16. 二度あることは三度ある
オフィーリアはおずおずと前に進み出ると、ぎこちない様子でドレスの裾を摘んで淑女の礼をした。
「バーンホフ侯爵家より太王太后殿下にお祝いの歌をお贈りしたく存じます」
そう言うと、一回だけ大きく息を吸い
歌い出した。
「……………………!」
一瞬だけざわついた会場が瞬く間に静まり返った。
それはよく通る、透き通った、清らかな歌声だった。
バーンホフ侯爵とニコラ夫人は驚きのあまり言葉を失った。
オフィーリアの口から溢れ出る音色があまりに素晴らしかったからである。
アドニスはポカンと口を開けたままオフィーリアに目を奪われていた。
異国の言葉の歌だった。
歌詞の意味はわからなかったけれど、澄んだ心地よい旋律に酔いしれる。
会場にいた全員が我を忘れてうっとりと聞き惚れた。
やがてあちこちで感動のあまりすすり泣く声が聞こえてきた。
見れば財務長官も先程の贈り物予定のトラの毛皮で涙を拭っている。
広いホールの中央で歌うオフィーリアは神々しいまでに美しかった。
「……………………いか」
アドニスがうわ言のようにつぶやく。
「こんなの……好きにならずにいられるわけないじゃないか」
なんの後ろ盾もないポンコツのくせに……
真っ正面から相手の懐に飛び込んで、いつしか相手を魅了してしまう
こんな……馬鹿みたいに素直で、愛らしい女性を
自分に人間らしい感情を教えてくれた唯一無二の女性を
好きにならずにいられるわけがないじゃないか。
アドニスは意地を張っていた自分がバカらしく思えてきた。
もうこれ以上自分の心に嘘はつけない。
本当はとっくに分かっていたのだ。
分かっていたけど、分からないふりをしていただけなのだ。
……この胸の痛みの理由を。
やがてオフィーリアは歌い終わった。
だいぶ長い静寂の後、割れるような拍手と熱狂が大広間を包んだ。
太王太后はじっとオフィーリアを見つめていたが、やがて口を開いた
「みごとな歌声でした。お前はこの歌が私の故郷の歌であることを知っていたの?」
(えっ⁉︎)バーンホフ夫妻が目を見開く。
オフィーリアはちょっとバツ悪そうに「いいえ、存じませんでした」と答えた。
「ではなぜこの歌を選んだかしら? 偶然ではないでしょう」
「殿下がお召しになっているそのマントです」オフィーリアがはにかみながら言う。
「異国出身の私の母の実家は機織職人で、そのようなマントを作っていたのです。この歌は亡き母が幼い頃に教えてくれました」
「太王太后殿下のマントが結構ボロ…いえ年季が入っておられるようだったので、何か特別な意味があるお品なのかなと思いまして……その国の歌を歌ってみたのです」
少女はどこまでも正直だ。
マナーも言葉遣いもぎこちないけれど、太王太后はこの少女を好ましく思った。
(今ボロって言いかけてたわよね)
太王太后は噴き出したいのをこらえ優しく言った
「こちらへいっしゃい」
太王太后はオフィーリアの手を握って微笑んだ。
「このマントはね、私がお嫁に来るときに自分の国から持ってきたの。もう60年も昔のことよ」
その表情はすっかり「太王太后」ではなく「ひいお祖母様」になっていた。
「とても素敵な歌声だったわ……懐かしい歌をありがとう。またいつか遊びに来て聞かせてくれるかしら?」
「はい!喜んで」
(あの恐ろしいお祖母様が微笑んでいらっしゃる!!)
ニコラ夫人は目の前の光景が信じられなかった。
オフィーリアが歌っている最中に忘れ物のプレゼントが到着した。
そして無事バーンホフ侯爵の手に渡ったのだった。
ニコラからプレゼントを受け取った太王太后はアドニスに向かってこう言った
「アドニス。素敵なお嬢さんを見つけたのね」
「ありがとうございます」
そして少し茶目っ気のある表情でこう続けた
「これでバーンホフ家も安泰だわね。あなたも一日も早くお父様の職務を受け継ぎ、お父様の更なるステージでの活躍をサポートしなくては……ね」
「………………!」
周囲がどよめいた。
バーンホフ侯爵は自分の顔が上気するのを感じた。
アドニスが外務長官を引き継ぎ、自分は「さらなるステージ」で活躍する。
それに該当するポストなど一つしかないではないか!
