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8. 初めての感情

「違う! シャッセル家は伯爵家でドヴァース家が子爵家だポンコツ!」


アドニスの容赦無い罵声が飛んでくる。

オフィーリア、現在絶賛「王都の主だった貴族の名簿」を暗記中である。


「どうしよう……覚えられる気がしないんですが」

「お前は貴族社会の恐ろしさを知らないからそんな呑気なことが言えるんだ。

爵位や敬称を間違えてみろ、大変なことになるぞ」



アドニスは明日、とある伯爵家でのガーデンパーティーに出席を予定していた。

母が勝手に出席の返事を出してしまったからだ。


そのパーティーにオフィーリアを伴うことになっている。

オフィーリアの社交会デビューだ。


昼間のガーデンパーティーなので立食のフィンガーフードが中心。

ダンスもなし。

不慣れなオフィーリアでもこれならなんとかなるかもしれない。

ニコラ夫人が山のような招待状の中から厳選したパーティーであった。


覚えなくてはならないことが山積みだった。

でもバーンホフ家に恥をかかせるわけにはいかない。

だからオフィーリアなりに頑張った。

だけど……毎晩遅くまで頑張って勉強するも、貴族の名前がなかなか覚えられなかった。


そして覚えられないまま、とうとう本番前日になってしまったのである。


アドニスの教え方はスパルタである。

そもそも彼は天才なので、出来ない人の気持ちが理解出来ない。


「アドニス様だって婚約者の名前が覚えられないって言ってたじゃありませんか」

「お前と一緒にするな。あれは覚える気がないからわざと覚えなかっただけだ」

「…………せ、性格いいですね。ちょっと引きました」


最近のアドニスのオフィーリアに対する態度はだいぶ砕けたものになっていた。

オフィーリアにはそれがちょっと嬉しい。

たとえポンコツ呼ばわりされたとしても。


「少し休憩しませんか。私お茶をいれてきます」

そう言ってオフィーリアは食堂にお茶をいれに行った。


程なくして、料理長の作ったとびきり美味しいスイーツと共に、ポットに入ったお茶がワゴンに乗って運ばれてきた。


「今日のスイーツはなんと! カスタードクリームのミルフィーユにカシスのソースがかかってるんです!」

熱のこもった説明をするオフィーリア。


「要らん。別に腹は減っていない」

「お腹が空いているから食べるのではなくて、美味しいから味を楽しむために食べるんです!」

「…………?」


アドニスは食べることに全く興味がなかった。


「じゃあアドニス様が美味しいって思う食べ物ってなんですか?」

「…………わからん。特に無い」

「えー! 信じられません。ここのご飯こんなに美味しいのに!」


生まれた時からこれが普通だったので、美味しいのか美味しく無いのか考えたことなどなかった。


食べ物の味という概念は相対評価によって決まるのかもしれないな……などとぼんやり考えながら、アドニスはティーカップのお茶を飲ん………




「うゲホぉぉっ! おい!これはなんだ!殺す気か!」


オフィーリアのいれたお茶であった。

激マズであった。


「おえぇ… 一体何をどうすればこんなまずいお茶ができるんだ!?」

「オリジナルブレンドです。茶葉にハーブとスパイスを加えてみたんですけど」


「お、お、お前はオリジナル禁止だ禁止! 既存の茶葉に湯を注ぐ以外のことをするな!」

アドニスはカンカンだ。


見兼ねた料理長が新たにお茶をいれ直して持ってきた。


「……! …う、うまい」


オフィーリアがいれた拷問のようなお茶の暴力で瀕死状態だったアドニスは感動した。

お茶の良い香りがこんなにも人を癒すものだったのかと。

ああ…………美味いっっ!


