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逆さの茶笠  作者: 藤乃葵
1/7

1 寝台列車 一

 『汚い闇は上昇していく。

 貴方は浅い闇で地を背に下降している。

 えぇ、存分に怖がるといいわ。

 警戒するのよ。誰も貴方を助けはしないわ。

 今から起こる全てを信じ切れるのなら、

 目を閉じなさい』



 ―――― 小さな話し声に浅い眠りを覚まされた。

 カサカサという布の擦れる音もそこそこに、私は足に痛覚を感じた。

 鼠が足を噛んでいた。

 鋭く刺さった牙は白足から青々しい血を流している。

 私は足を振るって鼠を弾き飛ばした。

 すぐそこの壁に背中から追突した鼠は硬い音を立てて動かなくなる。

 軽い布団の中に入っていた足を体の前に持って来、伝う青い血を吸った。


『全てを信じなさい』


 目の前にぼぅっとそんな靄がかかった。

 文字が浮かび上がったような靄だった。

 体の調子を確認してみるが痙攣も出血も起こらない。

 青い血は自らの血液かはたまた毒本体か。

 どちらかを断定するには時間が必要だった。


 私は声の正体を探した。

 狭い室内をその場から見渡したが、生物はおろか物体すらない。

 あるのは私の体とそれを寝かせていた寝台だけ。

 声はここから聞こえたものではない。私は寝台を降りた。


『服は着ているの。隣の部屋にも予備があるわよ』


 また目の前に靄がかかった。

 私は何も纏っていなかった。

 白肌は青さを含み骨張った肉付きを強調している。

 こんなのだったかなと首を傾げるような感情も出たが気にせず部屋を出た。


 廊下は狭く、人1人がようやく通れるだけのスペースしかない。

 衝撃を吸収する絨毯が敷かれている。

 裸足でも寒くなかった。


 誰かに会うかなと思い前後を見るが人気もない。

 生物の呼吸音すら聞こえない。

 ここはどこだろう。


 隣の部屋というのはすぐに見つかった。

 今いた部屋は角部屋。部屋を出て左に計5部屋。

 手前への開き戸タイプ。が、手を掛けるノブは標準的なそれより若干下付けされている。

 靄の助言通りに隣の部屋の扉を開け――――

  

 かけたところで止まった。

 ギリギリ。ギリギリすぎた。

 思わず背中と頭皮に変な汗をかく。

 後ずさるままに廊下の反対側に背をつくとひんやりとした感触が唐突に伝わった。


 (窓、か)


 この勢いのままに幽霊にでも、と錯覚したのが馬鹿らしい。

 拳をつくって窓を殴るが、そこには光も景色もない。

 いや、窓に黒い布が張られている。

 端から一本光が漏れ出ていることから。


 隣の部屋に服の在庫。

 全てを信じ切れという言葉。

 目の前に続く一本の漏れ出る光。

 元いた部屋の扉を勢いよく開け、狭い扉に体を滑り込ませた。

 木製の中でも硬い素材のこの壁ならば。

 そう信じて隣室と反対側の寝台に飛び込んだ。


 爆発に近い破裂音と熱波が背中に傷を負わせた。



 ***


 衝撃で崩れた寝台のフレームから足を落とす。

 爆発の予想はしたが、ここまで大きなものとは思わなかった。

 杉か檜か、硬い木材の中でも燃えやすいものを使っていたのか。


 部屋を隔てる壁は崩壊こそしなかったものの一部風を通すだけの隙間は空いてしまっていた。

 背中に熱い液体を感じながら、壁のそばでのびる鼠を手にとり再び部屋を出た。


 ノブに鼠を投げ、帯電などの可能性がないことを確認すると、今度こそ自らの手でノブを降ろした。



 籠もっていた煙に顔を覆われ、途端に残火を水道の水で消化する。

 靄の発言は本当だったようだ。

 晴れてきた煙の先に見えてきたのは扉が破壊されたクローゼットらしい家具。

 そこからは大量の衣類が爆発の餌食になっていた。


 目の前の状況に呆然とする前に、やけに目線の高さに下がっている扉の磨りガラスを肘で割り、廊下の窓から漏れる光を手近なテープで塞ぐ。


(凸レンズの収斂火災、か。二重のガラスによる集光の重なりと、焦点にある衣類の山。条件が重なりすぎている)


