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月が綺麗ですね。〜ギルド編〜  作者: 藍歌
後日談 〜閑話休題〜
26/26

②受胎

  今日は蒼が珍しく用事で出掛けてくる…と言うので、いつもせっせと衣装をこしらえてくれる衣装部屋の女官達にお礼を言いに恵美は回廊を歩いていた。

  だいぶ城内ならば任意の場所に転移を出来る様になったとは言え、歩く事によって城勤の者達にも会え、新たな発見も沢山あり歩く事は楽しかった。

  厨房に差し掛かった所で、恵美は焼き餅作りに再チャレンジしている二人を見付けた。

  いいつもつき過ぎで焼いても伸び過ぎてしまい、決して老人や小さな子供では食べれない様な餅を作ってしまう二人は今日も今日とて試行錯誤を繰り返していた。

  思わず厨房の入り口で彼らを見ていた恵美は見る見る顔を強張らせ、口元をヒクつかせる。


  いやいやいや。そりゃあ、ムリでしょう?


  目にも留まらぬ早業で餅つきをする二人に頭痛を覚えた。

 

「今回は五分にしてみようか」

「わかった」


  爽やかな笑顔で言いながら、平然と会話を交わしながら二人は機械の如く、ついてはこねてを繰り返す。

  聖の金髪がキラキラ揺れ、煌の一つに括られた朱が混じった金髪が尻尾の様に動く。


「いや、問題そこじゃないから」


  厨房の入り口で見守っていた恵美は、思わず突っ込んでしまった。


「おや?恵美」


  二人は手を止めた。


「焼き餅が上手く出来ないと煌が言っていたけど、まさかそんな風についていたなんて…」


  呆れた様に呟き、キョトンとする二人を肩を竦めて見つめ、ひょいと臼の中を覗き込むとやっぱり…と漏らした。


「もう殆ど出来てそうだよ?」


  臼の中で丸められた白い物体は既に粒が無くなり少しなめらかすぎるが、モチ肌になっていた。


「えぇっ⁈もう?」


  二人は素っ頓狂な声を上げ、臼の中のもち米を凝視する。


「見ながらした?」

「どこまでしたら良いかがわからなくて…」


  コクコクと頷きながら言う聖の言葉に口元を綻ばせる。

  なんでもつけば良いわけではなく、加減がない二人に恵美はよく今まであれだけ美味しいお菓子を作れたものだと逆に感心した。


「これはこれでもう置いていたら良いと思うよ。もちはまだある?」


  臼の出来た餅を取り出し、煌は保存の魔法をかけると空間に放り込み、代わりに新たな蒸し上がりのもち米を取り出す。


「あれは後であんもちとかぜんざいにしよっか」


  どうぞと言わんばかりに差し出された綺麗に折り畳まれた薄い水色の布に手を触れながら恵美が言うと、聖と煌は不思議そうに首を傾げた。


「それぞれ、上手く使ってあげたら良いと思うよ。みたらし団子とか餅でも色々あるし」


  薄い水色の布はエプロンとして恵美の服の上に装着され、長い髪が邪魔にならない様に同色の布が頭部を覆う。


「凄い…。これも衣装部屋のみんなが?」


  こんな、いつ使うかも分からない衣装さえも彼女達は作っていたのだろうか…。

  恵美が驚きの声をあげてクルクル回りながらフワリと弧を描くエプロンを見たり、頭に手をやって触ったりするのを微笑ましく見つめながら聖は頷く。


「そうだよ。だから色々着てあげると良いよ。彼女達が喜ぶから」

 

  益々恵美はちゃんとお礼を言いに行かなきゃと、強く思った。


「恵美、これからどうするの?」


  臼にふかし布から出したもち米を入れた煌がクルクル回る恵美に問いかけた。


「あ、ごめんごめん。まずもち米を潰すのね」

「うん」


  聖から杵を受け取り、思わずよろめいた。


「え、恵美?」


  大丈夫?二人は言外に問う。


「だ、大丈夫。意外と重かった…」


  杵を湿らせると恵美は説明し始めた。


「こうやって、体重をかけながら…」


  臼の周りをまわりながら、杵で体重をかけて恵美はもち米を潰していく。

 

