第3話
遅くなりました。
2034.3.10
日本国 防衛省
会議室
10:08 JST
「では、会議を始める」
日本の国防を司る防衛省の会議室にて、現防衛大臣の大岸雄一郎はそう言った。老いてなお圧倒的な存在感を放つ男であり、巷の不良も腰が引けるくらいに厳つい顔をしている。
この場には彼以外にも、陸海空自衛隊の幕僚長や防衛装備庁長官、さらには三菱、川崎などの大手防衛産業から出向してきた者までが軒を連ねていた。
「議題は既に分かっていると思うが、装備の生産体制や国外移転についてだ」
日本は転移して以来、様々な困難に見舞われた。その内の1つがアメリカなどによるFMS(対外有償軍事援助)によって調達していた装備を今後どうやって調達するのか、ということだ。
この問題は自衛隊の作戦能力確保のためにはかなり重要なものであり、なおかつ可能な限り早く解決する必要があった。
まぁ、結局のところ、リバースエンジニアリングをしてどうにか国内生産に移行するか、国産のものを代替とするかの2択しかないのが実情であったが。
「では、早速だが戸田 長官に訊ねよう。進捗状況はどうか?」
大岸 防衛大臣は防衛装備庁長官である戸田 長官にそう訊ねる。
「概ね予定通りです。特にミサイルに関してはESSMからスタンダードミサイルまで、生産は可能な状態まで持っていくことができました。構成部品も国内の企業に注文できます。……まぁ、この体制を整えるのに金はかかりましたがね」
「仕方あるまい。しかしながら消耗品の生産体制が整ったのは良いことだ。これで残弾の心配も小さくなるな」
「予算の心配は残ったままですがね」
「まぁ、弾を大量に使う時点で有事だろうし、追加予算は見込める。それで財務省の連中の胃に穴が空いたとて、俺は知らん」
そう言い切る大岸 防衛大臣。なかなか剛毅な発言である。その煽りを受ける財務省職員にとっては迷惑千万なのだが。
しかし、何はともあれ、ミサイルの調達が国内で可能になったのは良いことだ。元々日本のミサイル関連の技術は、ASM-3 空対艦ミサイルやAAM-4 空対空ミサイルを見れば分かるように、かなりの域である。設計さえ分かればパーツを製造して組み上げるくらいは造作もない。
問題は金だが、そこは必要経費として国側も諦めていた。さらにはこの金は無駄にはならない。今まで外注していた分を国内に回すのだから、その分国内の経済に寄与することになる。日本の経済規模からすれば僅かな額であろうが、それでも国内の技術力向上も併せて考えれば、そう悪い投資ではない。……財務省はいい顔をしないが。
「まぁ、それはそれとして。他はどうなのか?」
「そうですね……。まぁ、概ね国内生産化がメインですね。前々より国産のものを導入したりライセンス生産を行う動きが多かったため、リバースエンジニアリングを行わねばならない兵器が少なくなっていたのは幸いでした。とはいえそれなりの数はありますし、海外産のパーツだって存在するため、少々手間取りましたがね」
「そうか。だが結局のところ、扱う側には何も変化はないと考えていいのだな?」
「そうですな。ほとんど影響はないでしょう」
戸田 長官はそう述べた。これに関しては主に製造側の問題だ。そして品質に問題がなければ扱う側には心配する点はないと考えてもいい。
「それを聞いて安心した。何かあって死んでしまうのは現場の人間だからな」
大岸 防衛大臣は現場の人間のことをよく考えている男だった。政治家としては珍しいタイプだろう。多くの場合は数字でしか知らなかったりするのだから。それが悪いかどうかは別にして、少なくとも彼は現場からは好かれるタイプである。
「では、次に防衛装備移転に関してだ。つい先日、各国から多数の防衛装備について採用の可否が通達された。その情報は各方面に行き渡っているはずだが……」
大岸 防衛大臣は皆を見る。全く動じる様子がないことから、ちゃんと情報は行き渡っていると判断する。
