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『マギック パキック クレッソン』
神様どうかお聞きください。願わくば僕を――
魔女の里、鬼の国、蛇の穴。ふるさとはそんな呼び名ばかりの僻地でした。
世界が忘れ去った魔法の未だ残る未開の地、マガ村。閉鎖的なこの村で生まれ育った人間を、他所では魔女と呼ぶ。僕の名前はレイラ=ハンク。村有数の名家に産まれた次女で末っ子。お父さんとお母さんと、お兄とお姉。優しいけど耳の遠いお爺ちゃんに、料理が上手で僕の大好きなお婆ちゃん。僕は九つ離れていたから兄妹喧嘩は無かったけど、それに憧れた時期もありました。
僕は出来損ないと呼ばれていました。マガ村の出身は総じて魔女と呼ばれていたけど、実際には三つに大別されます。『1 2 3』で炎を吹き上げるマジックの使い手、魔導士。呪術や祈祷を専門に行うソーサリーのスペシャリスト、占道士。自身の肉体を含む物質へ作用する、強化や変質を司るエンチャント。それを武術や戦術に取り込んだ魔戦師。魔戦師の名家に生まれた僕だったけれど、秘めた魔力は酷く拙い物でした。
小さいうちは魔導士も魔戦師も同じように学校へ通っていました。占道士の家の子も、お祈りの時間、別の場所で過ごすこと以外は同じ。十歳になった頃から子供達はそれぞれの家系の通り、専門の学校へ進むのです。だから魔戦師だからと言って氷の魔法を扱えないなんてことも無く、魔導士の中にも優れた呪術師は存在します。
僕が十一歳になる辺りから、お父さんが僕に接する態度はどんどん冷たいものになっていきました。僕の魔力は結局成長せず、ソーサリーは並以下、専門のエンチャントも凡。マジックに到ってはその素養は皆無に等しい物だったのです。お父さんは偉大な魔戦師でしたから、そんな不甲斐ない僕に呆れ返ってしまったのかとも思います。
この頃からでしょうか、僕は学校に行くのがとても憂鬱になりました。友達はもう立派に魔法を使いこなして、体の小さな僕は剣の腕でも皆に劣っていて、惨めな気持ちになったのを覚えています。そんな僕を皆は『レイラ』とは呼んでくれなくなりました。大人も子供も、小さい頃一緒に遊んだ友達も、そろって僕を『名家の一番下の娘』と呼びました。僕にとって出来ないことを馬鹿にされる事よりも、ファーストネームを呼んでもらえない事が一番の苦痛でした。大きすぎる父の影と、家の名前。その二つが僕を追い詰めたのです。そして何より――
「ごめんください、郵便です。こちら、ハナコェヴェエさんのお宅でよろしいでしょうか?」
――僕は家の名前が大嫌いでした。
小さな頃から耳にし続けた名家の名前でした。誇らしげに呼ばれる両親の背中も見てきました。それでも、それでも事あるごとに呼ばれるその名前がとってもかっこ悪いことが僕は小さなときから気になっていました。
お隣さんはハニック・ヴィ。お向かいさんはディアン。村長さんはフィラー、学校の先生はサンテコル。なのにうちはハナコェヴェエ。それに従って僕の呼び名は『ハナコェヴェエの一番下』『ハナコェヴェエの出来損ない』
僕は自分の運命を呪いました。何故僕の家はこんな名前なのだろう、何故僕はこんなにも魔力に乏しいのだろう。マギック パキック クレッソン。神様どうかお聞きください。願わくば僕をレイラと呼んで貰える世界へ連れて行ってください。
そんな暗い日常にも楽しみがありました。木の葉が色づく頃、お婆ちゃんが焼いてくれるアップルパイは僕から嫌な気持ちを吹き飛ばす魔法でした。あまーい柿に焼いたお芋。お爺ちゃんがくれたお芋のジュースはふわふわして気分がよくなります。その後気持ち悪くなったり頭が痛くなるのが欠点ですが、僕は躊躇わずそれを飲んでいました。そのせいでしょうか、似た様な気分になるお酒を僕は数年後に大好きになるのです。
