9. 社交界デビュー
パーティー当日。
オフィーリアの支度のためバーンホフ家はバタバタしていた。
彼女が自分で選んだコーディネートがあまりにひどく、出掛けにニコラ夫人がダメ出ししたからである。
一からやり直すことになったのだ。
単体でのアイテムはニコラ夫人が選んで買い与えたとびきり素敵なものばかり。
なのにオフィーリアがそれらを組み合わせると途端に野暮ったくなるから不思議だ。
絶望的なファッションセンスであった。
「お前たちなぜ止めなかったの!?」ニコラ夫人は激怒した。
「危うくこのまま出掛けてしまうところだったじゃないの!」
オフィーリアのやばいコーディネートが人目に触れる前に阻止できて本当に良かったと言わんばかりである。
メイドのミアとデミィが弁解する。
「そ、それが……自分でたくさん練習しないとセンスが磨かれないからとオフィーリア様が手助けを拒まれたもので」
(面倒くさい。なんだっていいだろドレスなんて)アドニスはうんざりした。
(ポンコツのドレス姿なんて誰も期待してやいないのに)
「いいこと?オフィーリア」夫人がレクチャーする。
「大きな宝石をやたら身につけるのは趣味の悪い成金がすることです」
夫人の講義は続く。
「夜と昼とでは装いが違うのですよ。今回はさらにお庭の景色も考慮してドレスを選びます」
説明しながらテキパキとコーディネートしていく。
出発時間を遅れること1時間。
オフィーリアがようやく衣装部屋から出てきた。
文句の一つでも言ってやろうと思っていたアドニスは息を呑んだ。
サーモンピンクの薄いモスリンを幾重にも重ねたドレス。
後ろで大きく結んだウエストのリボンが妖精の羽のようだ。
アクセサリーは白い生花のコサージュとリボンのみ。
ゆるくハーフアップに結いあげた髪の毛にはパールを散らしてある。
「すみません、遅くなってしまって」
動く度にドレスが花びらのようにふわふわ揺れる。
オフィーリアの姿はまるで咲き初めの小さな薔薇の蕾のように可憐で……
「花の精みたい……だ」
うっかり無意識につぶやいてしまった。
「え?」
「なっ、なんでもない。最初のコーディネートよりだいぶマシになったと思っただけだ。行くぞ」
アドニスの今しがたのつぶやきをニコラ夫人とメイドたちは聞き逃さなかった。
そしてそれはしっかりとデミィによってノートに記録されたのであった。
遅れて到着したパーティー会場はバーンホフ家からほど近い伯爵家にあった。
綺麗に手入れされたトピアリーと生垣が自慢の庭でのガーデンパーティーだ。
「アドニス・バーンホフが来ているぞ」
「珍しいこともあるものだ」
アドニスはオフィーリアを連れて、主催者の伯爵に挨拶をする。
「本日はお招きいただきありがとうございます。こちらは婚約者のオフィーリア・リシュトバーン嬢です」
「初めてお目にかかります、オフィーリア・リシュトバーンでございます」
会場がざわついた。
アドニスが婚約者の名前をちゃんと覚えていることに皆驚いたらしい。
過去に彼の婚約者だった令嬢たちは特に。
(田舎の男爵家の娘ですって? ほとんど平民も同然ではないの!)
(アドニス様には釣り合わないわ)
悪意のあるヒソヒソ声が聞こえてくる。
オフィーリアは皆の注目が自分に集まっているのを感じた。
その後、入れ替わり立ち替わり色々な人が二人に声をかけてきたが、昨日の予習が功を奏し、特に大きな失敗をすることもなく当たり障りのない会話をすることができたのだが。
「アドニス!」
真紅のドレスを纏ったひときわ目立つグラマラスな女性が現れた。
ウェーブがかった黒髪の艶やかな美女だ。
「珍しいわね、あなたがこんなところに来るなんて」
(呼び捨て……)オフィーリアはおやっと思った。
アドニスとかなり親しげな様子である。
「ディアンドラ! 久しぶりだな」
(アドニス様が女性の名前を覚えているなんて……)意外だった。
他の人にはそっけないのに、ディアンドラとだけは話が弾んでいる。
一体どういう人なのだろう。
なんとなく胸の中がモヤモヤした。
取り残されたオフィーリアが一人ポツンと立っていると−−
「オフィーリア様、こちらで一緒にお話ししませんこと?」
知らない令嬢が話しかけてきた。
ニコニコしているように見えて、目は笑っていないところが怖い。
見ると、背後に7、8人程度のグループを従えている。
この令嬢たちは皆、アドニスの過去の婚約者だ。
新入りを品定めしようと手ぐすね引いて待っていた。
自分たちは名前さえ覚えて貰えなかったのに。
この田舎娘は一体何者なのだろう? 生意気だ。
アドニスがディアンドラと話し込んでいる隙に、オフィーリアはあれよあれよという間に少し離れた丸テーブル席に連れていかれてしまった。
「初めましてオフィーリア様、私はキャロラインと申します」
キャロライン男爵令嬢はオフィーリアの一つ前、23番目の婚約者である。
つまり婚約破棄したてのほやほやであった。
「オフィーリア様のドレスとても素敵ですのね」
田舎娘と聞いていたのに、やけに垢抜けた格好をしている。気に入らない。
「これは全てバーンホフ侯爵夫人が見立ててくださったんです」
「まあ! ニコラ様が! 羨ましいわ」他の令嬢たちがざわめく。
侯爵夫人にまで気に入られているのか。
自分たちはろくに口も利いてもらえなかった。
ますます気に入らない。
「さ、皆さん、お茶でもいただきましょう」
キャロラインが別の令嬢に目くばせする。
アクシデントを装ってオフィーリアのドレスにお茶をかけてやろう。
古典的な意地悪を仕掛けるはずだったのだがーーー
「きゃっ!」
(えっ!?)一同はギョッとして目を剥いた。
オフィーリアがお茶をこぼしたのだ。
彼女たちが手を下すまでもなく、自分で。
「ご、ごめんなさ……あっ!」焦るオフィーリア。
ガシャン!ガシャン!
