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逆さの茶笠  作者: 藤乃葵
2/7

2 寝台列車 二

 今度の言葉は靄に乗せられたセリフではなく、脳に直接話しかけられた。

 まさに天の声。


 私は迷わずに左へ走った。


 ピンクの細いイヤリングカラーが尾をひく。


 フラットシューズがやけに引っかかる。

 無駄に摩擦が減り、それか鼠の再来か、白足は窓下の壁に当たりながら走る。

 全力疾走だ。結構速いぞ。


【封鎖されるわよ】という、靄と同じ口調とテンションの声。

 封鎖される。

 全てを信じなさい。

 フロアを隔てる扉を開けると、両脇からの強風が顔を襲ったが無視し次のフロアに飛び込んだ。


 間に合わなかった。

 残った左腕が肘から落ち、同時に後列は先ほどよりも遙かに巨大な爆音で隔てられた。

 扉の外で、刃物の壁が落ちたような状況。


 急にファンタジーになってきた。

   

『大怪我じゃない。医師を探したらどう?』


 靄が全く同じ文句を再び出してきた。

 我々にとっての道しるべ。

 彼女に従っていれば問題はない。

 そんな存在。

 だからこそ、全てを信じ切るのだ。信じ切らなければならないのだ。

 めっちゃ皮肉。

 時間がない。

 二度目は即ち遅れを意味する。

 一度目の()()で動き出さなかったから、腕が失われたか、あるいは予想外に負傷がなかったからか。


 私は再び走った。


【4つ目の部屋に利物(りぶつ)があるわ】


 余計なことを言い始めた。



 ***


 さっきのフロアから2つ左のフロアに医師。

 そこを目指せという『』(引用符)からの指示。

 が、【】(墨括弧)の助言は1つ左のフロア、つまりこのフロアにあるアイテムの位置。

 中継地点であると同時に、利物を入手していれば二分の一の確立でクリア後に追加報酬が得られる。

 生死を狭間にすると同時に二分の一にも打ち勝たなければ時間を使うメリットはない。


 今は無理だな。


【利物よ?】


 利物だよ。ビッグチャンスだ。


 私は走って2つ目のフロアを抜けた。

 今度は右腕が落とされることもなく左腕からだけ青い血が出る。


『右(左)に2つ目のフロアに医師』という『』の指示。

 ここだ。

 廊下を向かって左に計5つの部屋。

 ドアは一般的なノブの高さだが今までの2フロアといたって変わらない内装だ。

 右の窓には変わらず黒布が張られている。

 誰かの細工ではなくもはやそういう仕様だろうと判断した。

 そして変わらず、人の気配はない。

 が、呼吸音がある。

 若干良い耳を済ませるが、ここに来てからガタガタと騒がしい物音が鳴り続けているせいで呼吸音ということしか分からない。

 深いように思うので大柄の男か、あるいは負傷中のどこかの誰かか。


 裸足では物音を立てなかった足も、ヒールのせいで硬い音がたつ。

 飛び込んだ時の物音もさることながら。


 忘れよう。



 2フロア前から継続で持ってきた、いよいよ死骸と化した鼠を一つ一つノブに投げては自らの手で開けていく。

 寝台だけの部屋が4つ続いた。

 最奥の5つ目の部屋。

 呼吸音はこの部屋から。

 近づいて分かったことは男の深い呼吸音だということ。

 女性の浅いそれではなく深さと苦しさを混じらせたそれ、また咳のような音まで聞こえる。


 外見に変哲なし。できることなし。

 5つ目の先には今までとは装飾の異なる扉が1つ。ゴールとみる。

 この医師とやらを何とかすれば終わりだ。


 私はノブを降ろした。

 変わった感触が手に伝わる。

 何かを引いている。重い。

 口を歪ませながらも一度降ろしたものは上げられない。

 降りきった合図にカチリと心地よい音が鳴るのに反し、その状況を継続したくなくてストッパーの外れた扉を蹴り飛ばした。


「――――」


 死んで間もなく、どころか今し方。

 首にナイフが縦で刺さりそこから青い血が伝っている。

 白衣を纏い周囲に医療器具らしい金具たちを並べている。まさに医務室。医師。


『医師が見つからない?彼からメッセージを受け取って頂戴。それを扉に打ち込めばアウトよ』


 当たり前に目の前の医師は何も発せない。

 室内にはこれまでの殺風景さと比べ風邪を引くほど物が多い。

