0章 訪問看護ステーション「はるかぜ」です!
「こんにちは、ヨシオカ様。『訪問看護ステーションはるかぜ』の星川です。調子はいかがですか?」
玄関を上がると靴を揃えると、用意していたスリッパを取り出し履いた私は、そのまま周囲にはわき目も降らず、指示された部屋の前に立つとトントン、と、障子を叩いてからそっと開けて顔を覗かせた。
「あぁ、星川さん。いらっしゃい」
「失礼いたします」
中は6畳ほどの広さの和室には、大きな介護用の電動ベッドとサイドテーブル、ベッドの足元には簡易式のポータブルトイレと福祉用の補助手すりがあり、部屋の真ん中にはちゃぶ台、それから部屋の隅には衣装ケースが二つが置いてある。
大きなベッドの上で横になっているのは、細身で深い皺の刻まれたお顔に優し気な笑顔を浮かべて『ヨシオカ』様が私を招き入れてくださった。
「今日はね、とても調子がいいんだよ」
そういう彼は、自身の胸の上に乗せた自分の腕をよろよろとあげながら、ひらひらと私に手を振ってくれたため、私はそれに頷いた。
「よかったです。失礼しますね。……よいしょ」
ヨシオカ様のベッドサイドに座った私は、担いでいた鞄を開くと、中から患者様の情報を入力するためのタブレット、血圧計、体温計、酸素飽和測定器、聴診器を取り出す。
「まずは血圧を測りますね。ギューッと腕が締まっていくので、ちょっと痛いですよ?」
私の言葉にヨシオカ様が頷いてくれたのを確認すると、左の上腕(腕の肘から肩にかけて)に血圧計のマンシェットを巻き、カフを何度も握って離してを繰り返して空気を送り、一定の数字になったところで手を放す。
デジタル表示で数字が下がっていくのを確認しながら、声をかけ、体温計を反対の腋の下に入れ、血圧が測り終わったら血圧計を外し、指先に小さな酸素飽和測定器を装着し、体内の酸素飽和度が上がっていくのを確認する。
「失礼しました。いいですね! 今日は血圧は123/65。脈は67、酸素は96%、お熱は36.4℃です」
消毒できる機器をアルコールで拭き取り鞄の中に片づけながら笑顔でそうお伝えした私は、それを忘れないうちにタブレットで入力していく。
「あぁ、今日は本当によかったんだなぁ……」
そういう彼に、私はにっこりと笑う。
「はい、数字上はばっちり! 大丈夫ですよ。ではお胸とお腹の音を聴いていきますね。お洋服を失礼します」
一度立ち上がり、聴診器を装着した私は、ヨシオカ様の来ているパジャマのボタンを3つ外し、教科書通りに呼吸音を確認していく。
ヨシオカ様の病気はALS―筋萎縮性側索硬化症―という喉、四肢などの筋力が衰えていくという(原因は、脳や脊髄の神経―運動ニューロン―が障害を受け、その結果、筋肉に指令を送れなくなり力が弱まり、筋力が落ちていく)、国が指定する治療方法の確立されていない原因不明の難病だ。
治療薬の開発は行われているが、今はその進行を遅らせる(事が出来るかもしれない)薬剤はあるが、完治させる薬は今のところない。
この病気は先ほども言ったとおり、喉の力(舌の動き、発声、飲み込む事)呼吸をする力も弱っていくため、呼吸をする力が弱まっていないかを確認するため、呼吸音を聞き、肺全体に空気が入っているか、そして舌や飲み込む力が弱まって食事や唾液がうまく飲み込めず、気道の方へ落ちてしまう『誤嚥』で『肺炎』を起こす可能性があるため、呼吸音に『肺副雑音』と呼ばれる呼吸音に重なって聞こえる異常な音がないかを確認する。
(うん、うん。気道良し、気管支よし、右肺よし、左肺は少し下葉の音が聞こえにくいかな……。でもこれは前回の訪問記録にも記載があるし、全体的には変わりなしね)
よく少し時間をかけよく確認してから、聴診器を一度外すと、ヨシオカ様のお顔を見ながらパジャマのボタンを元に戻す。
「大丈夫そうです。痰も絡んでないですし、呼吸の音も綺麗ですよ」
「あぁ、よかった」
「じゃあ次はお腹の音を聞きますね。今日はお通じはありました?」
「今日はまだだけど、昨日あったよ。ヘルパーさんが来ていたからトイレに座って出来たんだ。おかげですっきりしているよ」
「それは良かった! 寝たままより座ってやる方が、すっきり出るよと、おっしゃっていましたものね」
にこにこと笑うヨシオカ様につられて私も笑いながら、掛け布団を丁寧に畳むとお腹の音を聞いていく。
右下腹部から左下腹部にかけて何度かに分けて音を聞くと、ポコポコ……キュル……ポコっと、お腹全体にしっかりと大腸が動く音が聞こえる。
「お腹の音もいいですね、しっかり音が全体に聞こえてます。少しお腹、押しますね。痛かったら教えてください」
聴診器を外しヨシオカ様の顔を見てそう伝えてから、お腹が少し沈む程度に人差し指から小指まで、指の全体を使って押し、ヨシオカ様の表情を確認しながら時計回りに全体を確認する。
(腸蠕動音良し、うんこは……少し溜まっているけれど、まだ上の方だし、昨日すっきり出たと言われていた。表情も変わりなし……うん、大丈夫ね。だけど……)
手を離し、洋服を丁寧に整えて掛け布団を駆けながら、私はヨシオカ様を見る。
(全体的にお痩せになったわね)
ふっと息を吐いてから、顔に笑顔を浮かべ、ヨシオカ様を見て笑った。
「それではヨシオカ様。お風呂に入りましょう!」
「あぁ、嬉しいなぁ。よろしく頼むよ。妻が浴室に着替えを用意しておいたと言っていたから、頼むよ。今日は歩いて行ける気がするんだ」
「では、私が介助しますから、ゆっくり移動しましょうね。十分気を付けて、ですよ」
「あぁ、解っているよ」
ベッドから起き上がるのをお手伝いしながら、廊下を挟んで反対にあるお風呂場までの距離をゆっくり時間をかけて進んだ私は、ヨシオカ様の入浴の介助をするのだった。
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こちら、第13回ネット小説大賞応募作ですが、一話完結の不定期更新となります。
連休3日間は更新予定ですので、よろしくお願いいたします!
★作品概要にも記載がありますが
このお話は完全フィクションです、創作です、妄想の作り話です。
現実世界と混同せず、あぁ、ファンタジーだもんな、と、念頭に置いてお読みください。
(看護師には守秘義務という法律に定められた制約があります。病気や注意する点は実際のものに
準じておりますが、登場する事業所、登場人物は全て創作です。絶対に! 混同しないでください)