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深淵ヨリ産マレシ紅キ獣




 一時間が過ぎて、程なくのことであった。


「……お、繭が破れる」


 ――――表面に浮かぶ切れ目。


 それは滑らかな斬痕となって、グラウンドに聳え立った繭の表面を、衝撃と共に吹き飛ばした。


 飛び散る黒い靄。


 そして晴れていく巨大な繭。


 ゴードンは校舎の屋上に立ちながら、立ち込める黒い靄を前にニヤリとほくそ笑む。


「よぉ、遅かったな。息子」


 ――――グッと握りしめる刀の柄。


 噛みしめる唇。


ゴードンの声に肩を僅かに震わせ、鞘に刃を収めた刀を両手に、そこには、奏夜が一人立っていた。


「……うるせぇ」


 俯きがちに呟く様に、ゴードンはため息交じり手すりに頬杖を突く。


「泣いてんのか? 可愛いねぇ」


「……」


 ジワリと滲む目尻を拭い、奏夜は顔を上げる。


 気だるげな視線の先に立つのは、黒鎧の巨人を背に立つ、一人の女性。


 大剣を両手に構えて、真剣な表情で向き合うマリア・オズワルドを前に、奏夜は気まずそうに眉をひそめた。


「……おい」


「奏夜……!」


「――――ちょっとまて」


「は?」


「……どうしてかねぇ。こんなに心が締め付けられるのは生まれて初めてだ」


「奏夜……!」


「――――なぁ、お前よ。知ってたのか? 知ってて俺の後ろにずっと付いていたのか?」


 そう言って惚けて立ちつくすマリアを横目に、奏夜は深いため息と共に気だるげに夜天を仰いだ。


「なんでだよ! なんで俺の傍にいたんだ!」


 闇は何も答えず、沈黙が夜に広がる。


「こんな……こんなクズの傍にどうしているんだ!」


 それでも、奏夜は声を枯らし、涙を浮かべ、夜に手を広げる――――


「ずっと後ろにいて、歯がゆかったろうに、下らない男だと嘲るだろうに、何もできない男だと見限るだろうに。


 どうしてだッ、どうして俺の後ろにいた!」


 ―――――約束したろう、誰よりも強く、願ったろう?


