003 回想世界(ガールズキンダーガーテン)
「楢本、それ、幼稚園の卒アル?」
この状況を説明するには少しばかりの時間を要する。
今日。つまり、6月29日。
あの伝説的で逸話的で御伽噺的なライブから一週間後。虎野は楢本の家へと足を運んでいた。
足を運んでいたというといささか優しくほんわかした話になるが、事態は全くそんなことは無く、むしろ反対に殺伐とした空気に包まれているのだった。
無断決行されたそのライブは、当然一部のファンにしか出回っておらず、それはマネージャーである母親でも知らなかった、まさにゲリラライブだったのである。
それにマネージャー兼母親が怒らないわけがない。
楢本の両親は比較的穏やかな人で、すぐに彼女を受け入れた。どうやらこの両親は、幼稚園の時のことを覚えているらしい。「また仲良くしてね」とやさしく声をかけたのは母親だった。
「こちらこそ」と、かしこまりながらも、虎野は涙をこらえられなかった。
「そうだ、今日は外食にしよう」と言ったのは父親だった。しかし、その提案はすぐに却下されてしまった。
それもそのはず、今ファンにマネージャーに記者に狙われているのである。
そんなこんなで、1週間が経過した。
両親は食料補充の為に買い物に出ており、彼と彼女の二人きりだった。
男女二人きりというと、必ず間違いが起きると言っても過言ではないはずなのだが、純情可憐な二人に、そんな言葉は似合わなかった。
「そうそう、よく卒アル残ってたよね」
両親は穏やかな性格である一方で、割と忘れっぽいのだが、この卒アルだけはちゃんと場所まで明確に覚えていた。
「おばさんたちって、確かそんなにきっちりした性格の人じゃないよね。まあ、それが良いんだけど」
キッチンの食器棚からコップを取り出し、冷蔵庫へと移動する虎野を見ながら、彼は「あ、僕のもよろしく」と頼む。彼女はハンドサインだけで了承を示す。
にしてもどうしてだろう、と悩んで彼は思考を止めた。
「この頃から、僕はあなたを好きだったんだなぁ」
彼は自らの卒園アルバムを見ながら、そんな照れくさい台詞をこぼす。
「ねえ、なんかはがき届いてるけど、なにこれ」
両手が塞がっている虎野は、それを見て少しだけ微笑む。
『話をしましょう』
それは、マネージャー兼母親からのはがきだった。
「もう少しだけ、ここにいさせて」
そう呟いて、彼女は手に持っていたコップやらなんやらをテーブルに用意する。
「あ、これ楢本じゃん」
ソファの後ろから手を伸ばす虎野の胸が、型をかすめる。
「肩をかすめたな」
ぼそっと呟いた彼に、鉄拳制裁が下ることは容易に想像できる。
「まな板で悪かったわね」
「痛ッ!」
右手のチョップは見事に頭頂部に炸裂した。
「でも、僕はそれでもあなたが好きですよ」
必死の繕いも、「うるさい」の一言で一蹴されてしまった。
「あーあ、あの頃は純情だったのになぁ」
その時、虎野初音が笑顔だったことに、彼はまだ気づいていない。
しかし、彼の一言は彼女の頬を赤く染めた。
それは、あの日、幼稚園最後の日に言われた台詞と全く同じだった。
「まあでも、あなたがどこにいても、僕は守り続けますよ、ヒーローですからね」
きっと、テレビでやっていた戦隊ものの台詞なのだろう。
それでもいい。
彼女の心には、一番響いていたのだ。
「確か、こんなこと言っていたよね」
彼が開いていたページは、平和で優しい笑顔の写る、彼女との幼稚園最後の写真だった。
「……ほら、ポテチ開けたから食べよ」
照れ隠しのつもりで、上擦ってしまった声を聴いた彼は、少しにやけつつ、「はいはい」とダイニングへと移動した。
彼と彼女の二人きりの時間は、もう少しだけ続くのだった。




