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山村3

 そんな事できるはずも無いことは俺自体が重々承知していた。どんなに願っても祈っても通り過ぎ砂塵へと消えてしまった人々を思い出す。けれどやはり願わずにいられないのだ。俺にはきっとあの子と居ることがとても幸福で満たされたものであったから。


 しかし受け入れることしかできないのだと分かっている。俺にはそれしかできないと言う事を。


 俺は軽く瞑目した後でゆっくりと歩き始めた。丘の上、二人を見ないようにして。


「項弦。俺はやはり来るべきではなかっただろうか?」


 呟きは誰も聞くことはなく、答える者もいなかった。


「え?」


 間抜けな声を出していた。ぱちぱちと瞬く瞼。


 気が付くとなぜか日が暮れかけていた。いったい俺は何をしていたのだろうか。村人と話していた気もするが、思い出せないほど時間が過ぎている。


 窓の外ははゆっくりと赤から青へ。そして濃紺へ変わり始めている。東にはうっすらと上弦の月が輝いていた。昼間走り回っていた子供の姿はどこにもなく外は世界が眠りに入るように静寂が包み始めていた。


 ただ虫の声だけが辺りに響きわたっている。


 ぱちぱちと鳴らす竈の前で火をくべながら俺はぼんやりと何も考えることなく座っていた。きっと何も考えたくなかったのだ。

 

 くつくつと沸き立つ鍋には何も入っていない。そういえば野菜を入れるつもりだったがその野菜は凛が持って行ったままだ。俺は無意味に竈の火を見つめていた。


 突然驚くようなけたたましい音に俺はぼんやりしていた頭を覚醒させ顔を上げた。刹那――扉が乱暴に開いて閉じられる。まるで扉が壊れるのではないだろうか。と心配してしまう勢いだ。


「り、ん?」


 入って来たのは当然のように凛だった。小柄な少女は俺の前に野菜の入った籠をわざとらしく投げつけると大股で俺の前を通り過ぎていく。


 その横顔は赤く、涙まで浮かべていた。ここに来るまで散々泣いたのだろう。瞼は腫れ上がりその唇は硬く真一文字に結ばれている。


「凛」


 怒っているのは一目両全だ。彼女は俺を無視するようにしてそのまま寝台の上に滑り込むと小さく丸まった。まるで猫のように。


「――来ないで」


 固い拒絶。その状況に俺は一瞬戸惑った。そんな事今まで一度だって無かったから。だが言う事を聞く気にもなれなくて俺は寝台の足元に腰を下ろした。凛が泣いているからと言うのはきっと詭弁で俺は二人の事を聞きたったのかもしれない。


 一人用の粗末な寝台。当然二人分は想定していないようで嫌な音を立てて足が軋んだ。


「知ってるんでしょ? 劉裕の事――どうしてけしかけたの?」


 どのぐらいだろう。敬語ではない凛の口調を聞いたのは。久しぶりすぎて違和感というか落ち着かない気がした。俺は肩を竦めて見せた。


「心外だ。俺がけしかけなくても事を起こしていたと思うけど? 結果は同じた。俺は凛が良いなら反対はしない。それだけ言っただけだ」


 沈黙。湯の沸騰する音だけが家中に響いていた。


「私が――お嫁に行ってもいいんだ」


 ようやく顔を上げた少女。酷い顔をしていた。涙で目は腫れてぼさぼさの髪が頬に張り付いている。


 彼女は真っ赤な目で俺を見る。


 何か鈍い音が心の中に起きる気がして、俺は一瞬声を詰まらせたがそれに凛が気づくことは無いだろう。


「それは必然だからな――子供は親の許を立つだろ?」


 行って欲しくなどないと誰が言えるだろうか。今は嫌がっていても必ずいなくなるだろう。もう凛は大人に向かって歩いている。庇護の必要ない女性になって歩いていくのだろう。そう思うと淋しかった。


 俺は凛の柔らかい頬に触れると髪を整え、涙を拭った。ほとんど無意識に。子供の頃からそうしてきたように。


 一瞬だけ凛の身体が強張った気がしたがすぐにそれは解ける。


「風雅は親じゃないでしょ?」


 覗き込む視線にピクリと指が反応した。その反応が何かを考えることを俺はしなかった。きっと面白くない答えに行くことを分かっていたのかもしれない。俺の目は感情を映し出すことなく凛に向けられる。


「そのつもりだけど?俺は五年前から保護している。親のようなものだけど。違うの?」


 凛は悔しそうに視線を落とした。


「……私は――」


 何かを言おうとしたと同時だっただろう。彼女の言葉を遮るようにして、乱暴に家の扉が叩かれた。


 何度も、壊れんばかりに叩かれる木製の扉は酷く軋んだ音を立てている。


「何だ?」


 俺は凛を見ないようにして寝台から離れると小窓から外を覗き込んだ。そこには幾人か赤くパチパチと地面照らす松明を掲げて立っている。どこかその雰囲気は尋常でない気がした。


 一瞬にして空気が変わる。


 ただし、どこか救われた気がして息を付いていたことも事実だったが。


「何か、あったみたいだ」


 言うと凛は小さく頷いて起き上がる。相変わらず切り替えだけは早くて感心した。


「風雅様、いるんだろ?開けてください!ちょっと大変なことに」


 男の声が響く。俺は慌てて扉を開けると見覚えのある村の中年男が先頭に立っていた。村の長だ。劉裕の父親。だが『それ』とは別の話だろう。顔は強張り緊張している。


『それが』と言いかけ村長の付き添いが幾人か顔を見合せた。


「村の入り口に兵士が倒れていて――それも『由』の奴らなんだよ」


 由国。旅している間に情報を手に入れたのだがこの大陸には現在『由』『六』『江』『全』が存在している。大陸のほとんどを支配しているのが『由』ほかの国は生き残りをかけて戦っていると言った感じだ。ちなみにこの村は『六』に属し地図にさえ乗っていないような村だったのだけれど。


 兵士が来た。と言う事は村自体が見つかった可能性が高く、おまけに『由』となると戦場になる日も近い気がした。


 ごくりと唾を喉に押し込んだ。


「……生きて?」


 殺した方が無難だろうか。けれどどっちにしてももう遅い気がする。俺は唇を噛んだ。せっかく凛が長く居ることができる場所を見つけたのに。


「やはり殺すしか?」


 村長は呻いた。どうすれば分からないようだ。明らかに困惑した表情が顔に張り付いている。きっと今までこの村は平和そのもので何も無かったのだろう。


「もう死にかけですって。村長ほっといても死にますって」


「しかし」


「……とにかく診るさ。俺を案内してくれ。凛、後で使いを寄越すかもしれない。ある程度の道具は整えておいてくれ」


 凛が頷き近くの棚から本などいくつかの品を見つくろうのも確認することなく俺は身を翻した。




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