「俺は……お前を巻き込んだ! お前を殺した!」


 ―――――ああ。正解だ。


「こんな男をなぜ生かす、なぜ殺さない! なぜだ! なぜだぁ!」


 ―――――愛している……奏夜、我が主よ。



「……沙紀」


 ―――――我は深淵の底で誓った。お前の背中を見続け、闇に誓った。


「俺は……俺も」


 ―――――誰よりも強く、そして永遠に、我はお前とともにいよう。


「……すまない」


 ―――――獣に身を堕とそうと、魂を食いちぎられようと、我はお前の傍にいる、近い、我は今ここにいる。


 キィイインッ


 刀が振動する音が鍔の隙間から響く。


 グッと握りしめる刀の柄。


 奏夜は項垂れ、手に持った刀を胸元にかざすと、鞘を右手に柄を左手に添えて、息を吸い込んだ。


「なぁ……お前の望みは何だ」


 ―――――永遠なる伴侶。……お前と、ずっと傍にいたい。


 蒼く光を放つ身体の文様。


 グッと涙を拭い、払う袖。


 魔術式の激しい輝きと共に、奏夜は眼を見開くと、険しい表情をマリアに向けては、声を吐き出した。


「良いだろう! だが、俺と一緒に沙紀を助けてもらう! こいつだけは何があっても、俺が助ける!」


 ――――承知ッ。


「なら……行こう、沙紀」


 ――――どこまでも……一緒だね。


「ああ……刀魂放気、無刃・閻魔獄!」


 宵に閃く刃。


 ザッ


 虚空を音無く切り裂き、引き抜いた透明な水晶刀は、僅かに地面を抉り振り下ろされた。


「……深淵の奥に眠りし者よ」


 ――――ドクン……


 拍動する世界。


 周囲の景色が大きくたわみ、亀裂が走り、歪み、地面に無数の罅が走って衝撃波が走った。


「祖は闇の獣、無尽に輝きにあてられ、世界を作りし影なる者。闇に沈みし世の狭間に沈みし、光届かぬ大いなる徒」


 言葉を一つ紡ぐたび、衝撃波が奏夜の足元から噴き上がる。



 そして、バキンッと音が夜に響く。


 それは世界に亀裂が走る音。


 奏夜の背中の景色に、裂け目が走り、うっすらと黒い靄が溢れだす。


「ならば我、魂の輝きにて、汝を救いあげん、血を注ぎ、命を注ぎ、魂を注ぎ、闇をかき消す光となりて、我なる影を今ここに現さん!」


 開いていく世界の裂け目。


 メキリ……


 大きく開けた罅割れの向こうより、巨大な腕が二本、這い出しては裂け目を開き、奏夜の背後より現れる。


「無尽なる輝きを世界に注ぎ、我が前に姿を現せ、我が影、我が魂、我が永遠なる友。その身体を受けて、世に召喚せよ!」


 メキリ……


 裂け目が広がり、紅い体毛を全身に帯びて巨躯が這い出す。


 闇に細める紅い瞳。


 ニィと牙を剥きだし、ほくそ笑む裂けた口元。


 突き出た口腔から蒸気を噴き上げ、耳を尖らせ体毛を逆立て、黒き獣が世界の向こうより這い出す。


 大きく口を開ける――――


「我が前に来い、深淵の獣よ、ゼノアトラぁ!」


 ――――委細、承知……!


 ドォオオオオンッ


 迸る爆炎に掻き消えていく夜闇。


 噴き上がる炎が渦を描いて、奏夜の周りを纏い、昇る龍の如く立ち上っては周囲の靄を飲み込んだ。


 炎が身体を包み込む。


 息ができないほどに、暖かい。


 ため息が零れ、銀色の髪が熱気に揺らぎ、奏夜は紅く滲んだ瞳を細めて振り返った。


「……よぉ」


 ドスンッ


 地面にめり込む巨大な両脚。


 振り返った先、そこには世界の裂け目より這い出す『獣』の姿があった。


 揺らぐ炎の如く、全身を覆い尽くす紅い体毛。


 両手足には、拳を防護するための巨大な銀の手甲、脚甲。


 鋭く紅い瞳を細めつつ、嬉しそうに突き出た牙を剥きだす。


 ムフゥ……


 突き出た鼻筋から噴き上がる深紅の炎。


 全身に纏った紅い体毛を打ち震わせ、巨躯を裂け目より這い出し、そこには紅き獣が出てきていた。


 ゼノアトラ――――名を与えられし『獣』はその体躯を震わせ、奏夜の背後に立ち上がる。


 そして主を見下ろし、愛おしげにスゥと眼を細めて囁く。


 ―――――会いたかった……ずっと、ずっと……。


「……いいんだな?」


 ―――――勿体ない言葉だ、それだけで我はお前の為に全てを捧げられる。


 ニィと嬉しそうに歪む口元。


 全身から炎を噴き上げ、黒き獣は唸り声を上げてゆっくりと両手を地面から離して立ち上がった。


 その高さは約六メートル。


 全身に炎を纏い、見上げるばかりに巨大な『獣』の熱気に、マリアは後ずさる。


「凄い力……でも……!」


 ―――――ゆくぞ、マリア……。


 ズシン……


 地面にめり込む脚甲。


 その手に巨大な剣を担いで、黒鎧の巨人アルクトゥルスはたじろぐマリアを護るように前に立った。


「アルクトゥルス……」


 ――――伝えたいことがあるのだろう……躊躇いは己を殺す。


 外套は熱気にはためき、黒い鎧は炎に紅く滲む。


 その兜の奥に紅い瞳をぎらつかせ、肩に担いだ大剣の柄に両手を這わせ、黒鎧の巨人は身を低く構える。


 ――――行くぞ、我が主よ。


「……はいッ!」


 ――――淵の獣よ、雄々しき騎士の名を以って相手をしよう!


