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長靴を履いた猫

作者: 暁理

 この世の仮初の絶望を与えられた私の目に飛び込んできたのは

 さらに深い絶望を生きる、白銀シルバーの瞳だった――。





 両親が死んだ。両親とはいっても、顔など滅多に合わさない、他人でしか過ぎなかったけれど。だから、この場合、問題はその『他人の死』ではなく。

 子爵の地位を持っていた、私が住む屋敷の『主』が死んだことにあるのだろう。


 力のない私は、爵位を継いだ兄と親戚たちに悪知恵を使われ、体裁よく屋敷を追い出された。残ったのは小さな小さな家と……。

「――と申します。……お館様」

 満足な服すら持たされなかったのか、襤褸を纏った奴隷が一人。その放置されて伸びきった長い髪の下から切れ長の白銀が絶望の色を足して私を見上げている。元の名前を名乗られたけれど、もう覚えていない。それは誰かもしらない、その奴隷の前の主が付けた名前であろうから覚えるつもりなど端からなかったし。なにより、そのあとの皮肉が強烈だったから。

 お館様、だなんて。小さな家一つしか持たない私が一体どれほどの力を持つというのか。今まで礼儀作法や教養こそ習いはしたものの、それが一体どれほどの金に変わるというのか。

「やめて。リーサでいいわ。それからアナタも……そうね……シオン。それでいいわね」

「はい、リーサさま」

 まもなく、奴隷とそう変わりない地位に落ちるだろう私に、目の前の奴隷は何を思って仕えているのだろうか。そう、なんとなく考えた気がする。

 それが、私とシオンとの出会い。


 その夜、私は部屋の中で横になったまま、寝付けなかった。シオンはといえば、隣のスペアルームを割り当てた。広さでこそ、私のいる寝室の方が広いけれど、いったいそれが何になるというのか。部屋の中身は人間一人とベッド一つであることに変わりはない。

 これからしばらくの間の食料はある。私が今までの持ち物を売れば、食料程度ならまだ買える。とはいえ、一体それが何になる。現実から目をそむけているだけにすぎない。まもなく自分の身以外に売れるものなど残らないに違いない。

「はぁ……」

 意識などしなくても、ため息は次から次へと漏れ出していた。


「おはようございます、リーサさま」

「……おはよう、アナタ、その髪……」

 朝、部屋を出ればシオンが朝食の準備をしていた。料理中特有の熱気が小さなキッチンから飛び出し、リビングにまで朝食のよい香りと共に届いている。けれども、私が驚いたのはそれではなくて、背中……否、腰まであったシオンの髪がバッサリと切られていたことだった。

「仕事に邪魔でしたから」

「……庭へ出て。そんな切り方、みっともなくて見てられないわ」

 言って、シオンから視線を外す。バタバタと自室から鋏を持って庭へと先に出た。


 卑怯だ。

 ……自分の顔が熱い。バレてしまってはいないかと考えて、カァ、と再び頬に熱が上る。同じく、随分と短くなった前髪から覗く顔と、その力強い双眸に見惚れたなんて。恥ずかしくって、とてもじゃないけど、バレたくない、なんて。私は庭に座り込んで深いため息をついた。


「……シオン、名づけておいて今更だけれど、やっぱりアナタ、ここを出ていいわ」

「……」

 不慣れではあるけれど、なるべく手早く髪を整えた後、朝食の席に同伴することなど到底許されたものではないと頑なだったシオンをなんとか説得し、自分と共に朝食の席につかせた。私の正面でしぶしぶと朝食を口に運んでいたシオンの手が、私の言葉に止まる。

 同時に自分に注がれるのは、銀の眼光。

「それが命令であるのならば……従います。けれどその後、アナタはどうされるのですか」

「関係ないことよ」

「……申し訳ありません」

 ドキリ、と心臓がなった。私の代わりにシオンを働きに出せば、なんとかこの先も食いつなげるだろう。だけど、それで……何になる? 持ち物を売りつつ、食料だけで食いつなぐ、現実から逃げている今と、なんら変わりはしない。それなら……私はそんな未来は、いらない。自分から捨ててやる。

