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あの後、落ち着きを取り戻した青年が場所を戻そうと言うな否やパチンと指を鳴らすと、少女の意識は遠のいていった。次に目を覚ますとそこは少女のベッドルームで、当たり前のようにベッドサイドに立っていた青年は彼女の覚醒を確認してすぐに全員をリビングに集めた。
「「「…………」」」
「…」
「わぁ、この紅茶美味しいねぇ」
沈黙が支配していたリビング。それを破ったのは、なんとも呑気な声だった。
「君はやっぱり全てのセンスが良いよねぇ
それにこの世界なかなか興味深いな、魔法がないからこその技術発達だね素晴らしいなこの“家電”という物達は!」
「……」
「フン」
「にゃっ」
あの不思議な部屋で出会った青年、保護した白蛇、ラグナート、ベルフェ。少女はそんな4匹(正しくは3匹と1人)を見ながら自分も紅茶に口を付けた。自分で選んだ茶葉を自分で入れているのだから口に合って当たり前なのだが、美味しい。寝起きの頭もスッキリしてきた。青年の口にも合ったようで一安心ではあるが、そんな事よりこの場の空気をどうしたものか。
リビングに置いてあるテーブルとセットで売られていた4脚の椅子は、普段なら余っているが少女と青年が隣同士で腰かけ、向かいにそれぞれラグナートとベルフェがお座りしているために満席だ。白蛇は余程少女に懐いたのか彼女の首に巻きついている。あぁでも蛇には懐くという概念はなかったなと、少女は少し残念に感じた。
「あ、お茶菓子も良ければどうぞ」
「わーいありがとうもしかして手作り?手作りなのかな??」
「えぇまぁ、昨日寝る前に焼いた物です」
青年は緩みっぱなしの表情を隠そうともせず、少女が勧めたクッキーを頬張った。
「まさか君の手作りのお菓子が食べられるなんて…生きてて良かったなぁ美味しいよ!」
「それは大袈裟なのでは」
「大袈裟なもんか君お手製の何かが貰えるなんてのは史上最高の“ギフト”なんだからね?」
もぐもぐと嬉しそうに食べる表情は少し幼く見え、なんとなく憎めないなと少女は思う。あの不思議な部屋で見た彼は、もう少し年嵩に見えたのだ。
不思議な部屋といえば。
「そうだ、こんなのんびりしてる場合じゃない」
少女はもう一口紅茶を飲んだ後、隣の青年、向かいの愛猫2匹を見回して言った。
「色々説明して下さるんですよね?」
「あーひょっほふぁって」
彼女に言われて、青年が答える。そんなに急いで口いっぱいに食べなくても、気に入ってくれたならあるだけゆっくり食べてくれて良いのにと思いつつ頷く。
「ふぅ、美味しすぎる
これ持って帰っていい?」
満足したのかクッキーを食べる手を止め、ティーカップをソーサーに置いた後で残りのクッキーを指差しながら眩しい笑顔で尋ねる青年。心なしか、青年の美しい髪の艶が増しているように見えるが気のせいだろうか。
「お口に合って良かったです、どうぞ」
「本当かい?!」
「後でお包みしますね」
手作りクッキーでこんなに喜ぶものなのかと少し驚きながら、少女は快く答えた。
ぺしんっ。
「ん」
「おやおや」
至極平和な会話を繰り広げる青年と少女の意識を集めるように、突然3匹がテーブルを尻尾で叩く。一向に本題に入りそうにない人間に痺れを切らしたのだろうか。
「ごめんごめん、王と側近を待たせすぎたかな」
青年がへらりと笑うと、それまで少女の首に巻きついていた白蛇がスルスルとテーブルの上に移動して2匹の真ん中に位置する場所でとぐろを巻き、3匹が2人と向き合う形になった。
王とか側近とか、昨晩の不思議な部屋でも青年の口から聞いた気がするが結局なんの事なのだろうと少女は考える。
「そろそろ真面目に話をしないとね」
彼の言葉と共に、少女の見慣れたリビングルームは一瞬にしてどこかの庭園の東屋のような場所になった。色とりどりの花が咲き乱れ、テーブルや椅子も先程までの使い慣れたものとは異なる。東屋の造りもテーブルも西洋の物に見えることから、この場所はいわゆるガゼボなのだろうか。美しい場所だった。
昨晩から立て続けに非現実的な出来事ばかり起こるので、少女は最早驚く事をやめた。起きたら見知らぬ部屋、次にいつもの我が家、今は美しい庭園の中。全てが未だに夢なのだと一蹴される以外に納得なんて出来ない。
「ここはね、君のお気に入りの場所だったんだよ?お嬢さん」
「え……?」
にっこりと笑う青年はなぜか少しだけ寂しそうに見える。
しかしすぐにその表情はぱっと明るくなり、彼の視線は3匹へと移った。
「さて、僕がいるという事はどういう事か、御三方は分かるよね?」
「「「…」」」
3匹が頷く。
「君達が一緒にいるのは僕としても予想外だったんだけど、まぁ手間が省けて良かったよ!