「奏夜ぁ!」


 光の尾を引き飛び出す巨躯。


 その黒鎧に炎を映しながら、獣アルクトゥルスが、炎の巨獣へとその剣を振り下ろした。


 ギィイイイインッ


 飛び散る火花。


 斬りあげた刀の軌跡が、大剣の振り下ろしを受け止め、弾き返して、マリアを仰け反らせた。


「マリア・オズワルド! 問おう!」


「な、何を!」


「なぜ俺を狙う!」


「知れた事をぉ!」


 後ずさるマリアと連動するように黒鎧のアルクトゥルスが吹き飛ばされ、地面に土埃を上げる。


 ゴォオオオオッ……


 吹き飛ばした拳には炎が揺らぎ、巨腕に力を込めつつ巨獣ゼノアトラはニィ笑う。


 土煙の向こう、巨剣を杖に立ちあがる黒き騎士を見つめて、全身の体毛を逆立て唸り声を上げる。


 ―――――クハハッ、頼もしいな。それくらい頼もしくなくては国は護れんな!


 ―――――主に仕える意味は……共に同じ。


 ―――――貴様と一緒にするなよ三下、我は永遠にこの男を護る、何一つ傷はつけさせない!


 ―――――できんよ……物はすべからく壊れる。


 ―――――やってみせるさ。我が愛した男だッ!


