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獣の誘い/夜に深く沈む

 

 ――――薄暗い闇があった。


「……」


 ドロドロとした黒い靄。


 辺り一杯に広がっては、夜の薄闇とは比べ物にならない濃度と肉厚さが、眼前に広がっていた。


 月明かりすら入らない、深み。


 まるで深海にいるかのような息苦しさと暗さ。


 校舎全体を覆って吐き出されたソレは、校庭全体を包み込んでいた。


 藤真第二小学校。


 そこは一切を遮る『闇』に沈んでいた――――


(……覚えている……懐かしく感じる)


 周りには誰もいない。


 それどころか、人の気配もない。


 いつもは電気がついている住宅街も、この一帯だけは、まるで夜逃げしたかのように明りがなかった。


 まるでゴーストタウン。


 息苦しさすら感じる静けさの中、奏夜は僅かに汗を拭う。


「……沙紀」


 今にも正門から溢れだしそうなほどに膨張する黒い靄。


 奏夜は、苦しげに息をのむままに、ぐっと腰に溜めていた刀の鍔に指を駆けて眼を細める。


(深淵……これが……なら……!)


 腰を落とし前かがみに、すり足で一歩を踏みこむ。


 そして柄に力を込めては、刃が顔を覗かせる――――


「……『深淵』を吸い込め、無刃・閻魔獄……!」


 ――――闇に走る一迅の刃の閃。


 空気を切り裂き、夜の閃く刃の太刀筋が刹那、眼の前の分厚い靄に浮かび上がり、斬痕が虚空に刻まれた。


 スッと奏夜は刃を鞘に収める。


 そして柄が鞘鍔を叩いた次の瞬間、眼前の黒い靄が一瞬のうちに霧散して、頬を叩いた。


 開けていく眼の前の景色。


 月明かりの白が降り注いで夜を僅かに塗りたくり、校舎の景色を映し出す。


 そして見えるのは、広い校庭に、大きな校舎。


 奏夜は開いた正門を潜り、校庭に一歩を踏み出すままに、眼の前の五階建ての建物に眼を細めた。


「……」


 胸に抱くのは郷愁。


 そして名も知らない後悔。


 記憶はなく、されど感情ばかりが頭をめぐり、奏夜はため息を一つつくと周囲を警戒しつつ、歩きだす。


 まだ校舎全体を覆うように、靄が夜の闇に広がっている。


 いや、溢れだしている。


 足元から突き上げるように―――――


(……まさか)


 ――――風を抉る音。


「奏夜ッ!」


 振り下ろされた巨大な剣は虚空を斬り、奏夜は飛び退くままに、目の前に立ち上る土埃に目を細めた。


「……あんたか」


 ぐっと柄に這わせる指。


 だが刃を抜く暇もなく、土煙を払い巨大な剣が眼の前をよぎり、奏夜は身体を低く地面に手をついた。


「おおっと……!」


「ここで……ここで決着をつける!」


 晴れた土煙の奥から出てくるのは、黒い鎧とボロボロの外套を身に纏った巨人と、背の低い女性。


 それぞれが巨大な剣を持ち、向かってくる様に、奏夜はグッと刀を構えた。


「エリスが言ったッ、ここに来ると!」


「それがどうした!?」


 月光に目を紅く染めながら、立ち向かってくる黒ローブの少女。


 そうして振り下ろす巨大な剣を前に、奏夜は持っていた刀を引き抜かず、鞘を突き出し受け止めた。


「なぜ、お前がここを知っている!」


「なぜ? 覚えていないの!? もう忘れてしまったの!?」


 メキメキメキメキ……!


