第10話
派遣する自衛隊部隊に悩む……。
2034.4.27
日本 東京都
首相官邸 会議室
15:10 JST
この日、バルツェル共和国軍が遂に動き始めたという情報が政府に上がった。それを受けた長谷川 総理は急いで内閣緊急会議を執り行うことを決定し、今、閣僚達が首相官邸の会議室に集っていた。
「では、今の状況を説明していただけますか?」
長谷川 総理は落ち着いた様子で大岸 防衛大臣にそう言葉を投げかけた。大岸 防衛大臣は頷いて説明を始める。
「つい先ほど、バルツェル共和国軍が越境し、エルスタイン王国西部に侵入した。航空部隊、陸戦部隊の電撃的侵攻だ。このバルツェル共和国軍は越境後、政府軍の反乱鎮圧部隊と反乱軍の本拠地であるウェルディス市を空爆した」
「……ん?」
長谷川 総理はおかしな点を見つけて声を上げる。
「バルツェル共和国軍は反乱軍の味方ではなかったのですか?」
「反乱軍の味方だったはずだ。実際、バルツェル共和国軍が侵入してきても反乱軍は抵抗しなかったそうだからな。だが、その後にウェルディス市を空爆され、反乱軍自体も攻撃を受けて慌てて応戦しているようだ」
「これ、もしかして、利用するだけ利用して最後に裏切る、といった映画の悪役みたいな……?」
「まぁ、そんな感じだろうな。バルツェル共和国は最初から反乱軍も潰す気でいたんだろう」
大岸 防衛大臣は呆れたように述べる。
「しかし、ウェルディス市を空爆するとは。反乱軍殲滅だけが目的じゃないような……」
そう言うのは住田 外務大臣。必要以上に破壊していては、占領しても得るものがない。その疑問に大岸 防衛大臣も頷く。
「恐らくその通りだ。エルスタイン王国最大の工業都市なんてバルツェル共和国からしたら別に無くてもいい存在だし、それを潰せばエルスタイン人に対する見せしめにもなるだろう」
工業規格の異なる設備しか置いていない工場なんてバルツェル共和国からしたら不要な存在なのだろう。それが大岸 防衛大臣の考えであった。
「ともあれ、敵が動き出した以上、我々も動かねばなるまい」
大岸 防衛大臣はそう言った。少なくとも日本に座視するという選択肢はない。それをすれば滅亡に一直線である。
「まずは大陸における自衛隊の展開状況の説明だ」
そう言って彼は持ってきていた大陸地図を卓上に広げた。そして青ペンを取り出す。
「まずリセワール近郊。ここのすぐ西の臨時駐屯地に第1外征団と第1特装団が駐屯している」
大岸 防衛大臣はエルスタイン王国南部の港町リセワールのすぐ西側に印をつけて『第1外征団』『第1特装団』と記入する。
「次にそのリセワールの北部……。ここに第2外征団と第4対戦車ヘリコプター隊、そして第1ヘリコプター団」
先ほどと同じように記入する。リセワール市北部の臨時駐屯地には仮設ヘリパッドも設営しており、ここから第4対戦車ヘリコプター隊と第1ヘリコプター団が出撃する。ここにはAH-64E 対戦車ヘリやUH-2JA 火力支援ヘリ(ベル412の改修型)に、OH-6D、OH-1といった観測ヘリ、さらにはCH-47JA、UH-60JA、UH-1J、UH-2J(ベル412)などの輸送ヘリ、JV-22 ティルトローター輸送機が集結しており、日本でもなかなか見られない光景となるだろう。
「さらにリーデボルグ共和国西部のアイゼンド飛行場で第1空挺団が待機している」
アイゼンド飛行場は航空自衛隊の大陸における拠点でもある。輸送機に乗って空挺降下する第1空挺団の性質上、飛行場で待機してもらった方が即応性が高いと言えよう。
「さらに、増派の部隊も近い内に派遣する」
「増派の部隊はどこが?」
長谷川 総理が質問する。
「第7師団と第8師団、第10師団、第11師団、第12旅団だ。総勢4万人以上の部隊となる。先行派遣部隊も含めると6万人規模になるな。自衛隊創設以降、最大の海外派遣規模だ」
ちなみに陸上自衛隊は東シナ戦争後に部隊を拡大し、第5旅団と第11旅団をそれぞれ師団に昇格させている。旅団なのは第12、13、14、15だ。また、各師団・旅団ともに人員数が拡大されていたりもする。
「はぁ……また金のかかりそうな大仕事ですな……」
財務大臣の尾張が溜め息混じりに言う。
「まぁ、物資の金額は確かにな。だが、海運会社などの民間企業に物資運搬などを委託している。経済にも多少は寄与するはずだ」
大岸 防衛大臣はそう言った。転移後は貿易相手国の減少によってまともな商売ができなかった海運会社も多い。今回の戦争は、それらに仕事を与えている公共事業ともとれるわけだ。
