004 水賊世界
彼女―佐渡島まどかからの、ありがたい電話は、こうして切られてしまった。
彼女はいつだってそうなのだ。天才ばっかりのうちのコミュニティで、特に世界に関して随意角地基と経験を持っている。それは尊敬に値するもので、僕がそれをどうのこうの言えるものでもないのだが、一つだけ言いたいのは、「ちゃんとしっかりとわかりやすく話してくれ」ってことだけである。
矢継ぎ早に喋られると、僕には何が何だか分からない。
「どうだった?」
うてなは、僕の瞳をぎゅっと見つめる。
申し訳なさを感じつつ、僕は苦笑いを浮かべながら返す。
「……待機だそうです」
佐渡島先生は、一切こちらに喋らせなかった。電話して数秒で後悔したが、要らない電話というわけでもなく、僕らにそれなりの情報を与えてくれたことには感謝すべきなのだろう。
「待つしかないのかぁ」
確かに先輩が無事でいることは本当に嬉しい情報ではあるし、あの紫空が僕らに何の影響もアたないという話もありがたかった。
しかし、しかしである。
『水賊世界』。
これが、何を意味しているのかさっぱり分からなかったうえ、攻撃的な世界ということだけを教えられ、しかも主な攻撃法すら教えてくれないとなると、僕らには為す術がない。
何でもかんでももらおうとするな、と言うのが彼女らしさだが、しかし命が関わっている以上、それくらいは訊いてもいいだろう。
うてなは先ほどから何かを考えている。
あーでもないこーでもないと呟きながら記憶を模索しているような素振りで、一点を見つめている。
「……あれ?」
そんな時である。
倉庫がギシギシと音を立て始めたのだ。古い様式の建物なので、それくらいは風でも吹けばなりそうとは思っていたが、この音は全く以てそういった自然現象では起こせないような代物だった。
リズミカルに鳴る、不気味なノック音。よくよく耳をそばだててみると、荒い息まで聞こえる。
人間じゃない、獣のような。
「まさか」
うてなは、唐突に立ち上がる。僕の声も聞かずに倉庫にあった荷物を黙々と積み上げていき、そして梯子が無ければ届かないとして無視していた窓の外を見つめた。
じっくりと。じっとりと。まじまじと。
「……ああ、あああ、ああああ、あああああ、ああああああ、あああああああ、ああああああああ、あああああああああ、ああああああああああ」
彼女の指差す先に何があるのかは分からない。ただ、そこには人間の想像をはるかに超える景色が広がっていたのだろう。その絶句した彼女に、僕は追い打ちをかけるように尋ねてしまった。
「……何が、見える?」
「……海驢。海豚。鯨。鮫。鯱。その他、色々。それでも、わ、私達が知っているそう言った簡単な動物ではなく、もっと恐竜じみた、化け物が、押し寄せています。そ、っそして、何より」
彼女の動揺ぶりに、狼狽ぶりに、さらに拍車をかけるように僕は問いかける。
「何だ? 何が、見える?」
「……倉庫の周りは、全ての海となっています。ま、まるで、海の底に落とされたような、あるいは、海面が上昇してきたかのような、そんな状態です」
彼女の報告は、僕らをさらに絶望へと陥れた。
「……どうなってんだ」
下から見る限り、彼女の表情は見えないが、握りしめた拳からは、ただならぬ何かを感じた。
それは、絶望で。
それは、決意だった。
「できる、勝てる、私なら」
そして、彼女は僕を見つめた。
「大丈夫、任せてよ」
その笑顔はまさしく彼女らしさを表していた。
その笑顔に、ふと思ってしまった。
あの日。先輩と出会ったあの日。あの日から、僕はどれだけ彼女にそんな笑顔をさせているのだろうか。強がりの笑顔だってわかっているのに、僕には為す術がない。その焦燥感に、僕はずっと駆られていた。何もできない、無能さに。
無能さ?
違う。
それだけなら、僕は仕方がないと割り切れるはずだ。そして、彼女に無理をさせないはずだ。
あの笑顔を、浮かばせないはずだ。
じゃあ、なんだ。
なにがそうさせているんだ。
僕は、あの日。先輩と命の契約を交わしたあの時。能力を彼女に託したあの日。
『絶対に助けるから。必ず、取り戻すから』
彼女の言葉は強く僕の心を揺さぶった。
僕は何を失った? どこで失った? いつ失くした?
強くて、優しい彼女を前にして、僕は。
刹那。
声が聞こえた。
僕のでもなく、彼女のでもない。
それは、幼女の声だった。
「あのーっ! 誰か、いませんかー? たぶん、わたしは、あなたにあいにきたのだとおもいますーっ! よかったら、出てきてもらえませんか? 大好きな、大好きな、あなたに、あいにきました!」
その声に聞き覚えなど無い。恐怖に怯えながら、その声を聴き続ける。
「瀬川十哉さん、我が主人様!」
僕とうてなは、目を合わせた。
同時に、驚嘆の声を上げた。




