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あの日見た小さな君の背中



 ――――四年前、ここから始まった。


「いでで……」


 ――――覚えているか、奏夜よ?


 痛みが背中に走る。


 意識がとびとびになり、眼の前が明滅して、顔をしかめつつ、奏夜は身体をよじり上体を起こした。


 そして擦った瞼を開き、周囲を見渡せばそこは暗闇。


 否、僅かな光によって、周りの壁やドアや窓が輪郭を帯びていた。


 そこは長い廊下。


 右には窓。


 左には六年C組と書かれた教室の札が書かれていた。


「……ここは?」


 ――――藤真第二小学校。お前も懐かしい母校だ。


「……なぜ。ここに?」


 ――――ここは、過去の記憶だ。


「?」


 ――――深淵は色き虚構。故にお前の記憶を吸い込み、記憶の世界を映し出す。


「……記憶の世界」


 ――――否。堕ちた記憶を受け、深淵はあらゆる世界より、彼の地を引きずり出した。


「……」


 ――――2017年8月25日……ここは現実だ。


「……過去に戻った?」


 ――――深淵は神が創りし時間と空間の制約を受けぬ。故に現実であり、ここは世界の外だ。


「……そう、か」


 ――――なつかしいだろう?


「……ああ」


 コツリ……


 引き寄せられるように、奏夜は薄暗い廊下へと一歩を踏み出した。


 見渡せば、そこは確かに見覚えのある、校舎内の廊下だった。


 記憶をたどれば妙なことがいくつかあった。


 ドアの形が違った。ここまでボロボロになってはいなくて、教室のドアも破れていないはずだった。


 廊下の床にはびっしりと紅い肉が広がっていた。


 何より、教室の表記の仕方が、覚えているものと違った。


「……俺は、六年三組だった」


 ――――この時間は、どこにも属さぬ。お前が経験した時間とも、あの女が生きた時間とも。


「昔……」


 ――――ああ、お前は幼馴染とここに来た。


「沙紀は……?」


 ――――探せ。自らの犯した罪と共に。


「……お前は?」


 ――――すぐ傍だ、焦らせるな、バカ。


 クスクスと笑い声が手元から聞こえてくる。


 視線を落とせば、そこには抜き身になった水晶の刀が握られていて、奏夜は表情は強張らせて頷いた。


 タッ……


 割れた窓ガラスを踏む音が廊下に響く。


 すりガラスの戸窓から見える教室の景色は暗く、それでも机が後方の壁へと積み上げられているのが見えた。


 廊下の窓は暗い。


 一寸先すら見えぬ、景色。


 否、まるで墨を塗りたくったように、のっぺりとした闇が周囲に広がっていた。


 それは、奏夜の中でよく知るものだった――――


「……『深淵』」


 ――――そうだ。これは我らの世界の一部。


「じゃあ、ここは確かに小学校の……」


 ―――――四年前の、な。


「……四年前」


 ―――――お前は、あの日大きな罪を犯した。自らの魂すらも砕く最大の罪。


「……」


 ―――――眼を開け、そして見よ。ここは記憶の向こう側にある世界の一幕だ。


 頭の中から声が遠のき、奏夜は言われるままに暗闇の中を歩く。


 どれほど時間が経とうか。


 暗闇に目が慣れたころ、大きな音が廊下の先、眩い閃光と共に吐き出されて、鉄筋コンクリートを叩いた。


 校舎全体に走る重たい衝撃。


 25ある廊下の窓に一斉に罅が走る。


 足がすくみ、奏夜は思わず胸を抑える。


 爆音はソレほどに激しく、閃光は炎となり教室の扉を突き破り、闇を抉り飛び出した。


「あ……」


 天井を舐め噴き上がる炎と共に出てくるのは、右腕を失った巨大な怪物の姿。


 そして、小さな人の背中。


 全身に蒼い文様を浮かべ、眼を紅く血走らせ、そこには一人の少年が、牙を剥いて飛び出した。


 まぎれもない、それは懐かしい、自分の背中だった。


「グォオオアアアアアアアアアアッ!」


 牙を剥きだし吼え駆ける少年の背後には、巨大な腕が何もない虚無より這い出し、巨人の首を掴んだ。


 ブシャァアアッ


 飛び散る血飛沫が天井に滴り、壁にまきちらされる。


 そして胴体が地面にたたきつけられ、千切れた首が巨大な腕の中で一握りの下、ミンチに変わる。


 鮮血があたりに飛び散り、服を紅く濡らす。


 それでも、背中を震わせる少年の怒気は、溢れて止まらず――――


「グゥウウウ……壊してやる……殺してやる……」


 呟きながら少年はポケットから何かを取り出す。


 それは一枚のノートの一頁。


 スゥ……


 ページの切れ端から、真っ白な紙が血煙に当てられ紅く染まり始める。


 飛び散った鮮血に紙をかざすままに、少年は眼を閉じて、祈るように手を胸元に添え囁く。


「ホトラエストラクルス・グラマトン……祖は獣、祖は闇、祖は隷属者。永遠にもがき苦しみそして果てよ、一切の慈悲なく祖は永遠の闇すら見ることなく首を北に腕を南に、千切り

撒いて、土は土に、灰は灰に、魂はかの地に縛り付けん!」


 その憎悪と怒りと、後悔に満ちた声が廊下に響き渡り、奏夜は茫然とした表情で、少年の背中を見つめる。


「……あれは」


 ――――懐かしいだろう?


