5 二重奏 二
阿鼻叫喚、阿で鼻がどうするのか知らないが。
うそ。阿鼻地獄という仏教用語から来ている。
終わりのない地獄という解釈ができ、それに叫喚、泣き叫んでいるということを表すのだ。
極度の苦痛や人々が混乱の最中にいることを示すテッパン用語である。
まさに地上で地獄を表すにうってつけの言葉だ。
大声を出させずに殺すことが難しいのではない。
ぶっちゃけ、その後が面倒だな、と安易にその後へ思考を向けていたが。
殺風景な空間、まさに何も無い空間では、遮蔽物もクソもない。
武器庫に揃っていたのは短剣から長剣まで幅広い刃物、溺死でもさせたいのか大量のペットボトルにバスタブサイズの容器。
やはり企画倒れを防ぎたいらしく元から銃器モノは用意されていなかった。
あとは大量のマッチに火種になりそうな可燃物がゴミのように。
ざっと見て明らかな凶器は刃物だけという意外な状況が出そろった。
今茶笠はまさに三対一の状況で三本の刃物を向けられているわけだが、黒髪はともかく所詮素人が何も考えずに突く刃物なんてマッチに火を付けるより容易だ。ちなみに茶笠はマッチが怖くて付けられない。
まず容易い幼稚園児からやろうかとシフトすれば、すぐさま非力男がカバーに入ってくる。
徒党を組むどころの騒ぎではない謎の絆に、二人は元からの知り合いだろうと察した。
生き残り二人、何も二対二になる必要はない。
一旦は三人で徒党を組み、一人を確実に葬ってから裏切り祭。カオスだが合理的。
悲しいかな、遅刻野郎はどの社会でも好かれないようだ。
ともかく、対人の経験がない茶笠にとって三人の攻撃を一手に引き受けるのは容易ではないということ。
いくら足が速くとも、今の所はそのおかげで追いつかれないだけだ。
室内が体育館ほどの巨大さだったのは、もしかすれば運営から茶笠への温情かもしれない。
幼稚園児と非力に挟まれたタイミングで、どちらを犠牲にするかをさっさと決めると思い切り園児の髪を手前に引っ張った。
シンプルに茶笠の腕力と相談した結果だ。
茶笠こそ避けられる体勢でもなかったが、突っ込んでくる園児を自分の上で盾のように犠牲にする。
男も滑る地面に上手いこと餌食になったか、勢いを止めることは出来ずそのままに園児にナイフを刺した。
「ぅあああああああ!!!」
号泣されるかと思えば野生動物ばりの爆音を出されるので潔く口を切る。
厳密には口を切るだけでは声を消すことは出来ず、声帯や喉仏を狙うことが懸命とされている。
なんとなく喉の辺りに薄く線を入れたが、声帯にあたったか二発目の息が喉を通りきる前に園児は乾いた息を吐いた。
茶笠と同じ青い血が首筋からぽたぽたと漏れ出る。
初めはただの擦り傷のように、やがてじわじわと追い上げてきた血の海が流れ出てくる。
「青い、血・・・?」
何を狙っていたのか知らないが、どこかの角度から黒髪が声をあげた。
非力も同じリアクションらしい。
一度当たり前のようにその光景をスルーした茶笠の視線が、黒髪に見逃されるはずもなく動き回ったまま問われた。
「知ってる顔、どうして?」
「・・・・目に良い色だからじゃない?知らない」
実にトンチンカンな答えを返しておいた。
頭の中で、墨括弧がグーサインをしているような気がして気分が晴れた。
帰ったら褒めて貰おう。臨時ボーナス出してくれたって良いんだよ?
【頑張ってね】
口調は電話越しのそれではない。
彼女、彼かよく考えると知らないが、向こうもお仕事中だ。
ちらりと見たパネルに表示される初撃の爆音は87デシベル。案外いけるかもしれない。
園児をこのまま犠牲にするかの判断は一旦さておき地面に捨てる。
「策士かよ兎がっ!!」
空気を乱すつもりでした意味のない回答だったが、思いのほか順応される。
ヒトラー裏切り暗殺の如く内輪揉めを狙ったが、存外非力は園児を刺したことに衝撃を感じきらないままに再びナイフを振りかざしてきた。
それを一旦自分の剣で受け止める。
「一旦落ち着いて。やかましい」
「随分呑気な輪乱しじゃないか。そんなに余裕か?」
「余裕じゃなかったらすぐにここをガスで満たして爆破してるって。うるせぇんだよ」
正常な女の発言ではないとようやく判断いったのだろう。
非力は悩んだ末自ら剣を降ろした。
「血迷ってた。認めるよ。互いに焦ってた」
当たり前だ。
茶笠が武器庫の解錠をしておよそ三秒。
武器庫を出るまでもなく囲まれなんやかんや避け続けて今。
園児は若干の重傷。対して、ここまで総当たりにもかかわらず、非力、茶笠、黒髪は無傷そのもの。
攻防に問わず早々に良い結果は望めないと察せたようだ。
二人とも、食料なし便所なし洗面なしの空間で消耗戦は避けたい気持ちは茶笠と同じ。
そして、勝ち筋が見えた。
と、こうして休戦してしまえば始めに取る選択肢は自ずと決まってくる。
未だ地面で喉を押さえる幼稚園児。もとい打ち込んだ名前はみつきだったか。
なにはともあれここを落とすのが初手一番合理的な手段だ。
早々に見切りを付けることができたのか、思いのほか知り合いではなかったのか、非力もそれに反対する様子は見せない。
「やる?」
悲しさでも抑えているのかやけにガンギマリ中の非力に剣を差し出してみるが、それは沈黙と共に拒否。
「せめて見届けなよ。知り合いでしょ」
「……何度か前のゲームで会っただけだ。情も何もない」
「かわいそ」
そうか、複数人ゲーならそんな感動の再会もあるのか。
それなら当然、見たこともないウサギヘアが寝ていれば大声で叫びたくもなる。なるのか?
当然のように前に出ない黒髪にもたっぷりのため息を目を合せて吐くと、茶笠は幼稚園児に近寄った。
さすがに察したか、避けたそうな素振りを示す。
が、背中に一度ナイフが刺さっているのだから当然動けない。
声も出せない、詰みだ。
どうして、こんなゲームに参加しちゃったか。この年齢で。
まだママにママと言って、みつきと自称しても変な目を向けられない年齢だろうに。
気の毒。幸せになれよ。
「夥伴だよ」
最後に、そう一言だけ呼びかけた。
園児の目が最後に大きく開かれる。
敢えて、大きめの声で全員に聞こえるように放った言葉。
2人は意味も読もうとせず理解していないことがよく分かった。
茶笠は笑いかけた。
実に皮肉だ。
こういうのが好きだから、茶笠は複数人ゲーには呼んで貰えなかったのかもしれない。
手に強く握る剣を頭上に振り上げる。
振り下ろす、否、次の瞬間、矛先にあったのは胸板だった。