心配なのは財政であるが、長期戦をするつもりはないので破綻するようなことはないだろう。
「次に航空自衛隊だ。既に作戦部隊の多くがアイゼンド飛行場に移動している。その作戦部隊だが、F-15J 戦闘機を扱う第305飛行隊、第307飛行隊とF-2A 戦闘機を扱う第3飛行隊、第6飛行隊が基幹戦闘機部隊となる。それに加えてF-3A 戦闘機とJFQ-2 無人戦闘機を運用する第1飛行隊も作戦に参加する……まぁ、この部隊は主力となる予定はない。その他にも空中給油機や輸送機、早期警戒管制機などもアイゼンド飛行場に待機している」
「アイゼンド飛行場に戦力が集中し過ぎでは? 攻撃されないにしても、部隊が多すぎて混乱しそうなものですが……」
住田 外務大臣がそんな質問をする。実際、かなりの自衛隊機がアイゼンド飛行場を本拠地として動くことになる。アイゼンド飛行場のキャパシティーを超えないか心配になる気持ちもよく分かるというものだ。
「まぁ、心配するほどのものではない。常に全力出動するわけではないからな。それにアイゼンド飛行場のキャパシティーはかなり大きいぞ? この規模の作戦を想定して整備したのだからな」
「そうなのですか。プロが言うのなら安心ですね」
住田 外務大臣は軍事は門外漢だ。しかし、それ故に彼は大岸 防衛大臣のことは信用していた。
まぁ、門外漢な割には戦力の集中配備のデメリットを何となく察することができている点で、彼はそれなりに優秀な人間ではある。
「では。最後に海上自衛隊だな。現在、大陸周辺で活動している部隊は第1護衛隊群と第4航空群第3航空隊第31飛行隊分遣隊。それに加えて第1潜水隊群隷下の第3潜水隊と第5潜水隊、そして直轄艦の『ちはや』だ」
数日前に派遣された第1護衛隊群。それの他にも派遣された部隊は実は存在する。それが潜水艦救難艦『ちはや』と第3潜水隊、第5潜水隊。そして、第4航空群第3航空隊第31飛行隊分遣隊である。
潜水艦部隊は第1護衛隊群が派遣されるずっと前から大陸周辺で活動していた。その任務はバルツェル共和国の海上の動きを監視することだ。
そして、第4航空群第3航空隊第31飛行隊分遣隊はP-1 哨戒機を扱う部隊である。第1護衛隊群所属の対潜ヘリだけでは哨戒範囲が狭すぎるという声もあって派遣された。場合によっては対艦攻撃も担うことになっている。
「第1護衛隊群、第1潜水隊群のいずれもリセワールを補給港としているが、補給艦を使った海上補給も実施しており、これらの艦隊は大陸南部海域で運用している。北部海域はこの時期でも氷河や流氷で航行は困難なので敵海上戦力の予測侵攻ルートからは排除していいだろう」
オルメリア大陸は意外と北部にある。最も南東にあるリテア連邦ですら緯度は元の世界で言うと台湾より上なのだ。オルメリア大陸北部は高緯度であり、6月から9月にかけての4ヶ月間以外は北部海域の航行は危険な状態である。それほどに氷河や流氷が多いのだ。新樺太島周辺にも流氷が来るため、日本でも結構な問題になっている。
何はともあれ、そんな危険海域を突っ切って来るほど相手はバカとは思えないし、仮にそれほどのバカなら日本としてはラッキーなものだ。勝手に戦力を擂り潰してくれればいい。
「こう見ると、リセワール市は自衛隊の重要な橋頭堡ですね」
長谷川 総理はそんな感想を溢した。確かに、陸上自衛隊と海上自衛隊の大半の部隊がそこを拠点としている。
「物資輸送や前線との距離、拠点としてのキャパシティを考えると、どうしてもここ一択となる」
日本側もあらかじめこの都市の港湾機能を強化するようにエルスタイン王国に要求していた。ここ以外の港町は港湾の規模が小さすぎて、大規模部隊を降ろして拠点とすることができるほどになるのに金と時間がかかりすぎるのだ。
そんなわけでリセワール市は自衛隊の大陸における一大拠点となっている。
「さて、一応、部隊は現地に揃ってはいる」
「その言い方ですと、何か問題があるようですね」
長谷川 総理はそう言うのに、大岸 防衛大臣は頷いた。
「ああ、重要な問題だ。……未だに作戦を始めるのに最低限必要とされる物資の現地への輸送が済んでいない」
要するに兵站の問題であった。部隊だけ送って戦闘開始というのは不可能なのだ。
「なるほど……。それはいつ完了するので?」