「さすが料理長ですね!いい香りです!」

「解毒されて生き返った……」とアドニス。

「ひどい!」


アドニスは食べる予定ではなかったケーキも食べることにした。

それほどオフィーリアのお茶の味が強烈だったのだ。

別の味で口の中を中和せずにはいられないほどに。


「………………!」


美味しい。アドニスは驚いた。

バター香るパイ生地とまろやかなカスタードクリーム。

少しクセのあるカシスソースの酸味がいいアクセントになっている。

ストレートティーのほろ苦さとの相性は抜群である。


ああ、よかった。

オフィーリアのお茶の味がトラウマになりそうで心配だったけど。

このケーキのおかげで綺麗に忘れられそうだ。




部屋の隅でこの様子を観察していた料理長は泣きそうになっていた。

言葉はなくても食べてる人の表情を見れば分かる。


これまでずっとアドニスが料理を食べるときの表情は「無」だった。

美味しいでもマズいでもなく「無」。


これが料理長には悲しかった。

味わうこと自体を拒否されていたのだから。

せめてマズいと言ってくれれば努力して改善するのにと。


そんなアドニスが目の前で実に良い顔をして彼の作ったケーキを味わっているのだ。

料理人冥利に尽きる。


鼻の奥がツンとなった料理長は、慌ててティーポットにお湯を足しに行くフリをして厨房へ戻ったのだった。



「ふふふ。美味しいものを食べている時って幸せな気分になりますよね」

「……………………まあな」

「私のおかげですからね」

「は?」

「私のお茶を飲んだからこそ料理長のお茶の素晴らしさが際立ったんですよ」

「おまっ……加害者のくせに恩を着せようとか厚かましすぎるだろ! あんなマズいお茶を飲むのは二度とごめんだ!」




休憩の後再び暗記の開始である。


が、オフィーリアはなかなか覚えられない。


「はい、不合格。やり直しだ!」

「わーん!」


アドニスはイラついた。

もう何度同じやりとりを繰り返していることだろう。

(もうこいつなんでこんなに物覚えが悪いんだよ〜)


幼い頃から神童との呼び声高かったアドニス。

彼にはなぜ覚えられないのか理解できない。


それでも

(こいつ結構頑張ってるのにな。なんとか覚えさせてやりたいな)

とちょっぴり思った。


そこで教え方をあれこれ工夫してみる。

人物の特徴やエピソードとリンクさせてみてはどうだろうか。


それでも複雑な貴族の人間関係や派閥などを頭に叩き込むのは容易ではなかった。

何度も何度も反復する。


そしてすっかり日が暮れて、窓の外に月が輝き始めた頃


「よし、じゃあラスト。ラドヴィック公爵家と敵対している派閥の中心メンバーは?」

「えーと・・・姻戚関係にあるグラース伯爵家には3男2女、鉱山事業で利益を共有しているリュヴロニク子爵家2男1女、それとええとドルージェ伯爵家4女……に婿入り予定のリッツ伯爵家は2男3女……?」


「よし!正解! 全問合ってるぞ!」

(っしゃー! ついにやったぞ!)

アドニスは心の中でガッツポーズをする。


「きゃあ!やったぁー!」


二人は抱き合って喜んだ。


アドニスは興奮のあまりオフィーリアを抱きしめたままひょいと持ち上げた。

そしてくるくる回り始めたのだった。

「きゃっ! ア、アドニス様!?」


こんなにワクワクしたのは生まれて初めてだ。

アドニスは感動した。

苦労の末に何かを成し遂げることがこんなに幸福だとは!


(ついにやったぞ! ああ気分爽快! 最っっ高〜!)

彼は初めて味わう達成感に酔いしれた。




……と、はっと我にかえり、自分がオフィーリアを抱きしめたままでいることに気がつく。


「…………あ」


オフィーリアは何故か真っ赤な顔をしている。


「す、す、すまない。つい。えっと、その……なんだ、よく頑張ったなポンコツ」

慌ててオフィーリアを床に下ろして誤魔化したが、二人の間に妙な空気が流れたのは言うまでもない。








「…………と、言うわけでして」


「んまあ! 抱き合っていたですって!?」


晩餐の時間になっても来ない二人を呼びに行かせたニコラ夫人はメイドたちの報告を聞いて歓喜した。



(こ、これは………ひょっとすると、ひょっとするのでは?)


ニヤニヤが止まらない。

元来、夫人は恋愛小説と恋バナが大好物である。

しかも主人公が自分にとって大切な二人ときたら、応援せずにはいられない。

また新たな楽しみが増えてしまった。


「ミアとデミィ、二人にお願いがあります」

ニコラ夫人はオフィーリア付きの二人のメイドを呼んだ。


ミアとデミィは自分たちが誇らしかった。

バーンホフ侯爵夫人直々に密命を受けたのだ。


(これから毎日、二人の仲をこっそり観察し、逐一報告しなさい。そして詳細に記録を取るのを忘れないように)……と。


「お任せください、奥様」

二人は神妙な面持ちで頷いた。


こうしてバーンホフ侯爵家に密かに『アドニスとオフィーリアを結びつける会』が結成されたのであった。








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[良い点] 面白すぎる。ニコラ夫人と頭が同期する。ニマニマが止まりません。
[一言] いや、うん、 本当にポンコツが酷いww
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