名前は古閑影夢。よろしく。」
それだけ言って椅子に座った。そもそも名前以外言う必要がない。
立ち上がる必要はなかっただろうが。
このメンバーじゃ、仲良くするとか難しそうだし。
「ふむ……君は?」
士野が半分寝ている脳で赤髪の少女に聞く。
「ん……ないよ。」
少女は答えた。少し寂しそうに。
特殊だな、ここは。色々と。そんなことを少女を見ながら考える。
名前がないとか普通じゃあり得ないよ……
「じゃあ僕が付けてあげるよ! そうだな……」
そういうと、士野は考え込み出した。
脳の切り替えが早いのか、そういう演技をしているのか、どちらかはわからない。
「んー、じゃあ千夢で。」
最終的に面倒になったようで、適当感がある。
「それが、私の名前……?」
少女は、少し嬉しそうに聞く。目が輝いている。変に大人びた雰囲気があるが、こんなところはやっぱり子供だ。
「うん、確か、千の夢って書いたと思うよ。昔の神さんがそう言ってた。」
士野はすぐに切り返す。
すると、少女は俯いてしまった。顔に微笑を浮かべながら。
適当に近い態度は気にしていないようだ。
「これで全員だね。じゃあ集まってもらった理由を説明するよ!」
「……あのぉ」
士野の元気な声の後に小さな声が部屋に表れたが、誰も気づかない。これはもう奇跡に近い。
「ズバリ、世界を救ってもらうため!」
士野は再び熱が入り出した。
「あ、あのぅ」
「それは知っている。その方法が聞きたいんだ。さっさと言え。」
小さな声を、今度は和義が遮る。
「ふふふ……気になる? 気になるでしょう?」
随分と愉快そうに士野は笑う。
その様子に和義は頭に血が上りそうになったようだが、何とか堪えた。
「あ、あの!」
「さっさと言えよ!」
「……うぅ」
ブチリとならなかった割には怒鳴っている。
僕は小さな声の主に目を向ける。
肩まであるピンクの髪、瞳が赤い少女が、俯いて座っている。年は同じくらいだろうか。まあ和義も同じくらいの年だろうが。
膝の上で両手をギュッと握りしめ、目に涙を溜めている。
この光景を見ているピンクの長髪の少女を見ていると、段々可哀想に思えてくる。
かといって、ここで助ければ面倒なことになりそうな気もする。
だが、士野と和義は今にも喧嘩しそうな会話を繰り広げている。もう一人の少女、千夢は何だか嬉しそうにしている。ぐちゃぐちゃだ。
微笑ましくも思える光景だが、僕にとっては全然微笑ましくない。
今後の自分の立ち位置が決まってくる、大事な一戦だ。
ただ、これだと誰も頼りにならない。
溜め息が出そうになるのを我慢して、僕はピンク少女に聞く。
「君、名前何て言うの?」
何でこんな派手な色の女の子に気付かないんだろう。
そう思いながら僕は少女に声を掛けた。
途端に少女は顔を上げ、表情が明るくなる。
影夢は頭を抱えたくなる気持ちで、次の言葉を待った。
もう頼りにはされたくない、これが最初で最後だと自分に言い聞かせながら。
「あの……私、寿一香って言います。影夢くん……って言うんだよね。変わった名前だね。」
少女は緊張気味に、強張った笑みを浮かべながら話した。第一印象は、泣き虫。
「まあ……よく言われるよ。」
影夢も、苦笑で返す。
それだけで、会話は終わった。
あちらの言い争いはまだ終わっていないようだ。
「士野? だよね。ねえ、士野!」
横で見ていた千夢が言うが、士野は和義で遊んでいるため、全く気がつかない。和義がたまに怒鳴るせいだろう。その度に一香が肩を震わせる。
なんだか面白いと思える僕はクズだろうか。
千夢はむっとしたような表情を見せると
「……頭痛」
静かに呟いた。すると、今まで笑っていた士野が
「ぐあぁぁぁぁ、頭がぁ、頭がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
叫び声を上げた。表情は……。
椅子から転び落ち、頭を押さえ、ごろごろと転がる。
千夢を除く三人は驚いて士野を見る。
「解除」
千夢がもう一度違う言葉を呟くと、士野の叫びが終わった。
少し、笑いを堪えているように見えるのは気のせいだろうか。
「はぁ……はぁ……そうだ、忘れるところだった……」
士野は、枯れた声で言う。
息切れが激しく、立つことすらできないのが今の状況だ。
不思議と可哀想だという気持ちは一切湧いてこない。
「ここにいるみんなは……ぜぇ……世界を救うための能力者なんだ……」