 ドォオオオンッ


 土埃を上げて飛び出す巨躯。


 その紅い体毛を靡かせ駆ける巨獣に、夜風が熱を帯びて背中を叩き、奏夜は風に銀の髪を靡かせた。


「あんたも、こことは別の世界から来たんだろう?」


「そうよ……君を連れ帰るために」


 そう言って、杖代わりにしていた大剣を構えて一歩すり足に立つ少女を前に、奏夜は首を横に振る。


「お前は俺の力が欲しいと、エリスから聞いた」


「欲しい。あなたには不要な力だから」


「解せんな……手前の理屈を通すかと思えば俺の為? 腹の底が見えんで薄気味悪いぞ」


「――――覚えてないの?」


 少し哀しげに呟くマリア。


 その表情はどこか見たことがあり、奏夜は苛立ちに顔をしかめつつ、刀を肩に担いで地面を蹴った。


「吐き気がする!」


「私はずっと君を見ていた、小学校のころから大学までずっと見ていた!」


「俺は高校生だ!」


 弾きあう刃と刃。


 吹き飛ばして地面に手を突くマリアを追いかけるように、奏夜は刃を振るい、飛び上がる。


「でやぁあああ!」


「私は……穿てガラティアード!」


 振り薙ぐ刃は光の軌跡を描いて、飛び込む奏夜の胴を切り裂き、奏夜は吹き飛ばされるままに地面に叩きつけられた。


「がはぁ!」


「奏夜!」


「ぐぅ……なれなれしいんだよ!」


 胸にジンワリと浮かぶ刃の痕を抑えながら、奏夜はヨロヨロと立ち上がり、刀を構えて叫んだ。


「沙紀は、返してもらう……俺の命に代えてでも、絶対だ!」


「……奏夜」


 光を放つ大剣を両手に握り構えながら、マリアは銀の髪を靡かせ、紅い目をぎらつかせる青年を見つめる。


「アンタが何者か走らんが、沙紀を巻き込み、俺に喧嘩を売った事、死ぬほど後悔させてやる……!」


「――――後悔しているよ」

「やかましい、今すぐ轢き潰してやる……!」


「……ガラティアード、嘆きを切り裂く光の剣よ!」


 飛び出す少年に向けられた光の刃が輝きを増し、マリアは力一杯にその大剣を振り下ろす。


 光が駆ける奏夜へと向けられる――――


「奏夜、手を引いて。私を一緒に来なさい!」


「『光』を吸い尽くせ、無刃・閻魔獄……!」


 ―――――迸る輝きが水晶の刃に映えて、虹色に刀が色を帯びる。


「な!」


「光を放ち、夜を切り裂き、世を開かせ! 光刀・天輪七聖刀!」


 ダンッ


 地面に深く踏み込めば、立ち上る土埃。


 風に靡く銀の髪。


 身体を低く踏み込むままに、大剣を振り下ろしたマリアの懐へと身体を低く滑るように潜り込んだ。


 スゥと細める紅い瞳。


 身体を僅かに仰け反り振り下ろした光の剣を持ち上げようとするマリアを覗き込み、奏夜はグッと柄を握りしめる。


 スゥと息を吸い込む―――――


「切り裂け、光の白刃よ……!」


「ガラティアード!」


 ―――――浮かぶ無尽の斬痕。


「あ……」


 パキン……


 破裂する。


 抜き身に、一瞬にして閃きが走った次の瞬間、マリアの持ち上げた剣がバラバラに砕け散った。


 光を帯びて、夜に散り咲く無数の破片。


 ソレは光雪の如く、夜に舞い落ち、ボロボロのシャツを翻し、背を向け刃を収める奏夜の後ろ姿を映す。


 夜に散る雪が、鞘に収める光の刃を強く照らす――――


「強い……」


「……うるせぇ」


 カチン……


 唾を叩く鞘の音が響き、奏夜はその場に崩れ落ちるマリアを横目に、ゆっくりと落していた腰を上げた。


 そして横目に視線を上げては、見上げた先には、風を切る紅き獣の背中。


 ドォオオンッ


 土埃を上げ、振り下ろした拳の先に黒鎧の巨人を捉え、紅き巨獣は炎を纏い紅蓮の尾を引く。


 ―――――グゥウウウウ……主よッ。


 ―――――よそ見をするな、アルクトゥルス……!


 ―――――けだものがぁ!


 土埃の向こうから飛び出す巨躯。


 黒鎧が紅き炎を受けて蒸気を噴き上げ、アルクトゥルスは巨剣を振り払いて地面を蹴る。


 そして振り下ろす刃の切っ先に目を細め、紅き巨獣はニィと笑う――――


 ―――――ギャーギャー喚くなら勝ってからにしろ!


 ドォオオンッ


 迸る衝撃波に靡く銀の髪。。


 奏夜は崩れ落ちて項垂れるマリアを抱えて、奏夜は拳と剣でつばぜり合いを繰り返す獣の視線から飛び退いた。


 ジジジッと跳ねる火花を横目に鋭く細める獣の眼光。


 牙を剥きだしほくそ笑む紅き巨獣を睨みつけ、甲冑の奥から騎士は息を荒く剣を押し込む。


 ―――――主の敗北、我が剣にて取り返そう!


 ―――――勝つことに意味はないぞ……!


 ―――――ほざけ!


 ―――――敗北と勝利しか見えぬ、白か黒しかわからぬ利かん坊め!


 メキリッ


 剣にめり込む五本の鋭い爪。


 刹那、爪を通じて炎が剣全体へと這い寄り燃え上がり、黒い鎧が一瞬で炎に包まれ燃え上がった。


 ―――――我は、主と添い遂げると決めた。苦しい時も病める時も変わらず!


 ―――――永遠に報われぬものを追う夢想家よ!


 ―――――為せる! 故に我は百年の時を超えて再び彼の者に会えた! 


 甲冑の首にめり込む鋭い爪。


 グッとアルクトゥルスを持ち上げるままに、紅き巨獣はニヤリと不敵な笑みを浮かべて吼えた。


 ―――――どれだけの時を経ようと、彼の者が変わろうと、我は再び彼の者の下につき従おう!


 ―――――恐ろしい獣よ……!


 ―――――我が名はゼノアトラ! 主に与えられし肉と力、その身に受けるがいい!


 グォオオオオッ


 咆哮が夜闇に響き渡り、ゼノアトラはアルクトゥルスの首に食い込ませた腕に力を込めた。


 そして迸る小さな爆発。


 首元の装甲が大きく剥がれ落ち、仰け反るアルクトゥルスを前に、ゼノアトラは踵を返した。


 ブンッと風を切る長い尻尾。


 尻尾の先を甲冑の足に撒きつけるままに、ゼノアトラはアルクトゥルスを地面にたたき付けた。


 そして風を大きく切り振り上げる右腕。



 腹部装甲にめり込む拳と共に、衝撃波が地面一杯に走り罅が大地を蛇の如く縦横に走った。


 ――――ぐぁ……!


 ――――主が作りし剣が全てを吸い込む得物なら、我は全てを与えよう!


