呪いの産休クッキー
いつだって悪口を言う人より、「〇〇さんってあなたの事を悪く言ってたよ」と告げ口をする人のがたちが悪い。
「みなさん、お世話になりました」
A子は頭を下げた。
ここはとある中小企業の経理部だ。部長は男だったが、あとは女子社員しかいない。何故か女子社員には制服があり、古臭い体質の家族経営会社だった。当然のように業績も悪く、非正規社員も多かった。
A子もその一人だ。パート社員だったが、最近妊活が成功し、こうしてみんなの前で退職する旨を伝えていた。A子の腹も大きく、その割に腕や首は細いので、一目で妊婦だとわかる。
「お礼と言ってはなんですが、クッキーを」
A子はクッキーを経理部のみんなに配っていく。アイシングクッキーで赤ん坊のイラストや産休に入るメッセージがデザインされていた。産休クッキーというものらしい。A子は友達のパティシエに営業を受け、渋々こんなクッキーを配ることに決めたが、内心は「自己顕示欲強すぎって思われたらどうしよう」とは考えていた。
「あ、ありがとう。A子さん、おめでとう」
B子はA子から産休クッキーを貰った。一応は笑顔を作ったが、内心は楽しくない。B子は妊活中でだった。夫との仲もそれで拗れる事も多く、無邪気に産休クッキーを配っているA子に複雑な思いだった。
C子もそうだ。顔では笑顔を作っていたが、万年婚活失敗中。最近はアプリで出会った男にファミレスに連れていかれた。派遣社員という立場も惨め。この可愛いクッキーを見ると何とも言えない。
D子もそう。D子は正社員で年齢も五十歳のベテランだったが、息子は発達障害の疑惑もあり、よく登校拒否をしていた。この無邪気なクッキーを見ていると、子育ての難しさを主張したくなる。それにA子の穴は自分に皺寄せも来る。来週から連日残業の予定だ。
「A子ってむかつくかも。あんなクッキー配らなくてもいいのに」
翌日、昼休み。会社の休憩室に集まったB子、C子、D子はついつい悪口を言いそうになっていた。D子が一番初めに話題に出し、産休クッキーについて文句を言うと、もっと悪口が舌から滑り落ちそう。
「で、でもA子さんは悪気はないと思いますよ」
そうフォローしたのはC子。C子の言う通りで、A子の性格は朗らかで笑顔を絶やさない人物ではあった。昼も一人でいる事が多い。
「そうかしら。A子ってあなたたちの悪口言ってたよ。B子ちゃんは不妊で可哀想、C子さんにはブスでババアだから結婚は無理。D子さんへはお局ババアって言ってるの聞いちゃった」
そこに嘱託職員のS子がやってきた。
「産休クッキーも嫌味のつもりなんだって。酷いと思わない?」
最初はS子の言う事に鵜呑みにしていなかった面々だが、S子は再雇用の社員で耳年増。その噂には信憑性があるという事になり、一同A子の悪口で盛り上がった。
「子供産まれるからって調子に乗って」
「産休クッキーとか自己顕示欲強すぎ」
「うちらのこと馬鹿にしてるわ」
「もともと仕事できない腰掛けのくせにね」
「産休の仕事の穴埋め勘弁して欲しい」
「顔だってよく見るとブスだし」
「あんなんでまともに子育て出来るのかね」
女という生き物は不思議なもので、敵が一人いると、何故か団結しやすい。こうして一同は悪口大会で盛り上がっていたが、S子は不思議と黙って聞いているだけだった。
「でも、そんなA子ちゃんが幸せな出産するのとかって納得いかないでしょ。実は私、噂で聞いたんだけど、効果がある拝み屋を知ってるんだ」
ずっと黙っていたS子だったが、拝み屋の話をすると、一同は食いついてきた。
「噂だよ、噂」
S子はクスクスと笑い、拝み屋の公式ホームページを教えてやった。
数日後。
B子もC子もD子も大怪我し、入院中だという知らせが経理部に駆け巡った。深夜、神社の近くで交通事故に遭い、その傍らには藁人形や五寸釘が落ちていたという。
怪我の度合いは酷く、もう二度と歩けないものもいるらしい。その一人は「あの拝み屋の言う通りにしたのに!」と意味の分からない事を叫んでいるらしく、医者からは精神疾患も疑われていた。
S子はそんな知らせを聞きながら、クスクスと笑う。
「馬鹿だね。噂を鵜呑みにするなんて。はて、A子ちゃんは本当に悪口を言ってたかな? 私は覚えてないねぇ」
S子の言葉は、もうB子にもC子にもD子にも届かないだろう。
ちなみにA子は無事出産した。五体満足の元気な男の子が生まれたという。
「人を呪えば穴二つかもねぇ。あはは。それにしても可愛い赤ちゃん!」
A子のSNSにアップされた赤ちゃんの画像を見ながら、S子は笑いが止まらなかった。
「ねえ、F子さん。聞いてよ、H美さんがあなたの事ブスで仕事できないって言ってたよ」
今日もS子は耳元でそっと囁いていた。