第9話
お久しぶりです。いろいろあって遅れてしまいました……
「ニホン軍による宇宙利用は格段に進んでおり、この分野において我々は、比較対象にすらならないほどの差をつけられています」
まず最初に軍事部門室長はそう言った。バルツェル共和国は未だに宇宙ロケットすら打ち上げられていない以上、その言葉に誰も反論することはできないだろう。
「ニホンは軍民問わず、人工衛星と呼ばれる人工天体を軌道上に展開しており、様々な用途で使用しています」
資料の人工衛星を説明するページでは、何種類もの衛星が記載されていた。
「主要なものでは情報収集衛星や通信衛星、GPS衛星、気象衛星などが挙げられます」
軍事部門室長は軍事利用の衛星について報告を始めた。
「情報収集衛星は、高解像度の光学センサーや赤外線センサーなどの電子機器を用いて、地上や海上の情報を得ることを目的としています。その性能は極めて高く、一説によれば地面に置いた新聞の見出しを読むことができるほど、とのことです」
「なんてこと……。じゃあ、ニホンは私達のことを遥か天空から常に見張っている、ということかしら?」
「その通りです。実際、情報収集衛星によって得られたデータから我が国の精巧な地図まで作成し、まるで航空写真のように撮られた衛星写真まで存在するようです。そして、そのデータや写真が一般の日本人の目にも晒されているとか」
「………………」
あまりにもあんまりな惨状に言葉も出なくなる。こちらの重要施設の尽くが把握され、常に監視されているのだ。先述の日本のコンテナ搭載型の新型無人戦闘機が持ち込まれでもしたら、瞬く間に首都機能が麻痺せしめられることだろう。
「ニホン軍は情報収集衛星から得られた情報を元に精緻な作戦を立てています。彼らの作戦行動の正確性や迅速性の一因として、この情報収集衛星があると結論づけることができます」
情報収集衛星による情報収集は自衛隊の戦略的優位性に大きく寄与している。バルツェル共和国が脅威に感じるのも当然であった。
「次に通信衛星です。これは通信を中継することを目的とした衛星です。通信をこれでリレーすることにより、星の裏側にまで通信や放送を届けることが可能となります。軍事利用に注目しても、遠隔地で活動する無人機への指令通信に利用されています」
「安全なニホン本国から無人機に対して敵地攻撃を命じられるわけか……」
クーホルン少佐はより無人機への危機感を強くしていく。知れば知るほど、悪夢のような未来……無人殺戮機械による戦争、日本人が戦場に立たない戦争が現実になろうとしていると感じられるからだ。
「次にGPS衛星について説明します。これは宇宙より正確な測位情報を提供することを目的とした衛星です。これにより、自分が今どこにいるのか、目的地までどのくらいの距離があるか、といった情報をリアルタイムで受け取ることが可能となります。これをニホンではGPS……グローバル・ポジショニング・システムと呼称しているようです。これは航空機や船舶の航法システムや自動車のナビゲーションシステム、さらには個人用のナビゲーションサービスまで、様々な用法で使用されています」
日本は独自のGPS衛星『みちびき』を打ち上げている。これらがカバーしているのは日本国内やその周辺のみであるが、その精度は高く、自動運転などにも利用されている。
転移時には『みちびき』の大部分が転移に巻き込まれたこともあり、復旧自体は早かった。復旧後、日本はオルメリア大陸も網羅できるように追加でGPS衛星を急ピッチで打ち上げ、大陸諸国との間の航空機や船舶の往来のためのインフラを整えていた。これが後の中部オルメリア戦争において自衛隊の作戦行動を支える結果となったのだ。
自衛隊の兵器とてGPSを用いるものが多く、GPSが使用不可能であれば作戦行動に大きな支障が出るのは明白だった。急いでGPS衛星を追加で打ち上げ、急速にGPS網を拡張したのは英断だったと言えよう。……その分、情報収集衛星や気象衛星の数が不足するという事態にも陥ったが。
「GPSは軍事利用を行われており、軍用機や軍艦、軍事車両などの航法システムやナビゲーションシステムに用いられるだけでなく、ミサイルや誘導爆弾のための誘導システムや砲撃支援システムなどにも使用されています。このGPSは、ニホン軍による攻撃が極めて高精度である一因と考えられます」
