遠き記憶の欠片<2017年8月11日>
――――昔、ずっと一緒に遊んでいた女子がいた。
「ねぇ……ねぇってば奏夜ッ」
「んん……」
長い髪を後ろに結ってポニーテールを風になびかせて、いつも一緒に傍で遊んでいた小さな女の子。
肩ぐらいしかいつも背がなくて、顔は今も変わらない童顔。
スカートが良く似合っていた。
白いシャツが少し膨らんでいた。
目は大きくて、歯は笑えば八重歯が見えた。
名前は、片倉沙紀。
隣の家に住む、小さな女の子。
「も、もう。こっち見ないでよッ。シャツ濡れてるんだからッ」
「?」
「もう、奏夜の鈍チンッ」
「ちん」
「い、いいから!」
「うん……」
「うう……最近大きくなってきてやだなぁ……お母さんにブラ頼まなきゃ」
「着替えまだぁ?」
「まだっ」
「あい……」
いつも一緒だった。
今日も、一緒に市民プールに行っていた。
「できた?」
「うんッ。行こう奏夜ッ」
通さんと母さんはいなかった。
父さんは別に二人でいって構わないって言っていた。
母さんは、いつも忙しくて家にいなかった。
沙紀のお父さんもお母さんも言ってきて構わないって言ってくれて、いつも二人でプールを泳いでた。
楽しかった。
親はいないけど、二人だけだけど、ぼくは、不思議と彼女と傍にいるのはいやじゃなかった。
なんだか、デートしてるみたいだから、ドキドキしてて、いやじゃなかった。
「髪カビカビ……」
「水泳帽持ってこないからだよ。ほら、拭くからじっとしててッ」
「いいよ、別に。『』使えばすぐだから」
「もぉ。奏夜はいつも『』に頼るッ。ほらタオル出して、私が乾かすからッ」
「だって『』は便利なんだし……」
「ほらぁ、早く早くッ」
「むぅ……」
帰りも、いつも同じ道だった。
家は傍だから、帰り路も一緒で、ぼくはいつも彼女の横顔を見ながら帰っていた。
ぺたぺたとアスファルトに濡れたサンダルの足音が聞こえる。
沙紀の足音は、少し大人しい。
後ろを振り返れば、水着の荷物を持ってる彼女がいた。
沙紀は少し歩くのが遅かった。
長い黒髪がまだ少し濡れていた。
塩素の匂いがしていて、結った髪が夏の風に揺れて、日差しを受けてとても綺麗だった。
ぼくは、少し歩く速度を緩める。
自然と、並んで歩くようになって、ぼくは道路側に回って彼女を脇道に寄せた。
ふと見下ろせば、彼女が照れくさそうに覗きこんでた。
ギュッと手を握ってくれた。
「ありがとう、奏夜……」
「別に……」
「でも、ありがとう……」
「ん……」
少し赤らんだ頬が見えて、いつもは幼いのに、大人びた表情が不意に見えて胸がどきどきした。
汗でシャツが濡れて、肌がうっすらと見えて、もっとドキドキして、ぼくは声が出なかった。
だから、ぼくは俯いて、顔を紅くして、彼女の手を握った。
―――――ギュッと彼女は握り返す。
爪が少し、手の甲に食い込んだ。
痛かった。
だけど――――嬉しかった。
言葉は出なかったけど、あんまり話はしなかったけど、ぼくは彼女と一緒に並んで帰り路を歩いた。
見上げた空は、蒼かった。
ぼくと彼女の最後の夏休みが、これで終わると思うと、なんだか寂しかった。
寂しくて、ぼくは彼女の手を強く握った。
彼女はぼくの手を強く握り返した。
その手は手折れそうなくらい細くて、柔らかくて、でもとても暖かかった。
ずっと繋いでいたかった。
夏が終わるまで、夏が終わってからも、ずっと。
ぼくは―――――
「奏夜?」
「……ん」
――――ぼくは、沙紀が好きだ。
多分、とても好きなんだと思う。
そう思うと余計に声が出なくて、ぼくは俯いて沙紀の不思議そうな表情に目を背けた。
だけど、それでも強く沙紀に手を引っ張って、あぜ道を歩いた。
2017年八月十一日。小学五年生の夏。
今年も、とても暑かった。