三
決戦当日。
「さあ、ついにこの日がやって参りました! 町で人気を二分するカレー店『ガンジス軒』と『カレー屋かっちゃん』。この二店の将来が今、まさに審判されるのです!」
町の中央に位置する、正味な所はただの広い芝生敷きの空き地である『中央公園』に、司会のダミ声が大きく響いていた。適当に設置した音響装置が地味にハウリングを起こしている。
普段は子供達がサッカーやカバディをする位しか使い道の無いこのチンケな広場に、今日は町会費をふんだんに使った特設会場が設けられていた。
会場の最奥部に設けられたひな壇に長テーブルが用意され、そこに町民より特に選抜された五人の審査員がおごそかに鎮座していた。
そして。その斜め前に立ちマイクを握り締め司会進行を務めているのは、誰あろう越原源三郎町会長である。
「さて、ここで皆さんに今回の審査員をご紹介したいと思います。まずは、創業五十年の歴史を誇る、寿司割烹『はらほろ』の御主人、片岡巌さん!」
「おう! よろしく頼むぜ、べらぼうめ!」
ねじりハチマキを巻いたステテコ姿の男が立ち上がり、観衆に手を上げた。
「続いて、原幌町婦人会会長、斉藤和代さん!」
「本日はよろしくお願いするざます」
ウルトラセブンみたいなメガネを掛けた神経質そうな中年の婦人が立ち上がり、ふてぶてしそうに頭を下げた。
「本場中国の味を頑なに守る、中華『大陳飯店』の看板娘、陳明美さん!」
「あいやー、ヨロシクお願いアル」
髪をシニョンに纏めた美しい女性が紅いチャイナドレスのスリットも艶めかしく、優雅な物腰で立ち上がり、一礼した。
「いつも駅前で素敵な歌声を響かせている、原幌町が産んだローカルアイドル、原 ほろろさん!」
「ほろろで~す! 皆さん、今日はよろしくにゃん!」
ゴスロリファッションに身を包んだ少女が立ち上がり、舌っ足らずな口調で首を小鳥の様に傾げ、挨拶する。会場の極一部から、『ほ~ろり~ん!』と掛声が掛かった。
「そして取りを勤めますは、御ん歳なんと百四歳。はたしてカレーなぞ食わせて大丈夫なんでしょうか? 長老にして超老、餅田鶴亀さん!」
「よろしくお願いしますぢゃ」
翁の能面の様に見事な白髭を蓄えた、いかにも好々爺といった小柄な老人が立ち上がり、深々と一礼した。
「そして最後に、わたくし司会進行を勤めます、原幌町会長、越原源三郎でございます」
会場を包む割れんばかりの拍手の中。飛び散る汗もそのままにマイクを握る源三郎、油ギッシュな五十八歳。色々な意味で彼は輝いていた。
そんな町会長のいい加減なMCを聞くとは無しに聞きながら。ひな壇の右側に設置された天幕の中で一人、正良は寸胴鍋に視線を落として沈思していた。
『お前の理想と相手の理想、それを見極めた上でどうするか、二人で考えてみろや』
一昨日の夜に聞いた、父の言葉。
それを自分なりに解釈して仕上げた結果が、このカレーであった。
(とにかく、自分の全てをさらけ出す!)