あまり時間がないからね」
時間がないという割にしっかりお茶を楽しんでいたような、と誰もツッコまない雰囲気は主に3匹の呆れたような視線が物語っているだろう。少女は向かいの3匹を眺めて首を傾げている。そんな彼女をちらりと見た後、青年は咳払いを一つした。
「ゴホン、え~、お嬢さん」
「はい?」
まさかこの流れで自分が呼ばれるとは予想していなかったのか、さらにこてんと首を傾げる。
「ぐっ...可愛いななんだいそのあざとい感じの動作は!って違う違う
これから君に、一つ大事な問いかけを行うよ」
「問いかけ、ですか?」
「うん、どうやら記憶が消えているらしい君からすると昨日から一体なんなんだと声を大にして言いたいだろう心情は察するに余りあるんだけど先にこれをしておく必要があってねぇ」
「はぁ……なるほど?」
よくもまぁこんなにも噛まずにスラスラと話せるものだと感心する少女を、青年の美しい瞳が捕らえる。すると周囲に柔らかな風が吹き始め、少女と青年の周りだけに白い花弁が舞い上がった。
「あ…………れ?」
この花──いや。
この香りを、知っている──?
少女の切れ長の瞳がわずかに見開かれるのを、青年は見逃さなかった。しかし何も言わず、ただ花弁が舞うのを眺めている。
花弁はよく見ると真っ白ではなく、先端がほのかに色付いていた。何色かあるようだが、全ての花弁の形が同じなことと数種類の花の香りが混ざっているようには感じないことから同じ品種かなと少女は思う。
こんな花は図鑑でも現実でも、見たことがないはずだ。
それなのにどうしてか、少女は確かにこの香りに覚えがあった。
「ふふ、やっぱりこの子達は君を愛しているんだねぇ……こんなに優しく迎えるのは後にも先にも君だけだろうな」
嬉しそうな青年の声で我に返る。彼は度々分からないことを言う。出会った昨晩から、“やっぱり”という言葉を何度か聞いているが身に覚えがなさすぎるのだ。それもこれも“記憶がない”せいなのだろうか。
どんなに考えても全然分からないな、と少女が目を伏せると、舞っていた花弁達がふわりふわりと集まって彼女の首を飾った。まるでハワイのレイのようだ。
「………大丈夫、心配ない」
無意識に出た言葉に少女自信驚いた。
「ふむ、全て抹消されてるわけじゃないのかな」
興味深そうに顔を近付けてくる青年の瞳を見返して、彼女は言う。
「今、私……何を言ったんでしょう」
「無意識だったんだね、大丈夫
いずれ分かるよ」
青年はどこまでも優しい声で言った。そしてどこか嬉しそうでもあった。少女はどうしてか、彼の言った“大丈夫”、“いずれ分かる”という言葉を、信じられると思った。
「さて、この子達も来てくれたことだし、改めて」
青年が両手を広げると、その右手にはどこから現れたのか杖が握られていた。青年の身長の半分より少し長いくらいの、木の枝の風合いを残した杖。上部の先端は複雑に絡み合い鳥籠のように繊細な造りで、その中には青年の瞳の色と同じ輝きの石が収まっていた。
この杖も、初めて見た気がしなかった。
しかしそれを考える暇もなく、青年の問いかけが始まる。
「君は、これから僕や彼らが君に見せる、聞かせるそれらを受け止められると思うかい?」
随分と漠然として、それでいて深刻そうなことを言うものだ。何も分からないままここまできて、その説明を受ける前にこんな問いかけをされるとは。新手の詐欺じゃないのかと言いたくなった。
少女は一度深呼吸をして、大切な愛猫と保護蛇に視線を移す。青年の言う“彼ら”とはきっとこの3匹のことだ。ラグナートもベルフェも凛々しい姿勢で座ったまま、彼女に頷く。白蛇はもたげていた鎌首を、まるでお辞儀をしているように下げた。
今更だがこの子達はヒトの言葉が分かるのだろうか、ふと気になった少女だが思い返してみると一緒に暮らし始めた頃から愛猫達は信じられないくらいお利口だったし、白蛇も保護してから今までおよそただの蛇とは思えない行動をいくつか見てきた。それに急に我が家のリビングからこのガゼボに景色が変わっても、花弁が意志を持ったように舞っても、レイが作り上げられても、全く驚いているように見えない。だから、青年が“御三方は分かるよね?”と言ったのにも、これから起こる何かを引き起こすのが彼だけではなく“僕や彼ら”と3匹を含めたのにも納得してしまった。