バルツェル共和国軍は先の戦争において、自衛隊の高精度で効率的な攻撃に悩まされた。高脅威・高価値目標から次々と破壊され、バルツェル共和国軍は丸裸にされてしまったのだ。その大きな一因と考えられるとあって、かなり深刻な脅威であると軍事部門室長は受け止めていた。
「次に気象衛星です。これはその名の通り、宇宙から天候を観測し、天気予報に役立てるための情報を収集する衛星です。ニホンでは気象衛星を用いることにより、我が国よりも高精度な天気予報を行っていると考えられます。主に民間利用のための衛星ではありますが、天候は軍事作戦にも影響を及ぼします。いち早く正確な天候情報が得られるというのは、無視できない差となり得るでしょう」
彼の言う通り、軍事作戦において天候は重要なファクターだ。晴天時と雨天時では索敵能力に差が出ることもある。雨で道に泥濘が生じれば、移動に支障をきたすこともあるだろう。
そういったことを予測するための情報が迅速かつ正確に届けられることは、一種のアドバンテージに足り得る。日本はそういった点でもバルツェル共和国の先を行っているのだ。
「以上が主要な人工衛星による宇宙利用になります。これらの点だけでも宇宙利用が大きな価値のあるものだというのが理解できると思います」
軍事部門室長のその言葉には、クーホルン少佐もリーリアも首肯する以外になかった。軍事利用目的だけでも大きな価値のある事業であるのは確かだが、民間利用にまで拡大すれば、より豊かで便利な社会を築く一助となるだろう。
「だが、それにはまだまだ多くの研究と投資が必要となるのだな?」
「その通りです、少佐。我々は宇宙ロケットの開発については基礎研究段階です。人工衛星の開発と配備には、さらに多くの時間がかかると思われます」
宇宙開発は現状のバルツェル共和国にはハードルが高いのは明白だった。技術的なことはもちろんだが、経済的にも費用を捻出できるか怪しいものだ。
バルツェル共和国は先の敗戦(公式には戦勝だが、一般市民を含めて誰も信じていない)により、陸海空の全ての軍の戦力が大きな損害を受けている。失われた軍備を補填するだけでも莫大な費用と時間が必要になるが、それだけではない。新兵器の開発事業や配備にも莫大な予算が必要になる。さらに敗戦によって有望な資源調達源だったアーカイム皇国領を失い、経済的な打撃も計り知れない。
そのような状況下で長い目で見なければならないような事業を始められるかというと、なかなか難しいものがあるだろう。バルツェル共和国にはそのような余裕はない。
「また、仮に配備したとしても、軍事利用については有事にはニホン軍からの妨害も有り得ます」
そう言って、軍事部門室長は日本の‘とある衛星’について説明を始める。
「ニホン軍はキラー衛星と呼ばれる軍事衛星を保有しています。これは何らかの手段により、敵対勢力の人工衛星を破壊または機能停止させることを目的に開発・配備されたものです。当然ですが、ニホンが元々いた世界におけるニホンの仮想敵国は人工衛星を保有していた可能性が高く、そのための装備なのだと思われます。……つまり、ニホン軍は敵の人工衛星に対する対抗手段を持っているわけです」
人工衛星の有効性を日本はよく理解している。だからこそ、敵の人工衛星を無力化する手段も持っているのは当然のことだった。まぁ、キラー衛星が配備されたのは比較的最近の話ではあるが。
「なるほど……やはり簡単にはいかないわね」
リーリアは祖国の置かれた現状を改めて理解し、そして苦い表情を浮かべる。バルツェル共和国政府上層部や軍上層部は、平然と『日本に対抗できる軍備を整えろ』と無茶振りをしてくれるが、現実はそう甘くない。正面装備から後方支援まで、あらゆる点で短期間で対抗などできるはずもなかった。
そして、バルツェル共和国側はまだ知らないが、日本はこの世界での宇宙の覇権を確固たるものとするため、日本独自の宇宙ステーションの建設も計画していた。そのための研究もJAXAで積極的に行われている。
……つまり、バルツェル共和国が宇宙に手を出せるような段階に至ったとしても、その時には日本が宇宙覇権を握っている可能性があるわけである。宇宙開発・宇宙利用の利益が明らかになったバルツェル共和国側からすれば、到底受け入れられない事実となるだろう。
