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4. 侯爵夫人とお出かけ

バーンホフ侯爵家の朝食風景はいつもお通夜のようであった。


無口なバーンホフ侯爵の隣の席には不機嫌そうな侯爵夫人。

偏頭痛と不眠症に悩まされている彼女はだるそうにサラダをわずかにつつく。

向かいの席には夫人そっくりな息子が無言のまま食べ物を口に運ぶ。


部屋の隅に控えている料理人と給仕係のメイドは息の詰まるようなこの時間が苦痛でならなかった。


この家族はなぜいつもこんなにつまらなさそうなのか。

1日の始まりがこれでは全く気が滅入る。



ところがその日の朝食はいつもと様子が違った。

田舎からやってきた少女が一人テーブルに加わったからだ。


ガチャン! ガチャン! ボタっ!

シンと静まり返ったなか、オフィーリアのカトラリーの音がやけに響く。

下手くそすぎるナイフ&フォーク使いだ。


フォークに刺そうとしたプチトマトがつるんと滑ってお皿の外に飛んだ。

が、そんなことはお構いなしにオフィーリアは満面の笑顔でパンを頬張っている。


「このパンふわふわ! 朝からこんなお食事をいただけるなんて最高です」

「んん〜! このポタージュの滑らかさ……美味しいです!」


そう言いながらオフィーリアはしれっと飛ばしたプチトマトを拾って食べた。


(わ! 拾った……)

オフィーリアの淑女らしからぬテーブルマナーに全員ギョッとする。


オフィーリアは上機嫌だった。

田舎では食べたことのないようなご馳走がテーブルいっぱいに並んでいる。

さすがは侯爵家だ。


ご馳走に目が釘付けになっていた彼女はみんなが自分を観察していることに気づいていなかった。


(今度こそ息子と上手く行くといいのだが……)バーンホフ侯爵は思った。

(すごい食欲だな)アドニスは思った。

(あ、こぼしてる!食べ方汚いな)メイドのミアとデミィは思った。

(私の料理を美味しそうに食べてくれて嬉しい!)料理人は泣いた。


そんな中、ニコラ夫人は一人厳しい顔でオフィーリアを見つめていた。

(……何かがしっくりこないわ)


その視線はオフィーリアが今朝着て来たドレスに注がれている。

昨日夫人がオフィーリアにあげた自分のお下がりのドレスだ。

オフィーリア本人は満足げに着ているが、ファッションにうるさい夫人の目から見れば今ひとつ似合っていないと思われた。


(この子と私は髪の色も体型も違うのだから、似合うドレスも違うのよ)

改めてじっくりオフィーリアの容姿を観察する。


夫人の中に眠っていたファッショニスタとしての血が騒いだ。

(これを私のセンスだと思われるのは心外だわ)


「オフィーリア」ニコラ夫人は厳かに言った。

「今日は街にあなたのドレスを買いに行きますよ」


「えっ! そんな勿体無いです」

食べ物は全く遠慮しないくせにドレスは一応遠慮する。


「侯爵家の体面というものがあるのです。善意ではなく義務なのです」


滅多に家から出ない夫人が外出とは珍しい……と皆思った。


特にいつも家にこもって鬱々としている妻を心配していた侯爵は満足そうに頷いた。

「それはいい考えだ。 ニコラ、君も気晴らしになるだろう」

「遊びに行くわけではありませんわ!」

ピシャリと返されてしまった侯爵であった。




朝食後さっそく侯爵夫人はオフィーリアを連れて街へ出かけた。

(まず普段着の既製品を何着か買って、それから仕立て屋で採寸して生地を見て……靴や帽子などのアクセサリーも……その前に宝石屋かしら)


ほどなくして馬車は一際目立つ立派な店の前で停まった。

「これはこれは! バーンホフ様お久しぶりでございます」

途端に店主が大慌てでやってきて、すぐさま予約客を差し置いてニコラ達をVIPルームに案内する。


おしゃれ好きな夫人はかつてはシーズンごとに大量にドレスを注文する上客であった。

美しいニコラは歩く広告塔でもあり、彼女のドレスを真似て購入する令嬢が後を絶たなかったため、店の売り上げにも大きく貢献していた。


「今日は私ではなくこの子のドレスを買いに来たのです」


ニコラ夫人はドレスを選ぶ時、決しておまかせにしない。

ずば抜けたファッションセンスを持つ彼女の目は誰よりも確かだった。


彼女は改めてじっくりとオフィーリアを観察した。

痩せ型。キャラメルのようなゆるくウェーブした髪。温かみのあるグリーンの瞳。

頭の中でスーパーコンピューターさながらに、いく通りもの色とデザインを組み合わせる。

そしてテキパキと指示を出し、次々と商品を持って来させた。


あっという間にオフィーリアに合うアイテムの山が出来上がった。

それを次から次へと試着させていく。


光沢のあるクリームイエローのパフスリーブの一着を着たオフィーリアを見た時、ニコラ夫人はあることに気がついた。

(この子……案外……というかとても可愛いじゃないの!)


