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『氷点下のモラトリアム ―平成3年、旭北農高・土いじり日記―』  作者: 水前寺鯉太郎
3年生、社会人編

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第13話:クラウドファンディングなき時代の、一揆(いっき)

第13話:クラウドファンディングなき時代の、一揆いっき

1. 平成6年、沈みゆく日本と「1993年米騒動」の余波

平成六年(1994年)。

日本中が、終わらない不況のトンネルの中でもがいていた。バブルの華やかな残り香は完全に消え去り、テレビをつければ「ゼネコン汚職」や「細川内閣の退陣」といった暗いニュースが流れる。そして何より、北海道の農家を震え上がらせていたのは、前年、平成五年に日本を襲った「観測史上稀に見る大冷害」の爪痕だった。

「シャム米なんて食いたくねえよ」

旭川の定食屋で、誰かが吐き捨てるように言った。

前年の米不足により、店頭から国産米が消え、タイ米(シャム米)が緊急輸入された。細長い米をどう炊けばいいのか分からず、主婦たちが右往左往していたあの狂騒曲は、日本の農業がいかに「天候という名の神」の気まぐれに支配されているかを、痛いほど突きつけたのだ。

東京から戻った拓海を待っていたのは、そんな冷え切った空気だった。

「……佐藤、悪い。融資の話、白紙に戻させてくれ」

地元の信用金庫の担当者が、申し訳なさそうに頭を下げた。

「冷害のせいで農家の自己破産が相次いでる。今、新規の、しかも『養豚レストラン』なんていう海の物とも山の物ともつかない事業に金を出せる余裕は、うちにはないんだ」

拓海は、西麻布で必死に稼いだ軍資金の入った通帳を握りしめた。

それだけでは、土地の整備と厨房機器を揃えるには到底足りない。

隣に立つ松本が、都会仕込みの細い眉を寄せた。

「……東京ではあんなに盛り上がったのに。旭川の現実は、雪よりも冷たいんだな」

2. 「一揆」の種火

拓海は、諦めなかった。

彼は源の実家、美瑛のジャガイモ畑に仲間を集めた。

源、ちひろ、一条。そして東京からやってきた「元エリート」の松本。

「金がないなら、自分たちでやるしかない」

拓海は、泥のついた地図を広げた。

「一条、お前が言ってた『低コスト循環型農業』のモデルケースを、ここで作るんだ。銀行に頼らず、自分たちの手で、この休耕地をレストランに変える」

「……本気かい? クラウドファンディングなんて便利な仕組みも、ネットですら一般家庭に普及していないこの時代に」

一条が呆れたように言った。Windows 95が発売される前年、情報の拡散はまだ、口コミと電話、そして「直接会うこと」がすべてだった。

「クラウドファンディングはない。でも、僕たちには『一揆』があるだろ」

拓海の言葉に、源がニヤリと笑った。

「……一揆だと? 面白え。俺たち農民が、お上に頼らず自分たちで村を作るってわけか」

3. 平成の竹槍、スコップと情熱

拓海たちの「一揆」が始まった。

彼らが手に取ったのは竹槍ではなく、使い古したスコップと、農高時代に培った「何でも自分たちで作る」というド根性だった。

* 源の機動力: 源は地元の若手農家たちを召集した。冷害で意気消沈していた彼らに、「俺たちの野菜を最高に食わせる場所を作るんだ!」と熱弁を振るい、重機や資材を「出世払い」で借りてきた。

* 一条の知略: 一条は大学の研究室から廃棄寸前の太陽光パネルやバイオガス発電の機材をかき集めた。インフラすら自分たちで自給自足しようという、当時としては無謀な挑戦だった。