「最後になりますが、ニホン軍の戦略兵器についてご紹介します。……と言っても、大半がこれまででご紹介したものになりますが」
国家戦略研究所が自衛隊の戦略兵器と指定したのは、航空母艦や早期警戒管制機、軍事利用目的の人工衛星などであった。これらはこれまで紹介されてきたものだ。
しかし、それ以外にも目を引くものがあった。
「……核兵器」
リーリアはその言葉を見て、忌むべきものを見るような表情を浮かべた。この兵器について、彼女はある程度の知識を得ていた。
バルツェル共和国が日本に対抗すべく開発中の最終兵器。核分裂反応を利用した強力無比な爆弾。それが核兵器だ。
「ニホンも我が国と同様に核兵器の開発を行っているようです。しかし、ニホンは我々とは状況が大きく違います」
日本が核兵器の開発に邁進していることは日本国民のみならず、大陸諸国の市民にも知れ渡っていた。そして、その理由も。
当初、バルツェル共和国は核開発計画のことを極秘計画としていたが、日本側が当たり前のように把握していることを確認すると、あっさりとバルツェル共和国市民にも公表した。敵国にバレている以上、隠蔽は無意味であり、むしろ国威高揚や威嚇のために公表した方がメリットがあると判断したのだ。
その結果、日本とバルツェル共和国の二大強国(と、バルツェル共和国では認識している)の間で核開発競争が起きることになったのだ。バルツェル共和国としては、日本に対して唯一アドバンテージが確保できるかもしれないとあって、厳しい財政状況であっても莫大な特別予算が編成されている。
しかし、そんな核開発であっても日本はバルツェル共和国と状況が異なっているらしい。
「まず、我々が認識を改めねばならない点は、我々が現段階で手探りで研究開発を行っている核技術は、ニホンにとっては既に枯れた技術である、ということです。ニホンが核兵器を保有していなかったのは政治的な理由によるものであり、実際、ニホンは平和利用目的での核開発・核利用を行っています」
「……というと?」
「ニホンには原子力発電所という核分裂反応を発電に利用した発電所が各所で稼働しています。20年以上前に起きた事故が原因で数こそ減っていますが、今でも利用され続けています」
東日本大震災で事故を起こし、運用に厳しい目を向けられるようになった原子力発電所であったが、結局2034年になっても延命や建て替えを続けながら運用され続けていた。この時代になっても再生可能エネルギーは安定供給が難しく、また温暖化対策にも世界の目が厳しくなってきており、さらにはエネルギー政策の観点からエネルギー源の多様化が必要という考えから使用され続けていたのだ。
無論、政府とて原子力発電所の危険性は認識しているし、このまま利用し続けることにも問題意識はある。だからこそ、原子力発電の後継とも言える核融合発電の研究開発に国家規模で力を入れている。
核融合発電は原理上、放射性廃棄物の排出はなく、メルトダウンも起きないクリーンな発電方法だ。それでいて発電量も極めて高い。つまり、原子力発電は核融合発電が実用化するまでの繋ぎとして利用されているわけだ。
「核反応を発電に使用するというのは、単純に爆発させるだけで良い核兵器よりも高度な技術が使用されています。……つまり、ニホンは核兵器を本気で持とうと思えば、短期間の内に開発・配備が可能なポテンシャルを持っていたわけです。実際、ニホンは2年後を目処に核兵器の配備を行うと公言しています。……我が国はどんなに急いでもニホンより先に配備することなどできないでしょう」
日本の核兵器開発は順調に進んでいた。元より枯れた技術である上、極秘裏に研究を続けてきた積み重ねがあったのだ。最近になって必死に研究を推し進めているバルツェル共和国が大差が開けられてしまうのも仕方のないことだった。
そして国家戦略研究所は、日本が投射手段についてもバルツェル共和国より先を行っていることを掴んでいた。
「ニホンは弾道ミサイルと呼ばれる、大気圏外まで飛翔する大型ミサイルの弾頭に核爆弾を搭載し、敵国に直接投射するという計画を打ち立てているようです。……もっとも、これはニホンのいた世界ではポピュラーな投射手段だったそうですが」