「……。俺」


 ――――かつて、お前達はここに来た、一緒にいたいという祈りと共に。


「……魔術?」


 ――――隷属の魔術だ。魂を永遠に縛り付け、その輝きのみを抽出する。


「……」


 ――――つまるところ、魔術書というのは、幾億の魔物と人の魂を隷属し、封入して出来ているというわけだ。


「……情報の集合体」


 ――――そして、それらを一気に世界にばらまけば、処理しきれず世界は自壊する。


「……論理爆弾」


 刹那、周囲に飛び散っていた鮮血が、渦を描いて少年が翳した紙の中へと吸い込まれていく。


 そしてその紙の表面に、ビッシリと血文字が浮かび、少年はその紙を両手に丸める。


 そして、祈るように囁く――――


「これでいい……これだけの情報量があれば、一つぐらい命の情報が……!」


「……」


「頼む……頼む……沙紀。生きて……生きて……!」


「……沙紀は、どうなったんだ?」


「!」


 声が廊下に響き、少年はハッとなって振り返る。


 そこには、刀を片手に躊躇いがちに髪を掻きつつ、歩み寄る奏夜がいて、少年は眼を血走らせたまま、後ずさった。


「誰だ!」


「――――覚えていないんだ。昔の事」


「邪魔するな、沙紀を助けるんだ、早くしないと!」


「……」


「沙紀は、今どこに?」


「うるさい、うるさい!」


 少年は泣きじゃくりながら、何度も首を振る。


「僕が……僕がいなかったらこんなことには、僕が……ぼくが……!」


 ――――四年前、ここには小さな綻びがあった。


 キィイインッ


 水晶の刃が振動し、淡く光を放ち周囲の闇をかき消す。


 そして長い影が奏夜の足元から伸び、背後から何かが、ズシンと物音を立てて這い出してきた。


 光を背にして振り返れば、それは大きな何かだった。


 影を身に纏った――――


「……小さな綻び、世界の裂け目」


 ――――そして呼応するように、お前は魔術師として力を使った。そして、代償として世界は崩壊した。


「……」


 ―――――二人は願ったろう? 何よりも、心から強く……。


「……一緒にいたい、か」


 ザクリと床に突き刺す水晶の刃。


 自嘲気味に笑みを滲まつつ、奏夜は力なく項垂れるままに、その場に崩れ落ちる少年の下に歩み寄った。


 そうして、泣きむせぶ少年の背中を摩りつつ、ぎこちなく、奏夜は微笑む。


「……悪いことじゃないんだ。多分な」


「でも……沙紀が死んだ。ぼくが力を使ったから……僕が巻き込んだから……!」


「――――なら助けよう。俺たちならできるだろ?」


 少年は泣き腫らした顔を上げ、奏夜の顔を覗き込む。


 その手にクシャクシャになった紙を強く握りしめて、震えた声で、奏夜の手にしがみつく。


「助けたい……でもどうすればいいのかわからない」


「願うだけじゃだめだ。行動しないとな」


「行動……」


「どこにいる?」


「……こっち」


 言われるままに、奏夜は立ち上がり、突き立てた刀を取ると少年に引っ張られて教室に入った。


 薄暗い教室の中、そこには少女が一人横たわっていた。


 頭が割れて僅かに血が流れていた。


 ピクリとも動かず、痛ましく虚ろな目が天井を見つめていた。


 リボンが解けて、長い髪が紅く濡れていた。


 そこには、片倉沙紀が、横たわっていた。


「……沙紀」


「……沙紀、ぼく……ずっと……君に」


 眠る少女の傍に座り込む少年の背中を見下ろしながら、奏夜は気まずそうに顔をしかめて項垂れた。


 グッと刀の柄に指が食い込む。


 息を吸い込み、奏夜は強く目を閉じる――――


「……やれるのか?」


 ――――お前が思い描く通りに。その宝具は神をも殺し生かす。


「ならやろう……」


 ――――本来なら、四年前、この娘は死んだ。そして深淵に呑まれて澱みの底へ堕ちるはずだった。


「……『死』を吸い込め、無刃・閻魔獄よ」


 奏夜はそう囁くままに膝を立てて座ると、横たわる少女の胸元へとその水晶の刃を押し当てた。


 吸い上げられていく血溜まり。


 対照的に紅く黒く染まる水晶。


 刃を強く握りしめ、柄に力を込めながら、奏夜は眼を閉じ、静かに囁く。


「……命を捨てし者に祈りを、命ある者に災いを。深き澱みの底に手を伸ばし、幼き魂に光を与えよ。


 死を超え、時を超え、命を超え――――眼を覚ませ」


 ――――ピクリと瞼が動く。


「そして産声を上げよ、死刃・白相墜破天清盛……」


 ずしりと両手に重みが走る。


 ソレと共に眩さが閉じた瞼の合間を縫って視界を横切り、奏夜は眼を開いて手元を覗き込んだ。