彼が今カセットコンロで温めているカレー。
それは彼の情熱、理想、信念といった、思い全てを文字通り『煮詰めた』、これはもはや彼の分身とすら言えるものである。
(これを見れば、町のみんなもるーちゃんもきっと、俺の理想を理解してくれるに違い無い)
くつくつと煮える茶褐色のカレーに自らの思いを馳せ、正良は勝負の時を待っていた。
もちろん、その頃。
ひな壇の反対側の天幕では、瑠宇も同様に最後の仕上げを行いながら思案に更けていた。
「私のカレー、私の理想。正良のカレー、正良の理想……」
何やらぶつぶつと呟きながらカレーをかき混ぜる様は、まるで魔女が妖しい薬を作っているみたいで少し笑えるが、彼女は彼女なりに真剣に考えているのである。
「正良は素直で実直で単純だから、きっと自分の全てをさらけだす強烈なカレーを作るに違いないわ」
おお。さすがに正良よりも幾つかお姉さんである瑠宇は、彼の出方を完璧に予想しているではないか。
「お互いが冷静に判断できないのなら、むしろこの勝負は好都合、なのかな……」
一々自分の心境を確認する様に一人ごちながら、瑠宇は包丁とまな板を用意すると。
「とりあえず、この場は勝たせてもらうわよ、正良。二人の未来はそれから考えましょう」
手にしたゴーヤをリズミカルに切り始めた。
「おおっと! 二人のカレーがついに完成した模様です。早速持ってきて頂きましょう!」
源三郎の進行に合わせて、二人はステージの両端からそれぞれ五皿のカレーを抱えて現れた。会場が大きく湧き上がる。
三日ぶりに瑠宇の姿を目にした正良はほんの一瞬相好を崩しそうになったが、これは真剣な勝負である事を思い出し、敢えて厳しい視線を彼女に送った。
一方の瑠宇は、集まった大勢の町民達を見て、
『そんなに私達の悶着が楽しいのかしら? この暇人共は』
と激しい不快感に襲われ、その勢いでつい正良の事まで睨んでしまい、
『あらやだ、私そんなつもりじゃ無いのに』
と、すぐさま思い返したのだが、かと言って今さら笑顔に戻す事もできなかったので結局そのまま険しい顔でいる事にした。
そういう訳で、図らずとも結果的に冷たく睨みあう構図になってしまい、それを見た町民達はさらに盛り上がっていた。実に無責任な観衆である。
意を決した正良が一歩踏み出し、それを確認した瑠宇が数足遅れて歩を進めた。
そのまま無言でそれぞれのカレーを審査員に差し出すと、二人はまるで示し合わせた様に審査員の前に並び、
「お願い致します」
と、声を揃えて深々と頭を下げた。
審査員のテーブルに並んだ、二種類のカレー。
それは『カレー』という料理の懐がいかに深いかを表現しているのと同時に、二人の思考がどれだけかけ離れているかと言う事を、声無くとも雄弁に物語っていた。
正良の用意したものは、一般的なカレーの外観とは少々趣が違っている。
色は茶褐色と言うか、むしろこげ茶色。水分は少なく、もったりとした感じはカレールゥと言うよりもミートソースに近い。そのルゥを、丸い平皿に円盤状に盛りつけたサフランライスの上に、やはり一回り小さく円形に乗せ、トッピングとしてスライスアーモンドとレーズンが散らしてある。
明らかに、普通のカレーとは一線を画する様相であった。
もっとも、通常のカレーと掛け離れているという点では、瑠宇のカレーも同様である。
船形の深皿の右半分にご飯、左半分にカレールゥというのは良く見るレイアウトだったが、何とルゥの色が赤い。
しかも、そのルゥの反対側。ご飯の上にトッピングされているのは、鮮やかなグリーンが良く映えるゴーヤのソテーである。ルゥの赤、ご飯の白、そしてゴーヤの緑。それはまるでイタリア国旗を思わせる、実にカラフルでポップなカレーであった。
この、かくも趣を異にする二皿が、同じ『カレー』として運ばれて来たのである。
五人の審査員達も、さすがに緊張の色を隠せず神妙な趣きでスプーンを手に取り、まずは先に運ばれて来た正良のカレーをひと匙、口に運んだ。
「おおう!? こいつぁ一体どういうカラクリだ、べらぼうめ!」
最初に声を発したのは、寿司割烹『はらほろ』の主人、片岡だった。
「口の中で、スパイスの風味がまるで爆発しやがる! こんな鮮烈なカレーは初めてだぜこんちくしょう!」
「あいやー! これは凄いアル! まるで四川料理みたいに辛味が複雑で、それでいて嫌味無く爽やかで! これは凄いカレーアル!」
『大陳飯店』のミンメイも、彼に習って賞賛の言葉を発する。
「おおっと! いきなりの大絶賛です! では、ここでガンジス軒の高科選手にカレーの解説をしていただきましょう」