バルツェル共和国は現段階で航空機による投下を想定しているのに対し、日本側は小型化・高威力化によって弾道ミサイルや巡航ミサイルに搭載することを想定していた。元より日本のロケット技術は高く、弾道ミサイルは宇宙ロケットと性質が似通っている。さらに、日本は前世界においても有数の大気圏再突入技術を誇っていた。有名どころの実績で言えば、小惑星探査機『はやぶさ』の大気圏再突入が挙げられるだろう。
つまり、日本には弾道ミサイル開発のための要素技術は十分に揃っているのだ。それが日本とバルツェル共和国の間の大きな差として横たわっていた。
「そして、ニホンはその弾道ミサイルに対しても対抗手段を有しているようです。それがBMDシステム、またはMDシステムと呼ばれる迎撃システムです」
BMDシステム、またはMDシステムと呼ばれるシステム。これは軍事にさほど詳しくない日本人でも、そういうものがあるということは知れ渡っている代物だ。
「ニホン軍は大気圏外を飛び、さらに高速で再突入してくる弾道ミサイルを迎撃する技術を持っています。それを可能とする装備が、先のニホン海軍の説明の時に紹介した防空巡洋艦です」
「まさかとは思うが、ニホン海軍の防空巡洋艦は大気圏外の飛翔体すらも撃墜できるというのか?」
クーホルン少佐の問いに軍事部門室長は頷いた。
「その通りです、少佐。ニホン海軍の防空巡洋艦はその強力なレーダーと電子演算性能により、高度かつ正確なミサイル誘導を可能としています。これにより弾道ミサイルの弾道を計算し、その予測弾道経路上に向かって迎撃ミサイルを発射、弾道ミサイルを撃墜するという任務を付与されています」
前世界において、日本とアメリカは強力なミサイル防衛網を構築していた。それがイージスシステムを用いた迎撃システムだ。元々艦隊防空システムとして設計されていたイージスシステムは、弾道ミサイル迎撃に対しても一定の有効性を見出だされたのだ。
「さらにニホン軍は地上にも防空巡洋艦と同様のシステムを備えたミサイル迎撃基地を設置しており、四六時中、ニホン本土の迎撃体制を維持しています」
日本には2ヶ所のイージスアショアが存在する。これにより、海上自衛隊のイージス艦が従来任務に専念できるようになった。イージス艦を常に日本海に張りつかせておくことは、従来の任務にイージス艦が投入できなくなることを意味する。それを解消したのだ。そして、いざというときはイージス艦とイージスアショアの双方を用いてミサイル防衛網を重層化できるわけだ。
「また、それらとは別の迎撃ミサイルシステムの『パトリオット』も装備しており、ニホンのミサイル防衛の厚みを増しています」
自衛隊は弾道ミサイル迎撃のためにパトリオットミサイルも装備している。迎撃範囲は限定的だが、最後の砦としての役割には十分な性能を持っており、国防上の重要拠点に重点的に配備されている。
イージス艦・イージスアショア・パトリオットミサイル、その他にも情報収集衛星や早期警戒衛星などを諸々含めてのBMDシステムなのだ。
「ニホン軍のミサイル迎撃能力は極めて高く、この分野については我が国は足元にも及びません。そもそも着想すらされていないのですから。……我が国が仮に核兵器開発に成功し、配備を進めたとしてもニホンに対して優位に立てると思わない方が良いでしょう」
軍事部門室長の出した結論は、政府や軍上層部にとっては受け入れがたいものだった。本来、経済政策や軍備補填などに使われるべき莫大な予算を注ぎ込んで核開発を行っているにも関わらず、それがアドバンテージ足り得ないというのだ。
「無論、無意味とは言いません。確かにニホンに対峙できるだけの力となるはずです。……ですが」
その先を言い淀む軍事部門室長。リーリアやクーホルン少佐には、彼の言いたいことがよく分かった。
結局、日本と対峙した先に、いったい何を得られるというのか。
それが軍事部門室長には分からないのだろう。仕方の無いことだ。なにせリーリアやクーホルン少佐にだって分からないのだ。
バルツェル共和国は今、日本と並び立とうと一生懸命に背伸びをしている状態だ。しかし、根本的な国力の差がありすぎて、無為に体力を削っているようにも思えてしまう。
このままでは日本に対峙する前にバルツェル共和国は自壊してしまうのではないか?
