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2話 思い出を呼び起こす、素敵な味噌ラーメン

「現状、不足している食材はありますか?」

 小休憩の後、ラーメン屋を開くにあたって足りないものを揃えるという方針で話は進んでいた。

「そうねぇ、まずはもう少しちぢれた麺が欲しいかな。それと豚骨か魚介の出汁が取れるもの。トッピングの豚肉、メンマ、バターに卵。コーンがあってもいいかも」

「メンマ……?」 

 いちいち確認するのも手間なので一気に捲し立ててみた結果、メンマ以外は伝わったようだ。

「えーと、たけのこって言えばわかるかしら?」

「ああ、わかります!」

 アシュリン「これですね」と言いながら両手を頭の上で合わせてみせる。その様子は可愛いけれど、たけのこで伝わるとは正直思っていなかった。

「それがあれば作れるから、大丈夫。そんなもんかなぁ」

 サイドメニューとかあったほうがいいかな? とか色々考えてみたけれど、まずは味噌ラーメンだけでもいいかなとひとりごちた。料理担当のアシュリンに負担をかけるわけにもいかないし、他のメニューはこっちの世界のお客さんの好みを聞きつつ随時考えていけば良いのだ。

「そういえば、なのですが……」

 不意に、アシュリンが顎に人差し指を当てて呟く。

「あのお料理、なんていう名前なのでしょう?」

 言われてみれば、伝え忘れていた。

「あれは……ラーメン。さっきのは味噌味だから味噌ラーメンだよ」

 ヤチル麺にしようかな。なんて悪念が浮かんだけれど、すぐに振り払った。それで定着したら恥ずかしいのは私だし、ラーメンはラーメンなのだ。

「らーめん……ラーとはなんのことですか?」

「ラーっていうのは引っ張るってこと。引っ張って作った麺を使うからラーメンなのよ」

「なるほど、そうなんですねぇ。味噌味だから、ということは他にも種類があるのですか?」

 次から次へと質問が飛び出てくる。それがアシュリンの真剣さの裏付けであるとわかっているから、鬱陶しさなど微塵も感じなかった。

 それに、就職したての私もこんな感じだったから。あの頃は期待と緊張で毎日張り切ってたなあ。

「うん。まあ他にもあるんだけど、まずは味噌をメインに提供しようよ。他の味は味噌に慣れてきたらおいおいって感じで」

「そうですね、そのあたりはヤチルさんにお任せします」

 話し合い……というかなんとなくの流れで、料理はアシュリン、私はそのサポートをしつつメニューの考案という役回りで決定した。妥当な配置だと思う。

「ヤチルさんは……その、メニュー考え係? ですから!」

 なんと歯切れの悪い役職名なのだろう。

「呼び方は任せるけど、一応前いたとこだとマネージャーって呼ばれてたよ」

「マネージャー。いい響きです! ではこれからはヤチルマネージャーですね!」

 なんということだろう、就職決定して数刻としないうちにマネージャーに就任してしまった。スピード出世もいいとこだ。

「では早速、市場へ向かいましょう!」

「おー」

 必要なものを書き記したメモを持ったアシュリンに続いて掛け声をあげる。

 この世界の市場がどんなものか。飲食店勤務として、そして一個人として、とても楽しみだ。



 午後の陽気は心地よく、お散歩にはもってこいのお天気。

 隣を歩くアシュリンの横髪が揺れるのを見ながら、レンガに囲まれた町を行く。

 ほんとに海外旅行に来たみたい。いや、ここはプリミナ王国なる国なのだから、海外旅行で間違いないのかもしれない。

「もうそろそろ、見えてきますからねぇ」

 坂道もなんのその、軽い足取りで景気良く進むアシュリンが、目的地が近いことを告げる。氷晶庫には既にたくさんの食材が入っていたし、市場には行き慣れてそうだ。

 なんて考えていると、それまで道の左右を規則正しく並んでいた住宅群が少し先で途切れていることに気がつく。それがちょうど坂道の頂点と同じ位置であることにも。

 なんだか賑わっている様子の向こう側をいち早く見るべく、歩くペースを上げた。急いで坂を駆け上がり、辿り着いたその先は住宅街とは打って変わって、大きな広間のようなスペースになっていた。