「……恐らく5月だろう。滞りなく進めば1日にも終わるはずだ。そうすれば、後は後続の物資輸送でどうにか回せる。……一応、今からでも戦うことは可能だが、事前のスケジュールに沿った作戦はできないだろう。その結果、敵への打撃が中途半端になる恐れもある」
「……分かりました。つまり、それまではエルスタイン王国軍に粘ってもらわねばならないと……」
「そういうわけだ。その間だけ、敵を西部に押し止めてもらわねばならない。これと同じ説明はエルスタイン王国軍にもしてある」
エルスタイン王国軍上層部はそれを了承した。自衛隊の体勢が整うまでの時間稼ぎだ。まるで主役の前の前座のような扱いに内心憤慨している連中もいるだろうが、エルスタイン王国単独で勝つことは不可能なのは向こうも分かっている。
「今のところ、現地の自衛隊の動きは監視のみだ。その監視で得た情報をエルスタイン側にもリークしている」
監視の役割を担っている部隊は潜水艦部隊と早期警戒管制機、早期警戒機といった航空機、リセワール市の臨時駐屯地の電子戦専門部隊だ。他にも衛星を用いた監視も行っている。
「……では、その活動を続けつつ、戦闘体勢を可及的速やかに整えてください」
長谷川 総理のその言葉に頷く大岸 防衛大臣。言われるまでもない、といった様子だ。
「私は私でやらねばならないこともありますし」
国民への説明やメディアへの対応などだ。忙しいことこの上ない。まだ政府発表はしていないし、バルツェル共和国軍の侵略のことを一般民衆は知らない。これから巻き起こるであろう質問の嵐を考え、長谷川 総理は少しだけゲンナリした表情を見せるのだった。
こうなることは分かっていても、実際に目の前に来ると嫌なものなのだ。
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同日
日本 東京
市街地 小鳥遊家 リビング
17:07 JST
この日、美咲は学校から家に帰ってリビングで宿題をやっていた。普段は自分の部屋でやるのだが、たまには気分転換というか、別のところでやってみようと思ったのだ。特別何か理由があったわけではない。
リビングと繋がっているキッチンでは美咲の母が夕飯の支度をしている。リビングのテレビはついており、チラチラと見ながらやっているようだ。
そんな普段と大して変わらない日常。
しかし、そんな日常は案外あっさりと崩れるものだ。
『緊急ニュースです!』
正直、あまり記憶に残らないような極々平凡な番組が突如として途切れ、ニュース番組へと切り替わる。チャンネルは変えていないので、どうやらテレビ局側の仕業のようだ。
「なんだろ……?」
美咲はキョトンとした表情でテレビの画面を見る。ニュースキャスターは美咲でも分かるくらいに緊張した声を発していた。そのことから、よっぽど大きなニュースらしい。
『本日未明、エルスタイン王国政府軍が武装組織バルツェルによる奇襲攻撃を受けました。これを受け、日本政府はエルスタイン王国との協定に基づく軍事行動を行うことを宣言。長谷川 総理大臣は大陸に派遣されている自衛隊に、エルスタイン王国政府軍を支援するための武力行使を命じました』
「……武力行使? 自衛隊?」
怒濤の勢いで吐かれる普段の日常生活では聞き慣れない言葉の羅列。美咲はニュースキャスターの発した内容の意味を把握するのに数秒かかった。
そして、意味を把握した途端に「ええっ!?」という驚きの声を無意識の内に発していた。
「お、お母さん! 自衛隊が武力行使って……!」
「……戦争、よねぇ……」
慌てる美咲に対して落ち着いてそう呟く美咲の母。
「……お母さん、落ち着いてるね……」
冷静な母を見て自分もとりあえず気が落ち着く。
「まあねぇ。東シナ戦争のこともあったからねぇ……」
東シナ戦争当時、美咲はまだ幼稚園児である。東シナ戦争の時も混乱したものだが、幼稚園児の美咲がそれを理解できたはずもない。よって、美咲にとっては初めて日本の戦争に立ち会ったと言っても過言ではない。一方、母の方は東シナ戦争で1度経験があるからか、落ち着いていた。
その間もニュースは続いていく。
『現在、首相官邸と中継が繋がっております。下田アナウンサー、聞こえますか?』
画面がニューススタジオから首相官邸の会見室に切り替わる。
『はい、こちら下田です』
『ただ今どんな状態ですか?』
『……えー、突然の布告にも関わらず、多くの記者がこの場に集まっています。我々を含め、この事態を予想して前々から準備をしていた局も多そうです……。そろそろ首相自らが記者会見に応じる時間帯です……』