「そうですね、この子達が何も知らずに巻き込まれただけなら抗議したいところでしたが、そういう感じではなさそうですし……
この子達は私の大切な家族で、この白蛇さんは私の意思で保護した子なのでどう転んでも責任は私にあります
ですので何があっても、何を聞いても、私は受け止めます」
その言葉を聞き、真っ直ぐな瞳に射抜かれた青年は込み上げてくる涙を必死で堪えた。
「うん……ふふ、そうだよね、君は……いえ、貴方は、そういう御方なんですよね」
急に丁寧な口調になった青年に違和感を覚えて顔を見ると、嬉しそうに目を細めた彼の眦にわずかに光る粒があった。
どうしたのだと聞く前に、青年の持つ杖の石が強く輝いてまた風が巻き起こる。今度は先程よりも少し強く、ぶわあっと派手に花弁が巻き上がった。風圧に反射的に目元を片腕で保護し、両目を瞑る少女は今度こそ、この花の香りはやはり覚えがあると確信する。その確信は脳の記憶とはどこが違う、もっと身体の奥底というか、細胞そのものというかが訴えてくるなんとも言い難い感覚で、でも、懐かしく温かいものだ。
「や〜っと、話せる時がきたな」
「この阿呆がペラペラペラペラ話をしていなければもう少し早かったと思うがな」
「やはり貴方様の御心は何よりも美しく尊いものですね、主よ」
視界を遮っている状態の彼女の耳に、青年のものではない3人分の男性の声が届いた。
あぁきっとこれはあの3匹だ、と感じる。だから少女は風が収まると躊躇いなく目を開けた。
「……」
しかし予測はしていても、やはり驚きは隠せない。3匹のいた場所にその姿はなく、代わりに背の高いヒト型の男性が3人。少女が“ヒト”ではなく“ヒト型”と思ったのは、少なくとも男性のうち2人の頭部には獣の耳が生えていたからだった。
「うーん、お久しぶりだねぇ、翠の王、蒼の王」
「……ベルフェ、ラグナート?」
「側近殿は一昨日ぶり」
「白蛇さん?」
のほほんとした青年の声と、確認するような少女の声が交互に3人の耳に入る。すると三者三様の返答があった。
「ほう……やはり我の主は我が分かるのか」
肩より少し長いくらいの無造作な黒髪、切れ長でどこが獰猛さを感じさせる蒼い瞳。少女も背が高い方だがその彼女でも見上げるくらいの高身長に、黒を基調とした中世ヨーロッパを彷彿とさせる騎士服と乗馬服の間の子のような衣服がよく似合っていた。邪魔にならないようにか袖は折られており、見えるそこからだけでも鍛えられているのが分かる浅黒い肌の逞しい腕。きっと、いや確実に彼がラグナートで。
「あったりまえじゃんね〜、ゴシュジン!」
光を浴びて煌めく白の短髪、笑いかけてくる少しつり気味のぱっちりと開いた翠の瞳。彼もやはり背が高く、しなやかな体躯に纏っている衣服は少女が知っている中で例えるなら豪奢な刺繍が施されたティールグリーンのカフタンに合わせたシャルワールを穿いているイメージに近く、こちらもとても似合っている。腰部分を金の飾り紐で結んでおり、引き締まった腰のラインが強調されていた。この日焼けした健康的な肌色の活発そうな彼が、ベルフェだろう。
「記憶がないということで少々動揺してしまいましたが…ご無事で何より、お会いできて光栄です、我が主」
光が当たると青みがかって見える黒の、一つにまとめた腰より長いストレートヘア、その髪と同じ色の三白眼。少女から見たら彼も十分高身長だが、2人よりは視線を合わせやすい。身に纏っている衣服は白の執事服のような造りをしていて、シルバーのベストと併せて上品に着こなしている。どちらかと言うと細身な上に透き通るような白い肌は、衣服と相まって彼の存在をどこまでも儚げに見せている。この美しい青年は恐らくあの白蛇だ。
「......いや、うん、流石だなぁなんて言うかしっかりたらし込んでるなー…なんて言えない言えない
さぁ、皆で会話できるようになったわけだし、混乱極まりないお嬢さんのための説明会といこうか!」
杖を高く掲げて青年が宣言すると、また花弁が舞い上がって次の瞬間にはあっという間にリビングに戻っていた。