「でっっっか!」

 真っ先に出た感想は、これ以上ないくらいシンプル。

 向こう側が見えないくらい大きな広場を、これまた色とりどりのテントが埋め尽くしている。数十、いや百? 混乱してしまいそうな数のテントは、もれなく全てが食材の出店である。そして行き交う人、人、人。スクランブル交差点なんて比にならないほどのたくさんの人々が買い物に没頭しているのだ。スーパーのタイムセールを何百倍にもしたら、こうなるだろうか。

 その圧倒的規模、人口、熱量。全てに気圧され、私はしばらく呆然と立ち尽くしていた。

「これが、我が国の誇るプリミナ中央広場、そしてプリム市場です!」

 すかさず、アシュリンがガイドさんばりの解説を挟んだ。ここが国の中央。なるほど説得力がある。

 お祭りのような光景を、感心しながら眺める。こんなに心躍る場所があったなんて。

「ここなら、きっと食材は全部揃いますよ!」

「そうだねえ、こんなに大きいなら……」

 テントに並べられた商品に目を通す。とにかくたくさんの野菜に、魚と肉類。それらが入ったクーラーボックスのような見た目の箱は、氷晶庫の派生形だろうか。落ち着くと細かいところにも目が行くようになって……

「あれ?」

 そこで初めて、異変に気がついた。

 違和感の正体は、周りの人たち。

 この世界の住民は奇抜な髪色をしていることが多い。故に頭髪にばかり注目しがちで、それ以外の特徴を見落としていた。

 美しい金髪と長く尖った耳を持つ者、明らかに動物のものと思しき耳や尻尾を持つ者、背中に鳥の翼を生やした者。住宅街にはいなかった多種多様の種族が、市場にはいた。

「プリム市場は国の核ですから、エルフさんに獣人さんにハーピィさん。色んな種族の方がいるんですよ」

 面食らっている私に、アシュリンが捕捉を入れてくれる。異世界っぽさの真骨頂に感動を禁じ得ない。

 刹那、私は閃いた。異種族たちも、ラーメン屋にくるのだろうか? だとしたら、通常の味噌ラーメンは口に合うのだろうか? 異種族のためのマーケティングも練る必要があるかもしれない。

「ほら、そろそろ行きましょ」

 思考の渦にはまった私の手を、アシュリンが引っ張る。

「ああ、うん。どこに何があるのかわかんないから、案内してもらえる?」

「もちろんです!」

 そのままアシュリンに引っ張られ、人ごみの中へと入っていく。

 人と出店の波に溺れそうな私とは違い、アシュリンはするすると間を縫うように進んだ。死に物狂いでついていくも、目当てのお店に到着したことに気がつく頃には既に会計が済んでいた。

「これ、お願いします」

「え? あ、了解」

 商品の詰まった紙袋を渡され、また歩き出す。

 アシュリンが足を止め、私が到着を理解したと同時に、会計を済ませたアシュリンが動き出す。その繰り返し。

 結局、初めての異世界市場を堪能することは叶わず、目を白黒させながら必死にアシュリンを追っているだけで買い出しは終了してしまったのである。



「ふぅ、たっくさん買いましたねぇ」

「そうね……」

 陽も傾き始めた頃、二人で紙袋を抱えて来た道を今度は下っていく。相変わらずご機嫌なアシュリンとは対照的に、私はすっかり体力を使い果たしていた。

 とはいえ、アシュリンのおかげで目当ての物は購入できている。アシュリンのセンスは抜群で、大きなブロックの骨つき豚肉、新鮮な野菜類、黄金色のバターに鶏のそれより少し大きめの卵。魅力的な食材を揃えてくれている。

 驚異的なレシピを披露され、アシュリンには天然っ子のイメージを持っていたのだけれど、人混みの中をずんずん進んでいくアシュリンはかなり格好良かった。あの時の頼れる背中を思い返しながら、ふと思うことがあった。