『首相は遅刻しているということでしょうか?』
『いえ、まだ時間はありますので、遅刻というわけでも……あ、来ました! 長谷川 総理が現れました!』
記者会見場に長谷川 総理が現れ、フラッシュの嵐が巻き起こる。長谷川 総理は一礼をしてから壇上に上がる。
その長谷川 総理の表情は固くもなく、かといって柔らかいわけでもない。言うなれば全ての感情が抜け落ちたかのような機械的な表情であった。
長谷川 総理は記者達の前で一礼すると、前置きもなく話し始めた。
『……皆さんも既に聞き及んでいることでしょうが、バルツェルという名の武装組織がエルスタイン王国に対して攻撃を開始しました。これを受け、エルスタイン王国との協定に基づいて我々日本政府は現地の自衛隊に武装組織バルツェルとの積極的交戦を命じました。現在、自衛隊は武装組織バルツェルをエルスタイン王国領内から排除するための武力行使の準備を行っております』
記者会見の前に聞いていたことだったが、一国のトップが言うとやはりざわめく記者団。それに構わず長谷川 総理は話を続ける。
『既にエルスタイン王国には大きな被害が発生しております。反乱軍の本拠地であったウェルディス市は武装組織バルツェルの空爆によって壊滅し、民間人にも多くの犠牲者が発生していることが予想されています。政府軍の部隊も大きな損害を受けました』
ウェルディス市の壊滅。それは事実上の反乱軍の壊滅を意味する言葉である。しかしながら、反乱軍よりも厄介な敵がエルスタイン王国に侵入してきてしまっている。
『武装組織バルツェルの無差別的な攻撃から、政府としては現状での武装組織バルツェルとの対話は不可能だと判断しており、それを実現するよりも先に友好国であるエルスタイン王国を救わねばならないと結論づけております。そして、実際にエルスタイン王国からの救援要請は発せられています。我々がどう動くべきかを熟慮し、我々は意思決定しました』
長谷川 総理の言葉はバルツェル共和国との対話を断念することを意味するものだった。しかし、誰が責められるだろうか。外交チャンネルもなければ、公式・非公式共に接触したという報告は政府には上がっていない。そして有無を言わせぬバルツェル共和国の軍事行動。話し合いをしていられる状況ではない。
『質問を受け付けます』
その言葉を聞くや否や、多くの記者達が挙手した。
『……では、そこのあなた』
指名された記者は立ち上がって一礼する。
『日本社会速報新聞社の松下です。世間では、政府はこの事態を想定済みだったのではないかという意見があります。その疑問に対する答えを頂きたく思います』
『……確かにこの事態は我々日本政府が想定していた事態の内の1つではありました。それに対して対策を打っていたことも事実です。最悪の事態に備えていたら、本当に最悪の事態が起きてしまった。それが今の我々日本政府の心境です。……これでよろしいでしょうか?』
『ええ、十分な回答です。ありがとうございました』
『次の方……』
テレビの画面内で長谷川 総理は記者の質問に淡々と答えていく。
その内容から分かることは、外交的な解決は望めず戦争はもはや避けられないこと、相手は明確な侵略者であること、そしてエルスタイン王国を守らねば日本も危うくなることだ。
政治にも軍事にも詳しくない美咲にでも、それくらいは理解できた。そして、それが結局、自分が大切に思っている人を危険にさらすことに繋がるのだということも。
「………………」
「……美咲、仕方ないわ。和人君だって自衛官よ。この覚悟を持って入隊しているはずだわ」
美咲は以前、ダメだと思いつつも和人に所属や派遣部隊に入っているかどうかを訊いていた。そして、和人から得られた答えは美咲の望まぬものであった。
陸上総隊第1特装団。それが美咲が和人から聞いた彼の所属部隊であった。美咲はインターネットでその部隊のことを調べてみた。そこから分かったのは、第1特装団は最新型の戦闘パワードスーツ『STAS』を用いた精鋭中の精鋭とも呼べる部隊であり、前世界でも有名な部隊でもあったということ。
それを知った美咲は、'近所の優しいお兄さん'だった和人がどこか遠い存在のように感じてしまうようになってしまった。それでも大切に思っている人であることには変わらないが。
「……大丈夫、だよね?」
美咲はそんな言葉をこぼす。どちらかというと、すがるような声。正直、そんなこと分かるはずもないが、母は頷いてやった。
10/9 派遣部隊にP-1 哨戒機を追加しました。