「その様子だと、ちゃんと行き渡ったようだ……。まだ保留とするものも多いが、日本製の力を見せつける好機だ。各々の誇りにかけて、しっかりとこなしてほしい……っと、そんなことを俺が言わなくとも分かっているようだな」
大岸 防衛大臣は苦笑する。どうやら余計な心配だったようだ。
今回、装備移転が決まったのは20式小銃甲型や艦船の改修などだ。それらに共通するのが、実機があるということ。当たり前だが、まだ設計段階であるTKM-XやT-8改修機のFA-8を採用するようなことはない。まずは試作機を見てもらわねば話にならないのだ。
「まぁ、これも概ね予想通りといったところか……」
「そうですな」
大岸 防衛大臣の呟きに戸田 長官が頷く。こちらも事前の予想に沿った動きを見せている。
大陸諸国は目の前に高い技術力を持った敵が存在している以上、同等以上の技術力を持つと見られる日本のものを採用するしかないのだ。バルツェル共和国の技術力に関しては日本側にも詳しい情報はないが、少なくともジェット機は保有しているということや、ミサイルの保有も確認されている。
日本側も調査を進めているが、何分交流がないため調査が難しい。特殊作戦群に潜入させて得た情報から、おおよそ1950年代程度ではないかと推測されているが、その情報もどこまで正しいかは不明だ。まだバルツェル共和国の全てを把握したとは言い難い状況であるからだ。
閑話休題。
「では、次だな……。ふむ……。これは自衛隊の装備調達に関してだな」
「先ほどの国産化の話ではなく?」
戸田 長官の言葉に頷く大岸 防衛大臣。
「こちらはまた別だ。F-3やJFQ-2、新型護衛艦の調達などの話だな」
現在、自衛隊では新たな兵器の配備を進めていた。
陸上自衛隊にはそれほど派手なものはないが、粛々と近代化や先進化を進めている。主に隊員や兵器のネットワークの先進化にはかなりの力を入れている。
航空自衛隊は第六世代ジェット戦闘機であるF-3A/Bと無人戦闘機JFQ-2の配備を行っている。
F-3A/Bはi3Fighterの思想を元に設計された戦闘機で、高度に情報化されると同時に高いカウンターステルス能力を持ち、さらには無人機管制能力をも保有した最新鋭機だ。
JFQ-2はF-3A/Bに管制されることを前提に置いた無人戦闘機だ。外見上はF-3A/Bを小型化したものである。
これらは今後の航空自衛隊の根幹となる戦力であり、防衛省としてもこれらは十分な数を用意したいと考えていた。
次に海上自衛隊だ。こちらは陸空よりも深刻な事態だ。護衛艦定数を増やしたことによって、その数を満たすために旧式艦も小手先の改修で使い続けてきたのだ。今でも20世紀に建造された むらさめ型護衛艦や こんごう型ミサイル護衛艦が残っていることを考えると深刻さが分かろうというものだ。
今問題になっているのは、新型DDと新型DDGの建造だ。DDに関しては むらさめ型や たかなみ型はさすがに古すぎるとあって、それらの替わりとなるDDを早く配備せねばならない。同様にDDGに関しても こんごう型の代替が必要だ。
これらの配備は自衛隊にとっては'最低限'為すべきことと認識されている。少なくとも軍事の道を知っている者からすれば、これらは削るべきではない'聖域'である。
だが、残念ながら権力者が全員、軍事に精通しているわけではないのだ。
「最近、これらの配備に関する予算の削減を叫ぶ議員連中がそこそこいるらしい。それに財務省が乗っかるから、さぁ大変だ」
大岸 防衛大臣の告げた内容に皆が顔を見合わせる。その顔にはありありと『正気か?』という言葉が浮かんでいた。もちろんその矛先は議員連中や財務省である。
というのも、よく考えれば分かることだ。航空自衛隊にしてみれば、F-3戦闘機やJFQ-2無人戦闘機の配備は耐用限界が近づくF-15JやF-2Aの更新なのだ。海上自衛隊に至っては艦齢が本格的にマズい艦を更新しようというだけ。これらに文句をつけられては、たまったものではない。