(父を宰相に任命するから、お前は父の現在の職務を引き継いで宰相を支えよ)
アドニスにも太王太后のその言葉の意味は理解出来た。
「おや、お祖母様に勝手に内定を出されてしまったよ。グレゴール、君も運がいいね」と国王がニヤリと笑った。
その後も贈り物贈呈は粛々と続き、それが終わると太王太后は退場した。
ニコラ夫人は人気のない控え室でオフィーリアを抱きしめて泣いた。
トラ皮の財務長官もきっとどこかで泣いていたに違いない。別の意味で。
「オフィーリア、君には驚かされたよ。心から礼を言う」
興奮冷めやらぬ様子の侯爵も礼を言った。
「ぐすん。それにしてもオフィーリア、あなたがあんなに歌が上手だとは驚いたわ」
「あ、ありがとうございます。私のたった一つの取り柄なんです」
そしてバーンホフ夫妻と向き合うように立つと
「侯爵様、ニコラ様、この半年間私をバーンホフ家に迎え入れ、様々なことを教えていただき本当にありがとうございました」と頭を下げた。
「? 改まってどうしたんだい?」
「オフィーリア?」
オフィーリアは二人の問いかけには答えず、
「あ、ダンスが始まるようですよ。大広間に戻りましょう」と言ってホールに向かったのであった。
アドニスがオフィーリアに手を差し出す。
ダンスの申し込みだ。
無言でその手を取り、二人はホールの中央で踊り始めた。
アドニスとディアンドラが結ばれるかどうかで賭けをしていた貴族たちはそんな二人を眺めながらヒソヒソ噂をしていた。
「太王太后殿下のお墨付きが出たから、もうオフィーリア嬢と結婚するだろう。賭けは俺の勝ちだな」
「しかしオフィーリア嬢と結婚してもディアンドラとの関係を続けた場合はどちらが勝ちになるんだ?」
一方、自分の気持ちを認めたアドニスは昨日までの葛藤が嘘のように晴れ晴れとした気持ちになっていた。
これからどうやってオフィーリアに愛を伝えようか、頭の中はそのことで一杯だった。
オフィーリアを大事にしよう。
可愛がって、甘やかして、守ってあげよう。
彼女の願いはなんでも叶えられる男になろう。
今はまだ家同士の利害で結ばれた婚約者同士だけど、いつか彼女にも自分のこと好きになってもらえるよう頑張ろう。
もうなんの迷いもない。
(とにかく大事なことは)踊りながらアドニスはオフィーリアの腰を引き寄せた。
(今この腕の中にオフィーリアがいること!)
自分たちは結婚するのだから。
太王太后のお墨付きももらったのだから。
そして毎朝オフィーリアのぬくもりと香りに包まれながら目を覚ます生活を送るのだ。
一緒に色々な場所に出かけたりして、幸せに暮らそう。
想像すると頬が緩んだ。
アドニスは調子に乗っていた。
オフィーリアが先程から口数も少なく、アドニスと目を合わせようとしないことに気がつかないほどに。
そしてアドニスは浮かれていた。
自分がこの24時間のうちに別の女性とスキャンダルを起こした上、パーティーの贈り物を家に置き忘れるという大失態を二度も犯したことなどすっかり忘れるほどに。
「オフィーリア」アドニスがオフィーリアの耳元で優しくささやいた
「先程の歌は素晴らしかった」
「ありがとうございます。……………………最後にお役に立てて良かったです」
「え?」
ダンスの音楽が終わる。
踊っていた男女はそれぞれ一歩下がってお互いに礼をする。
かがんだアドニスの頭上でオフィーリアがよく通る声で言った
「アドニス・バーンホフ卿、あなたとの婚約を破棄させていただきたく存じます」
――この世の常として、二度あることは三度あるのだ。
次回最終話です。
 