「時々、手水も入れて、もちが付かないようにしてこねて…」


  煌がひっくり返そうとしたので「待って」と、恵美はすかさず止めた。


「まだ早い。こう、外から中。外から中へ集めるようにこねて」


  言われた様に煌は素早く行う。

 

「そうそう。で、ひたすら潰して…」

「恵美、変わるよ」

「うん。ゆっくりしてね?」

「わかった」


  笑顔で応えると聖は杵を受け取り、恵美がしていた様にもち米の外側をメインに潰し始める。

  やはり力の差なのか、聖が魔力を上手く使えるからなのか、こね上がるのは早かった。


「うん。こね上がったら手水を沢山取ってひっくり返して後は餅の状態見ながらついてこねての繰り返しかな」


  リズム良くつき出す二人のスピードが段々上がってきた所で、恵美は再び待ったをかけた。


「また機械みたいに早くなってるからゆっくり」


  しばらく見守っていた恵美は煌と代わり、こねる。


「そろそろいいかな?」


  言うと恵美はつき上がった餅を餅取り粉の広がった台の上に乗せた。

  上からも餅取り粉を振るい、綿棒で均一の厚さに延ばしてしばらく放置し、その間にさっきつき過ぎた柔らかくなった餅を取り出してもらい、同様にして小さく千切っていくもの、大き目にするものとに分けていった。


「あんはある?」

「作ってない」

「じゃあきな粉と大根でいいかな…」


  大根をすり下ろしだし汁とみりん、醤油で沸騰直前まで煮て恵美は小皿に取った餅にかけた。


「あっさりとしていて美味しいよ。小さい頃おばあちゃんに作ってもらったの」


  二人に差し出し、自分はきな粉餅を作る。

  煌と聖はそれぞれ食べると「美味しい!」とガツガツ食べ始めた。


「あっさりとしていて美味しいよねー。きな粉餅もどうぞ。少し砂糖も混ぜてるから甘いよ」


  一度熱湯にくぐらせ、きな粉をまぶした餅を差し出す。


「甘いね」

「これも美味い!」

「聖、交互に食べたらずっと食べれるかも!」


  二人はそんな会話を交わしながら次々と餅をたいらげていく。


「こっちの餅はどうするの?」


  少し固まる迄待っていた餅を指して煌は聞く。


「んー。あ、そうだ」


  確か、以前聖達が経過の魔法とか使っていたのを思い出す。

  餅に軽く手を触れ、恵美は魔素の流れを感じイメージを興す。

  淡い白い光が餅を包み、程よい固さになる。


「これを切って焼き餅にしたらいいと思うよ。私も作っても?」

「もちろん!」


  フライパンにゴマ油をしき、切り餅を並べて焼き始める恵美を、きな粉餅やゴマや辛味大根と色々食べながら煌と聖は興味深そうに見つめた。


「あんを包めばあんもちだけど、溶けたチョコを入れても意外と美味しいよ」


  言われて二人は顔を見合わせると目を輝かせ、それならある。と、溶けたチョコを取り出し中に包むと頬張った。


「おー!」

「あと、ちゃんと餅とチョコを溶かしてミルクも入れて混ぜて形を整えて冷やしてココアをまぶすとまた美味しい」

「餅、万能!」


  煌は目をキラキラ輝かせた。


「はい、磯辺焼。これは甘くしてないよ」


  二人にそれぞれ出来立ての磯辺焼を渡した。


「ゴマ油と醤油が芳ばしい!」

「美味いー」

 

  二人がニコニコ食べる様を恵美も笑顔で見つめ、手伝って良かったと思い、ふと思いつく。


「あ、二人にお願いがあるんだけど…」


  急な事に二人は顔を見合わせ、真面目な顔になると先を促した。


「お餅私も貰っていい?衣装部屋のみんなにもあげたいのだけど…」


  申し訳なさそうに言う恵美に二人は口元を綻ばせた。


「もちろんいいよ」

「俺、持って行くの手伝うよ!」

「自分も手伝うよ」


  二つ返事でそう言うとさっそく二人はいそいそと準備を始める。

  側にいる料理長に恵美はウーロン茶かジャスミン茶みたいなあっさりとしたお茶の葉を用意して貰った。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎


