7. 白馬の王子様
オフィーリアの淑女育成計画はゆっくりではあるが順調に進んでいた。
手芸などは相変わらずひどいものだったが、テーブルマナーはお皿の外に食べ物を飛ばさない程度には進歩した。
ある晴れた、気持ちの良い日。
アドニスは母によって「オフィーリアの乗馬指導」を命じられた。
二人は連れ立って厩に向かう。
馬番が2頭の馬を引いてやって来た。
一頭は栗毛の少し小さめの馬。優しく穏やかな目をしている。
そしてもう一頭は……
「うわぁ! なんて綺麗なお馬さん!」
細くスラリとした脚をしたアドニスの愛馬。
均整の取れた体は雪のように真っ白で、艶のある銀色のたて髪を風になびかせている。
「うちの実家の農耕馬とえらい違いです!」
「当然だ。見た目だけでなく賢いしな」
そう言いながらせっせと手を動かしブラッシングをしている。
可愛がっているのが伝わってくる。
レアと名付けられたこの白馬は侯爵家が国王から賜った貴重な馬であった。
国の式典の際に王族を乗せるため、容姿・知力ともに選び抜かれた最高級の馬……の血を引いたサラブレッドである。
気位が高く、アドニス以外に懐かないことから、もっぱら彼専用となっていた。
「意外です。馬には優しいんですね」
「ふん。失礼な……と言いたいところだが、まあ否定はしない」
そしてふっと優しい表情でレアを見つめた
「俺の大事な相棒だ」
初めて見るアドニスの優しい顔はまぶしくて。
オフィーリアは少しドキドキしてしまった。
(この人でもこんな顔するのね)
少しだけ……この白馬が羨ましく思えた。
レアは美しいたてがみを揺らし得意げに鼻を鳴らした。
「馬には乗ったことあるのか?」
「当たり前です。田舎なので他に交通手段もありませんし」
「では軽くお手並み拝見と行こうか」
そう言って、オフィーリアが栗毛色の馬に乗るのに手を貸そうとした。
が、オフィーリアはそれより早く、自力でヒラリと栗毛の馬にまたがる。
ガバッとスカートの裾をひるがえし。下着が見えるのも気にせずに。
「馬に乗れるのは分かったが、乗り方が淑女としては0点だな」
アドニスは呆れてため息をついた。
バーンホフ家が所有するいくつもの丘や湖の周りを駆ける。
初夏の日差しが気持ちいい。
「おい、立って乗るな!!」
「この方がスピードが出て気持ちいいのに」
久しぶりに思いっきり身体を動かせて上機嫌だ。
オフィーリアの乗り方にはエレガンスのかけらもなかった。
でもスピードをガンガン出している時はこの上なく楽しそうだった。
アドニスはその姿を唖然として眺めていた。
(すげー。まるで女装した騎手みたいだ)
一方、オフィーリアは密かにレアに乗ったアドニスの凛々しさに見惚れていた。
絵本に出てくる白馬の王子そのものだ。
そして騒動はこのあと起こる。
近くの丘や森をひとしきり軽く走った後。
「あのう……ちょっとだけでいいんですけど、その白いお馬さんに乗ってみてはだめでしょうか?」
一生見る機会がないかも知れない美しい白い馬。
その馬にどうしても乗ってみたくなってしまったのだった。
アドニスはレアの背中からひょいと飛び降り、オフィーリアに手綱を渡した。
「うわぁ! ありがとうございます」
オフィーリアはウキウキしながらレアのあぶみを自分に合う長さに調整し、その背にまたがった。
「ふん。お前が乗るとどんな高貴な馬も農耕馬に見えるから不思議なものだ」
アドニスが余計な一言を言った。
いつもの軽口なのだが、これがいけなかった。
農・耕・馬。
レアの耳はこの言葉をしっかりと聞き取った。
な、な、なんたる無礼!!
人間に例えるなら王族に匹敵する自分を……あろうことか農耕馬とは。
プライドの高いレアは憤慨した。
この田舎娘が自分の品位を台無しにしているせいだ!!
「うふ。レアよろしくね。じゃあ軽く駆けてみましょうか。それっ!」
オフィーリアはブーツの踵で軽くレアの脇腹を蹴った。
「…………」
レアは1ミリも動かない。オフィーリアの命令は完全にスルーである。
「あ、あれ? レア、ほら、はいっ!はいっ!」
「…………」無視を決め込むレア。
「なんで? 動かないんですけど、この子。指示がわからないのかな?」
「…………!!」
レアの堪忍袋の緒が切れた瞬間だった。
(ひひーん! 指示わかるけど、わざと無視してんだよ!!)
