真紅の仙4
黒い双眸は何を映すわけでもなく私を見返していた。
「しんゆう」
この世で私を心配する人間は殆どいないと言っていい。両親とは子供の頃に別れ親戚の家からは平然と売り飛ばされた。先生に助けられてからは各地を転々としていたため知り合いは無く――考えてくれるのはたった一人だけだ。それが自惚れでなければ。『父親代わり』と言った先生の言葉が真実であると言うなら。
「――怒ってないの?」
震える唇で呟いていた。
私は彼の言いつけを守らなかったのだ。結局村の人間を死なせてしまった。自分を犠牲にしても護りたかったものなのに。知れれば怒らないはずなんて無いと――思っていた。
『なぜ?』
項弦は殆ど無表情に返した。何を考えているのかは見えない。
「護れ無かった。……私は言いつけさえも」
目の前に未だ鮮やかに光景が広がる。血塗られた腕。叫びながら死んでいく人。兵士たちの狂気に満ちた笑顔。何もかも覆いたくなるような光景に私は顔を顰めて見せた。
焼け付くような臭いは今でも鼻孔に残る。口腔内に血の塊があるような気がして私はそれを飲み込んだ。
「そのために村人――劉裕は死んだわ。怒っていないはずは、無い」
『ふぅん』
どうやら私は項弦に何かを期待していたらしい。それは慰めだったのかもしれないし罵倒だったのかもしれないが、興味一つなさそうな言葉に微か胸が痛んだ。
彼はため息一つ。近くの寝台に腰を掛けた。
『で? あんたはどうしたいの?』
「え?」
何を言われているのかよく分からない。私は目をぱちぱちと瞬かせた。
『怒っていたとして――もう会いたくないのか? と聞いている。――ここで国王の女で終わるのもいいと俺は思うけど?』
贅沢な暮らし。国がある限り身の安全は保障される。毎日美しい衣服を纏い、いつ来るとも分からない王を待つ。外に出ることも無く空を見上げながら。まるで鳥かごの中に居るように。それでもいいのかもしれない。自身を殺して生きるのは罰の一つの様に思えたから。何もかも今までの事を捨ててここで――。
項弦はするりと私に手を伸ばす。
『選べ。一生暗愚で退屈な人生か。お前の言う罪を背負ってもあいつと生きるか』
彼の言葉に反応するようにしてポツリと涙が落ちた。また一つ。すべてか終わるまで泣かないと決めていた。であるはずなのに私の涙は自然と落ちて頬を濡らした。
今まで鮮明に思い出されるのはあの日、血塗られた夜だけだったのに。どうしてだろうか。今浮かぶ光景はとても幸せだった。幸せで泣きたくなるほどに。
黄金色に光る田畑。小さな丘の上は頬を撫でるように柔らかい風が流れている。子供たちは遊び人々は笑いながら畑仕事に勤しんでいた。隣で眠っているのは黒とも紫紺とも言える不思議な髪を持った青年で私が覗き込むと琥珀の瞳を瞬かせた。
綺麗な人だった。出会った時から何も変わらない。彼は私を見て笑っている。柔らかい日の光の下で笑っている。
――風雅。
もう二度と呼ぶつもりなど無かったその名を私は心の中で唱える。名を呼ぶたびにどこか遠くなる気がしていたから。壁のようなものが出来上がるのを感じていたから。
項弦は笑う。どこか困ったように見えるのは何故かは分からなかった。
『これは俺が言えた義理じゃねぇし、あんたの選択なんだが――泣くほど諦めるのが辛いなら諦めるべきではないと思うぞ? それが選択できるのならなおさらだ』
私は項弦に目を向けた。濡れた涙を拭う事も無く。視界が軽く歪んでいる。
「項弦――風雅と行ってもいいのかな? 風雅は嫌がらない?」
『さぁ? けれどあんたはそんな事で諦めるの?』
あきらめたくない。一緒に居たいと願うから。また一つ罪を重ねてもあきらめたくなかった。
私は唇を一文字に結ぶと透き通った彼の大きな掌に自身の掌をそっと重ねた。