  衣装部屋の扉の前に来た恵美は、備え付けられた金具でノックをする。

  扉はかなり分厚い一枚板で作られた物で手で普通にノックしたぐらいでは中に聞こえないから玄関にある様な金具が取り付けられていた。

  扉が静かに開けられ、女官がひょっこりと顔を覗かせる。


「はい…ッ⁈恵美様」


  部屋の主人がノックの主とわかり、女官は露骨に動揺し、慌てて扉を開け恭しく礼を取る。

  女官の声に中で作業をしていた者達も慌てふためき礼を取る。


「お久しぶりです。入っても宜しいですか?」


  エプロン姿のままの恵美は人好きのする微笑みを浮かべ、小首を傾げた。


「…あ、も、もちろんです!どうぞどうぞ」

 

  しばし見惚れた女官は慌てて恵美を促す。


「皆さんお久しぶりです。顔を上げて楽にして下さいね」


  礼を取ったままの女官達にそう言うと恵美は中に入る。続いてワゴンを押した聖と煌が続き、中に入ると再び女官は扉を閉めた。

  何事かと女官達は恵美達を見つめる。

  女官達の視線が一斉に集まる中、恵美は小さく息を吸い込みゆっくりと瞬きをして口を開いた。


「あの、いつも綺麗な衣装を用意して下さり有難うございます。エプロンも作っていてくれたみたいで…。こんな可愛いの、有難うございます」


  ガバッと勢い良く頭を下げた恵美に女官達は一瞬ぽかーんとなったが、衣装部屋の長がすぐに我に返ると首が取れるのではないかと言う程被りを振った。


「滅相もございません。そんな恵美様がわざわざお礼だなんて…。お気に召していただければもう、それだけで…」


  そのセリフに同意する様に一同首を縦に振る。

  恵美は顔を上げて首ふり人形と化した女官達を見渡し苦笑を浮かべ、煌と聖は失笑した。

  聖霊や聖獣にとって神格化した存在はまさに絶対に近い。

  まして自分達龍族の長が認め、伴侶に迎えた者だ。その忠誠心たるやかなり強かったが、恵美にはわかるはずがなかった。


「えっと…。あの、お礼を兼ねてお菓子を作ってみたんですが…」


  女官達に面食らいながら恵美は脇にずれ、煌と聖が持って来たワゴンを促す。


「少し休憩してお茶でもしませんか?」


  はにかんだ様な笑顔を見せる。

  聖が大きなテーブルを出し、お茶を用意し始め、煌もテーブルに次々と餅菓子を並べて行く。


「ひ、聖様、煌様、私共が致します」


  慌てて駆け寄る女官達を聖は笑顔で制する。


「いいよ?たまには。恵美が君たちを労いたいのに意味がない」

「恵美が作ったんだ。美味しかったよー」


  二人はテキパキと準備を進め、恵美は一言添えながら女官達に餅を渡して行く。

  恐縮しながら受け取った女官達は笑顔の恵美達に促されるようにして餅を頬張り、目を見開いた。


「美味しいー」

「初めて食べました」

「凄い…なかなか噛みきれない」

「こおばしい感じがまた…」

「あっさりとして食べ易いですね」


  女官達は口々に初めて口にする餅に感動した。

  きな粉餅、磯辺焼、辛味大根…比較的簡単に作れる物ばかりを用意したのにここまで喜んで貰えて、恵美は次はもう少し手の込んだ物が良いかなぁ…と内心申し訳なく思ったが、好みがあると思い甘めの物からあっさり味まで色々な種類を用意した。それが功を奏したのか、女官達が味の違いを楽しんでいるのを見ると恵美の顔も綻んだ。


