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鍵町鬼景  作者: 春鮫
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叙死雨景:白井沼子

都市伝説と同じ名前を持つ少女。

合島では昔からこんな噂が囁かれていた。白井沼子を殺せば願いが叶う……。

 あなたがたは何をかもってそれを私の死と呼ぶだろう。花びらがくたびれあの美しい純白を失い地に落ちても薔薇は、たとえその首を切られ、日を浴びるため精一杯広げた葉をことごとく剪り落とされたとしても、地面から伸びるのが哀れな丸裸と成り果てた一本の茎だとしても、やはり薔薇は生きていてまた新たな緑の衣を召す、純白のかんばせをゆっくりと持ち上げる。そして傲然と見下ろす。わたくしは生きている。物言わぬ花は存在そのものが強烈なひとことだ。

 薔薇はその芯に命を抱き、蘇る。果たして薔薇と同じように、私も命を掴み、この身体の中に抱きしめているのだろうか。呼吸を確かめる。心臓の鼓動を確かめる。お腹が空く。鮨を食い、水を飲み、トイレにだって駆け込むけれど。私、本当にこの街の生きた人間なのか。「白井沼子を殺せば願いが叶う」そんな都市伝説が伝わるこの合島で、私は本当に生きているのか。

 私の名前は白井沼子。この都市伝説がいつから囁かれているものなのかは知らない。けれど町中の人間がこの都市伝説を知っている。そして私の名前が白井沼子であることを知っている。

 初めて死を自覚したのは小学校の卒業式の日だった。初恋の男子、白沼真琴は私を線路の上の高架橋に呼び出した。駆け落ちしようと真琴は言った。私たちは一緒に貨車の上に飛び降りて街を逃げ出すつもりだった。飛び降りたのは私だけだった。真琴は懸命に祈る瞳で列車に轢かれる私を見ていた。私の首は鋼鉄の車輪に轢かれ引きちぎれ、私は死を感じながらしかし生きていた。苦痛と激痛が私の中で爆発し、祝福の雨が降った。高架橋の上、真琴は幼い頃自分を捨てた母親と再会し抱き合っていた。あの抱擁とキス。瞼を閉じることはできなかった。願いが叶うのは白井沼子を殺した時。死体は自ら目を閉じることができない。ああ、あれが最初の死。

 死んだ私には父も母もない。

 雨に濡れながら一歩一歩ゆっくりと歩いていた。警笛を鳴らされよろめく。線路脇の枯れた草の上に転んだ。フェンスが死の現場と街を隔てていた。私はフェンスの破れ目から這って道路へ抜け出した。泥水に濡れた制服。だけど血の跡は残っていない。私は濡れた首を撫でながら歩いた。団地は何故かどの窓も真っ暗で廃墟のようだった。コンクリートの壁にもたれ一段ずつ身体を引きずりあげるように階段を上る。三階。私の家。白井……。表札がなくなっていた。

 鍵がかかっていた。私は植木鉢の下から合鍵を取り出して玄関を開けた。「ただいま」居間を覗くと炬燵にもぐった父がテレビを見ている。振り向かない。「ただいま」わざとらしさも緊張するそぶりもなかった。父はテレビを見続けていた。寝室のドアを開ける。親子三人の寝室だ。鏡台が隅に置かれている。母が特別な時だけ提げるエナメルのバッグがなくなっていた。

 三面鏡を覗くのが私は好きだった。無限に広がる世界と触れ得ないたくさんの私。黄昏の迫る中大きく開いた鏡の中に映る私はぐっしょり濡れ、顔を真っ赤にしていた。血が巡っているんだ。頬を撫で、こめかみがどくどく鳴るのを聞く。これだけ顔が赤いのに首は血の気を失って真っ白だ。どくどくと鳴る音が大きくなる。私は生まれつき色白と言われてきた。真夏の海で遊んでも、運動会で一日中外にいても、私の手足は真っ白で日焼けしない。真っ白な首、手、スカートを捲って見る太腿。父と母は既に願いを叶えていたのだ。きっと私が赤ん坊の頃。

 乱暴に玄関を閉めても誰も叱らなかった。私は泣かなかった。階段を駆け下り団地の外へ出ると、雲間から青い太陽が工場の上に沈むところだった。世界は深い緑色の黄昏の中にあった。

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