似合うドレスを身につけたオフィーリアは見違えるような愛らしいレディだった。

夫人は嬉しくなった。

魅力を引き立てる自らのコーディネートセンスを心の中で自画自賛した。


(いい! いいわ。若草色のたっぷりしたデザインもきっと似合うはず)

(さらにエメラルドのチョーカーがあれば完璧ね)

(パラソルはクリーム色のシルクに黒いレースで)


次から次へ、イメージが浮かんで止まらない。

ニコラ夫人は夢中になって買い漁った。

店にないものはオーダーした。


その量は、大型馬車2台分にも及んだ。

到底持ち運べる量ではないので、屋敷まで届けてもらうことにする。


これまでのオフィーリアの生活は実質ほぼ農民であったため、ドレスは実用品という視点でしか考えたことがなかった。


夫人にドレスの好みを聞かれても、自分の好みというものがよくわからない。

これまでお洒落について考えたことがなかったからである。


生まれて初めて見る美しい色と滑らかな手触りのドレス……鏡に映る自分の姿はなんだか照れ臭かった。


夫人は楽しくて仕方がない。

オフィーリアのビフォー&アフターの差があまりにすごかったからだ。

久しく感じたことのない高揚感。

なんという爽快感! 達成感!


「オフィーリア。とても似合っていますよ」

ニコラ夫人は自分が作り上げた作品、着飾ったオフィーリアを満足げに眺めた。


今後、髪や肌の手入れもすればさらに美しくなるだろう。

メイドたちに指示しておかなきゃ。

夫人は化粧品も大量に購入した。


するとそれまで人形のようにされるがままになっていたオフィーリアが泣きそうな声で言った。

「ニコラ様……お腹が空きました」

「…………」



二人は街で少し遅い昼食を摂ることにした。

ニコラ夫人は軽めに、オフィーリアはガッツリと。


そしてクリームやフルーツで綺麗にデコレーションされたデザートが出てくると、オフィーリアが自分のケーキの載った皿を差し出した。


「よろしかったら一口味見しませんか?」


(えっ……!)

人の食べかけを味見するなんて行儀の悪いこと。

育ちの良いニコラにはハードルの高い行為だ。


「い、いいえ結構よ」そう言って遠慮したのだが。

「そう言わずに、ぜひ一口!」やけに食い下がるではないか。


味見をするのは抵抗があるし、いい加減お腹も一杯だったニコラ夫人は困惑した。が、ふとオフィーリアがニコラの皿のケーキにチラチラと視線を送っているのに気がついた。


(ま、まさかこの子、私のケーキを味見したいから言ってる?)


「では私のもどうぞ味見してごらんなさいな」試しに言ってみる。


すると予想通り、オフィーリアは物凄く嬉しそうに

「まあ、宜しいのですか?それでは遠慮なく……えへ」と手を伸ばしてきた。


ケーキなんていくらでも注文すればいいものを。

ニコラ夫人は呆れた。

全くこの子ったら……。食いしん坊さんね。


が、オフィーリアがあまりにも幸せそうにケーキを頬張るので、自分も一口オフィーリアのケーキを貰ってみた。

「あら、美味しい……」

「でしょう? 分けっこすると2種類楽しめてお得ですよねっ」


ニコニコしているオフィーリアと目が合った時、夫人の胸の中にじんわり温かいものが広がった。


いつも食べ慣れている、どうという事もないケーキのはずなのだが。

特別なものに思えるのはなぜだろう。


それは夫人が長らく忘れていた、優しく幸せな味がした。


ふとオフィーリアがフォークに刺したイチゴをぽろりと床に落とした。

「…………!」


最後に食べようと取っておいたイチゴだったようだ。

ガックリ肩を落とす少女を眺めながらニコラ・バーンホフ侯爵夫人は小さく微笑んだ。






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― 新着の感想 ―
[一言] メイドに続き…ニコラ様…陥落!(笑)
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