表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/37

山村

 さやさやと風が流れていた。村を流れる川は太陽の光を映し出して輝き、もうすぐ収穫であろう稲穂はゆったりと揺れていた。子供たちは村を走り回り、彼らの後ろには雄大な山々が見えている。綿雲は青い空をゆったりと泳ぎ、梢からは暖かな太陽の光が漏れていた。


 俺は小高い丘、緑が覆う絨毯の上で仰向けになりながらぼんやりとそれを見ていた。頬を掠める風がとても気持ちよく感じられる。


 風に沿う様に呼吸をしてみるとまるで世界の時間が何ともゆったり進んでいるように思えた。


「先生。またこんなところに?」


 声のする方向を見ると笑顔を浮かべて少女が立っていた。年の頃は十六歳。大きな黒い両眼と同色の艶やかな髪が印象的な少女――凛だ。


 収穫を手伝っていたのだろう。その手に持たれた籠には色とりどりの鮮やかな野菜が入っている。


「凛」


 俺たちは出会ってから、いろいろな所を旅して回った。この少女が落ち着ける街や村を探していたのだが最近どこの国も戦乱に明け暮れているらしく不安定だ。おまけに飢饉がここ数年続き凛が落ち着けるような場所など、どこにも無かった。


 五年ほど転々とし、ようやく数か月前にたどり着いたのはこの村だった。


山間の隠れるように存在する美しく豊かな村。国の支配さえ及んでいない、幸せでいい所だ。――できれば。と思う。ここに落ち着けたらと。


 俺は彼女に目を向けた。


「――患者さんが待っているんです。サボってたら困りますよ」


 そうは言ってみたものの困っている様子はなくカラカラと笑っている。彼女は俺の横に腰を掛けると胡瓜を俺に手渡し、自身も口に含んだ。


 どこか小気味いい咀嚼する音が響く。


「そうか? 俺には奴ら元気そうに見えるけど?」


「面倒なだけでしょう?」 


 俺たちはここに医者として来ていた。まぁ、簡単に言うとそれしかできなかったのだけれど。しかしながらこの村の住人は誰も彼も健康だった。悪いところなど早々見当たらない。まぁそれはそれでいいのだ。こうしてぼんやりとしていられるわけであるし。


 だが俺は愚痴を聞くところではない。暇を見つけては嫁、旦那、子供、近所の悪口を言いに来る人がなんと多いことだろう。それにげんなりする。


 俺もまた胡瓜をかじった。味は無い。と言っても長年食事をしていなかった俺には味覚がほとんど無いのだが。みずみずしい感覚だけは分かった。


 シャリシャリと音が耳に響く。


「凛が代わってくれてもいいんだけど?」


 簡単なことなら教えてあるし、将来一人でも生きていけるようにこれからも教えていくつもりだ。それに相談ぐらいなら聞けるだろう。


 凛はあからさまに顔を顰め、ため息をわざとらしく吐き出した。


「――ええ。そうしようと思って。ただね。男性は喜んで受けてくれますよ。なぜか。でも女性は風当りが異常に強いんですけど?」


 俺は苦笑を浮かべ凛の横顔に目を向けた。


 凛は美人だった。たぶん自分では気付いていないだろうが。未だ幼さを色濃く残しているものの、整った顔立ちと薄い唇。大きな双眸に女性らしいしなやかな姿態。そしてこの性格だ。明るくまっすぐ。嘘などない。誰もが惹かれるだろう。


 誰もが――なぜか違和感を覚えて俺は考えを切った。


 それにしてもいつの間にこんなに成長したのだろうか。と俺は苦笑を浮かべた。ついこの間まで小さな子供であったのに。人間の速さには驚かされる者があったが同時に寂しくもあった。


 もう十六――。


 凛の横顔を見ながらふと思う、いつか誰かの許に嫁ぐのだろう――考えていると凛の大きな双眸が俺を覗き込んだ。


 一瞬だけ心臓が跳ねたが、そんな事は考え無いようにしてにこりと微笑んだ。


「――どうしたんですか?」


 衣服の裾から見える細く白い腕。普段は隠している為だろう。気にもならなかったがまだその腕には黒ずんだ後が残っていた。枷の跡。足もこのように残っているのだろう。


「手の跡は――と?」


 触れようとして手を伸ばすと彼女は慌てて引いた。その行動が理解できず俺は首を傾げた。というか避けられたようでなんだか不快だ。


 凛もそれに気付いたのか慌てて滑らかで白い手を差し出した。それを軽く叩く。ただそのことが、そんなくだらないことが何となく楽しく思えた。


「もういい。相談会に行ってくるわ。――てか、野郎どもは俺だと不快になるんだが知ってた?」


 むしろ殺伐とした空気が漂ってくるのだが。おまけになぜか殺気すら感じる。何かしただろうかといつも悩むが答えは出てこない。


 俺は立ち上がると軽く伸びをした。凛は軽く笑う。


「当たり前ですよ。先生は知らないんですよ」


「――何が?」


「知る必要なんて、無いんですよ」


 そう言うと答えなど教える気も無くどこか満足そうに胡瓜をかじった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