十四歳になった頃でした。僕のお婆ちゃんは神様のところへ行ってしまったのです。
不思議と涙は出ませんでした。今にして思えば少しでも強く見せようと、心のどこかで泣くことを拒んでいたのかもしれません。悲しいとき涙を流せない人の弱さを、そのときの僕はまだ理解できていなかったのです。
大好きなお婆ちゃんが居なくなって、僕は逃げるようにマガ村を去りました。お母さんもお爺ちゃんも兄姉も引き留めてくれましたが、弱かった僕にはそこから離れることでしかその痛みを忘れることが出来ないと思い込んでいたのかもしれません。きっとそれも建前で、ただお父さんとその末子であると言う重圧から逃れたかっただけなのかもしれません。大好きなお婆ちゃんすら言い訳に使って……
マガ村を出てから、僕は食いぶちに困り続けました。当然と言えば当然の結果だったのですが、僕は出発からひと月持たずに素寒貧になってしまいました。山に生える野草や木の実、野生の兎でも何でも獲って食べたらよかったのですが、ここへ来て育ちのよさが災いしたか、その発想に爪先ひとつ掠らせる事さえありませんでした。
僕が思い立ったのは何かを売ること、つまり商売の真似事でした。かといって売れるような物など身に着けていたなら、きっとその頃には野盗にでも掻っ攫われていた筈で、つまり僕の手元に二束三文の価値さえ付く物など無いのでした。
しかし、僕は存外抜け目無く、本来ならばもっと早くに気付くべきだったのですが、僕には魔法がある事に目をつけました。これが後々悲劇を生み続けるのですが、その時はただご飯にありつく事しか考えておらず、使える魔法を村の外で初めて試してみたのです。
僕はただ愕然としました。実はマガ村は村そのものが濃い魔力の溜まり場のようになっていて、そのおかげで魔法の郷として栄えていたのです。そんな強い魔力源を失った僕に扱える魔法は唯一つもありませんでした。
それでも僕がここで野垂れ死ぬ事も無く今ここに居るのは、マガ村を出るときこっそり持ち出したある品のおかげなのです。
ある品と言うのは古ぼけて変色した一冊の本でした。無論ただの無表紙本ではなく、村に伝わる強大な、いえ強大すぎる魔法の魔術書です。魔法の素養も無く、魔力の薄い村の外でも使えてしまい、更に強力な魔法をその中からひとつだけ見つけ出した僕は、何の疑問も躊躇も無く子供のようにはしゃいで唱えました。
『アロンガ アロンゾ ヴィヂエッタ ヴィヂエッソ オルダー マーフィグ ロウ リエンシェッタ』
右腕、左腕、右脚、左脚、心臓を、母なる、闇へと、捧げる。僕は唱え終わってもなおその言霊の意味に気付けませんでした。
僕に科せられたのは魍魎の呪いでした。四肢と魂を求めて這い出づる悪鬼たちに永劫追われ続けると言うもの。術者に安息は無く、逃げ惑う最中に己を悔いると村には伝わっていたそうです。そんな呪いのことなど気付きもしない僕は、見返りとして銀の器から溢れた魔力を自由にする権利と、魂を癒着させる呪いを扱えるようになりました。
剣を振るえば電弧を曳き、拳を衝けば暴風が駆け、一度舞えば土壌は肥え草花が芽吹く。僕はそんな力を手にしたことが嬉しくて堪りませんでした。例えそれが薄汚れた魔力であっても。
その力で僕は人を助けて回ろうと思い立ちました。もっとも金銭的に困っているという現実は変わらず、便利屋として自分の力を売り物にしたのです。しかしそれが大きな間違いでした。村の外では魔法という物は常識の範疇にありません。何も知らなかった僕は人々に『魔女』の烙印を押され追放されました。
追い出された僕は山に篭り、豊穣の祈祷の力で果物を食べてすごしました。季節でもないリンゴを育て甘い果実を頬張っても、何故か泥を噛んでいるようで気が滅入る日々でした。
ひと月も経たぬうちに山を降り、少し離れた人里に訪れました。魔法は使わず、使っても祈祷や強化をこめた儀装剣をただの刃物として扱って、僕は長閑で少しヒツジ臭いその集落に居つきました。