 『』(引用符)からの最後のタスクは医師からメッセージを受け取れというもの。

 それがないと即ちゴールできない。


【残りの利物はクリアーで入手可能よ】


 【】(墨括弧)も相変わらず余計な助言だけをする。



 最後の外の空気を吸い、私は事件現場に足を踏み入れた。


 ***


 首筋に手を当てるが既に脈はない。

 死後硬直は当たり前に一切なし。体温の低下と顔面蒼白だけが外見的な変化だ。

 それだけで考えるなら、死後一時間以内。

 が、ノブを降ろした瞬間の重い違和感、まるで死後呼吸を見たかのような緩い口元の表情。


 私が殺した。

 それが明白。


 まず、室内の証拠を探った。

 首に刺さるナイフには糸が途切れたように短く残っておりノリで柄に接着させられている。

 同じ糸の切れた先は、天井を経由し違和感の通りノブの反対側に。

 ノブを誰かが降ろせば、糸の先に繋がっていたナイフが一時的に上昇する。

 既に切れかけの糸を使っており引き上げるだけで切れるような設計だった?

 今回、仕事がお粗末な運営ならありえる手法だ。


 それに、この方法で私が殺したのであれば医師の体は長時間、備えてこの場所に固定されている必要がある。

 回転式の椅子に深く腰掛けた遺体は、確かにここで事前に気絶していたと言われても不思議じゃない。

 周囲に荒れた様や不自然に動いたものもないことを踏まえれば、それを裏付けられる。


 医師がなぜここで気絶させられていたかは考える必要はない。そういう場だ。


 引用符のタスク、メッセージを見つけることが目標なのだから、実際はこれの死因すら知りきる必要はない。

 しかし、私が殺したのであれば話は違う。

 殺害に悪意はもっていない。けれど、行方不明よりは正しく知ってもらった方が世のため人のため、な気がするので調べる。


【苦戦してるようね。まずは医師の最後の行動を辿ってみたら?】


 墨括弧の天の声。

 その通りだ。

 殺した瞬間の流れは粗方分かった。


 気絶してから連れてこられたのか、来てから気絶したのか。

 前者の場合、医師からのメッセージなんて期待できない。

 後者で、気絶に至るまでの時間で遺体が何かを残そうとしたのであれば。


 とはいえ部屋を漁る以外出来ることはない。


 と、卓上の大量の資料の1つにヒントがあった。

 パブでの支払い履歴。レシートのようなものか。

 パブ、要は酒場だ。

 それだけでは何も情報を得られないが、レシートに記された金額が低額であることに気づく。

 

 パブ

 大量に同じ店名が記されたレシートから、恐らくこの医師はこの店に一定期間通い続けていたことが分かる。

 となれば、旅行客としてたまたまパブを訪れたわけではない。

 パブに慢性的に通い詰める者としてイメージがあるのは地域住民などでない限り炭鉱などの労働者。 

 物語でも野性味のある酒場を主人公らが訪れた際、それにケチつける役目としてイメージがあるのではないだろうか。

 

 では、医師が炭鉱で働いていた?しかし医師だ。医師ではないのか?

 炭鉱に医師が常設されていたケースなど、昔の炭鉱がよく動いていた時代の話だろう。

 当時であれば医師、看護師など複数名で緊急時に備え常設もあった。それだけ炭鉱が危険な場ということでもあるが。

 炭鉱で働いていた医師。それが死んだ。否殺された。


 元はと言えば負傷を医師に治して貰うために医師を探せ、というタスクだったはず。

 なら、やはり医師は当時治療が可能な状態だった?

 ここにやってきた後に、何かしらで気絶、眠らされ私が扉を開けたがために死んだ。

 筋が通るか。

 なら、やはり室内に何か証拠が。


【逆さ】


「え?」


 墨括弧の声。

 私の声帯にも久々に息が通った。


 聞き返すように虚空へ待ちを浮かべるが、墨括弧はそれ以降話さない。


 逆さ。なぜ呼ばれたんだ。

 逆さ、と言われて思いつくものがないことはない。


『服は着ているの』『大怪我じゃない』『医師は2つ右のフロアにいるわ』『医師が見つからない?』『それを扉に打ち込めばアウトよ』


 服は着ていなかった。大怪我もしていなかった。現在進んでいるのは左のフロア。医師は見つかった。扉に打ち込めばクリアーに決まっている。


 全てが逆さ?