そう言うと、誰かが口を挟む暇なく士野はスクっと立ち上がった。
「君達にやってもらうのは、この世界の破壊だ。」
「はぁ?」
即座に呟いたのは和義。
士野はさっきのハイテンションとは真逆の、冷静な声で続ける。
「世界の破壊。この世界は、君達の住んでいる世界とは違う。君達には、僕達の住んでいる世界を守るために、この世界を破壊してもらう。この世界は、僕達の住む世界にとっては邪魔なんだよ。この世界を破壊しなければ、君達は大切な物を失うことになる。」
「なんで?」
その次に言ったのは僕。
「色々難しいんだよ。僕にもよくわかんない。大切な物は、現実世界のほうのすべてだろうね。ここは異世界。現実世界とほとんど同じだけど、色々違いはある。それに気付いていない人がほとんどだろうけど……」
「待て、ここに来る途中に何も変わったところはなかった。いつ俺達は別の世界に来たんだよ。」
「さあ、いつだろうね。」
ふふふ、と士野は笑う。
舌打ちをして、和義は扉を開け、出ていった。
……どうするんだろ? 和義のせいで話が途切れてしまった。聞きたかったのに。
他、女子二人は、いや一人は、椅子に座って呆然としている。
色んなことが一気に起こったせいだろう。世界を破壊する、既に異世界にいる、和義は飛び出していく……
もう一人は目を瞑って、少しも動かないという状況。
「千夢、僕に能力使うのは止めてね。」
士野は立ち上がりながら、千夢に言う。
「私の言葉を無視した士野が悪い。」
瞑っていた目が開く。さっきの笑いを堪える表情は、とても冷たいものに変わっていた。
「う……悪かったね!」
士野のテンションも最初に戻る。
「ねえ、僕達ってさ、今日からここで暮らすの?」
僕は立ち上がった士野に聞いた。
士野は僕のところに歩いてくる。
「うん、異世界だからね。結構危ないよ? 基本は現実世界と一緒だけど、空間が捻れたり、テロリストが多かったりするからね。自宅には、多分誰もいない。理由は言えないけど。」
言葉を切ったところで、僕の肩をバン、と両手で叩いた。
「でもここに居れば安心! 部屋もちゃんと人数分あるし、共同スペースも、トイレも、温泉も、何でもあるからね!」
「ふぅん」
僕は今まで着ていたジャンバーを脱いで、椅子に掛けた。
……温泉?
士野は僕の肩に乗せていた手を退けた。
数秒の静寂。
「それで、世界の破壊って、どうやるの?」
隣で座っている一香の首がぎこちなく動き、こちらに向く。気になるんだろう。
「うん、僕の言うことを聞いてくれればいいよ。それだけ。君に渡した鈴はどんな物か、分かるよね?」
「分かるよ。僕しか使えないんでしょ? この鈴。」
僕はズボンのポケットから小さな黒い鈴を取り出す。チリン、と綺麗な音が鳴る。
「そもそも君が自分の能力を使おうとすればそんな鈴、必要ないんだよ。まあそれは武器にもなるし、あげるよ。」
僕は苦笑を浮かべた。
「あんなの、もうごめんだよ。二度と使わない。」
「いいさ。きっと、役に立つよ。」
爽やかな笑顔を浮かべ、士野は自分の座っていた椅子の後ろの扉に入っていった。
周りを見ると、いつの間にか千夢は消えていて、一香と僕だけがこの場に取り残された。
***
「ふぅ。」
自動販売機で砂糖の入ったコーヒーを買い、その前にあるブロック塀に座って飲む。
時刻は十時くらいだろうか。あのビルに着いたのが、八時位だったから、まあ二時間は経っている。
僕はあの後、この辺りがどうなっているのか疑問に思ったので、ビルを出た。今あのビルには一香しかいないだろう。
帰り道で迷うことはない。鈴を鳴らせば、僕の行き先を教えてくれる。
士野はものすごく貴重な物だと言っていたが、僕は便利グッズくらいの認識で使っていた。
お気に入りのジャンパーから黒い鈴を取り出す。
「大切な物かぁ……」
この世界を破壊しないと大切な物を失う、そんなことを思い出しながら、僕は一人で呟いた。
鈴を揺すると、チリン、と綺麗な音が鳴る。いつ聞いても綺麗な音だと感じられる。
青空を見た時のような、心が洗われたような気持ちになる。
空を見た時より感じるものは少ないが。
「そんなの、もう僕にはないのにな。」
夜の空を見上げると、雲はもう晴れていて、金色の満月の明かりが僕を照らしていた。
飲んでいた缶コーヒーの口から、黒い滴が一滴ずつ落ちていった。
いつもより寒い、冬の日。