「良かった。喜んでもらえたかな」


  菫色の瞳に星が宿る。

  女主人の微笑に女官達は目元を緩めた。

  女官達もだいぶ緊張が解れ、一人が話し始めた。


「そう言えば、恵美様の御婚礼衣装もご用意していますからね!」

「楽しみにしていて下さいね!すっごく綺麗ですから!」


  きゃあきゃあと盛り上がる女官達にきょとりとなった恵美は大きく首を傾げ、そばで女官達と一緒に餅を食べている聖を振り返った。


「結婚式とかあるの?」


  聞いてくる恵美に聖は目を白黒させながら面食らった。


「え?しないの?」


  むせる聖の代わりに無邪気な煌が尋ね、恵美は答えあぐねた結果聖に聞いてみた。


「聖は紫苑が生まれたらするの?」


  今更?と、言わんばかりの目で恵美を見つめしばし逡巡しゅんじゅんした後にハッと目を輝かせた。

 

「やっぱり見たいからしたい!」

「神様も結婚式したりするんだね」


  しみじみ言う恵美に食い付いたのは女官達だ。


緋瑛ひえい様や白玲はくれい様はよく人間に化けたりして人として結婚式をしたりしてますよ」


  意外なセリフに恵美は目を瞬かせる。

  白玲はまだ想像出来ても緋瑛が人に化けて一生を添い遂げるのは想像に難く、思わずうなってしまった。


「気に入った人間が居たらそうなさってますね」

「でも、御身分は隠されていますが…」

「翠羅様も浮いた話を聞きませんね」

「蒼司様はあの様な方ですしね…」


  そう呟き、女官達は顔を見合わせると破顔する。


「奇跡ですわぁー」


  異口同音に呟く。


「諦めなくて良かった…」


  目元が熱くなり、感涙を浮かべる者までいた。

  なんて大袈裟な…。

  思わず呟くと、女官達が潤んだ瞳で訴えかけてくる。


「彼の方が!」

「浮いた話一つ無かった彼の方が!」

「翠羅様でさえ浮いた話ぐらいあるのに!彼の方だけ!」

「ほんっとうに堅物で…」

「しかも龍族ですから尚更!」

「恵美様はほんっと奇跡なんですよ?」

「しかも姫神様ですし」

「衣装係で良かったー」


  女官達はひしと抱き合い感動に浸った。

  大袈裟な彼女達を尻目に恵美は聖の方を振り返る。


「これで断れなくなったね」


  肩を竦め、苦笑を浮かべる聖に恵美も苦笑を浮かべずにはいられなかった。


「蒼司様そう言うの嫌いそうだから恵美が断ると嬉々としてやらないだろうけど」

「それは女官達が泣くよ?」


  煌に釘を刺され、恵美は小さく溜め息を吐いた。




 ✳︎✳︎✳︎✳︎


  高い天井と等間隔で並び立つ豪奢な柱には一つ一つ見事な柄が彫られていた。

  蒼がしばらく進むと深い緑の髪をした美少女が恭しく礼を取り、蒼を案内する。


「よう来たな。ちょうど妾もそろそろ祝いに行こうかと思っておった所じゃ」


  開け放たれた扉の奥、まさに玉座に相応しい華美な装飾が施された椅子に腰掛けたエメラルドグリーンの髪と翡翠の宝玉を瞳に宿したビスクドールに似た美少女は笑みを刻んだ。


「祝い?」


  蒼は不思議そうに首を傾げた。


「ん?……まさかおんし…」


  細められた目はカッと見開かれ、蒼は益々怪訝な顔をした。


「子供が出来たのも知らぬのか!」

「は?」

「バカタレがぁッ!」


  ゴオォッと風が渦を巻き、翠羅から放たれる。

  側に控えていた者達は小さく悲鳴をあげ、蒼は片手を上げて風をいなす。


「なんで私でも知らない事をお前が知ってるんだ…」


  怪訝な顔で蒼は翠羅を凝視する。


「恵美の事なら何でもわかる様精霊に頼んでいるからな。抜かりはない」


  鼻を鳴らさんばかりに翠羅は得意げな表情で語り、蒼は呆れた様な目で見つめた。


「で、式はいつじゃ?恵美は元人の子ならばそういうのは早くした方が良かろう」


  気を取り直した翠羅は深く息を吐くと玉座で大きく足を組み替えた。


「…いや、すまん。そういう事ならまた後で来る」

「は?」


  今すぐにも踵を返しそうな蒼を翠羅は冷ややかに見つめた。

 

  まさか本当に…?