 過去形の逆さ。


 服は着ているの。という発言。

 これを靄が発言した当時、私は服を着ていなかった。が、その後服は発見し結果として着ている。

 大怪我をしていなかったのに、フロアの断絶により左腕が落ちたことで現在は大怪我状態だ。


 逆さだった事実が実現に追い込まれている。


 逆さ。

 引用符の発言は全て逆さ。



「この遺体は医師じゃない」



 私は遺体の顔色を確認した。

 唇が青白い。

 角括弧の、医師は元々炭鉱で働いていたという話。

 これは事実だと仮定するのであれば。


 死体の色の変化は蒼白と体下部の死斑が一般的だ。

 蒼白について、顔面と肌の蒼白が一般的であるが、呼吸困難により死に至った場合、酸素供給不足により唇や皮膚が青白くなる。


 遺体が医師ではない。

 医師という引用符の言及が逆さなのだ。

 医師の逆さ、そんなの()()以外の何であろうか。


 昔、炭鉱で働いていた労働者で現在は患者と化している。

 炭鉱・病気と聞いて浮かぶものは塵肺症(じんぱいしょう)が印象深い。

 長期間にわたり粉塵を吸入することによって、肺に炎症や線維化が生じる慢性呼吸器疾患。

 そして発症の原因になる粉塵は労働環境で吸入されるそれが原因。

 扉の向こう、医師の生前に聞こえた重い咳は塵肺症の代表的な症状。


 しかし――

 これらは炭鉱で働いている人が慢性的になる症状。

 炭鉱から出た今でもそれが続くだろうか。

 いいや、それを知るには医師の職業継続期間まで知る必要がある。


 医師からメッセージ。

 私は部屋を出、すぐ左のフロアを隔てる扉に走った。

 扉に打ち込むメッセージ。

 50音と変換キーのみが並ぶ電子パネル。

 その上に表示された疑問符は――

 

『ここはどこ』


 私は口角を大きく持ち上げた。


 クリアーの指標は事件の解決でないのなら、医師の死は直接的な答えではないということ。

 私はこの事件を解決する必要はなく、死は「ここはどこだ」という問いに答えるための材料に過ぎない。

 医師の死因は落ちたナイフと予想していたが、これが隠匿に過ぎないとすれば。

 塵肺症の悪化による呼吸困難で亡くなったとすれば。

 それを隠すためにプレーヤー自らの手でナイフを落とさせたと錯覚させれば、ナイフ以外の死因なんて考えようもしない。


 医師の机を漁った。

 インクで大量に記されているのは何十年もの炭鉱での採集記録。

 対象である鉱物は、()()


 ここまでの3フロア、変わらない見た目に狭い廊下、右側に並ぶ窓、初動での地面のスライド感、フロアを進むほどに大きくなる騒音。

 そして、医師は医師ではなく、石炭炭鉱で働いていた労働者。

 低額ながら何度も通った酒場のレシート。

 ここまでのヒントから導けるものは、


 再び、左の()()へと走った。


 医師は自らの死を持ってここがどこかを教えてくれた。

 塵肺症に犯されていた患者、かつては石炭炭鉱。



 パネルに、漢字4つを打ち込む。


 急行列車



 硬い錠の掛かっていた扉が音を立てて解錠された。

19世紀から20世紀初頭にかけての急行列車には、主に蒸気機関が使用されていました。

この時代というイメージまで持っていくヒントは、クローゼットに並んだ服装。エンパイアスタイルという、当時の絵画に描かれた女性でもイメージはありますね。

そして、蒸気機関車の燃料といえばやはり石炭。

医師(患者)はかつてこの石炭炭鉱で働いていた鉱夫だったわけですね。

医師という逆さで表されたのは、塵肺症により死の間際に立つ患者と化してしまったから。

名医という引用符の言葉は、逆さにすれば死の間際の患者ということでした。

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