 私が本当にお嬢様だった昔なら、なんと愚行かと、私の決断を鼻で笑うに違いない。何不自由なく暮らしていた私は、この世界を探せば、希望などは山と転がっているに違いないと。それを探しにすら出かけないのは、ただの怠惰な愚か者に過ぎないと。

 けれども、知ってしまった。人は希望など、探す余力もないほど、疲れ切るときもあるのだと。

 それでも、私よりももっと底辺で、この世の絶望の限りを味わったと言わんばかりのシオンに、その白銀で見つめられるのだけは……。私の心のどこかに残っている昔の私が、それは愚行だと、なんと愚かなんだと、そう思う気持ちを思い起こさせる。

 愚かな娘だと、シオンに見下されているようで、呆れられているようで。

 居心地が悪い。そう、思わずには居られなかった。


 その日の昼、私は町に出ていた。結局朝食の席での話はそのまま流れてしまって、もう一度、切り出さねばならない、そのことに軽く気分が落ちる。

「これならこの値段になるねぇ」

 自分がお嬢様だった頃の装飾品を売りに出す、その値段に私は軽く目を見開いた。

「冗談じゃないわ。これの三倍はするはずでしょう!?」

「ふん、どこの没落貴族かは知らないが、この店の鑑定士は俺だ。文句があるなら、他をあたればいい」

「えぇ、そうします」

「もっとも、できれば、の話だが」

「っ!?」

 店から身を翻そうとした矢先、腕の部分をつかまれ、私は声にならない悲鳴をあげる。いつの間にか、店の奥から若い衆が出てきていたようだった。

「はなしっ」

「あるもん、全て出してもらおうか。なに、奪いはしないよ。まぁ、ただ同然の値段で買い取らせては貰うけれどね」

 欲に血走った目で告げられる。と、同時に私の腕を掴んでいた男が、私の手から装飾品を奪った。

「返して!」

 売るつもりだったもの。だけれども、それには私のお嬢様だった誇りが詰まっている。

「今まで民衆の血税で贅の限りを尽くしてきたんだろう? だったら次はお前さんの番じゃないのかい?」

 そうだ、私はもう、搾取される側にまわっているのだ。

 ふ、と自分の体の力が抜けるのが分かった。ともすれば、倒れこんでしまいそうな、そんな脱力感。


「リーサさま!」

 響いた声は、家に残していたはずの、シオンだった。

 ばき、と人が人を殴る音がして、私はぎゅ、と目を瞑る。何が起きているのか、できればもう、一生知りたくなかった。


「リーサさま、お怪我は?」

 ようやく怒号や物音が静まって、私にかかったのは、どこまでも優しいシオンの声だった。

「なんで……」

 おそるおそる目を開ければ、す、と自分へと手が伸ばされていて、それを辿れば傷ひとつないシオンがいつもの無表情で立っていた。

「申し訳ございません。いいつけを破りました」

「……ありがとう」

 怒れるはずがなかった。どこまでも冷たいシオンの白銀が、けれども、そのときは心無い男たちに凍らされた心に差し込む一筋の陽光のように思えたのだった。


 シオンに支えられるようにして家へと戻った私は、恐怖もあって、ついに涙腺を決壊させてしまった。

 寝室のベッドに腰掛けて腫れぼったくなった目蓋を濡れたタオルで冷やす私の足元に、シオンは膝をついて私を見上げている。

「リーサさま、一度だけ、チャンスを下さい。きっと、アナタに私の主であることを後悔させたりしません、だから」

「どうして私を助けようとしてくれるの? アナタがここを出ればアナタは自由よ。それとも……奴隷業がそれほど気に入った? ……まさか」

「……アナタが主だからですよ」

「なら、やっぱりもう要らないわ。出て行きなさい」

 あれほどまでに、自分の地位の低さ……無さを思い知らされてなお、目の前の男の上に立っていられるほど、私は図太くもなかった。

「……リーサさま、アナタは弱い。アナタは間違っています」

 その言葉は要するに……シオンを追い出した後、私が自らこの命を絶とうとしていることを見抜いていると、そういうことだった。驚きもなく、やはり、という感想だけが胸に現れる。

