幻夢境②その1
足利義政は朝露に濡れた石畳の上に立っていた。
服を着た兔、蛙、猿、狐、その他諸々の異国の者たちが同じ方向へとぞろぞろと歩いている。
「えぇと……、彼らの後についていけばいいのかな」
どうしたものかと思案していると、後ろから彼を呼ぶ声。
振り向けば善阿弥。
「よぉ、義政。待ってたぜ。さ、行こう」
相変わらず、夢の中の善阿弥は若く、そして馴れ馴れしい。
「大丈夫だと思うけど、これから何をするか覚えてるよね?」
「あぁ、覚えてるとも。月の国の理事会の立会人をすればいいんだろ」
「よし、大丈夫だな」
二人は人波に従って月の議事堂へ進む。
程なくして巨大な石造りの建物が二人の前に現われた。人々は、その建物の中に入っていく。義政たちもそれにならう。
理事会が開かれる講堂は、巨大なすりばち構造になっていた。理事席を囲むように傍聴席が並んでいる。
天井は巨大な水晶球がはめこまれ、閉鎖された空間を明るく照らしている。
善阿弥は説明する。
「さて、いっしょにいてやりたいところだが、理事会の傍聴席は立場によって座れる場所が決められている。
えっと、義政の席はあっち」
そして、傍聴席の一角を指差す。
「あの人間ばかりいる区画があるだろ。あそこが夢見る人の席だ。
区画内なら席は自由だから空いてる所に座ってくれ」
義政は尋ねる。
「善阿弥はこっちじゃないのか?」
「あぁ、俺は月の住民の席から見させてもらうよ。
終わったら、酒でも飲もう」
「わかった。また後で」
義政は一人、夢見る人用の席へと向かった。
その席にいる者は全て人間、色の白い人から黒い人まで人種は多種多様で服装もばらばら。老若男女身分の区別も無く座っている。
同じ人間でありながら、違いは中途半端。居心地が悪い。これなら周りが兔や蛙のほうが気楽であった。
しかし、文句を言うほどの事ではない。幸運にも三席連続で空席があったので、その真ん中の席に腰を下ろした。
講堂中央に理事席、それを囲むように各理事の支援者の席、その更に後部には来賓席が設けられている。
次々と神々が入場し席についていく。日本の神も何人かいるようだったが、ほとんどが義政の知らない異国の神々であった。
月の政治を支配する理事の中に日本の神はいないようだった。
それに対して、残念というよりは、むしろ安心し安堵してしまった。それは自分が征夷大将軍でありながら、政に携われない劣等感から湧き上がる感情であった。
出席者である最後の一人、理事アレグロ・ダ・カーポが入場し理事会が始まろうというとき、義政の横から大声で話す二人組の西洋人がやって来た。
「クロウリー! あなたがエイワスと長話なんてしてるせいで、席が全然空いてませんよ」
「仕方ないだろう、エイワスは何を言ってるかよくわからん。
ところでだエンデ、聞いたところでは夢見人の傍聴者は少ないという。席が空いてないということはないだろう」
「傍聴者が少ないということは用意されている席も少ないということですよ」
「本当か。まぁいいよ、席が無いならその辺の床に適当に座るよ」
「やめてくださいよ。そういうことするとイギリスのイメージダウンになりますよ。そんなだから“世界で最も邪悪な男”とか言われるんですよ。
いっしょにいる私の身にもなってください」
「さすがドイツ人、まじめで手厳しいなぁ。でもさぁ、邪悪な男は言いすぎだよな」
「あなたがフリーダムすぎるんですよ。
……あっ、まだ空いてる。お、日本人。
そこの日本人の両隣が空いていますよ。あそこに座りましょう」
義政は席をつめようとしたが、クロウリーとエンデは素早く両隣に座ってしまった。
理事会は始まっている。義政は理事会の内容を聞こうとしたが、二人組みはそんなことにおかまないしで喋っている。