しかし僕には呪いが憑いて回ります。そのことを僕はこの地で痛いほど実感するのでした。
半年ほど経って、集落のヒツジが全滅しました。原因は飼料となる牧草の不足でした。僕が居ついてからその地の土壌は衰弱の一途をたどり、気付いたときには雑草さえ腐らせる毒の泥に変わり果てていました。ヒツジの全滅を皮切りに、川の氾濫、流行り病、水源の汚染、そして穢れきった沼さえも干上がってしまう干ばつ。
集落はほぼ壊滅でした。怖くなった僕はそこから逃げ出して、大きな街を目指しました。その後その集落がどうなったかは分かりませんが、もう未来があるようには映りませんでした。
いくつかの農村で宿を借りながら、それでも丸一日以上留まることは無く歩き続け、国境沿いの街、バンク・ラートにたどり着きました。ここは水源も遠く、食料の輸入にも力を入れていてあの集落のような惨劇は起きないと思い、いえ願ったのでしょう。祈りが通じたのか、バンク・ラートでは一年経っても何も起こりませんでした。
最初はびくびくと周囲をうかがい、異変に常に気を配っていた僕でしたが、丸々一年と言う月日を無事に過ごし、ほっと胸をなでおろしました。この頃同じ流れ者で、後に師と仰ぐ男と出会いました。
その人は僕に生きかたを教えてくれました。訳あり達の行き着く先、傭兵の道でした。最初はあまり乗り気ではありませんでした。しかしその人が教えてくれたのです。『争うことを望まずとも争いは起きる。その時争いを拒む人を助けられるのは力のある者だ』と。極論のような気もしますが、僕は概ねそれに賛同し、魔戦師としての身分を隠しながらも彼についていきました。
数年後、僕はバンク・ラートの地を離れます。僕はまた大切な人を失ったのです。僕に付きまとう呪いは矛先を彼に向け、彼は生きたまま全身の骨が溶ける呪いに掛かり、苦しみの中に息絶えました。流石に僕も悟りました。自分に掛かった呪いのことと、僕に許されたひとつだけの生き方を。
属さず、依らず、独りで戦地を巡り国を転々としていました。分かっていた結末ですが、それは僕の心を荒ませるには十二分。きっとその頃の僕はただの人殺しと変わらぬ眼をしていたことでしょう。
それからまた長い月日を経て、僕はある事に気がつきます。今いるこの国スクヴェルトに入った頃のことです。この国は方々の国と緊張関係にあり、まさしく一触即発。国も国民も張り詰めていて、街を歩くだけでも息が詰まるほどでした。何より僕がこの国では迫害を受ける対象足りえたのが大きな要因でしょう。この国の民は金髪碧眼が遺伝的に多く、また緊張関係にある国の多くは瞳の黒い人種であったため『眼の色が違う』と言うのはとても分かりやすい差別点でした。
そうして瞳の黒い僕も迫害を受けることになるのですが、漸くと言うべきか僕はまた少し師の言葉を理解しました。蔑まれ、利害関係のみの縁を繋ぎ、ふと冷め切った自分の視線から更に冷静で、かつ人徳的な目線を僕は手に入れました。
何のことは無い、僕を虐げる人々のほとんどは彼の言った『争いを拒む人』で、僕はそんな人々を助けるために『力のある者』になったのだ。ならばどんな迫害も享受しよう。僕はその上でこの人たちを助けて見せます。
しかしそうは言ったものの、やはり独りは寂しいものです。出兵しない間はこうやって昼間っからお酒を飲んで――
「あのっ! ちょっといいですか?」
突っ伏した僕の肩を揺さぶり、ひょいと女の子が覗き込んできました。
そこからは何を言ったのかまったく記憶がありません。僕が覚えているのは少女の不思議な香りと、久しぶりに感じた人のぬくもり。そして――
「え……嘘でしょ! ちょっと待って!! 今バケツとか――」
マギック パキック クレッソン
神様どうかお聞きください。願わくば僕は――