  本当に気付いていなかったのか?


  翠羅は怒りよりもいつもの蒼ならば気付くはずの最愛の変化に気付かない蒼に一抹の不安を覚えた。

 

「子供って…」

「おんし以外おらんだろうが」


  半ば呆然と言う蒼に突っ込む。


「だよな…。神産み?」

「そればかりは産まれねばわかるまい?」

「…だな」

「おんし…。大丈夫か?」


  思わず呟く様に言って組んだ足は下ろし、翠羅は身を乗り出した。

  儚げな笑みを浮かべた蒼は小さく頷く。


「…。また来る」


  今度こそ踵を返した。

  蒼の輪郭が一瞬ボヤける。


「っ…」


  思わず呼び止めようとした時、蒼は姿を消した。


「今のは…」


  まさか?いや、そんなはずは無い。


  翠羅は一度思いついたが、すぐに被りを振った。

  それはあり得ないからだ。

  彼はもう成長が止まっているはずなのだから…。




 ✳︎✳︎✳︎✳︎


「恵美」


  衣装部屋で女官達と話したり、衣装の事で依頼したりしていた恵美の元に蒼は現れるとそのまま抱き付いた。


「え?あ、お、お帰りなさい?」


  女官達は一斉に帰宅した主人に礼を取り、蒼は軽く手をあげ楽にする様促す。


「恵美は結婚式なる物はしたいのか?」


  恵美の頭に巻いた布を取りながら蒼は開口一番これまた恵美の想像の斜め上の発言をした。


「へ?」

 

  間の抜けた声は女官達のざわめきに掻き消される。


「子供を宿したのだろう」


  恵美の頭を撫で、頬を撫でる蒼ははにかんだ様な笑みを浮かべていた。

  蒼の発言に女官達は「やっぱり」「精霊達の噂は本当だったのね」などと口々に言い、騒めきに拍車がかかる。

  精霊達と会話を余りしない煌は大きく目を見開き、大きく息を吸って聖を見上げると聖は優しく微笑んでいた。

 