「うるさいわ」

「そして、それは私を……俺を酷く苛つかせる」

「っ」

 奴隷としてではない、他の何者かとして呟かれた言葉に、私は囚われた。

「どうして助けを求めない。私は主の為ならなんでも致しましょう」

 声をかけられさえすれば街へもついていったのに。私の無謀を言外に……その視線だけで責められているような、居心地の悪い気分になる。

「冗談じゃないわ。こんな、全てを奪われた状態で、その上でさらに人の上に立ち続けるのなんてごめんよ。人の上に立つ地位が私をこれほど落ちぶれさせたというのなら、私は普通の娘になりたい」

 それでも私は虚勢をはる。私を主として、シオンがつき従いたいというのなら、それはやはりごめんで。けれど、今この状態は、彼の主であることに、代わりは無いから。

「……なら俺は、リーシアという一人の娘のためになんでもしよう。それならば、いいのか」

「冗談。なぜアナタが、私なんかのために」

 宝石商の抱える手練れの若い衆を無傷で伸して見せたシオンは、奴隷をやめても、否、やめれば、すぐにいい仕事につけるだろう。見目も麗しいようだし、もしかすればどこかのお嬢様に見初められてもおかしくない。そんな、自嘲をこめた私に返ったのは、酷く冷静な声だった。

「……自分の身の程を弁えてるやつは、嫌いじゃない。お前は自分が絶望という諦めに浸ろうとするたび、俺の瞳に怯えていた。自分の境遇がまだ温いことをよく知っている。その上で、俺に同情じゃない、ただの温情を与えようとした。威張るしか能のないバカな女は嫌いだが、他人より先に自ら滅びたがるバカな女は嫌いじゃない。それだけだ」

「……なんか、すっごくバカにされてる」

「してるからな。……どうする? 俺をお前の人生に巻き込むか?」

白銀が、私につきささる。コレほどまでに私の胸を締め付ける、強い言葉をはいているというのに。シオンの瞳は絶望がうつりこんだままで。

「……いいわ。でも、私が巻き込むのは、私に従うしか知らない奴隷じゃないわ。私に逆らうことも、自ら1人で立つこともできる、1人の男よ」

 その絶望の色を、この私の手で消してみせたいと、そう、訳も無く思った。

「……やはり、嫌いじゃない。……仰せのままに」

 薄く微笑んで、私の手をとり口付ける、シオンの白銀の瞳に私の姿が映りこんで、絶望色を塗りつぶす。いつか、私の姿が映らないまでも、白銀が陽光に煌く、そんな日がくると、漠然と、そう思った。



「なら、もうシオンじゃないわね。本当の名前は? 無いなら無いで、自分で付けて」

「……否、シオンでいい」

「シオンって、知らなかったでしょうけど、隣国の王家を追われた不幸の第二公子の名前よ。ちょっと不吉すぎない?」

「知ってて名付けたリーサもリーサだけどな……」

 私の質問にシオンは呆れたように笑ってみせる。


「いいよ、シオンで。……本名だから」

「え? 今何か言った?」

「いや、何も?」

 尋ね返した私に、シオンはクスクスと笑って、ごまかすように、今度は私の唇に自分のそれを重ね合わせた。少しびっくりした私も、それに抵抗する気は起きなくて、素直に口づけを受け入れる。

 つい先ほどまで絶望に満たされていた心の中は、今はすっかりと希望と幸福で満たされていた。間違いなく、それはシオンが私に与えてくれたもの。その時に私は気付くのだ。彼が両親の残した1番の宝物であるのだと。






 この後の二人のストーリーが、ラブストーリーになるのか、スリルとサスペンスに溢れたストーリーになるのかは、まだ、誰もしらない。


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