うっかりテーブルクロスを掴んでしまった。
デザートのソースやらチョコレートやらがオフィーリアのドレスにかかってしまった。
「大変!こ、これを」
令嬢たちの一人が見るに見かねてハンカチを差し出す。
なんというおっちょこちょいな子なんだろう!
出鼻をくじかれ、令嬢たちはすっかり意地悪をする気が失せてしまった。
一人が堪えきれずにクスっと笑ったら、みんなつられて笑い出したのだった。
それは予想していたような意地悪な笑いでは決してなく。
彼女たちはこのドジな新入りがなんとなく憎めなくなってしまった。
ーーキャロラインただ一人を除いては。
キャロラインだけはまだ婚約破棄の痛手から立ち直っていなかった。
そのためどうしてもオフィーリアを受け入れる事が出来ないのだ。
そこで彼女は輪を抜け、アドニスのところに行ってこう言った。
「オフィーリア様をもう少しお借りしてもよろしいでしょうか。すっかりお話が盛り上がってしまって。オフィーリア様はうちの馬車でご自宅までお送りしますから」
アドニスはテーブル席のオフィーリアに目をやった。
令嬢たちの笑い声が聞こえてちょっと安心する。
「どうぞアドニス様は先にお帰りになって。女同士で時間を気にせずにおしゃべりしたいので」
キャロラインはしきりにアドニスに帰宅を勧める。
(案外楽しそうにやれているみたいだな)
そう考えたアドニスは
(女性同士盛り上がっているところを邪魔するのも無粋だな)
もともとパーティーが嫌いなことも手伝い、これ幸いと一人先に帰ることにした。
それを確認したキャロラインはほくそ笑み、
「アドニス様はディアンドラ様とパーティーを抜けられたようよ」
令嬢たちのところへ戻ると嘘をついた。
「えっ!」寝耳に水のオフィーリアである。
(ディ、ディアンドラ様と二人で……)
キョロキョロ見渡してみたが、すでにアドニスの姿はない。
(置いて帰られてしまった……)
捨て犬はきっとこういう気持ちなんだろうなぁ……とオフィーリアは世の中の捨て犬に同情した。
……もとい同調した。
アドニスに置いてきぼりにされたオフィーリアに同情したのか、あるいは自分たちと同類とみなしたのか、令嬢たちの態度が完全に和らいだ。
そして慰めるように言った
「私たちがアドニス様と婚約していた時も、パーティーでディアンドラ様とばかりお話しされてたわ」
彼女たちはみんなディアンドラが嫌いだった。
「ディアンドラ様って、男性関係が派手で複数の男性と噂があるのよ」
「美しいけど、なんだか毒々しいと言うか禍々しいというか。私は苦手だわ」
「私もよ。性格キツいみたいだし。いつも胸元の開いたドレスよね」
「男性ウケは抜群のようだけど」
さっきまでオフィーリアをいじめようとしていたことなど忘れ、ディアンドラの悪口で盛り上がる。
共通の敵が出来ると結束力が高まるのは女子グループの常識だ。
「ディアンドラ様も以前アドニス様の婚約者だったのですか?」オフィーリアが尋ねる。
「いいえ。お二人とも一人っ子で家を継がなくてはいけないから婚約はできないのよ」
そうだったのか……
オフィーリアは全てが腑に落ちたような気がした。
アドニスは結婚したくても出来ないディアンドラがいたから。
だから23回も婚約破棄を繰り返しているのではないだろうか。
オフィーリアはなぜか鉛でも飲み込んだみたいに、重苦しい気持ちになった。
深紅のドレスを纏ったグラマラスなディアンドラ。
痩せっぽちで貧相な自分とは大違いだ。
アドニスはやはりああ言う女らしい人が好きなのだろう。
事実アドニスとディアンドラは親しい間柄であった。
しかし二人の関係は男女のそれとは少し違う。
むしろ男同士の友情に近かった。
ディアンドラはその見た目に反し、意外とサバサバした性格であった。
アドニス同様、ディアンドラも親の決めた婚約相手と何度も破談になっている。
あまり恋愛体質でないところも二人は似ていたのだった。
さて、令嬢たちとのおしゃべりはしばらく続きやがて散会の時刻となった。
また是非機会があればご一緒しましょうと約束して、みんなぞろぞろと帰路に就いたのだがーーー
オフィーリアは会場の門の付近に呆然と立ち尽くした。
バーンホフ家の馬車はとっくの昔に帰ってしまっていたのだ。
ーーーオフィーリア一人を会場に置き去りにして。




