朽ちた城6
「私も居るっ! 私は風雅に買われた――だから風雅と一緒に居る」
そんな事を言われても。困るしかなかった。第一水も食料も無い。雨風も防げない荒野で人が生きることはまず無理だろう。
俺は彼女の小さな肩をなだめるように抱くと凛はゆっくりと顔を上げた。その眼は涙に濡れている。
「凛。無理だ。会いに来れるのならいつでも来ると良い。だけど凛はここで暮らせない」
正直助けただけでここまでなつかれるとは思っても見なかった。俺は微かに苦笑を漏らす。
「じゃあ、風雅も一緒に行こう」
ぽろぽろと涙がこぼれる幼い顔にチクリと罪悪感がまた走る。
「無理だ。凛。俺はここから動けないんだ」
俺は凛に左手の腕輪を見せた。金色の細い腕輪。それは相変わらず鈍い光沢を放っている。
少女はそれを涙に濡れた双眸で不思議そうに覗き込んだ。俺は衣服の裾で彼女の瞼を軽く拭った。
「これが俺を縛り付けているから、俺はここを離れることはできないんだ」
もう誰にもこの封印は解くことなどできない。この腕輪を作ったものだけが封印を解けるのだ。当然だがそんな人間などとっくの昔にこの世から消えている。もう二百年も前の話だ。
あるはずなんてない微かな希望に目を瞬かせている凛に俺は苦笑を浮かべた。
「それを取れば私と一緒に行けるの?」
取れる筈なんてない。行こうとも思わない。だから『取れたら』なんてことは考えたことなど無かったし想像もできない。
もし、そうだったら。案外楽しいのだろうか?よく分からない。きっとそれは現実的ではないからだろう。
「そうだな。そうしてみようか?」
笑うと彼女は俺の腕輪にそっと少し脅えるようにして触れた。
見た目はなんてことの無いただの腕輪だ。もちろん凛には珍しいかもしれないけれど。
しばらくいろんな角度からそれを覗き込んだり、くるくると回転させたりしていた凛。彼女はやがて何かに気づいた様に険しかった表情を綻ばせた。
答えを見つけた、そういう様に。
悪寒が走る。
「――え?」
カチリと軽い音に俺は信じられなかった。何をしようと取れなかった留め金が外れ、するすると腕から落ちていくそれ。小さな音を立てて足元に落ちた。
何が起こったのだろう。それを理解できぬまま、鈍い輝きを瞬きすることなく俺は凝視していた。決して離れるはずの無いものだと思い込んでいたものがこんなにいとも簡単に外れるとは――しかも幼い少女の手で。
凛は満足そうに抜け殻のような俺の腕に絡みついた。ふわりと俺の頬に凛の黒い髪が撫でる。
「これでここから動けるね」
「動く?」
無邪気な言葉に、どこか空虚な言葉をぼんやりと返して俺は凛を見た。彼女はどこか得意げな表情を浮かべている。もしかしたら褒めて欲しかったのかもしれないが、俺の思考はすでに停止されていた。
「ここから離れる?」
なぜ――放ちそうになる言葉を飲み込んだ。それは約束したからだった。この少女との約束。だけれどそれは『あり得ることなどない』と分かっていたからだ。知っていれば約束などしないのに。
俺は目線を少しだけ落とした。この少女を傷付けないで済む逃げ道を探しながら、揺らめく双眸はどこも見ていない。
本当は動きたくなど無いと思った。そうだここから動きたくない。その言い訳に封印を使っているにすぎなかったのだ。
「怖い?」
反応するかのように心臓が跳ねた。俺にはどうしてそんな事を幼い彼女が言ったのは分からなかった。だが的を射た言葉に無意識に喉を鳴らしていた。
そうだ。俺はここを出て行くのが怖いのかも知れない。
ここは俺にとってすべてだった。幼い頃から大半をここで――この城で過ごし、これからもここにいるとそう信じて来たのだ。疑う事など無い。それ以外に考えることなど無かった。出て行くと言う事はまるで暗い荒海に一人で投げ出されることのように思えた。
ざわりと皮膚が粟立つ感覚がする。
「なぜ?」
凛の覗き込む大きな黒い双眸はどこか心を見透かすようにも見えた。恐れるにも足らない幼い少女。なぜか思わず目を反らしてしまう。
「うーん。なんとなく? ――みんなと同じかなって? 荷車から連れて行かれるときそんな目を浮かべていたから。怖くて不安。逃げたいって」
自分でもよく分からないようだった。凛は考えながら首を傾げる。
「でも――風雅なら大丈夫だよきっと」
「どうしてだ?」
聞くと凛は笑顔を浮かべて見せた。屈託のない幸せな笑顔。今まで人買いに囚われて逃げて来たなんてその笑顔だけ見れば誰が信じるだろうか。
彼女は軽く胸を張る。
「私がいるから。大丈夫なんだよ? 怖いことなんて何もないんだ」