「そういえば、なんだけどさ」

 そういえば、私はアシュリンについてよく知らないままじゃないか。

「アシュリンは……どうして飲食店をやろうと思ったの?」

「どうして、ですか。えーと……」

 アシュリンは眉を顰めて、言葉を選びながら答え始める。

「ご飯を食べてほっこりすることってあるじゃないですか。ほら、お昼のラーメンみたいに」

 首を縦に振る。

「あれをたくさんの人に感じて欲しいのです。できれば、私の料理で」

 アシュリンは正面を向いたまま、どこか遠くを見据えるように目を細めた。

「どうすればほっこりしてもらえるのか、まだ答えは出せていませんが……ヤチルさんのラーメンのおかげで、少しだけ近づいているような気はするのです」

「なるほど、それで家庭料理を……」

 煮る、蒸す、茹でる。手間がかかって暖かい料理を出来立てで提供することに拘っていた理由を、今更になって理解した。

 ほっこり。漠然としたあの感情を、料理という媒体で表現しようとしていたのだ。

「わかる、わかるわ」

 その想い、私は痛いほどにわかる。それを第一に考えてマネジメントをしていたし、それこそが私の理想だったから。故に。

「けど、それは少し難しいんじゃないかなって、私は思う」

 その難しさも、よくわかる。わかってしまう。

「で、でも、ラーメンを食べた時私は確かにほっこりしました! あれを再現できたなら……」

 アシュリンが焦った様子で反論する。

「アシュリンがほっこりしたからといって、お客さん全員がそうなるとは限らないよ。むしろ料理だけでそういう反応をしてくれる人はほとんどいないと思うな」

 少しきつい言い方をしてしまったかもしれない。けれど、マネージャーとしてここで甘えるわけにもいかない。

「なら、どうしたら良いのでしょうか……?」

 明らかに落ち込んだ様子でアシュリンが問う。頼ってくれていた私に突き放されて落胆したろうに、それでも可能性を諦めないのがアシュリンらしい。その熱意に応えたいと、心から思う。

「ごめん、私にもわからないんだけどさ……」

 明確な答えは出せずとも、理想形を私は知っている。店員も客も、全員が和気あいあいと笑っていた両親のお店のようになるにはどうすれば良いのか。

 思い出せ、考えろ。ヒントは記憶の中にある。

「まずは接客、だと思う。お客さんと真摯に向き合って会話する……話をしないと、お互い何も伝わらないからさ」

 両親はそうしていたと思う。それに、前世でうまくいかなかった私がやってこなかったことでもある。改善したいことを一方的に言って、勝手に愚痴ばかりこぼして、そこに相手を思いやる気持ちがあっただろうか? ニコニコ笑って、元気に接客して、そこに真心があっただろうか?

「私がいた店ではできていなかったけれど、だからこそ『ほっこり』を大切にしたいと思ってる。みんなが優しい気落ちでいられるような、そんなお店をやりたいって本気で考えてるよ」

 アシュリンは、黙って真剣に私の話を聞いてくれている。

「私たち、目的と想いはきっと同じなんだ。そして強く思う気持ちがあるのなら、絶対に実現できる。私、マネージャーとして頑張って考えるから……」

 アシュリンの綺麗な瞳を真っ直ぐに見て、想いそのままを口にする。

「力を、貸してくれるかな……?」

 私の言葉に目を丸くするアシュリンの顔が夕焼けにライトアップされて、改めてその美しさを実感させられた。アシュリンは続く言葉がないことを確認すると……不意に、頬を綻ばせた。

「えへへ、何言ってるんですかヤチルさん」

 予想外の反応に、私はしばらくの間リアクションできずにいた。

「二人でお店をやるって決めたんですから、当たり前じゃないですか!」 

 アシュリンは眩しい笑顔を浮かべたまま続ける。

「正直不安なこともあります、でもちゃんと向き合えば、解決できるはずです」

「そうだといいけど……」

「もう! そんな後ろ向きじゃほっこりなんてできませんよ?」

 アシュリンが頬を膨らませた。

「胸を張っていきましょうよ」

「そうだね、自信持ってやらなくちゃ」

 そういえば、厨房にいるパパはいつも胸を張って自信満々に調理をしていたような。あれはいつでも美味しいものを作れるという自信故の態度だったのだろうか。

「とにかく、今は開店の準備を済ませなくてはなりません! ほっこりさせる方法を考えるのは、それからですよ」

 その言葉を合図に、いつの間にか止まっっていた足を動かし始める。

 二人で肩を並べて歩くその距離が、少しだけ縮まったような気がした。



「ふぅ。あとはマンドラゴラの葉を刻めば、仕込みは終わりですか?」

「……うん、もうそれでいいや」

「それにしても。たくさん作りましたねぇ」

 その言葉の通り、作業場と化したテーブル席には無数の食材たちが所狭しと並んでいる。

 まずはチャーシュー。骨を取り除いた豚肉のブロックを醤油と酒、生姜とマンド……ネギと一緒に鍋に入れて味を染み込ませておいた。タレが染みたおかげで背徳的なまでの照りを放つそれは、薄い布に包んで皿の上で眠っている。

