旅人
ラストの章です。もう少しで終わります>_<
炎が轟音を立てて怒り狂っているようだった。世界を明るく照らすそれは生き物の様にすべてを飲み込んでいく。その炎に人間はなんと無力なことなのだろう。なすすべもなく人々は悲鳴を上げながら逃げ去っていく。
逃げ出した私にはもう誰一人構う者などいなかった。
「――どうして?」
私は人波を遮るようにしてただ茫然と呟いていた。
悪夢のようだ。何もかも。燃えて消え去っていく建物も、死んでいるのだろうか。ぐったりと力なく倒れている血に塗られた兵士も。状況こそ違うがまるであの日を追体験しているかのようだった。
早鐘の様に鳴る心臓。強張る身体。荒くなる息。何か喉元から上がってくるのを感じて私は口元を思わず押さえていた。
脳裏に焼き付いた映像を無理やり抑え込みながら私はその人に眼を向けた。きっと今は震えている場合でも怖がっている場合でもないのだ。
大丈夫。私は大丈夫。と心の中で何度も唱えてから私はぐっと唇を噛んだ。全てを我慢するように。微かに震える右腕を左手で押えつける。
とにかく止めなければ。
「どうして?」
炎の真ん中に雪華は立っていた。白い肌は炎に照らされて朱に染まって温かみをわずかに感じさせた。だがその眼は冷徹だ。背筋が凍るほどに何の温かみも感じることはできなかった。先ほどまで笑っていた少女のような彼女はどこにもいない。虚ろな表情など消えさり、しっかりとした感情がそこに宿っているように見えた。
憎悪と言う名の感情。
「雪華」
声を押し殺すようにして言う私に彼女は答えなかった。
あの時ーー腕輪を外したと同時だっただろう。あるいは少し経ってからかも知れない。何かに弾かれるようにして私は強く床に叩きつけられた。息も詰まりそうになるほどの痛みと混乱。その中で身を起こすと、すでに雪華の姿などはそこに無かった。
埃だけが舞い上がった小さな部屋で何が起こったのか私が理解するまでにはしばらくの時間がかかった。それを教える存在もいなかったからだ。項弦は呼んでも応えることはない。どうやら愛想を尽かされたようだった。
消えたのだ彼は。
そんな中で突然、静寂を突き破るようにして耳に届いたのは何かが爆発するような低い音。そしてそれと合わせるような悲鳴だった。女――男。子供。逃げ惑っているのか慌てたような足音が扉の奥から響いてきていた。
当然の様に何が起こったのかはその時私に分かるはずも無く、分かることと言えばなにか尋常ではないことが起こっているということだけだ。
慌てて部屋を抜けると絶望のような景色が広がっていた。そして私はようやく知ったのだ。
その中心に雪華がいると言う事を。
「ご機嫌はいかがかの? 確か――凛と申したか?」
にこりと唇を弓なりに曲げた後で雪華は近くの炎を愛おしげに撫でる。不思議なことに撫でられた炎はチリチリと音を立てて、彼女の指に導かれるようにして分離した。まるで生き物のように。
燃える要素などなにも無い。それはすぐに地面に落ちて消えて行くものだと思っていたけれど雪華は平然と自分の掌にそれを乗せた。まるで小鳥でも乗せるかのような丁寧さで。
手の中にあるそれはどれほど待っても燃え尽きることなく炎は揺らめいている。雪華の手を焦がすことも無く。
「どうして、こんな事を? ――こんな酷いことを?」
低く非難するかのように言うと彼女は眉を跳ねた。




