Tragic love
唇に灯る熱は、行き場がなくなってもどかしい。言いたい言葉を口の中でグルグルさせて、それから飲み込んで。この作業を私は先ほどから何回繰り返しているのだろう。
好き、
その一言が言えないのは、私が臆病だからか。それとも、この環境のせいか。
「お嬢様、そろそろ着きますよ。お支度なさって下さいませ」
もどかしい唇を一舐めして、私は馬車から降りる準備を始めた。
言いたかったその一言を吐き出せないまま、私はまた後悔する。
私の恋しい人は、執事である。私直属の、執事である。
自らの立ち位置にいつも腹が立つ。オジョウサマとシツジ。その肩書き本当にいらないから。
生まれ変わったら平民になりたい、と常々思うのは贅沢なのだろうか。
私はリコリス・フリークル。この国の貴族社会の中で最もチカラを持つ名家、フリークル家の末娘である。上に姉が3人と兄が2人いる。全員家庭持っちゃったけど。
21歳の私はあちこちで結婚の話が持ち上がっているのだが、今のところそれらをどれ1つとして承諾させるつもりはない。
だって、好きな人がいるから。
イノリ・ノアル。30歳。私の執事で、身の回りのことを一通りやってくれている。
約10も年の離れている私に対して、おそらく彼は恋愛感情なんて欠片も持ち合わせたことなどないのだろう。酒の飲みすぎで社交パーティの帰りの馬車でゲロったこととか、パンツ丸見えで転んだこととか、色気のない話しか私には無いし。
イノリはヘラヘラといつも作り笑顔を貼り付けている。たまにふとしたときに本気で笑っているのを見ると、すごく嬉しくなる。
「お嬢様のお世話をするのは、一応僕の仕事ですからね」
よくその台詞を聞くのだけれど、それを聞く度に胸が痛む。
――あぁ、仕事……なのか。
仕事だからその笑い方で、仕事だから私に接してくる。その事実が辛くて、嫌になる。
「さて。お嬢様、お家に着きましたよっと」
お手を、と手を取るように促されて、当たり前のように私はそれに自らの手を重ねる。
フワッと握られて、そこに身体中の熱が集中したような錯覚に陥った。
「あったかい、けど冷たいなぁ」
ふと出たその呟きは彼の耳にも届いていたようで、苦笑しながら「どっちなんですか、それ」と返してくれた。
「手はあったかいんだけど、笑顔が冷たいんだよね。イノリは」
私がそう言うと、「お嬢様手厳しいなー」なんてケラケラ笑いながらふいっと視線を逸らされた。怒らせてしまっただろうか。
「イノリ、好きだよ」
やっと言えた。
そう思ったのに、困った顔で彼は言う。
「お嬢様。俺以外にそんな風に言わないで下さいね?俺じゃなかったら誤解して期待してしまいますよ?」
待ってた言葉はそれじゃないのに。
泣きそうになりながら私は彼の言うオジョウサマとしての顔を作って馬車を降りた。
叶わない恋。敵わない人。
私は恋愛に恵まれないらしい。