 除いた豚骨はこれまた生姜と一緒に鍋の中へ。これ自体はただの味の薄いお湯なのだけれど、スープ作りのベースにすることで深みがグッと増すのだ。

 次にメンマ。炒めたたけのこにみりんとごま油を加えたら、水気が飛ぶまでそのまま炒め続ける。完成品はこれまたいい具合に味が染みていて良い色をしている。

 麺、バター、刻みネギは使いやすいように小分けにして氷晶庫で保管。味玉も同じくタレに浸かって冷やされている。

 以前は手が空いた時に一つずつ片手間で行っていた作業も、一気にやるとなかなか骨が折れる。いつの間にか外もすっかり暗くなり、ランタンの優しい暖色の灯りが店の中を照らしてくれている。

 私が軽く伸びをしていると、満足げに仕込んだ食材を眺めていたアシュリンが口を開いた。

「なんだか、お腹空いてきちゃいました」

「確かに。夜ご飯にはちょうどいいかもね」

「ですねぇ……そうだ! この食材を使って、実際に提供するものと同じラーメンを食べてみたいです!」

 なるほどいいアイディアだ。だけど昼も夜もラーメンでいいのだろうか、私は慣れっこだけどアシュリンは……そう考えたのも束の間、ウキウキのアシュリンを見て心配する必要がないことを理解した。

「うん。せっかくだしアシュリンが作ってみる?」

「いいのですか?」

「いずれアシュリンが作ることになるんだし、練習もかねて」

「ああ、確かに。では早速厨房へゴーですね!」

 食材を持って厨房へと移動する。氷晶庫から残りの材料を取り出しながら、アシュリンに尋ねる。

「食材が変わっても基本はお昼に見せたやり方と同じだよ。覚えてる?」

「おおよそは……」

「うん、じゃあ私が指示を出すからそれに合わせてやってみよっか」

「はい! お願いします!」

 アシュリンが片手鍋を二つ用意したのを確認したら、調理開始。

「まずは麺を茹でて、そのままスープ作りね。もろみ、ニンニク、オイル、もやし、最後にスープのもと……うん、いい感じ」

 さすがと言うべきか、アシュリンは要領よく、手際よく調理を進めていく。丁寧かつ迅速なその動きは、長く料理と向き合ってきたことを示唆している。

「次に味噌を入れて、崩すようにして混ぜちゃって」

 チャッチャッと小気味良い音を立てながら、味噌が溶けていく。

「そしたら麺をお湯からあげる。湯切りはできる?」

「やってみます」

 しっくりくるやり方を模索するようにして、アシュリンが湯切りをする。これもうまく出来ている。

「麺、スープの順番に入れて、麺を畳んで……」

 器からふわりと舞う湯気と香りが、仕事終わりで空いたお腹をダイレクトに刺激してくる。

「ネギ、メンマ、味玉、最後にチャーシュー」

 両手を使って器用に盛り付けを進める姿は見事としか言いようがない。レシピ考案はともかく、アシュリンの料理の腕は本物だ。

「これで完成。どう?」

「私にも出来ました……!」

 当の本人は初のラーメン作成に感動してる様子。厨房に立つようになって間もない頃の私は頻繁に入れ忘れを起こしていたのと比べると、天と地ほどの地力の差である。

「もう一個、作れるかな?」

「はい!」

 二杯目を、アシュリンは私の指示なしで完璧に作ってみせた。彼女の料理偏差値の高さに感心しながら、完成品をテーブルへと運ぶ。

 数時間ぶり、、二度目の光景。ただしラーメンは二杯あって、見た目も幾分豪華になっている。それに今度はアシュリン作なのである。

「じゃ、いただきます」

「いただきまず!」

 二人同時に、一口目をいただく。

 縮れ麺はやはりスープとよく絡んでいて、口の中でジュワッとスープが広がった。昼に食べたそれより旨味の増したスープは味噌の甘さをよく引き立てていて、その美味しさを、魅力を十二分に伝えてくれている。ほんの少しの差かもしれないけれど、それだけでも飲み込んで一息ついた後の満足感には計り知れないほどの違いがある。

