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『ガンジス軒』のせがれと『カレー屋かっちゃん』の娘が、お互いを賭けて勝負するという噂は瞬く間に町内に広まった。


 元々娯楽の少ない町である上に、『他人のトラブルが何よりも楽しい』という田舎者特有の歪んだ嗜好が輪を架けているのだろう。それは凄まじいまでの伝達力だった。

 そして、こういう話になると必ず『我こそが音頭を取ろう』と、地元の有力者みたいな人がしゃしゃり出て来るものなのだが……

 果たして今回もその定石に漏れず、原幌町会長の越原源三郎こしはら げんざぶろう自らが、何やら妙な使命感に駆られて名乗りを挙げ、勝負を仕切る事になった。 


 曰く。


 一つ 期日は二日後の日曜日。町の中央公園に設ける特設会場にて行う。

 二つ 審査は町会長により選ばれた五名の町民代表による審査にて行う。

 三つ 敗者は勝者の店に嫁ぐ事をその場にて宣言するものとする。


 もう町会長、やりたい放題である。

 後になって話を聞いた康一と佳代子は当然頭を抱えたが、そもそも原因を作ったのが当の本人である為、あまり強い事も言えない。それどころか、子供達は言わば自分達の代理戦争をするのであるから二人の思いはさらに複雑なものとなっていた。



 その日の夜。

「で、康一。あんた一体どうするつもり?」

 本日何十回目かの溜め息を吐きながら、ジントニックのグラスを傾けつつ佳代子が言った。

「どうするもこうするも無えだろう。こうなったらあの二人の好きにさせる他に、一体何ができるよ?」

 対する康一も、ワイルドターキーのロックをあおりながら答える。

「まあ、そうなんだけど、ねぇ……」

 バー『サイド3』に、どちらとも無く集まった二人は珍しく口論もせず、かと言って友好的に接する訳でも無く。カウンターにストゥールひとつ間を空けて座り、お互いに視線を合わせぬままぽつぽつと話し合っていた。

「しかし、あんたの所の正良君、見れば見る程あの頃のあんたにそっくりじゃないの。まったく、あんた息子にどんな教育したのよ」

「そりゃあお前、お互い様だろうがよ。そんな事より問題は……」

 グラスを置いた康一が、その日初めて佳代子の瞳を凝視した。

 対する佳代子も、康一の視線をしっかりと受け止めて彼の発した言葉、その続きを口にした。

「問題は、あの二人が『私達と同じ過ち』を犯さないか、って事?」

「……ああ」

「まあ、あの子らは、あの頃の私達よりはバカじゃあ無いとは思うけど……でも、もしも道筋を間違えそうだったら」

「そうだな。俺達が導いてやらねぇと」

 康一はグラスに残った酒を一気に乾すと、ぶっきらぼうにそう答えた。

 そこまで話すと二人はやはりどちらとも無く席を立ち、お互いが待つの家族の元へと帰って行った。

 カウンターに残されたグラスの氷が、『からん』と寂しい音を立てて崩れた。



 決戦前夜。

 その日の営業を終え、店内の清掃やこまごまとした雑用を終わらせた後。正良は一人厨房に残って勝負用のカレーを仕込んでいた。

 人参、ピーマン、セロリ、ニンニク、生姜、マッシュルーム、そして大量の玉葱をみじん切りにした後、フライパンに移してとろ火でじっくりと炒めてベースを作る。

 それとは別のフライパンで、ナツメグと塩胡椒で下味を付けた羊の挽肉を、やや焦げ目がつくまでしっかりと炒める。もちろんこの時、余計な脂を取り除いて臭味を消すのも忘れない。

「ほう。こいつで勝負に出るか」

「親父?」

 仕込みに集中する余り、自分が厨房に入ってきた事にすら気付かなかった正良を複雑な笑顔で眺めた後、康一は仕込みのフライパンに目を落として言った。

「今回は、その、何だ。手間かけさせて、すまねえな」

「や、それはいいんだ。結局俺達の喧嘩が最終的に引き金を引いちゃった様なもんだし。それより、どうしたんだ? そんなに改まってさ」

「ん~。まあ、なんて言うかなあ……」

 康一は暫くの間、ばつの悪そうな顔でフライパンを見詰めていたが、やがて意を決したかの如く正良に向かい、話し出した。

「お前には、俺と同じ失敗をしてもらいたく無ぇと思ってな」

「同じ、失敗?」

「ああ。もう三十年近くも前の話だ。まだ、俺と佳代子が『一緒に所帯を持とう』って甘っちょろい夢を見ていた頃の、な」

「な、何だって!?」

 父の発した言葉に、正良はあたかも心をぶん殴られたような衝撃を受けていた。


 その頃――

 瑠宇も同じ様に、その日の仕事を終わらせた後、厨房にて決戦用カレーの仕込みに汗を流していた。

 フライパンで玉葱とニンニクを飴色になるまでじっくりと炒め、その中にホールトマトの水煮を投入して、更に煮詰める。ここまでの様相はカレーというよりトマトソースそのものである。