* ちひろの献身: ちひろは近隣の酪農家を回り、家畜の糞尿を堆肥化してレストランの自家菜園に回すサイクルを構築した。

* 松本の変貌: 都会のレストランで「完璧」を求めていた松本は、今や長靴を履き、古い物置を改装した「仮設厨房」で、地元のおばちゃんたちに料理を教えていた。

「佐藤、見てくれよ! これ、近所の爺さんがタダでくれた古材だ。これでカウンターが作れるぞ!」

源が、巨大なはりを担いでやってくる。

「こっちは、一条が作ったバイオガスコンロだ。火力が安定しないけど、それも『味』だろ」

松本が煤で汚れた顔で笑う。

彼らの活動は、少しずつ旭川の街に広がっていった。

「あそこの若えのたちが、なんか面白いことやってるらしいぞ」

「冷害で死んだ顔してるより、あいつらと一緒に泥をいじってる方がマシだ」

かつての農高の同級生、さらには引退したベテラン農家たちまでが、入れ替わり立ち替わり現場に現れ、弁当や資材を差し入れ、知恵を貸した。

それは、組織化された事業計画ではなく、もっと原始的な、生命の爆発のようなエネルギーだった。

4. 冷害を越えた「黄金の豚」

六月。

ついに、レストランの建物が姿を現した。

名前はシンプルに**『サチコの庭』**。

看板は、拓海が自ら彫った木製のプレートだ。

オープニングの日。拓海は、大雪ファームから譲り受けた一頭の豚を調理した。

高校時代に愛したサチコの血筋を引く、誇り高い豚だ。

松本が、その肉を低温でじっくりとローストし、源が育てた「越冬メークイン」のピューレを添える。

招待されたのは、一揆に参加した仲間たちと、あの時融資を断った信金の担当者だった。

「……佐藤くん、これは」

担当者が一口食べ、絶句した。

「……冷害で、みんな『もうダメだ』と思っていました。でも、この一皿には、旭川の土の強さが、生命の執念が宿っている。……銀行員としてではなく、一人の旭川市民として、謝らせてください。君たちが作ったのは、レストランじゃない。この街の『希望』だ」

拓海は、テラスから夕暮れの大雪山を見つめた。

平成六年の不況、冷害、米騒動。

暗い影が日本を覆っている。けれど、ここには確かな熱があった。

インターネットも携帯電話も、まだ誰もが持っているわけではない時代。

だからこそ、人は集まり、手を取り合い、泥にまみれて夢を語った。

「……拓海。次は、何をしようか?」

隣に立った松本が、清々しい顔で尋ねた。

「次はさ、全国の『落ちこぼれたち』を集めよう。ここで、もう一度やり直せる場所を作るんだ」

5. 実りの季節、次なる戦い

『サチコの庭』は、口コミだけで瞬く間に人気店となった。

「シャム米」ではなく、拓海たちが必死に守り抜いた「旭川の米」を求めて、遠方からも客がやってくる。

バブルが弾けて、誰もが「正解」を失った時代。

けれど拓海は知っていた。

一番苦しい時、一番冷たい雪の下でこそ、植物は深く根を張るのだと。

「源! 野菜足りないぞ!」

「分かってるって! 今、トラクター全開で運んでるべさ!」

「一条、バイオガスの火力が弱い! 調整しろ!」

「……やれやれ、僕を便利屋だと思ってるのかい?」

賑やかな声が、旭川の空に響き渡る。

かつて受験に失敗し、逃げるように農高に入った拓海は、今、自らの手で「新しい国」を作っていた。

それは、どんな一流企業にも負けない、泥臭くて温かい、命の共和国だった。

平成六年の風が、緑の草原を吹き抜けていく。

物語は、終わらない。

拓海たちの挑戦は、ここからさらに加速していくのだ。

第13話 完

【次回予告】

レストランの成功に目をつけた大手フードチェーンが、買収の話を持ちかけてくる。さらには、かつての恩師・クロテツが、ある「重大な病」で倒れたという報せが……。

第14話「恩師の背中、と継承の血」。

熱い展開が続きます! 5000字以上のボリュームで書き込みましたが、この「一揆」の雰囲気、いかがでしょうか? 次回のエピソードについてもご要望があればお聞かせください!


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