 くの字に曲がって地面にめり込む巨躯。


 その剥がれかけた首元を持ち上げ、蹴りあげると、ゼノアトラは爪を伸ばして地面を蹴りあげた。


 虚空に落下する甲冑の巨人へと、闇を駆けて紅き巨獣が駆ける――――


 ――――その鎧に、その身体に、その魂に!


 浮かび上がるは無尽の閃き。


 火花を上げる暇も無く、爪が無数に走り切り裂き、仰け反る巨人の黒き鎧に浮かんでいく。


 ――――二度と消えぬ痛みと傷をくれてやる!


 闇に閃く刃の痕。


 炎を靡かせ、長い尻尾を翻し、腕を振り薙ぎ、爪で鎧を抉り裂いて、巨獣は背中を向ける。


 そして黒き甲冑に無数の残痕が浮かぶ。


 それは身体全体を切り裂く巨大なXの字に、浮かび上がる――――


 そして闇に走る大きな爆発。


 放物線を描いて爆炎の向こうから吹き飛ぶ黒鎧の巨人を横目に、ゼノアトラは地面に爪を立て足を下ろした。


 ドォオオンッ


 土埃を上げて、校舎の壁にめり込む巨躯。


 黒い鎧の間からは立ち上る蒸気と白煙。


ギシギシと悲鳴と火花を上げてアルクトゥルスは、ぎこちなく剣を杖代わりに立とうとする。


―――――強い……な。


パキンッ


 刃に亀裂が走り、音を立てて破裂する巨剣。


 支えを失いやがてぐったりと壁を背に崩れ落ちる黒鎧の巨人を前に、紅き巨獣はゆっくりと地面を蹴りあげた。


 そしてその拳を振り上げるままに、スゥと紅い瞳を細める――――


 ―――――終わりだ……!


「ゼノアトラ……」


 ―――――我が主よ……。


 噴き上げる熱波を前に、気だるげに書き上げる銀の髪。


 暑さにため息をつきつつ、崩れる黒鎧の巨人と紅き巨獣の間に、奏夜がマリアを担いで立っていた。


「悪いな……少し聞きたい事がある」


 ―――――女を助けるのではないのか?