とはいえ、各種装備の生産体制の整備の際には追加予算を請求していた手前、財務省の立場にも一定の理解はある。しかし、これは引けない。たとえ技術的に優れていても、ボロボロでは無意味なのだ。
「まぁ、安心してほしい。少なくとも総理は今の自衛隊の事情を理解してくれているし、議員にも自衛隊強化を進めようとする動きは大きい。念のため、このような話をしただけだ」
大岸 防衛大臣はそう言った。安心はできないものの悲観するような状況でもない、ということだ。
「一応、削減するとしたらどこからになるか、ということだが……」
「やはり陸からですな。ネットワーク化は既にある程度は行われています。今やっているのはさらなる拡充や増強ですから」
戸田 長官の言葉に陸幕長が少しだけ眉を顰める。陸自の予算が最優先に減らされることは彼にとっても面白い話ではないだろう。それでも文句を言わないのは、理屈ではそれが最善であると認識しているからに他ならなかった。
「次点で航空自衛隊。調達ペースを落とすくらいは可能でしょう。かなりギリギリの状態ですが」
次に戸田 長官が挙げたのは航空自衛隊。F-15JやF-2Aの耐用限界は、延命措置のおかげもあって2045年前後とされている。それまでに未だに合計約120機ある両機種をF-3に置き換えればいい。なお、JFQ-2は別口である。
「最後に海上自衛隊。こちらは余裕はありません。旧式艦の更新は最優先です」
既に艦齢が40年を過ぎた艦も出てきており、小手先の近代化や補修で済ますのは既に限界だ。艦齢に余裕のある潜水艦の更新分の予算を護衛艦更新に回す手もあるが、できるだけならその手は使いたくない。海上自衛隊のドクトリン上、潜水艦は強力無比な矛の役割。そこを削ることは海上自衛隊の決定的火力を削ることだ。航空母艦という新しい矛があることを踏まえたとしても、潜水艦の存在は大きいのだ。
「ったく、余裕がないのは辛いな……」
大岸 防衛大臣はぼやくように呟く。まぁ、2030年代ともなると、世界最強の米軍ですら予算がカツカツであり、比較的余裕があるのは成長著しいインドや調子を取り戻してきたロシアくらいであった。諸々の影響で衰退しているヨーロッパや分裂内戦状態の中国は悲惨なものであったため、日本はまだまだマシなのだろうが。
「余裕があったら、今度は財政管理が緩いという批判を受けますがね」
「……物事は見方による、か」
戸田 長官の言葉に苦笑する大岸 防衛大臣。物事は良く捉えることも悪く捉えることもできる。一概に良いと言えることなど何もないのだ。
「とりあえず、予算に関しては努力する。さすがに予算を考える連中も、この世界で軍備を疎かにするのはマズいことは理解しているだろうしな」
この世界に国際法はない。世界を統括する秩序もない。相対する国家が日本人の理解の範疇の中に収まる保証すらもない。
そんな中で物理的な力を軽視するのは自殺行為と評さざるを得ない。
「それに、もう脅威は目の前に迫っている……」
「バルツェル共和国ですな?」
「……一応、国交がないから武装勢力としているがな。連中の技術力は侮れん。さすがに日本側が負けているとは思わんが」
「調査の結果を鑑みてもそうであるかと」
戸田 長官がそう言った。
特殊作戦群はバルツェル共和国勢力圏内に潜入し、敵に悟られることなく情報収集を完了した。その情報の中には飛行中の戦闘機の写真もあったのだ。
その戦闘機の姿形はソ連のMiG-15辺りに似た設計思想が感じられ、ミサイル搭載もしていなかった。たまたま搭載していなかった可能性もあるため、ミサイル搭載能力の有無は確定情報ではないが、バルツェル共和国のジェット戦闘機のレベルは第一世代から第二世代に属すると目されている。
「……恐らく近い内に戦うことになる相手だ。過大評価も良くないが、過小評価はもっとダメだ。少し強めに想定しておくのがいいだろう。バルツェル共和国の戦闘機は第二世代と考えた方がいい。ミサイル運用能力はあると見るべきだな」
