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真紅の仙5

 警笛の音が暗い夜空に響き渡っていた。城を明るく照らし出す松明はうごめく様に揺れ城自体がどこか気持ちの悪い生き物であるかのように見えた。この城を護る兵は殺気立ち刀を抜いたまま。見つけ次第殺せと命令が言っているのかもしれない。


 見つかるのは時間の問題だろうか。と、私は緊張の中息を付いた。大体どこまで後宮なのだろう。もう超えたのだろうか。ずいぶん幾つもの建物を通り過ぎて来たのだけれど。とにかく私は納谷のような所に隠れていた。滅多に誰も立ち入ることなどないのだろう。埃っぽく大したものは置いていない。ありふれた水瓶、食器。藁などが置かれていた。


 項弦と話した後、驚くほど簡単にあの部屋を抜けることができた。締まっているはずの何故か鍵も開いていて、見張りも消えていたのだ。この幸運が彼のおかげか分からないが、そこを私は滑るようにして抜けて来た。はいい。しかしやはりと言えばやはりで、当然いないことなどすぐばれる。そしてこの通りいつの間にか大騒ぎだ。


 もう一度大げさにため息一つ。その目は薄暗い納屋の天井を捉える。


 だいたい一番問題なのは私が闇雲に逃げていると言う事だった。


「私、今日が命日になる気がする」


 ポツリと呟くと『大丈夫だって』と能天気な声が帰ってくるような気がした。しかしその姿など見えない。何をもって大丈夫なのかは分からなかったけれど逃げ切るしかない。


 いまさら。戻る気なんてない。私は会うのだ。生きて、風雅に。


 グッと握りしめた掌に長く整えられた爪がめり込む気がした。


 『こっちは調べたのか?』ふと耳に響く声がして私は身体を硬直させた。小窓から覗き込むと松明の淡い明かりの中兵士が二人立っている。当然私を探しているのだろう。彼らも例外なく抜き味の剣を持っていた。


 目と鼻の先ーー早鐘の様に煩く鼓動が鳴り響く。

 

 私は殆ど無意識に息を止めていた。脂汗がジワリと滲む。震える手を押さえながら後は心の中で必死に祈るしかなかった。何もかも一瞬で壊れてしまいそうな緊張の中で私は暗闇に紛れるように立ちつくしていた。


 『けどよ。こっちて噂聞いたことねぇ?』一人の兵士の言葉に私はようやく一度だけ瞬きをした。乾いていたらしい。チリチリと微かに痛む。しかしそんなこともお構いなしに話は続く。『なんだよそれ?』『この辺には悪霊が住んでるって。女の声だ。聞くと呪われ――』ふと何かに気づいた様に顔を上げた。驚愕の表情にもう一人の男も思わず表情を凍てつかせた。


 押し殺した空気の中で松明だけが軽い音を立てて燃えている。


 『な、なんだよ』もう一人が不安げに言うと『黙れ』と聞こえてくる。耳を澄ます男。それにつられるようにして私も思わず耳を澄ませていた。


 歌だ。繊細で小さな声。女性の声のようだ。歌詞はよく分からない。けれどそれは美しくなんだかとても切ないように聞こえた。


 『お、おいっ』『やばいって』口々に言い得体の知れない恐怖に震える声。『こ、ここは誰も居なかったよな?』押し付けられた答えにもう一人は反論することは無かった。どうやら彼らの頭の中は私の事など失念してしまっているらしい。


 押し殺した沈黙の後、『へ?――お、おう』と慌てるようにして身を翻し兵士は背中を丸めて去って行った。


「ーーつ」


 ようやく私は息を止めていることに気付いた。疲れも何もかもすべてを吐き出すように息を付くと、入って来る新鮮な空気に身体中が満たされる。規則的な心臓のリズムを感じながら私は緊張の糸が切れるのを感じていた。


私は足元から崩れるようにして壁伝いに座り込むともう一度息を大きく吸い込んだ。


 目に映るのは幽霊の青年だ。私はそれを見据えた。彼は他人事のように涼しい顔をしている。


 少し羨ましく感じるのは気のせいだろうか。


「ようやく出て来た。項弦。これ知ってたの?」


 ひとまず安心だったが、こんなところで止まっていても見つかるのは時間の問題だろう。動かねければいけないと、震える足を何とか制御しながら私は立ち上がった。力は入らない。けれど、歩くしかない。内心自分自身を叱咤しながら一歩を踏み出していた。


 それに。


『いいや。知らねぇ。たまたま?――けど。近づかない方がいいかも』


 彼が言う前に私は無視するように歩いていた。なぜか私には淡い期待があったのだ。それほど恐れられている主ならここに兵士はしばらくーー少なくとも朝までは、来ることが無いかもしれない。何か脱出できる所を知っているかもしれないと。


 周りには人がいないようだ。遠くで松明の炎が揺れている。


『あ。ええと。嬢ちゃん?聞いてる? ――なんかさっきまでの人間と別人のようなんだけど?』


 腰を低くし、建物や木の影に隠れるようにして移動する。一瞬隠れていない項弦を見て肝を冷やしたがよく考えなくとも彼は幽霊だった。人には見えないのだろう。


 次第に近づいて来る歌声。それはなんだか導くようでもあった。


だがしかし、いくら歩いても建物は――人が住めるような建物は見当たらない。気のせいではないだろう。確かに先ほどの兵士も聞いているのだから。


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