「そこまで下種な男じゃないさ。……多分な」


 苦笑いを含ませつつ、不満げに目を細めて口を尖らせるゼノアトラに、奏夜は怖々と首をすぼめた。


 そうして担いでいたマリアを、その場に下ろすと、奏夜は片膝を折り座り込む。


「……おい」


「――――奏夜?」


 意識が戻ったのか、眠たげにとろんとする丸い瞳。


 そのどこかとぼけた幼い表情に、奏夜は僅かな既視感を覚えつつ、惚けるマリアに顔を強張らせた。


「聞かせろ……俺を捕まえてどうする気だ?」


「――――婚姻届を……出したかった」


「……はぁ?」


 ポカンとする奏夜をよそに、マリアは俯きながら、顔を赤らめて、唇を恥ずかしげに尖らせる。


「あのね……私ね、奏夜が大好きなの」


「はい……」


「はいじゃないんですけど……」


「うっす……いやいや、お前、何者よ?」


「――――エリスと同じく、封印の魔術師よ?」


「エリスと……同じ?」


 奏夜はハッと紅い目を見開き、キョトンとするマリアの顔を覗き込む。


 その幼い表情と、あどけない眼はどこかで見たことがあった。


 どこかで―――――


「……沙紀?」


「嬉しい、また名前で呼んでくれるなんて……」


 ――――マリアは微笑む。


 ブワッと溢れだす汗。


 背筋を駆けるチリチリとした予感。


 奏夜は顔を引きつらせつつ、後ずさるままに声を震わせながら、その事実に青ざめた表情で呻いた。


「……う、うそ……」


「嘘じゃない……ぼく――――私はずっと奏夜を追いかけてきたの」


「……マリアって名前は、どこで」


「源氏名、みたいなもの。封印の魔術師に所属する時は自分の名前を隠す必要があったし、エリスもそうしてた」


「……どうして、俺を追いかける?」


「だって、奏夜。私と結婚してくれなかったし……」


 プクッと頬を膨らませるマリアに、奏夜は頭を抱えてその場に蹲って何度も首を振って見せる。


「き……記憶にございません」


「嘘ッ、婚約指輪も貰ったし、結婚しようって何度も囁いてくれたし、それにぼく奏夜に処女も捧げたんだよ!」


「ええええええ!? まずここでいう事じゃない!」


「覚えてるよね、この校舎の上で、私奏夜に結婚しようって言われたんだよッ。ずっと一緒にいようってッ」


 顔を真っ赤にしてたじろぐ奏夜に、マリアは覆い被さるように前のめりになると、眼を吊りあげて奏夜の顔を覗き込んだ。


「覚えてるよね……大好きだって、好きで……ずっと一緒にいようって」


「そ、それは……」


「私はずっと覚えてる。十年間、私奏夜の言葉を忘れることがなかった。


 だから……追いかけたの。奏夜がぼくの所からいなくなるから、ぼく、奏夜のお嫁さんだから……!」


「お、俺逃げたのか!?」


「逃げたよッ。大切な人を助けにいくって、どこか行って、時間を何度もさかのぼって別の世界に行って。


 その度に、君、何度も死んで深淵に取り込まれそうになって……!」


 ポタポタと涙が滴る。


 泣き顔で彼女の顔がクシャクシャになっていき、奏夜は戸惑いを覚えつつ、下に敷かれたままマリアを見上げる。


「ま、まじかよ……」


「うう……ひくっ」


「あ、あの……沙紀。俺な」

「私……奏夜の事をもう、失いたくない……ずっとずっと奏夜の傍にいたい」


「沙紀……」


「奏夜に力は必要ないの……別の場所に行く必要ないの。力なんてなくてもずっと平和に普通の生活だって暮らせる。


 私は……奏夜の力を奪いたい、それでずっと一緒に暮らしたいの」


「……」


「なのに……それだけなのに、目一杯攻撃して……」


「えと……」


「ううう……ううううっ、ふぁああああ! 奏夜のバカぁ!」


 そう言いながら抱き付いてくるマリアに、奏夜の身体がギシギシとホールドされていく。


 その万力に息ができなくなり眼の前が白くなる――――

「さ、沙紀……息ができないッ……」



「やだぁ! 私もう奏夜の傍にいる、もう力なんて奪わない、だから攻撃しないで、ずっと一緒にいて! 私の事何してもいから、ずっとずっと傍にいて!」


「わかった、もう白旗上げる、俺はもう攻撃しないから……!」


「だったら私だけの旦那様でいてよぉ! 毎日キスして、毎日ベッドでいっぱいえっちしていっぱい子ども作ろう、私達夫婦なんだから、毎日一緒にして当然だよね!


 ね、奏夜、私とずっと一緒にいて、私だけの旦那様になって! 私、奏夜とずっと繋がっていたい。


 奏夜……私奏夜が大好きだから……!」


「あ、あぅ……」


「……奏夜?」


 顔を上げれば、奏夜が青ざめた表情で眼を回していた。


 マリアは涙を浮かべながら、必死な形相で奏夜を慌てて起き上がらせると、彼の身体を揺さぶった。


「そ、奏夜ぁ! 眼をさまして、またどこかに行かないでぇ!」


「ぐへぇ……」


 ――――貴様の主、相変わらずのアホだな。


 そう言ってじゃれあう二人を横目に、フンと鼻を鳴らして紅き獣は顔を背けた。


 ググッ


 軋みと火花を散らし、抉れた校舎の壁から黒鎧の巨人は起き上がってヨロヨロト立ち上がり、その背中を見つめる。


 ――――自分の面に、唾を吐き掛ける事も無かろうに……。


 ――――やかましい……!


 ――――お前の勝ちだ……ゼノアトラよ……。


 ――――全て、主のものだ。その勝利も、我が力も。


 そう言う言葉尻はどこか寂しげで、紅き獣は顔を上げた。


 地平にうっすらと光の筋が走った。


 住宅街とビルの隙間から、僅かに茜色の光が溢れだして、寄せる波の如く辺りを染めていく。


 頭上をよぎる雲が頬を染め、薄暗い大地が色づき始める。



 夜が西に引き、朝が東から昇る。


 夜明けがやってくる――――


「うう……沙紀……俺……」


「奏夜、奏夜ぁ!」







この調子だと土曜日ごろに終わる予定。

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