 タイミングは適当だったかもしれない。

 が、私が目覚めるタイミングの方を意図的にずらせば巻き込むことはいくらでも可能。

 2つあるうち、隣室側の寝台に寝かされていたことがその証拠だろう。


 餌食たちの中でもまだマシそうな衣類を引っ張り出す。

 薄い素材で丈の長いドレスばかりが並んでいる。

 もはや下着だろこれは。

 裾は燃え袖も破けているが、なんとか隠したいところは隠れる。

 クローゼットの上部に置かれ無事だった靴も手に取り、私は2つ目の部屋を出た。


『大怪我じゃない。医師を探したらどう?』


 タスクを終えた合図のように、靄は三度(みたび)視界に現れた。

 大怪我はしていない。

 背中を火傷した程度だ。

 本能で服を着たが、あの青い血にドレスはやられているかもしれない。

 が、医者を探すほどでは到底ない。

 靄は何を言っているのだろうか。

 そして医師なんてここにいるのだろうか。


 爆発音とはまた違う衝撃で、大きく地面が揺れた。

 音、というよりも明確に地面が動いたような金属らしい起動音。

 何かが動いたか。

 地面が僅かにスライドしたような衝撃も感じたが、それ以降は続く現象は起こらない。

 特に問題はないと察した。


『医師は2つ右の()()()にいるわ』


 靄は懲りずに医師の居場所を指定する。

 さてこれに従ってよいものか。


 医師が助けとなるか罠となるかが一番の問題ではあるが、それ以前に靄の発言が正当なものか見極める必要がある。

 先ほどの隣室の件がそのヒントだろう。

 服の在庫がある。行ってみるといい。そう靄は発言した。

 間違ったことは行っていない。確かに服は多く置いてあったし在庫を管理する部屋といって差し支えもない。

 問題はそれを勧めたことが人として正しいのか、なんて哲学的な視点になっていく。


 隣室の爆発はいくつもの現象が重なって発生したものだ。

 窓に故意に張られた黒い布は太陽光を多く集め熱を持つ。

 窓自体が凸レンズかどうかの判断はつかないが、そうでなかったとしても黒い布により熱せられた光は、(仮に故意とする)薄く開けられた隙間から、更に隣室ドアの磨りガラスに移る。

 隣室のノブが一般のそれより低い位置に設定されていたのは、窓の位置を下げるためだろう。

 斜角を計算してか、隣室ドアの窓に入った熱い光は、二重にガラスを経たことで集光し発火可能なまでに温度を上げる。

 室内には燃料となる布の山。更に密室という条件で空間の圧迫がされれば爆発まで繋がる収斂火災の完成だ。


 これを故意な事件としないで説明づけるのは難易度が高い。

 とはいえ黒い布や光の筋など、事後からすればあまりにお粗末な魅せ方。


 では、一体誰が仕掛けたのか。

 場所を指定してしまえば収斂火災を起こすことは難しくない。

 窓に貼られた黒い布だって、衣類にモノクロが多かったことを踏まえればどれかから切り取ったもので間違いない。

 が、気がかりなのは発火のタイミング、そしてドアの位置を下げることが可能だったということ。


 ちなみにこのフロアのドアは全て下げられた位置で統一されている。

 一般的というのも、女性標準体型の私が膝を折る程度には低いノブだ。

 そういう仕様と言われて納得ができないわけではない。が、不便に違いないだろう。

 となれば、かくなる上は 


【そろそろこのフロアは封鎖されるわよ】


 余計なことを言い始めた。

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