風のおくりもの
どうして私なのかな
君は僕のことを見つめ、そう言った。
「初めて僕たちが話したのも、こんな雨の日だったよね。」
僕はその時に見た君の顔を、何年経っても忘れることが出来ないだろう。
僕と夏美は高校で知り合った。
「傘、忘れたの?」
高校二年の八月、突然のゲリラ豪雨、傘を持たず立ち尽くす部活終わりの僕に、君が声を掛けてくれた。
「そうなんだよ、この時期の雨はほんと嫌になるよな。」
「私は好きだけどな。アツくなってないで、落ち着け。って言ってるみたいで。」
君はそう言うと、カバンの中から水色の折り畳み傘を出した。
「良かったら使って。今度会った時返してくれればいいから。」
そして、僕の返事も待たずに君は雨の中帰っていった。
今思い返すと、あの時にもう君のことが気になっていたのかもしれない。
「この度は、ご愁傷様です。」
高校、大学の友人であろうか、多くの人が夏美のお葬式に集まっていた。
僕は自分でも不思議な程に、涙が出なかった。君を失った喪失感のほうが勝っていたのだろうか。
「ひかるくんだよね?久しぶり。夏美といつから仲良かったんだっけ?」
話しかけてくれたのは、夏美の高校時代の友人であった。
「高校の時に少しね。それから大学で連絡取ってたりしてさ。」
「これ、ありがとう。」
今度会った時とは言われたものの、借りたままだと気持ちが悪く、僕は次の日に君に傘を届けに行った。
「それと」
もう返しに来たのかと、驚いたような表情の君に僕は言った。
「僕は雨よりも、雨上がりの風のほうが好きだな。雨でリセットして、何か始まるぞ、って感じで。」
そう言うと君はクスッと笑い、「そうかもね」とだけ言いクラスへ戻っていった。
僕たちが高校で話したのは、これが最後だった。
君は、その数秒だけで僕の心を奪ってしまったとは思っていなかっただろう。
「そうだったんだ、私大学入ってから全然連絡取ってなかったから意外でさ。」
たしか、まちこだったような。夏美の友人の名前を思い出そうとしているうちに、彼女はまた別の友人へと話しかけに行ってしまった。
夏美と同じダンスサークルに所属しているのであろう。参列している人の中に、茶髪を急遽黒くしてきたような、顔に似合わない真っ黒の髪の毛の集団。
その中には見覚えのある人も数人いた。
「ひかるくん?久しぶり」
大学に入った頃、駅で君は僕に話しかけてきた。
約二年ぶりの会話であった。
「久しぶりって、高校とかでたまに見かけてたのに。ひどいな。」
「そうだっけ?全然覚えてないやごめん」
笑顔で話す君の姿は、最後に会話したあの時から全く変わっていなかった。
「ひかるくんは大学どこに行ったの?」
僕は少し言葉に詰まってしまった。当然といえば当然だが、君は全く僕に興味が無かったんだなと思い、少しショックを受けた。
「成蹊大学だよ。」
「うそ!私と一緒じゃん。ごめん全然知らなかった」
その時も君は笑っていた。
それからは、何か話しながら歩いただろうか。駅の外に出ると、予報にない大雨だった。
「傘、わすれたの?」
「大丈夫、今日はちゃんと持ってきてるから。」
「そっか、そしたら私こっちだから。」
そう言って君は雨の中に消えていった。その姿を見送った僕は、傘をささずに帰った。
僕の中で何かがリセットされてしまったような気がした。
「岩下ヒカルだな。署まで同行してもらおうか。」
葬儀場を出た僕は、来る時に乗ってきた自転車には乗らずに、知らない車の後部座席で知らない人に挟まれ帰った。
葬儀の一週間前、どのチャンネルを付けても大雨が予想されていた。
僕は傘を二つ持って家を出た。
どうして私なのかな
笑顔で話しかけてくれた君。その君が涙を流していた。
僕はその時に見た君の顔を、何年経っても忘れることが出来ないだろう。
「窓、開けてもいいですか」
僕の両側に座った二人は目を合わせ、ほんの少しだけ窓を開けてくれた。
蒸し返すような、湿気の多い真夏日の風を僕は感じた。
―僕は雨よりも、雨上がりの風のほうが好きだな。雨でリセットして、何か始まるぞ、って感じで
「雨、降らないかな。」
ぼそりと僕はつぶやいた。
完