「これは、想像以上かも」

 良い食材を使ったおかげか、アシュリンの料理の実力が為せる技か、はたまた両方か。何もかもがパズルのピースのように噛み合った完成形の味噌ラーメンは、予想の何倍も美味しくてつい笑みが溢れてしまう。

「すごいです、これぇ……」

 アシュリンも同じ感想を抱いたみたいで、相変わらず緩みきった表情で二口目に手を伸ばしている。

「さて、具はどうかな」

 まずはセンターで存在感を放つチャーシューを口に入れる。ホロリと柔らかい口当たり、タレの甘さとスープの旨味は抜群の相性で、何枚でもいけそうなくらいだ。

 メンマも同様に味が染みていて、柔らかめに仕上げたのに噛めばしっかりと歯応えがあってなんとも癖になる。アシュリン特製の味玉も、とろりと半熟の黄身がこれまたスープとマッチしてそのパフォーマンスを遺憾なく発揮している。

「これやばい……」

 百点を超えて二百点をつけたくなるような出来に、私が培ってきた語彙力もお手上げだった。

「これ、普通にお客さんもほっこりしちゃうと思うのですが……」

「前言撤回してもいいかな……」

「そこで折れちゃダメですよ……」

 ふんわりした会話を交わした後は、お互い無言で箸を進めた。

 とうとうスープの最後の一滴まで飲み干し、文字通りの完食をしてからも、しばらくは何を言うでもなく余韻に浸っていた。

 緩やかな静寂は、アシュリンによって終わりを迎えた。

「ヤチルさんは、親の料理を食べたことがありますか?」

「そりゃああるけど、突然どうしたの?」

 店で食べていた父のラーメン、一人暮らしを始めるその日まで毎日のように食卓に並んでいた母の手料理。思い出すと急に恋しくなるあの味。

「私もあります……たった一度だけ」

 それまで幸せそうだったアシュリンの笑顔に、少し翳りが見えたような気がした。

「メイドがいるので、両親からしてみれば当然のことなのかもしれません。私も両親は忙しいのだからと我慢をしてきました」

 実の親の料理を食べることを我慢。どんな思いでそれをしてきたのか想像もできず、かける言葉が見つからなかった。

「そんな私が一度だけ食べたのが、母の作った麺料理でした。十四年前……五歳の私が風邪を引いた時に、母が心配して作ってくれたのです」

 今更ながら、アシュリンが十九歳であることを知った。と同時に十九年生きてきて一度しか親の料理を食べていないという事実に驚愕する。

「味は……もう忘れてしまいましたが、あの時の暖かさは忘れもしません。母の優しさがそのまま伝わってくるようで、とても、とても幸せでした」

 アシュリンは少し言葉を詰まらせて、それでも続けた。

「夕方の話に、少しだけ補足をさせてください。私の目標は、あの母の手料理のような優しさを再現することなのです。同じ麺だからというわけではありませんが、このラーメンを食べた時確かにあの日の感覚と同じものを感じました」

 器に視線を落とすアシュリンに釣られて、私も白い器をなんとなく見つめた。

「あの日の母の表情をよく覚えています。いつもクールな母が焦っているのを見たのは初めてでしたから。心から心配してくれるんだってわかって、だから嬉しかったのだと思います……そこでですね」