 そこにはほっそりとした白い刀が手に握られていた。


 物干しざおの如き、長さ一メートルの刃少女の身体に覆いかぶさっていて、奏夜は刀を肩に担ぐままに手を伸ばす。


 そして、小さなため息と共にソッと長い髪に指を這わせる。


「なぁ……沙紀。起きろよ、家に帰らないと、おじさんに怒られるな」


 ――――瞳に光が浮かぶ。


「……奏夜?」


 腫れぼったい瞳が眠たそうに動いて、覗きこむ奏夜の顔を物珍しそうに見つめる。


 その懐かしさに、奏夜は照れくさそうに笑みを滲ませると、小さく首を振って立ち上がった。


「―――――知らないおじさんだよ」


「……?」


「沙紀ぃ!」


 不思議そうに首を傾げる少女を横目に、奏夜は踵を返すと、飛び出す少年を横目に歩き出した。


「沙紀、僕……ぼくぼくぼく……ごめん……!」


「……奏夜」


「ごめんなさい……僕のせいで……ぼくが君と一緒にいなかったら」


「……」


「ごめん……僕……ごめんなさい……ごめんなさい……!」


「――――奏夜のね、声が聞こえたの」


「……え?」


「……聞こえた。今にも泣きそうな声で、ずっと傍にいた」


「沙紀……」


「ずっと一緒にいようねって……ずっと手を握っていた気がして……ずっと傍にいた気がして。


 暖かかった……奏夜の手、すごく暖かかった」


「沙紀……ずっと」


「……ずっと一緒にいようね。奏夜」


「うん……うん……」


 ――――照れくささにため息が零れた。


 奏夜は教室を後に廊下へと出ながら、クシャクシャと髪を掻きつつ、抱き合う二人を背に薄暗い廊下に足を踏み入れる。


「なぁ、これでいいのか?」


 ――――すぐにわかるさ。


「……ん?」

 

ドドドドドッ


 足元から突き上げるような衝撃に、奏夜は廊下の真ん中で足を止めると周囲を見渡した。


 そして周りに目を細めて、断続的な振動に身体を強張らせる―――


 ――――思いが叶うとはこういう事だ。


「……さっきの話、続いてるのか?」


 ――――そして、願いと共に魔術は発動し、情報量の過多に世界は崩壊する。


「……深淵が広がってきている」


 振り返れば、そこには廊下一杯に溢れだす黒い靄があった。


 奏夜は顔をしかめるままに、肩に担いでいた白い刀を床に下ろすままに、柄に両手を這わせる。


 グッと一歩をすり足で出し、腰を低く構える――――


「エリィ……これがお前の見た世界か……!」


 ――――そう。世界の崩壊が始まり、幼い主は、この闇に立ち向かう事になった。


「今の俺がやっても問題はないッ」


 ――――かつて、主は、生き返った少女を護るため、或いは死した少女に報いるため、深淵に幼くも立ち向かった。


「死した少女? エリスの話とは違う……!」


 ――――だが、骸と共に少年は深淵に堕ちた、深い闇の澱に眠ることになった。


「ぐぅ!」


 刹那、覆い被さるように押し寄せる膨大な黒い靄。


 白い刃を眼前にかざしつつ、奏夜は身体に脚に力を込め、前のめりに黒い靄を押し出そうとする。


 身体に刻まれた文様に光が走る。


 ソレと共に黒い靄に覆われた刃が光を放つ――――


「ぐぅうう……刀魂放気……!」


 ――――奏夜。我が愛しき主よ。私はお前のことを忘れなかった。忘れられなかった。


「な、何を!」


 ――――深淵に堕ちて、死んで、身体を闇に食われて、獣の姿に堕ちて、記憶が欠けて、それでも忘れなかった。


「……!?」


 ――――身体が覚えている、お前の匂い、お前の手の感触、息遣い、胸の鼓動。少し照れくさそうな笑顔。


「な……何を言って!」


 ――――死んで闇に意識が落ちても、ずっと手を握ってくれていた、魂がお前の全てを記憶している……お前が、死んでも大好きだと。


 ドスンッ


 困惑に見開く奏夜の眼の端から巨大な腕が伸びてきて、溢れだす靄を押し返す。


 その表面にはびっしりと紅い体毛が生え、巨木を一ひねりできそうなほどに大きな手の平が奏夜の眼の前に会った。


 ゴクリ……


 喉鳴らして、奏夜は後ろを振り返る。


 そして、涙を流す――――


「そんな……」



 ――――奏夜。私の大切なあなた。この困難を共に切り抜けよう。




「……お前は」



 ――――さぁ、我が名を呼べ。我が名は……!



「沙紀……!」


 光が刃から溢れだす―――――




 ――――奏夜、大好きッ……!




「さ……沙紀ぃいいいいいい!」


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