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紫煙と鉄錆のワルツ  作者: 伝福 翠人


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3/8

硝子の靴、鉄の弾丸

「目標確認。排除を開始する」


鉄仮面の兵士たちが、蒸気機関で強化された長銃を一斉に構える。


無機質な殺意の波動。


だが、それに対する二人の反応は冷ややかだった。


「……五秒だ、エレナ」


「三秒で十分ですわ」


アリスティアが指を弾く。


不可視の領域が展開される。部屋中に散乱した鏡の破片を、鋼糸が拾い上げたのだ。


キラキラと舞い上がる硝子の粉塵。


それが視界を遮るスクリーンとなる。


「撃てッ!」


兵士たちが発砲する。


だが、弾丸は空中で不自然な軌道を描いて逸れていく。張り巡らされた鋼糸の結界が、物理法則を書き換えているかのように。


「私の番ね」


エレナが踏み込む。


彼女は手に持っていた小瓶を床に叩きつけたのではなく、宙に浮く鋼糸のレールに向けて投げた。


瓶が割れ、紫色の液体が霧散する。


アリスティアの糸が導火線となり、その毒霧を正確に敵の呼吸器の高さへと誘導した。


「ぐ、が……ッ!?」


前衛の兵士たちが喉を掻きむしる。


即効性の神経毒。


だが、ただの毒ではない。吸い込めば肺胞を内側から破裂させる、エレナ特製の「赤死病」の改良型だ。


「綺麗なステップだ。……吐き気がするほどに」


「お褒めにあずかり光栄ですわ。……あなたの指揮リードも、寒気がするほど完璧でした」


背中合わせに立つ二人。


視線すら交わさない。


だが、アリスティアが右の敵を糸で拘束すれば、エレナがその隙に左の敵の眉間をナイフで貫く。


エレナが屈んで銃撃を避ければ、その頭上をアリスティアの鋼糸が走り、射手の首を刎ねる。


呼吸、間合い、殺意のベクトル。


全てが噛み合っている。


長年連れ添った老夫婦のように。あるいは、一つの体を共有する双頭の蛇のように。


(なんてやりやすいんだ。僕が動きたい場所に、彼女が隙を作ってくれる)


(腹が立つほど心地いいわ。私が殺したい敵を、彼が先読みして封じてくれる)


圧倒的な蹂躙。


『エーテルの使徒』の精鋭部隊は、二人の怪物の前では、ただのブリキの人形に過ぎなかった。


「退くぞ、崩れる!」


アリスティアが叫ぶ。


爆発の衝撃で、天井に亀裂が走っていた。


二人は崩壊する鏡の間を飛び出し、炎上する廊下へと躍り出る。


「邪魔だ!」


行く手を阻む瓦礫を、アリスティアが糸で切断する。


だが、逃げ惑う貴族たちと、追撃してくる敵兵で廊下は混沌を極めていた。


動きにくい。


「……鬱陶しいですわね」


エレナが立ち止まる。


純白のドレスの裾を掴むと、躊躇なく引き裂いた。


バリッ、という音と共に、美しいシルクが床に落ちる。


露わになった白い脚。太腿には革のガーターベルトと、予備のナイフホルダーが巻き付けられている。


「軽くなりましたわ」


「……目の保養だ」


アリスティアもまた、焦げ付いた燕尾服を脱ぎ捨てた。


血と煤にまみれたワイシャツ一枚。


袖をまくり上げると、腕には無数の古傷と、銀色のワイヤーリールが鈍く光っている。


「行くぞ」


二人は駆ける。


焦熱の回廊を、弾丸の雨を縫って疾走する。


エレナの背中を狙った銃弾を、アリスティアがノールックで弾き飛ばす。


アリスティアの足元を狙った爆風を、エレナが投げた中和剤が一瞬で消火する。


「勘違いしないでくださいまし。……あなたを殺すのは私です」


「奇遇だね。その権利、誰にも譲る気はない」


罵り合いながら、互いの死角を完璧にカバーし合う。


それは、どんな愛の言葉よりも深く、歪んだ信頼の証明だった。


貴族院、中央大階段。


出口へと続くこのホールは、巨大な鉄の影によって塞がれていた。


『ターゲット捕捉。殲滅モードへ移行』


蒸気の噴出音と共に現れたのは、高さ三メートルを超える重装蒸気鎧スチーム・アーマー


右腕にはガトリング砲、左腕には火炎放射器。


『エーテルの使徒』の指揮官機だ。


「……ボスのお出出しか」


「趣味の悪い鉄屑ですこと」


二人は足を止める。


ガトリングの銃身が回転を始める。


逃げ場はない。


正面突破のみ。


「合わせられるか、エレナ」


「誰に言っていますの?」


アリスティアがニヤリと笑う。


彼は両手を広げ、ホール全体に残っていたシャンデリアへ向けて糸を放った。


十数基の巨大なクリスタル・シャンデリア。


それらを支える鎖に、鋼糸が絡みつく。


「落ちろ!」


アリスティアが腕を振り下ろす。


天井から、光の雨が降り注ぐ。


数トンものクリスタルガラスの塊が、鉄の巨人めがけて落下する。


だが、それだけではない。


エレナがその落下軌道に向けて、自らの手首を切り裂き、血を霧状に散布していた。


「紅蓮の舞踏クリムゾン・ワルツ!」


彼女の血液は、空気に触れた瞬間に高威力の爆薬へと変質する。


それが無数のクリスタル片に付着し、シャンデリア全体を「拡散弾頭」へと変えた。


ドガガガガガッ!!


ズドォォォォォォン!!


物理的な質量衝撃と、連鎖する爆発。


光と炎の嵐が、鉄の巨人を飲み込む。


装甲がひしゃげ、蒸気機関が暴走し、内部から破裂する。


『警……告……システ……ム……』


断末魔と共に、巨人は膝をつき、爆散した。


降り注ぐガラスの破片が、朝日に照らされてダイヤモンドダストのように輝く。


その中心に、二人は立っていた。


傷だらけのシャツと、ボロボロのドレスで。


しかし、その姿は、この世の誰よりも美しく、高潔な「戦勝者」だった。


外に出ると、空が白み始めていた。


燃え落ちる貴族院を背に、二人は庭園の芝生に倒れ込むように座った。


遠くから、憲兵隊のサイレンと消火活動の音が聞こえる。


「……はは。派手にやったな」


「……ええ。とんだパーティーでしたわ」


アリスティアが笑うと、エレナも釣られて笑った。


生きている。


あの地獄から、二人で生還した。


泥と血にまみれた顔を見合わせ、奇妙な連帯感が胸を満たす。


だが。


その笑いは、唐突に途切れた。


朝陽が差し込み、互いの顔をはっきりと照らし出した瞬間。


魔法が解けたように、現実が戻ってくる。


(そうだ。僕はこいつを殺しに来たんだ)


(忘れてどうするの。この男は、元帥の仇よ)


アリスティアの懐には、抹殺指令書。


エレナの指輪の下には、毒針。


期限は迫っている。


「エーテルの使徒」という共通の敵がいなくなった今、ここにあるのは「帝国の人形師」と「共和国の毒婦」という、殺し合うべき二つの存在だけだ。


「……楽しかったよ、エレナ」


アリスティアが立ち上がり、冷え切った声で告げる。


「ダンスの続きは、また後で」


「ええ……。必ず、終わらせましょう」


エレナも立ち上がり、背を向ける。


振り返らない。


次に目が合う時は、どちらかが死ぬ時だ。


朝霧の中へ消えていく二人の背中は、先ほどまでの熱が嘘のように、孤独で冷たかった。

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