「ふうん、これで勝負するのか」

「あ、お母さん……」

「まったく。あの時の私と同じ事を考えるなんて、血は争えないねえ」

「あの時って、何?」

 豆鉄砲を食らったハトのような表情で問う娘に、母は自嘲的な笑みを浮かべて答える。

「もう三十年も前になるかねぇ。康一と勝負したのよ。『どっちのカレーが二人で出す店に相応しいか』、ってね」

「……は、はい?」

「むかぁし、ね。付き合ってたのよ。康一と。それこそ、今のあんたと正良君みたいに『二人でカレー屋を出そう』って、毎晩話し合ってた」

 瑠宇は母の放った言葉を、まるで魂を奪われた様に呆然と聞き入っていた。


 一方のガンジス軒でも、まさに康一が佳代子との馴れ初めを正良に語っていた。

「俺と佳代子はな、東京で出会ったんだ。一緒の食堂で働いていてな。同郷だって事で意気投合して、いつしか付き合う様になった。俺も奴もカレーが何よりも好きだったからな。いつか一緒になって地元にカレー屋を開こうなんて、毎日話し合っていたよ」

「……なんか、今の俺達みたいだ」

「ああ。しかし俺達は結局、意見が合わずに別れた。お互い、自分の理想のカレーを押し付けあって退かなかったんだ。今にしてみりゃあ、バカな話よ」

 淡々と自分の過去を話す父の言葉はしかし、ことごとく正良の胸を抉った。

「そりゃあ、まるで本当に……」

「まったくよぉ。お前らを見てるとな、まるであの頃の俺達そのまんまだ。お前、あれだぞ。このまんまだと俺みたいに、『別れた後に散々修行して、地元に帰って来て店を開こうと思ったら奴が他の男と所帯を持って、すでにカレー屋を始めてた』なんて目に遭うかもしれねぇぞ」

 康一は、困った様な顔で自分の顔を覗き込む正良に少し寂しそうな笑顔で応えた。


「まったく。あの頃は私も康一も、今より更に負けず嫌いでねぇ。『こうなったら、お互い理想のカレーを作ってはっきりさせよう』なんて話になったのよ」

「それじゃあ、まるで」

「そ。いまのあんた達と一緒。あの時も、こんな暑い日だったわ。私は夏野菜をふんだんに使ったカレー。奴は本場のスパイスを思いっきり効かせたカレーだった」

「で、どっちが勝ったの?」

「そんなもん、どっちも勝てる訳無いじゃない。お互い相手を認めようとしないのよ?」

「あ……」

 瑠宇はその時初めて、母が本当に言いたい事。その一角を垣間見た様な気がした。


「ま、今回の勝負はお前、もしかしたらちょうど良かったかも知んねぇぞ? お前の理想と相手の理想、それを見極めた上でどうするか、二人で考えてみろや」

「……親父」

 そこまで話すと、康一は正良の背中を平手で大きく叩き、発破を掛けた。

「だが、勝負は全力で勝ちに行けよ? これは店同士の勝負でもあるんだからな」

「そりゃあ、もちろん手は抜かねぇよ」

「いいか、夏の野外で食わせるんだ。スパイスはいつもよりも強めに使えよ。味の輪郭をはっきりさせるんだ」

 何だかんだ言いながら最後にきっちりアドバイスを残しつつ、康一は外に出ていった。大方サイド3にでも行くのだろう。

「……ありがとうな、親父」

 正良は、後ろ手に扉を閉めて出て行った父の背中に、聞こえるか聞こえないか位の小さな声でそう言った。


「もしかしたら、今回の勝負はお互いを見詰め合う良い機会かもしれないわよ? この頃のあんた達は、明らかに舞い上がってたからねぇ」

「なっ!? 舞い上がってなんかっ」

「まあ、くれぐれも私達みたいな失敗はしない様に、ね」

 いたずらっ子の様な瞳で自分を見詰める母に、瑠宇はささやかな反撃の意味も込めて聞いてみた。

「ねえ。もしかしてお母さん、今でも康一さんの事……」

「あはは、それは無い無い。今は、お父さんとあんたが一番大事。アレとはそうね、『くされ縁』って言葉が一番しっくり来るかな?」

 瞬時に笑い飛ばす母を、瑠宇は何故か安心した様ながっかりした様な複雑な表情で見ていた。

「さ、そんな事よりもちゃっちゃと仕込み終わらせなさい。一応言っとくけど、これはガンジス軒とかっちゃんの勝負なんだからね。負けたら承知しないわよ?」

「ん。わかってる」

「このカレーは、バランスが全てだからね。辛味を効かせすぎちゃあ、ダメよ」

「はい」

「よろしい。じゃ、お母さんは飲みに行ってきま~す」

 ひらひらと手を振りながら店を出て行く母の背中を、瑠宇は滲んだ視界で追っていた。

 何故か流れてくる涙の理由は、彼女には解からなかった。



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