硝子の靴、鉄の弾丸
「目標確認。排除を開始する」
鉄仮面の兵士たちが、蒸気機関で強化された長銃を一斉に構える。
無機質な殺意の波動。
だが、それに対する二人の反応は冷ややかだった。
「……五秒だ、エレナ」
「三秒で十分ですわ」
アリスティアが指を弾く。
不可視の領域が展開される。部屋中に散乱した鏡の破片を、鋼糸が拾い上げたのだ。
キラキラと舞い上がる硝子の粉塵。
それが視界を遮る幕となる。
「撃てッ!」
兵士たちが発砲する。
だが、弾丸は空中で不自然な軌道を描いて逸れていく。張り巡らされた鋼糸の結界が、物理法則を書き換えているかのように。
「私の番ね」
エレナが踏み込む。
彼女は手に持っていた小瓶を床に叩きつけたのではなく、宙に浮く鋼糸のレールに向けて投げた。
瓶が割れ、紫色の液体が霧散する。
アリスティアの糸が導火線となり、その毒霧を正確に敵の呼吸器の高さへと誘導した。
「ぐ、が……ッ!?」
前衛の兵士たちが喉を掻きむしる。
即効性の神経毒。
だが、ただの毒ではない。吸い込めば肺胞を内側から破裂させる、エレナ特製の「赤死病」の改良型だ。
「綺麗なステップだ。……吐き気がするほどに」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。……あなたの指揮も、寒気がするほど完璧でした」
背中合わせに立つ二人。
視線すら交わさない。
だが、アリスティアが右の敵を糸で拘束すれば、エレナがその隙に左の敵の眉間をナイフで貫く。
エレナが屈んで銃撃を避ければ、その頭上をアリスティアの鋼糸が走り、射手の首を刎ねる。
呼吸、間合い、殺意のベクトル。
全てが噛み合っている。
長年連れ添った老夫婦のように。あるいは、一つの体を共有する双頭の蛇のように。
(なんてやりやすいんだ。僕が動きたい場所に、彼女が隙を作ってくれる)
(腹が立つほど心地いいわ。私が殺したい敵を、彼が先読みして封じてくれる)
圧倒的な蹂躙。
『エーテルの使徒』の精鋭部隊は、二人の怪物の前では、ただのブリキの人形に過ぎなかった。
「退くぞ、崩れる!」
アリスティアが叫ぶ。
爆発の衝撃で、天井に亀裂が走っていた。
二人は崩壊する鏡の間を飛び出し、炎上する廊下へと躍り出る。
「邪魔だ!」
行く手を阻む瓦礫を、アリスティアが糸で切断する。
だが、逃げ惑う貴族たちと、追撃してくる敵兵で廊下は混沌を極めていた。
動きにくい。
「……鬱陶しいですわね」
エレナが立ち止まる。
純白のドレスの裾を掴むと、躊躇なく引き裂いた。
バリッ、という音と共に、美しいシルクが床に落ちる。
露わになった白い脚。太腿には革のガーターベルトと、予備のナイフホルダーが巻き付けられている。
「軽くなりましたわ」
「……目の保養だ」
アリスティアもまた、焦げ付いた燕尾服を脱ぎ捨てた。
血と煤にまみれたワイシャツ一枚。
袖をまくり上げると、腕には無数の古傷と、銀色のワイヤーリールが鈍く光っている。
「行くぞ」
二人は駆ける。
焦熱の回廊を、弾丸の雨を縫って疾走する。
エレナの背中を狙った銃弾を、アリスティアがノールックで弾き飛ばす。
アリスティアの足元を狙った爆風を、エレナが投げた中和剤が一瞬で消火する。
「勘違いしないでくださいまし。……あなたを殺すのは私です」
「奇遇だね。その権利、誰にも譲る気はない」
罵り合いながら、互いの死角を完璧にカバーし合う。
それは、どんな愛の言葉よりも深く、歪んだ信頼の証明だった。
貴族院、中央大階段。
出口へと続くこのホールは、巨大な鉄の影によって塞がれていた。
『ターゲット捕捉。殲滅モードへ移行』
蒸気の噴出音と共に現れたのは、高さ三メートルを超える重装蒸気鎧。
右腕にはガトリング砲、左腕には火炎放射器。
『エーテルの使徒』の指揮官機だ。
「……ボスのお出出しか」
「趣味の悪い鉄屑ですこと」
二人は足を止める。
ガトリングの銃身が回転を始める。
逃げ場はない。
正面突破のみ。
「合わせられるか、エレナ」
「誰に言っていますの?」
アリスティアがニヤリと笑う。
彼は両手を広げ、ホール全体に残っていたシャンデリアへ向けて糸を放った。
十数基の巨大なクリスタル・シャンデリア。
それらを支える鎖に、鋼糸が絡みつく。
「落ちろ!」
アリスティアが腕を振り下ろす。
天井から、光の雨が降り注ぐ。
数トンものクリスタルガラスの塊が、鉄の巨人めがけて落下する。
だが、それだけではない。
エレナがその落下軌道に向けて、自らの手首を切り裂き、血を霧状に散布していた。
「紅蓮の舞踏!」
彼女の血液は、空気に触れた瞬間に高威力の爆薬へと変質する。
それが無数のクリスタル片に付着し、シャンデリア全体を「拡散弾頭」へと変えた。
ドガガガガガッ!!
ズドォォォォォォン!!
物理的な質量衝撃と、連鎖する爆発。
光と炎の嵐が、鉄の巨人を飲み込む。
装甲がひしゃげ、蒸気機関が暴走し、内部から破裂する。
『警……告……システ……ム……』
断末魔と共に、巨人は膝をつき、爆散した。
降り注ぐガラスの破片が、朝日に照らされてダイヤモンドダストのように輝く。
その中心に、二人は立っていた。
傷だらけのシャツと、ボロボロのドレスで。
しかし、その姿は、この世の誰よりも美しく、高潔な「戦勝者」だった。
外に出ると、空が白み始めていた。
燃え落ちる貴族院を背に、二人は庭園の芝生に倒れ込むように座った。
遠くから、憲兵隊のサイレンと消火活動の音が聞こえる。
「……はは。派手にやったな」
「……ええ。とんだパーティーでしたわ」
アリスティアが笑うと、エレナも釣られて笑った。
生きている。
あの地獄から、二人で生還した。
泥と血にまみれた顔を見合わせ、奇妙な連帯感が胸を満たす。
だが。
その笑いは、唐突に途切れた。
朝陽が差し込み、互いの顔をはっきりと照らし出した瞬間。
魔法が解けたように、現実が戻ってくる。
(そうだ。僕はこいつを殺しに来たんだ)
(忘れてどうするの。この男は、元帥の仇よ)
アリスティアの懐には、抹殺指令書。
エレナの指輪の下には、毒針。
期限は迫っている。
「エーテルの使徒」という共通の敵がいなくなった今、ここにあるのは「帝国の人形師」と「共和国の毒婦」という、殺し合うべき二つの存在だけだ。
「……楽しかったよ、エレナ」
アリスティアが立ち上がり、冷え切った声で告げる。
「ダンスの続きは、また後で」
「ええ……。必ず、終わらせましょう」
エレナも立ち上がり、背を向ける。
振り返らない。
次に目が合う時は、どちらかが死ぬ時だ。
朝霧の中へ消えていく二人の背中は、先ほどまでの熱が嘘のように、孤独で冷たかった。