「空対空ミサイルはあるものと考えよ……ですか。道理ですな。艦船に搭載する大型の対艦ミサイルは存在する可能性が高いですからな」
戸田 長官は大岸 防衛大臣に同意した。彼だけではない。他の者も同意を示す。
「そうだ。既に自衛隊では対バルツェル共和国の作戦シミュレーションを行っており、その際の敵の戦闘機は第二世代と想定している。……大陸諸国がバルツェル共和国の植民地支配の餌食となれば我が国は詰む。戦うならば絶対に負けられんぞ」
皆が大岸 防衛大臣の言葉に頷く。
「だからこそ、我々は今の内にできることを全てやらねばな」
話が逸れたな、と言いながら大岸 防衛大臣は次の話に移る。
会議が終わったのは正午を幾分か過ぎた頃になったのだった。
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同日
エルスタイン王国 ウェルディス市 郊外
とある屋敷
14:44 現地時間
エルスタイン王国西部にあるウェルディス市。ここはエルスタイン王国における工業都市とでも言うべき都市だ。
エルスタイン王国自体、工業における勢いはそれほど強くなく近隣諸国と比べるべきところはないが、それでも国内においてウェルディス市の存在感は無視できない。実際、経済規模や人口を考えると国内第2の都市であるのだ。
エルスタイン王国は東部には肥沃な土壌が多く、こちらは農業が発展している。その一方で優良な炭田や鉱山がある西部は工業が発展している。
しかし、この国の工業にはある問題が発生していた。それはギルドと呼ばれる同業者組合の力が強すぎることである。この組織の力が強すぎるため、新規参入の妨害や製品価格の不当な吊り上げ、さらには西部の貴族と癒着して組織にとって有利な法律を制定したりしている。
国外からの外国工業製品には莫大な関税をかけることでギルド傘下の会社の製品は、高額かつ大した品質でなくとも売れていたのだ。
しかし、この状況は転移後にかなり変化の予感を感じさせている。その一番大きい要因は日本である。
ここ最近、エルスタイン王国政府は日本との関係を重視している。国家発展、安全保障上の観点からもこの行動の必要性は明らかだ。
当然、動きがあれば結果が返ってくる。その結果でエルスタイン王国は2つに割れそうになっていたのだ。
まずは農業が主体の東部。こちらは日本との関係を深めることに前向きな反応が多い地域だ。農業主体であるため、食料が不足気味な日本は大口の商売相手である。さらには王都が東部にあることも関係しているのか、東部は王国政府……つまりは王族の力が強い。その王国政府が日本を肯定的に捉えている以上、日本に対してはそれなりに好印象があった。
その一方の西部。こちらは工業が主体であり、当然ながら日本がエルスタイン王国の工業製品を買うことはない。それどころか日本はエルスタイン王国に自国の製品を売りつけようとする側であった。これまでは高い関税をかけていたために外国製品に押されることのなかったエルスタイン王国の工業であったが、王国政府は日本の工業製品に対する関税を大幅に引き下げようとした。これにはギルドが猛反発した。
結果的にはそこそこの率にまで引き下げられてしまい、ギルド傘下の会社は損失が出始めていた。さらにそこに王国政府に不信感を抱く貴族達も乗っかることになり、またその貴族の多くが西部出身であったことから対立は東西に分かれたものとなりつつあった。
西部出身の貴族が王国政府に反発するのは、歴史的な問題もある。代々、王家は王都の近くには信用できる諸侯に領地を与え、それ以外の言わば外様には西方の地を領地として与えていた歴史がある。反乱を恐れたということもあるが、東部は肥沃な土地が多く、西部は痩せた土地が多かったという事情もあった。つまりは代々、西部は左遷先であったわけだ。西部出身の貴族達には長年の恨みつらみがあっても不思議ではなかった。