そんな危機感が強まっているのだ。対日本のための兵器開発に莫大な予算をかけても、それによって生み出される兵器は日本製兵器に遠く及ばない。そして、政府が兵器開発に傾倒していくにつれて国民の生活は急速に厳しくなっていく。
政府は短期間で日本と並び立とうと考えているようだが、現実はそう甘くない。それができるだけの体力をバルツェル共和国は有していない。
日本と敵対できるだけの力はバルツェル共和国には無いのだ。だからこそ、リーリアは日本との融和を普段から訴えている。勝てないと分かっている相手なのだから、争わないようにすればいい。そういった意見は政府の主流派からは煙たがられているものの、一定の勢力を誇っている。敗北によって目が覚めた政治家達もいるにはいるのだ。弱小勢力だが。
「……報告は以上となります」
なかなか濃い内容の分析報告だった。リーリアもクーホルン少佐も、報告した本人である軍事部門室長もそんな感想を抱いた。
「……これを踏まえて、我が国はどのように舵取りをすればいいのかしら」
リーリアはそんなことを呟く。そもそもこの報告は国家方針を定める材料とするという目的で行われるものだ。報告内容から方針を考えるのも、政治家であるリーリアには当然課せられる義務であった。
「少なくとも、ニホンを刺激するような方針は避けるべきでしょう」
軍事部門室長はそう提言する。それにはリーリアも全力で同意せざるを得ない。日本は強大ではあるが、こちらから無為に刺激しなければ、ただの平和的な性格を持つ国家だ。無論、日本の経済的侵略は危険であるが、それは日本との貿易を制限すれば対応できる。
直接的な敵対はせずとも馴れ合わず。
バルツェル共和国政府が望む、バルツェル共和国勢力圏における日本の影響力の排除と、リーリア達のような融和派が望む日本に対する非戦の折衷案だ。
融和派にも、リーリアのような日本との友好を望む者もいれば、日本に関わりたくない一心の者もいる。同じ派閥でも温度差があるわけだ。
そして、それは主流派でも同じだ。日本に対して本気で敵対しようという者もいれば、直接的対立には消極的な者もいる。現大統領のドラン・パンジャンはどちらかというと後者側に属するが、前者側の意見を持つ者達の力も強く、政府としての舵取りは些か迷走しているようにリーリアには見えていた。
そういったあらゆる考え方の者達がギリギリ妥協できるラインが『直接的な敵対はせずとも馴れ合わず』という方針だ。
「少なくともオルメリア大陸では、我々は大きく動くことはできません。講和条約に定められた事項を粛々と執り行っている間は、ニホンやその同盟国もこちらに手出しすることはないでしょう。……油断はできませんが」
クーホルン少佐がそう述べた。バルツェル共和国は講和条約に従い、アーカイム皇国領との間に非武装地帯を設置し、また被害を受けた大陸諸国に賠償金相応額の資源を供出している。そして、旧ベールニア連邦領に対する自治権の付与もこれから段階的に進められていく。
少なくともそれらを真面目に執り行っている間は安全なはずだ。……もっとも、これらがバルツェル共和国内の保守派や国粋派を怒らせている要因でもあるのだが。
「となると、オルメリア大陸では国境警備と治安維持の強化が主な方針となるわね」
「その通りです。……先の敗戦……いえ、‘偉大なる勝利’以降、旧ベールニア連邦領では反乱の気運が高まっています。自治権が付与されるということである程度落ち着かせることもできていますが、一部は頑なに独立を掲げています。今後の治安維持はより多くの戦力を割かないといけないでしょう」
軍事部門室長はそう言った。ちなみに『偉大なる勝利』というのは、政府の‘戦勝’公式発表で実際に使われた言い回しである。彼はそれを皮肉で使ったのである。