いきなり源三郎からマイクを渡された正良は一瞬躊躇したものの、『そうか、これはアピールタイムなのか』と瞬時に察し、解説を始めた。
「えー、今回僕が作ったのは、挽肉を主体としたいわゆるキーマカレーです。カレーは、やはり本場の味を尊重するべきだと僕は考えます。なので、インドやスリランカの味を再現するべく羊の挽肉を使い、重層的なスパイスの風味にこだわってみました」
「おうおう、それだけじゃあ説明がつかねぇな。この口ん中で爆発する感覚は、一体どうなっているんでぃ?」
自分の期待通りに食らい付いてきた片岡に、正良は改心の笑みを浮かべて答えた。
「はい。それは、スパイスを二種類の方法で使用しているからです。通常、カレーは各種のスパイスを粉末にして使いますが、今回それとは別にコリアンダー、クミン、それからマスタードシードと少量のブラックペッパーをホールのまま投入しました。それらを直接噛む事により、鮮烈な刺激を楽しむ事が出来ます」
「素晴らしい発想アル! これは伝統を尊重しつつも、それだけに収まらないという気概を感じる、素晴しい功夫アル!」
解説を聞いたミンメイがスタンディングオベーションで大きく手を叩き、絶賛する。それに釣られた観客も、大きく拍手をした。
――しかし、その一方で、
「でも、これは辛すぎるざます。『カレーは辛くて当たり前』という発想には、男尊女卑の封建的な思想が垣間見えて不愉快ざます」
と、かなり言いがかり的な意見を発する斉藤和代と、
「むにゅう~。刺激が強すぎて、ほろろには無理ですぅ~」
素直に好みを述べる原ほろろの様にネガティブな意見も見受けられた。
ちなみに、『長老』餅田鶴亀翁は一言も発する事無く、黙々とカレーを味わっている。
正良は予想以上に大きかった手応えと、その分やはり大きく戻って来た不安材料を心中に抱き抱えつつ、隣に立つ瑠宇の横顔を覗き見た。
しかし。瑠宇は別段表情を変える事無く彼の視線を受け流し、審査員達を凝視している。
そう。今度は彼女のカレーに対する審査が、まさに行われようとしていた。
「にゃ~! とってもカラフルで、かわいらしいカレーですぅ。お味は……うん、とっても優しくて、それでいてしっかりとした旨みもあって、すっごくおいしいですぅ~!」
「夏野菜がふんだんに使われていて、女性にとって嬉しい作りになっているざます。それに……この味のバランスの良さと、一体感は素晴しいざます」
先程正良のカレーを否定した二人が、はたしてと言うべきか瑠宇のカレーを絶賛していた。
「これは面白い展開になりました! さて、それでは今度は山本選手に解説して頂きましょう」
さすがに歳相応の落ち着きを持っている瑠宇は、渡されたマイクを手に淡々と解説を始めた。
「今回、私が一番拘ったのは斉藤さんの仰る通り、バランスです。『五味調和』を目指し、徹底的に味のバランスを追求しました」
そこまで喋った所で、瑠宇は初めて正良に視線を返し、不敵な笑顔でウインクをした。
彼女が用意したカレー。それは、正良のコンセプトとはまったく真逆の道を征く創作カレーだった。
「ルゥのベースは、トマトソースです。それをブイヨンで延ばし、色を壊さない様にターメリックを控えてスパイスを使いました。具材はナス、かぼちゃ、オクラ、ズッキーニなどの夏野菜をふんだんに使い、さらにゴーヤのソテーをトッピングしてみました。夏野菜にはカロチンやビタミンC、ビタミンEが多く含まれていて夏バテにも効果が高いので、このカレーは今の季節にぴったりと考えます」
瑠宇の解説を聞いた斉藤が、感嘆の溜め息と共にコメントをする。
「じっくりと炒めた玉葱の甘味、スパイスの辛味、ブイヨンの塩味、トマトの酸味に加えて、ゴーヤの苦味が織り成す重層的な深味はまさに五味一体。素晴しい味の組み立てざます」
「お野菜がいっぱいで、あんまり辛くなくって、とってもおいしいにゃ~!」
ほろろも満面の笑みを浮かべながら、斉藤に追従した。
もちろん、全ての審査員が絶賛した訳ではない。
「確かにバランスが良いってぇのは認めるがよぉ、こいつぁカレーらしく無ぇなあ。『カレーを食っている』ってぇインパクトが無ぇのよ、べらんめぇ」
「全くアル。これだったら何もカレーじゃなくて、ラタトゥユでも成立するアル。つまりカレーである必然性に欠けるアル」
スパイシーな魅力を全面に出している正良のカレーを評価した二人は、やはり瑠宇のカレーが気に入らなかったらしく、否定的なコメントを発している。
そして、これまで一言も発していない『長老』餅田鶴亀翁はというと……
やはり、黙々と瑠宇のカレーを食していた。