 器から戻した視線同士がぶつかる。

「私とヤチルさんの強い想いが込もっているから。ではなくて、想いが込められていることを知っていたから、特別素敵に感じたのでは? と、ふと思ったのです」

 言われて初めて、話の本質を理解する。作り手のバックボーンを知っているからこそ、その一杯に価値が生まれる。ありうる話だ。

 逆にいえば、お客さんのことをよく知ることができたら、マーケティングのヒントになるしれない。

「なんて、言ってみただけです。急にごめんなさい」

「いやいや、なんでも共有するのは大事だし、アシュリンについて少し知れたのも嬉しいよ」

 ついでに、七歳の差があることも。これはあんまり嬉しくない情報である。

「なら……よかったです。さあ! これからは開店に向けてひたすら準備ですよ!」

 アシュリンが頬をぺちぺち叩いて気合いを入れる。

「お互いをよく知ることで、より良いものを提供できる。か……」

 私の独り言に、アシュリンはめざとく反応する。

「ヤチルさんって、口がうまいですよね」

「え、どういうこと?」

「なんというか、説得力があるというか。ヤチルさんが言うことなら正しいんだろうなって、そんな気がしてしまいます」

 会議で新メニュー案の発表なんかをよくしていたから、自然にそうなったのだろうか。実際のところ採用された案は指で数えるほどしかないのだけれど。

「だからヤチルさんの言葉でなら、お客さんたちに色んなことを伝えられるんじゃないですか?」

「なるほど……」

 気がついていなかった自分の一面を指摘され、人ごとのように感心してしまった。自覚はないけれど、アシュリンが言うのなら試してみるのも手かもしれない。

「さ、明日も頑張りますよ!」

「……今日は死ぬほど疲れたしね」

「ですねぇ。では最後に」

 アシュリンが手を合わせる。私もそれに続く。

「「ご馳走さまでした」」

 アシュリンは「お粗末さまでした」と付け加えて、にこりと笑った。

 目もとを拭いながら食器を持って厨房へと入っていく彼女の背中が、私の目には朝よりも随分頼もしく写っていた。



 白い壁紙を、ランタンがゆらゆらと照らす。腰を落ち着けているベッドはかつてないほどフカフカで、座っているだけでどんどん沈んでいってしまうような感覚だ。

 食器を片付け、ひとまず一日の行動に区切りをつけたところで、行く先のない私は店の裏の住宅スペースに案内された。

 アシュリンが住み込みで働いていると聞いていたので、寝泊まりする部屋があるだけなのかななんて想像していたけれど、実際のところそこらの一般住宅よりずっと豪華な住まいが店の裏に隠れていた。

 私のいる来客用の部屋があと二つ、それにアシュリンの部屋とリビング、ダイニング。大きなお風呂にキッチントイレ完備の立派なお宅である。改めてアシュリンが超のつくお嬢様だと実感した。

 さて、私は今そんなお部屋の隅に座り、アシュリンが淹れてくれたローズティーを嗜みながら一日の振り返りをしているわけだ。

 忙しい時ほど、案外頭は混乱しないものだ。きっと脳が処理するのを諦めて後回しにしているのだと思う。

 転生初日、それはもうたくさんの出来事があったけれど、不思議と頭は整理されていた。冷静になった今の自分でも、今日の行いは総じて正しかったと思える。

 アシュリンという少女。彼女との出会いが私の二回目の人生の鍵を握っているのは確かだ。転生する際に、特別な力や優れた能力の代わりに神様が用意してくれた宝物なんじゃないかと考えてしまうほどには運命的な出会いなのだから。

 一方は母の料理に憧れ、もう一方は両親の店に憧れ。そして両方がその目的の達成のために共通の目標を持っている。似た動機を持ち同じ夢を共有できる仲間の、なんと頼もしいことか。

 決して簡単な道のりではないけれど、この先にかつて夢見た景色があると私は確信している。そう考えられるだけの魅力を、アシュリンは持っているのだ。

 考え事がある程度まとまったところで、ローズティーを口へ運ぶ。ローズの甘い香りが鼻腔をくすぐり、すぐに渋みのある液体が口と鼻に抜ける甘さをすっきり流してくれる。「なんだか高貴で優しい味わい」くらいの表現しかできない自分が恥ずかしい。

「母親のような包容力……なんつって」

 詩的な表現を試みるも、傷口を広げるばかりだと気がついてすぐやめた。こういうのは、ありきたりな言い回しでいいのだ。

「素敵な第二の人生に、乾杯」

 ……やっぱり、死ぬほど恥ずかしい。

 ベッドに身を投げると雲のような感触のお布団に包まれて、とても心地が良い。

__いい人生になりそう。

漠然とそんなことを考えた頃には、意識は夢の世界へと落ちていた。

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