リーリアは何とも言えないような曖昧な苦笑を浮かべ、クーホルン少佐は肩を竦めた。2人とも、政府の公式発表には呆れた思い出がある。よくそれで国民を騙せると思ったな、と。
ともあれ、問題はバルツェル共和国軍が大打撃を負い、それに勇気づけられた現地民の間で反乱の気運が高まり、治安の悪化が引き起こされていることだ。そのため、ただでさえ余裕のないバルツェル共和国の国力や軍事力を治安維持に割かねばならなくなっている。
「オルメリア大陸では今の利権を守る以外にできることはありません。だからこそ、我々は新たなフロンティアを開拓していかねばならない。……そのように政府は考えていることでしょう。開拓先も見つかったことですしね」
「……ええ。今回に関しては、前回の二の舞は避けようと慎重に調査を進めているみたいだけど」
バルツェル共和国は新たなフロンティアを見つけた。そう、ネルディス大陸だ。
情報収集衛星を保有する日本には遅れてしまったものの、遠方調査の際に海軍がネルディス大陸を発見し、公式接触前に慎重に調査を続けていた。バルツェル共和国政府ならびに軍は、日本との戦争を経験したことにより、かなり慎重な姿勢に落ち着いていた。また日本のような圧倒的格上に何も考えずに不意にぶつかってしまうようなことがあれば、国家が崩れてしまう。それくらいの状況把握能力はさすがに持ち合わせている。
そして調査の結果、ネルディス大陸の文明レベルは中世レベルと著しく低いことが分かっている。リスクを負った調査(ネルディス大陸文明の船を拿捕し、乗組員を拘束した上で尋問を行った)なども行い、その中でネルディス大陸には妙な力(魔法)が使える者も僅かにいることは分かったが、大勢に影響が出るほどのものではないと判断されている。
政界ではネルディス大陸に進出すべきであるという意見が大半であり、事実として政府もそのように動いている。資源供給地たる植民地を削られ、経済が低迷するバルツェル共和国としては逃せる獲物ではなかった。
とはいえ、中部オルメリア戦争において戦力を大きく損耗し、さらに現在でも日本との対峙や治安維持に大きな戦力が割かれている以上、新大陸に差し向けられる戦力は限定的となるだろう。仮に新大陸を植民地化できたとしても、その治安維持のための戦力を抽出してしまうと、本国の守りが手薄となりかねない。
「……なるほど。だから、ニホンは現地の国々と友好関係を結ぼうとしているのね」
今更ながら、日本が何故、圧倒的な力を持ちつつも現地の国々と友好関係を結んでいるのか、リーリアは理解した。
最初は日本が融和的な気質を持っているのかと考えていた。それも間違いではないが、正解ではない。日本はどちらかというと融和的だが、その一方で島国根性とでも言うべき排他的な面もあるのだから。
結局、日本が格下相手にも対等に付き合い、友好的な態度をとるのは、それが利益に繋がるからだ。日本はバルツェル共和国が行っているような植民地政策が最終的に赤字に行き着くことを知っているのだ。
実際、バルツェル共和国がいた前世界においても、植民地政策が最終的に赤字になるという研究結果が海外で発表されていた。それをバルツェル共和国政府やバルツェル共和国市民は鼻で笑っていた。そして、『諸外国の植民地を掠め取ろうという策略である』と政府が公式声明まで出したのだ。まぁ、バルツェル共和国だけでなく、当時の列強の全てが同じような態度であったが。
しかし、今思うと、その研究結果は真実であったと確信できる。
バルツェル共和国は旧ベールニア連邦領の治安維持にも莫大な費用を要している。そして、現地の政情不安が大きくなるにつれ、植民地の利益率も悪化の一途を辿っている。当たり前だ。治安維持費が膨れ上がっても生産量は増えず、むしろ低下しているのだから。