「エンデ、それにしてもよくこの人が日本人とわかったな。東洋人は皆同じに見える」
「日本人はね。わかりますよ」
エンデは義政ににっこりと微笑えみ、
「私はミヒャエル・エンデ。あちらにいるのが私の友人アレイスター・クロウリー。
私はジャパニーズホラーに目がなくてね。いやぁ、日本は素晴らしい国だ」
そして握手を求めた。
義政は握手に応じつつも困惑。
「ジャパ……? 日本が素晴らしい?」
彼の知る日本は政治の腐敗と戦火にまみれ、お世辞にも素晴らしい国とは言い難い。もちろんエンデの言う日本とは義政にとって未来の日本である。
クロウリーは、義政に詫びる。
「気にしないでくれ。エンデは日本人を見ると舞い上がってしまうんだ。
エンデ、あまりはしゃいだら迷惑だろう。この方は理事会を見に来たんだ」
「これは失礼、後であなたの時代のことをゆっくり聞かせて欲しい」
「はぁ、わかりました」
義政は返事をしたものの理事会の議題を聞きそびれてしまった。
“迷惑極まりない、ぶしつけな南蛮人どもめ”と不快に思う。
それでも、彼をないがしろにする富子、勝元、宗全に比べれば可愛いものだった。
だが、ドイツ児童文学作家ミヒャエル・エンデの暴挙は留まるところを知らなかった。
突然、立ち上がり絶叫したのだ。
「うわああああああ!! 彼女だ! 彼女こそが私の求めていた理想の姫君!!!」
周囲の席の者たちがギロリとエンデと、そしてクロウリーと義政を睨む。
無関係な義政にとっては迷惑な話である。知り合いと思われる。
クロウリーはエンデをたしなめる。
「なんだ今日の君は少しおかしいぞ。突然大声なんて出したら周りに迷惑だろう」
「あ、えっと、すいません。いやしかし、あの姫君を見てください。
今、執筆中の小説があるのですが、それに登場するヒロインのイメージがどうしてもまとまらず悩んでいました。
ですが、あそこ、理事席に座っている姫君が、私の心にズキンと響きました。彼女こそ私の理想の体現そのものだ」
クロウリーと義政は、エンデの言う理事席の姫君を見る。
長いつややかな黒髪に白い肌、十二単をまとっている。
「……なよ竹のかぐや姫」
義政は、ぽそっと言っただけだったのだが、エンデは聞き逃さなかった。
「なよ竹のかぐや姫! なんと雅で美しい名だ。
素晴らしい、素晴らしいぞ、まるで生命の泉のようにアイディアが溢れてくる。
かぐや姫……、幼心の君、月の子、そうだ月の子!
こうしちゃいられない、忘れてしまう前に目覚めてこの事をメモしておこう。
月の子、今、会いに行きます!」
そして走り去ろうとする。騒々しい男が一人いなくなるようで、義政は一安心。
できなかった。
イギリス人魔術師アレイスター・クロウリーがエンデを引きとめたのだ。
「エンデよ、去るのは結構。しかし、俺たちには俺たちの別れの挨拶があるだろう」
「ハッ、これは失礼」
そしてこの二人、義政の目の前でガッと互いの手を組み見つめ合う。
まずエンデが一声。
「汝の欲することをなせ――」
そしてクロウリーが応える。
「それが汝の法とならん!」
この独特な言い回し。義政は深い感銘を受けた。
“なるほど、人は好きなことをして生きていけばいい。それが最終的には己の法となるのだな”
エンデはご機嫌でどたどたと走り去っていた。
その反対方向から、見回りの兎の警官がやって来た。
「そこの席、さっきからうるさいぞ。あまり騒ぐようならつまみ出すぞ!」
クロウリーと義政の周りの夢見人たちは、ガンを飛ばしたり舌打ちしている。
この図太いイギリス人魔術師は気にも止めず涼しい顔をしているが、義政はそうはいかない。胃に穴があく思い。
“私が何をしたというんだ。私は被害者だぞ!”
室町幕府8代将軍、夢の中でも気苦労は絶えない。