もう我慢ならない。
自分はこんなポンコツ小娘が乗っていいような馬ではないのだ。
(降りろ小娘め!! 降りやがれ!!)
レアが突如猛スピードで走り出した。
さらに災難は続く。
レアが走り出した瞬間、チャリン!という金属音とともに片方のあぶみが外れて地面に落ちてしまったのである。
「……!!」
アドニスも落ちたあぶみにギョッとする。
そう。オフィーリアは手先が不器用であった。
調節した時ベルトの位置がずれてきちんと留まっていなかったのだろう。
あぶみがないと足が空に浮いたような状態で、踏ん張れない。
手綱を引いてもレアは止まってくれない。
「ひいぃいいい!!」
レアはオフィーリアを振り落とそうと、乱暴に身体を揺らしながら爆走する。
オフィーリアは鬣にしがみついて堪えていたが、もう限界だった。
(きゃあぁああ!! 落ちるぅう!! )
思わずぎゅっと目をつむった次の瞬間、横から伸びたアドニスの腕が間一髪で彼女をすくい上げた。
「……っ!」
恐る恐る目を開けると、栗毛の馬に乗ったアドニスの腕の中にいた。
「……っぶな! おい大丈夫か?」
「…………っ! は、はい、すみませ……」
返事をしようとしたが、手が震えて力が入らない。
先ほどまで死に物狂いで馬の鬣を握りしめていたせいだろうか。
それに気がついたアドニスは片腕をオフィーリアの腰に回しぎゅっと引き寄せた。
横向きに乗っているオフィーリアはアドニスの胸に顔を埋めるような体勢になってしまったが。
「大丈夫だ。落ちないから安心しろ。ちゃんと家まで連れて帰ってやるから」
栗毛の馬の背に揺られながら二人は屋敷に戻る。
白馬のレアはオフィーリアを振り落としたら気が済んだらしく、すました顔で黙って付いてきた。
アドニスの広い胸と安定感のある腕の中で、オフィーリアは徐々に緊張がほぐれていった。
ホッとしたらなんだか涙が出てきた。
「乗馬だけは出来ると思ったんですけど……ごめんなさい私」
何をやらせてもダメな自分があまりにも不甲斐なくて。
「いや……俺の一言がレアのプライドを傷つけたせいだと思う。お前の乗馬は合格点だった。……すまなかった」
頭上から聞こえるアドニスの声は優しかった。
オフィーリアはしばらくアドニスの胸に頬を寄せベソをかいていた。
そこから屋敷に着くまで二人は無言のままだった。
屋敷に帰りつき、先に馬から飛び降りたアドニスはオフィーリアに向かってわざとキザっぽく手を差し出した。
「レディ、どうぞお手を」
馬上の二人の間に流れていた妙な空気をあえてぶち壊すかのように。
「え?」
アドニスはいたずらっ子のような顔をしてニヤっと笑った。
ハンサムな彼はキザっぽい仕草が嫌味にならないところがすごい。
オフィーリアは逆になんだか照れてしまった。
「今日のレッスンポイントだよ。お前、出発する時もさっさと一人で馬に乗ってたけど、淑女はこうやって乗り降りの際は人の手を借りるものだ。覚えておけ」
「は、はい……」
「馬だけじゃなくて馬車に乗る時もだからな!」
オフィーリアはおずおずと差し出された手を取った。
(なんだか本当に貴族の令嬢になったみたい……)
初めて経験する胸の奥がくすぐったくなるような感覚に戸惑う。
火照る顔を見られたくなくて思わずうつむいてしまった。
いつもは寝付きの悪いアドニスであったが、この日は疲れていたため早めに床についた。
(色々あって大変な一日だったな〜)
全力で馬を走らせて、落ちてきたオフィーリアをスレスレのところで受け止める。実にスリリングな体験だった。
(犬にも馬にもなめられるって、アイツどんだけポンコツなんだよ……)
徐々に瞼が重たくなってきた。
(アイツといると退屈しないな)
そんなことを考えながら眠りへ落ちていったアドニスは自分がその時微笑んでいたことに気づいていなかった。
やっとこさ恋愛フラグが立ちました!