「そうなの?」


  しかし、当の本人はパチパチと瞬きをし、蒼を見上げている。


「……………」


  さすがに蒼や聖だけでなくその場の者達も唖然となった。

  煌などびっくりする事が連続すぎて訳が頭の中の処理速度が追い付いていなかった。

  しかし、恵美は元人の子であり別世界の人間。そうなればこちらの常識は通用しないのも仕方ない。

  当然、人ならざる身になって日も浅い。

  わからなくても仕方ないのではないか…。

  蒼は苦笑を浮かべる。


「ちょっとごめん」


  恵美のエプロンを外し、綺麗な刺繍が施された深いボルドーのブラウスをたくし上げようとする。


「ち、ちょっと蒼ッ⁈」


  ブラウスを上から抑えつけ、批難めいた目で蒼を見上げながら恵美は震える声で抗議する。

  女官達がきゃあきゃあ言いながら指の隙間がしっかり開いた両手で顔を覆う。


「見せて」


  真顔で言い募る蒼に恵美はギョッと顔をひくつかせる。


「は?ちょ、酔ってる?」

「一口も飲んでない」

「いま?って何を見るの?」

「少し臍の下辺りを」

「なんで?」


  首まで赤くした恵美は瞳を潤ませて蒼を見上げた。


「印がついてないか知らない?」


  言われて恵美は首を傾げ、服を上げ、スカートをずらした。


「…あ」


  臍の下、下腹部に花びらの様な形の模様がいつの間にかあるのを恵美達は見た。


「おめでとうございます」


  女官達は今度は恭しく床に片膝をついた。

  煌はまだよくわからず、口をパクパクと金魚の様に開けたり閉めたりしながら恵美の模様を指差し、聖と交互に見て聖は笑顔で頷いた。


「これが妊娠の印?」

「そうそう」


  言われて恵美は花びらの様な模様を凝視し、矢継ぎ早に質問した。


「これからお腹が膨らむの?」

「人はそうだな。エルフは余り目立たなかったと思うが」

「出産は?人なら十月十日とつきとうかと言われてるけど」

「エルフならば短い。八ヶ月程と聞いた覚えがある」

「流れる事は?」

「人やエルフならある」

「出産は人もエルフも同じ?」

「そう聞いている」

「聖霊は?」

「同じだ」


  質問をやめた恵美は頬を上気させたまま目を閉じ、両手で下腹部を包み込む様に触れた。

  意識を体内に集中させる。

  新しい命の気配に。

  まだ小さく、弱く脈打つ魂の仄かな光を感じ菫色の瞳を開いた。


「居た。けれども、あの子達ではない」


  まだあの子達の機は熟していない。

  ではこの子は…?


  恵美は首を傾げ、思案する。


「私たちの子だろう。どの子だろうと」


  蒼は恵美前に膝をつき、妊娠の模様に優しく口付け、恵美を抱き上げた。


「わ、ちょ、蒼…」

「恵美の世界の結婚は私にはわからないが、それが良いならそうするし、龍族ので良ければすぐに準備させよう。恵美はどうしたい?緋瑛が詳しそうだから聞いてみようか?」


  蒼の言葉に女官達の言葉を思い出す。

  そしてふわりと微笑んだ。


「わたしは、あなたに嫁いだんだもの。龍族のやり方で私を認めてくれたら嬉しいです。でも…式……かぁ」

「認める?」


  怪訝そうな顔で見つめる蒼にはにかんだ様な笑みを浮かべ、続けた。


「私は龍族じゃないでしょう?それにこの世界の者でさえなかった。だけど龍神の妻になるんだもの。みんなに認めてもらえるかなぁと…」

「誰かが認めるも何も…」


  瞬間、蒼の目に怒気が孕むのを感じ、恵美は首を振った。


「えっと、違う。なんて言うか、私で本当に良いのかな…って」

「私が決めたらそれが全てだ。龍族が否を言う訳がない。私の妻なんだから私が決める。しかも君の場合は誰も何も言えるわけがない。君は私より高位の神だろうからな。むしろ、私の方がいつか君が私の側から居なくなるのではないかと心配なぐらいで…」


