独白:いつも君が傍にいた
――――実母は、家を出ていった。
当時の姉と妹を連れて、出ていってしまった。
だから、今までずっと一人だった。
親父はほとんど家にはいない。
もぬけの殻の我が家に、俺はずっと一人で何かをしていた。
何をしていたのかは覚えていない。
ただ、何か薄暗い部屋で何かをしていた。
覚えているのは、途方もない寂しさと、悔しさ―――――
「ねぇ奏夜。これどうやるの?」
「見方が悪い。図形傾けてみろよ。面白いものが見えるさ」
「あ……」
「だろ」
「うんッ」
十歳の秋。
誰もいない家の前で泣いている俺を、父か母に殴られていた俺を助けてくれたのは確かに彼女だった。
俺は彼女の家で半年過ごした。
親父が沙紀の家族に俺を預ける形になった。
多分――――
「奏夜、これってどうやって書くの?」
「貸してみ?」
「うんッ」
「――――出来た」
「うん、ばっちりッ」
「これでクラスの連中にも教えてやれるな」
「……むぅうううう!」
「答えだけ見てもいいが、計算過程を忘れないようにな」
「はぁい……」
――――沙紀といて、俺は幸せだった。
余分な部屋がないから一緒の部屋で毎日過ごした。
毎日、沙紀と一緒に同じ天井を見て、ベッドの中で秘密の会話をしながら大人にばれないように夜を過ごした。
「すごい……奏夜魔法使いみたい」
「……。だろ」
クスクスと笑う彼女の声が、今でも頭に残る。
暗い部屋の中、ギュッと同じベッドで手を握る感触を、今でも覚えている。
彼女の少し興奮した息遣いを聞くたびに、今でも胸が苦しい―――
「奏夜ぁ……これぇ」
「めげるな……ちゃんと俺も教えるから。古典なんて単語と助詞の活用おぼえればすぐだろ?」
「……もしかして、宿題やった?」
「二日で終わったよ……」
「夏休み前私と一緒にやろうって言ったじゃんッ」
「だから今一緒にやってるじゃん……」
「ずるいッ」
「そういう男だよ……」
―――――今でも、女はキライだ。
我がままだし、何かすればすぐに手を出して、喧嘩を始める。或いは近付こうとすらしない。
どいつもこいつも見た目ばかり気にして、見えるのは尻と胸だけだ。
女は胸と尻と脚だけあればいい。
あほくさい。
死んでしまえ――――
「奏夜?」
「……なんでもないよ」
「怖い顔をしてる。……ほら、笑って?」
「……にぃ」
「……。笑うと怖い」
「言うなよ……軽く凹むから」
――――それでも、沙紀を見ているときは、そんな気分が和らいだ。
ざわざわした気持ちはなかった。
代わりに胸の奥が焦げ付くように、熱かった。
息が苦しくて、眼を合わせるのが最近は精いっぱいだった。
それでも彼女はいつも傍にいた。
この感情は、多分、嫌悪感じゃない。
もっと別の何かだ。
俺にとって、彼女は『女』ではないのだろう。
じゃあ、なんだ?
沙紀は、何者だろうか。
沙紀は――――
「……沙紀」
「何?」
「あのさ……」
「?」
「……なんでもない」
「変なのぉ……」
「うっせぇばぁか……」
「何それぇ!?」
「ほれ、座りなさい。授業の時間だ……」
「ぶぅうう……はぁい先生」
「ったく……」
―――胸が痛い。
話しかけるたびにため息ばかりが、零れた。
暑くて、熱で何度もため息が零れた。
今日も暑くなりそうだ……。