今の旧ベールニア連邦領はリスクがあるため投資は冷え込み、現地労働者も心情的な問題からか、労働意欲の低下が見られている。さらには生産施設や輸送路への破壊行為といったテロ活動も起き始めているのだ。
これでどうして赤字にならないというのか。
まぁ、これもバルツェル共和国が日本に対して事実上の敗北を喫したからこその事態なのだが。バルツェル共和国の武威が地に落ちた今、現地の反乱勢力は盛り上がっている。そして、自国が未だにバルツェル共和国から解放されていないことに不満を覚え、それが拡散しているのだ。
一方の日本。こちらは友好的な関係を結び、対等な立場という‘建前の下’、日本が中心となって制定した国際貿易条約に則って貿易量を拡大していた。
日本はこの貿易を通じ、圧倒的な経済力や技術力、そして軍事力を背景にして影響力を深いところまで浸透させている。そして現地の経済発展や生活水準の向上に貢献しながらも、産業やサプライチェーンに深く食い込み、現地の経済を日本に依存させていく。
結局、大陸諸国は日本の経済植民地のような状態へとなっていた。国際政治的にも日本に逆らうことができず、まるで日本を宗主国のように仰いでいる。建前上は対等だが。
そして、日本の文化的浸透により、親日的な感情を育むと共に、それを経済的利益に繋げていく。ますます日本との関係は切っても切れなくなっていくわけだ。
事実上の日本の属国だというバルツェル共和国政府の指摘は、あながち間違ってはいない。もっとも、当事国が日本による属国化をある程度容認する考えに至った原因が、そのようなことを言うのもおかしな話だが。
ともあれ、リーリアからすれば日本のやり方は効率が良いと感じられた。
直接的ではなく間接的に支配し、細かい統治は現地に任せ、産業や経済をこちらで握ってしまい、文化浸透によって現地民との間に友好関係を築く。回りくどいようにも見えるが、治安維持や国防は現地政府が自発的に行ってくれるし、そのための装備はこちらが売る。それによって国内の軍需企業が潤い、経済を回す一助となる。
少なくとも経済面で言えば、負担はかなり軽減されるはずだ。無論、上手くいけばの話だが。
日本は上手くやっているようだが、果たしてバルツェル共和国が真似をしたとして上手くやれるだろうか。リーリアには今の状況では不可能に思えてならなかった。そもそも今の政府に日本のやり方を真似ようなどという考えもないだろう。
「……それでも、いつかはやり方を変えないと破滅してしまう」
その‘いつか’とバルツェル共和国の破滅、どちらが先に来るのかは分からない。だからこそ、リーリアはこれからも破滅を回避するための努力を惜しんではいけないと改めて思った。
「今回のニホンの調査報告とは別件で、新大陸進出の際の方針に対して研究所から提言する必要があるかもしれないわね」
「……今の政府が大人しく意見を取り入れるとは思えませんが、やる価値はあるでしょうな」
リーリアの言葉にクーホルン少佐はそう述べた。今の政府は日本に対する直接的な敵対こそ控えているものの、前政権から大きく変わった考え方をしているわけではない。
新大陸への進出の際、力を前面に押し出した高圧的な進出を行う可能性は極めて高い。植民地化が目的なのだから当然であるが。
リーリアは祖国の行く先に不安を覚えつつも、少しでも良い方向に向かうように祈るしかなかった。
大学の卒業研究発表やら学会発表の準備やらで忙しくて遅れました……。まぁ、学会の方はコロナの影響で中止になったんですけども。
来月からは大学院生になるので、またしばらくは忙しくなるかもしれませんが、これからもよろしくお願いしますm(_ _)m