  蒼はハッキリ断言し恵美を抱く腕に力を込めた。後半には消え入りそうな呟きを残して。


「それはないから安心して。生きている限り、側にいるから…」


  こてんと蒼の胸な顔を埋め恵美は嘆息する。

  ふと、結婚と言われたら構えてしまうのは仕方ないのだろう。

  恵美にとって、結婚は良い思い出がないのだから…。


「大丈夫。俺も聖も、女官達もみんな恵美が好きだよ?」


  恵美の不安を感じ取った煌のセリフに女官達も頷く。


「私は…」


  恵美の頬に蒼の輝く青味の帯びた銀髪がかかる。恵美の額に頬摺りをする様に顔を埋め、囁く様に蒼は呟く。


「頑なに初代の様にはなりたくなくて心を閉ざしていたが、恵美のおかげで少しは前を向けたと思う。いつも君が言ってくれるじゃないか。

  ずっと一緒に居るよ、と。私も君とずっと一緒にいたい。沢山楽しい事を一緒にしよう」


  言われて恵美は、自分もまた逃げていたのかなと気付いた。

  結婚式を土壇場でキャンセルを喰らえば、トラウマになるのは当たり前だと思う。

  蒼は長いトラウマを超えて恵美を選び、嫁に迎えた。

  次は恵美が結婚というトラウマを超える時なのだろう。

  菫色の瞳を閉じ、恵美は額に感じる蒼の温もりに深く息を吐く。

  蒼は優しい。

  嫌な思い出を、楽しい思い出として上書きしよう…と。

  そう言ってくれてるんだろう。

  恵美はゆっくりと目を開けた。


「そうだね。私はあなたの妻になるんだもんね」


  恵美の視線を受け、ゆっくりと蒼は頬を離した。澄んだアイスブルーの宝玉と淡い菫色の宝石が互いを映す。


「ありがとう。蒼。でもね…」

「うん?」


  意識が重く、引きずられる様な感覚を覚え、重くなる瞼をシパシパさせゴシゴシとこする恵美の手を蒼は赤くなる。と、握り止める。


「ごめん、急なんだけどすっごく眠くて眠くて…」

「わかった。落ち着いたらまた話そう」

「うん…」


  急激な睡魔に勝てず、恵美は蒼に身を委ねたまま引きずり込まれるように意識を手放した。

  規則正しい寝息を立て出した恵美を、大事に抱き締めた蒼は愛しそうに頬を寄せ瞬き一つ、ゆっくりとすると女官達に振り返った。

  主人の視線に女官達に緊張が走る。


「婚礼衣装の準備を頼む」


  いつもの堅い表情に戻った蒼はそう告げ、煌達を振り返る。


「二人共付いて来てくれ」

「はい」


  退出する蒼に煌は素早く従い、聖は女官に片付けを頼むと付き従った。


「蒼司様、恵美は?」

「眠っている」

「どこか悪いんですか?」


  そんな気配は感じられないのに…。

  足早に歩く蒼を煌は不思議そうに見上げる。


「エルフも人と大差なかったと記憶しているが、神格化した者の受胎、出産は初めてだからな…」

「恵美自身がまだ覚醒途中ですからね…」


  溜め息混じりに呟く蒼に聖は厳しい面持のまま言った。


神翳かみかげりかもしれんしな」

「ですね…」

「なるべく側にいるが、いれない時は…」

「俺がいます。恵美の守護者だから」

「自分もいますよ」


  二人の返事に頷くと、蒼は一瞬逡巡した後に口を開く。


「ツヴァイとテトにも伝えといて貰えるか?」

「わかりました」

「頼む」


  そう言うと蒼は口元を緩め、自室に戻った。

  部屋に戻った蒼は恵美をベッドに寝かせると自分は端に腰掛け、優しく頭を撫でた。

  身動ぎ一つせず眠る彼女に蒼は苦笑を浮かべた。


「海悠と愛結も呼び戻すべきか…」


  あの二人ならば翠羅同様、恵美の妊娠もわかっていそうだが、恵美の憂いを一つでも払うには呼び戻すべきではない。

  子どもが魔王ではない以上、悪魔達の関与は考え難い。

  ならばまだ大丈夫か…。

  蒼は小さく嘆息し、己の手を見つめた。

  彼女を守り抜くには、いささか自分では足りない気がした。

  四神最強と言われているが、まだまだ伸び代のある煌や原初の光が作った物と言われる海悠達の方が強さだけなら上だろう。

  さらなる力を…。

  それは求めるが、今ではない。

  恵美が不安定な今、自分まで不安定な状態にはなれない。

  蒼は己の手をぎゅっと握り締めた。


「…蒼……」


  囁くようなら小さな声に蒼は顔を上げた。

  恵美が薄っすらと瞼を持ち上げている。


「目が覚めた?」

「んーん。まだ眠い」

「無理はしなくていい」

「うん…。蒼も、無理はしないで」


  眠そうに目を細めながら、恵美は口元を綻ばせる。

  まるで蒼の心を読むように。


「私は無理はしてないから」


  頭を撫でられると恵美は気持ち良さそうに、まるで猫の様に目を細める。


「うん…。みんないるからね」


  恵美は両手を差し出し、蒼は苦笑を浮かべると優しく恵美を抱き締めた。

  にっこりと笑った恵美は蒼の背をポンポンと優しく叩き、再び寝息を立て始めた。


「かなわんなぁ」


  蒼は小さく肩を震わせ笑うと、恵美の頭を優しく撫で続けた。

短編終了ー。

短編の方が難しかった…。

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