この東西対立はエルスタイン王国にとっては憂慮すべき重大な問題である。
日本との関係を深め、国を安定的に発展させて安全保障を充実させたい東側。日本の産業侵食から身を守りたいと考えている上に、王国政府に不信感を覚えている西側。
両者の対立は深まるばかりであり、そしてそれは他国がつけ入る隙にもなる。
このウェルディス市は反体制派の貴族達……いわゆる貴族派の最大拠点とも言われている。そんな街の郊外に位置する屋敷。そこでは、ある2人の男が密談を始めていた。
1人は少々恰幅の良い中年の男。名前はガリウス・フォン・ウェルディス侯爵。ここ、ウェルディス市を支配する貴族であり、貴族派のリーダー格と目されている人物だ。
対するのは印象が残りづらいくらいに平凡な男。瞳の色はエルスタイン王国では見られない緑色であり、そこから彼がエルスタイン人ではないことが分かる。彼は自分のことを『アンディ』と名乗っているが、少なくともウェルディス侯爵はこれは偽名であると考えている。
「……君の主からの返事は?」
「……情報提供には感謝する。要求も満たすことを約束する。しかし、それにはそちら側の誠意を見せてもらわねばならない、と」
「……誠意だと?」
ウェルディス侯爵は胡乱げな表情でアンディを見る。アンディは相変わらず何を考えているのか分からないような無表情。ただ、眼力だけは異常に強い。それだけでこの男が只者ではないということが分かった。
アンディはウェルディス侯爵の問いに頷く。
「その通り。我々は貴公の誠意を見たい。それを確認すれば我々は動こう」
「……話とは違うのではないかね?」
「違わない。我々は第一条件として情報提供を求めたに過ぎない。しかし、次の要求が最後になる。それは事実だ」
「……その要求とやらを聞こうか」
ウェルディス侯爵は苦虫を噛み潰したかのような顔で言う。
「貴公らが蜂起してほしい。そうなればこの国は混乱に陥るだろう。その隙に我々はこの国に入り込み、貴公らを支援しよう。あくまでも貴公らが主役だ」
「……なるほど。つまり、我々に革命を起こせと? それを君の主が支援する形で」
「その通りだ。それによって現政府を打倒、貴公らが思い描く国を作ればいい。その際、私の主への最低限の恭順を示してくれればいい」
「………………」
恭順を示す、という言葉に複雑な思いを抱くウェルディス侯爵。彼とて、この国が誰かの下につくのは嫌なのだ。しかし、日本の下につくのはもっと好ましくない。だからこそ、ウェルディス侯爵は動き出したのだ。
「……分かった。蜂起する日時は追って知らせる。まずは同胞と話し合わねばならない」
「そうしてくれるといい。我々は貴公らの誠意を信じている」
アンディはそう言って笑みを浮かべた。まるで作り物のような笑みであった。
「あまり長居してもらうと困る。退散してくれないかね?」
「言われずとも」
そう言ってアンディは部屋から退室する。それを見て、ウェルディス侯爵は窓からウェルディス市の方角を見る。
「我が故郷だけは守らねばなるまい……」
日本との関係を深めれば、工業都市であるウェルディス市の経済や産業が壊滅するのは目に見えている。子供の頃から生まれ育ったこの街をそんな憂き目に遭わせるわけにはいかない。
彼はある意味では純粋である。他の貴族派とは違い、確かに王国政府に対する不満はあるが、何よりも郷土愛が強かった。自分の故郷が不利益を被るような政策を行う王国政府には断固反対する。ウェルディス侯爵はそう誓っていた。
……故に、彼はエルスタイン王国が付け入られる隙となったのだ。
ウェルディス侯爵の別荘である屋敷から離れていくアンディ。人気のない場所まで行き、そこでフッと笑う。今度は作り物ではなく、純粋な悪意を持った表情で。
「蛮族如きが一丁前に交渉できるとは思わないことだ」
その笑みと呟きを見聞きした者は誰もいなかった。