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「よいしょ」

作者: MIRU

   「よいしょ」

               MIRU

 「よいしょ」

 

私には、すでに定年退職している父がいる。

父は、幼いころの私の中では、怖いイメージがついていた。どの家庭にもいる、厳格な父だと、私は彼のことをそう思っていた。

 しかし、違った。

 最初に父の厳格なイメージが崩れたのは、映画館に連れて行ってもらった時だった。私はその時、いくつだったのか正確には思い出せないような、幼い年だった。

 父は、映画に兄と私の二人を連れて行くとき、もちろん母には伝えてあるのに、映画を見ることがまるで背徳感があるようにふるまうのである。特に、ポップコーンやコーラなどの母が嫌うジャンクフードを買うときは、「ママには内緒だぞ」と言ったりもするのである。私には、そんな父の普段とのギャップが新鮮でたまらなく楽しかった。その時は、普段の怖い父が、いつもこんな感じだったらなぁ、と祈っていた。

 しかし、今は違う。

 今はそうは思わない。昔の堂々としていた父が、私は懐かしい。

 今の父には、きっと自信がないのだろう。仕事が無く、誰の役にもたっていない日常生活で、くそったれな昔ながらの男のプライドが保てなくなったのだろう。

 だから、今はこんなにも気持ちの悪い老人になってしまったのだろう。

 父が仕事を定年退職してからの経緯だ。

 父は定年退職をしてすぐあと、何十年と続いた労働から解放され、自由を手に入れたので、父はサイクリングを始めた。父はまず、マウンテンバイクといわれるような、スポーツ用の自転車を買った。そして、サイクリング用の服や、ポーチまで。私も母も、家族に関心のない兄以外は、その行動が嬉しかった。適度な運動は、健康にいいし、何より本人が楽しそうだからだ。

 父はよく、家から電車で結構時間のかかるところまで自転車で行った。

 私と母は、本当に嬉しかった。

 しかし、それは三日坊主に終わった。

 冬になり、外が寒くなると、父は外出を拒みはじめ、家で映画配信サイトから毎日のように映画を見るようになった。最初家族は、その三日坊主を家族談話のネタにして、笑いあっていた。しかしそれは、だんだんと深刻な問題になっていくのだった。

 サイクリングをやめて約一か月もすると、父は毎日のように家にいるようになった。私が学校から帰ると、そこにはいつも父の姿があった。中年腹の、つむじから禿げ始めている父の、受け入れがたい姿が。

 そこからの父の堕落はすさまじいものだった。毎日やることもなくなった父は、日に日に物覚えが悪くなっていって、耳も遠く、ごみ箱にはいつもコンビニ弁当の容器が入っていて、食生活も乱れていった。朝は早起きで、体形の乱れを隠すように家の中でもジーンズをはく。そして家のソファで猫背に座り、すぐにテレビを見始める。こんな日常が続いた。完全に老人だと、私は思った。

 ある日のことだ。

 それは、私にとって、誰かに最大級に幻滅した瞬間であった。

 うちには金庫があり、そこには母の仕事に関するお金がある。本社からくるお金をそこに入れておき、給料日になるとその金庫にある金が社員である母に入る。

それは、本当は何気ないミスだ。「あちゃぁ、ごめん」と軽く謝れば、済むことだった。

 「ねぇ、私の、机の上に置いておいたお金知らない?」

 と、母が言った。私と兄は、お金を取るような子供ではないし、今までもそのような問題は二人とも起こしたことがない。

 (となると、考えられるのは母が自分で財布に入れたり置き場を変えたりしておいたのを自分で忘れたか、もしくは。)

 と、私はそこまでまるで流れる川のごとく自然に考えた。いや、本当は、母が物忘れをした可能性なんて一ミリも考えていなかった。私が考えていたのは、もう一人の容疑者のことである。父が、きっとそのお金に何かをした。また何か、物忘れのための行動だろう、と私は考えた。すると、

 「お金?ああ、あれなら金庫に入れておいたよ」

 「え、なんでそんなことしたのよ。あれは私の給料じゃない。」

 「え!そうなのぉ~。それを早くいってよぉ。そしたら金庫なんかに入れてないのにぃ。まったくママったら~。」

 父の口調は、この頃ずっと気持ちの悪いお調子者のようになっていた。私をいつもいらつかせる。そして、父の言い分が、父の醜い言い訳が、嘘が、私の中から生気を抜いた。

 私は、もう彼に何も期待しないようにした。


 きっと彼は、自分の役割を探しているんだ。

だからつまらない冗談ともいえない冗談を言うし、ツッコミにもなっていないツッコミをする。気持ち悪い。

 だから彼は、ずっと専業主婦だった母の仕事に口を出すんだ。アドバイスにもなっていない、ゴミみたいな意見を出す。本当によく社会で生きてこられたものだと思う。いや、父には友達がほぼいないな。そういうことか。

 だから彼は、だから彼は、だから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼はだから彼は、だから彼は、まるで中学校の時の、何もできない僕みたいなんだ。


 


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