 振り下ろした刃に押し込まれ、膝が折れて地面に脚がめり込んでいく。


 奏夜はグッと両手で刀の柄を握りしめると、押し返しながら、刃の向こうにローブ姿の少女を睨みつけた。


「忘れたよ、全部! 手前のホムンクルスとかに記憶を吸われてなッ!」


「もう一度思い出させてあげる、あの日何があったか!」


 目を血走らせて、少女は怒りに巨大な剣を振り下ろす


 ――――風を抉る鋭い刃の響き。


 ハッとなって振り返れば、そこには風に外套を靡かせ飛ぶ黒鎧の巨人が見えて、奏夜は慌てて横に飛び退いた。


 ドォオオオオンッ


 振り下ろした巨大な剣が二本、奏夜のいた場所を深々と抉り飛ばす。


 そして土煙の向こうから這い出すままに、奏夜は汗を拭いつつ、立ちあがって腰に刀を構える。


「何を言っている、お前は何者だ!?」


「マリア・オズワルド……封印魔術師……貴方に全てを奪われた女よ」


 土埃の向こうから顔を出すのは、夜風に外套を靡かせる少女の背中。


 そしてその後ろ姿を護るように、片膝を折り蹲る黒い鎧の巨人を前に、奏夜は息も絶え絶えに叫んだ。


「奪った!? ふざけたことを抜かす!」


「奪った、私から大切なものを全部取っていった!」


「やかましい! 手前の感情をこっちになすりつけるな、鬱陶しいんだよ、そんなに憎いなら一連問答一切語らず殺しに来い!」


「是非も無し……!」


「沙紀とエリスを返してもらうぜ!」


「何の話よ!?」


 刀を引き抜こうとする手が止まる。


 見開く蒼い瞳。


 駆けよるマリアを前に、奏夜は愕然とした表情で言葉を切らすと、振り下ろす刃から飛び退いた。


「な……なんで」


「貴女から取ったものは一つ、あの女だけ! アレはあのホムンクルスに預けてある!」



 ――――不意に、背中に刺さる視線。



 舐めるような寒気が走り、振り回す大剣を捌きつつ、奏夜は目を見開いて後ろを振り返った。


 そこは、校舎の屋上。



 初老の男が気だるげな表情で立っていた。


 脇には、人影が二つ。


 気絶してぐったりしている。


 風に結った髪が靡いている――――


「……てめぇ」


 立ち止まるままに、奏夜は目を見開いた。


 小さなため息が僅かに風に乗って聞こえてきて、立ちつくす奏夜の肌に蒼い文様が浮かび上がる。


「甘いねぇ……」


「――――エリスに何をした?」


「まぁ、騙される奴が悪いってな」


「……下種が」


「ありがとう……」


「――――奏夜ぁ!」


 眼の前からは、甲高い声を上げて、少女が走ってくる。



 背後には剣を両手に構え、黒鎧の巨人が見える。


(このまま……手は無し、か)


 奏夜は力なく項垂れると、小さなため息と共に、腰に溜めていた刀からゆっくりと手を離した。


「好きにしろよ……」


 ――――主よ……。


 声が頭に響く。


「奏夜、覚悟ぉ!」


「……おせぇよ」


 奏夜はソッと刀の柄に指を掛ける。


 そして、抜く――――


「――――刀魂放気」


「な……!」


 ――――噴き上がる『闇』


 引き抜いた刀の鍔から靄が一斉にあふれ出しては、地面に広がり立ち上り、奏夜の周囲を包み込んだ。


「ぐぅ……」


 ――――大丈夫だ、我に全て任せろ。


 溢れだす黒い靄はドンドンと膨れ上がって、奏夜の姿を飲み込み、やがて大きな眉を作り上げた。


 慌てて飛び退くマリア。


 その巨大な黒い繭を前に、口惜しそうに顔を歪めつつ、巨大な剣を両手に構えた。


「そんな……アルクトゥルス!」


 グルルルルゥ……


 唸り声を上げながら、巨人アルクトゥルスは静かに首を横に振り、剣を構える少女の背後に座り込んだ。


 そして駆けだそうとする少女を引きとめるように、巨人はソッとその片手に少女を抑えて持ち上げる。


「離しなさい、彼の所に行かなければ、行かないと!」


 ガゥ……


「奏夜、奏夜ぁ!」


 響き渡る悲鳴。


 暴れるマリアをよそに、黒き繭は高々と校庭の真ん中にそそり立ち、周囲の黒い靄を吸い込み始める。


 それは渦を描き、繭はさらに巨大化していく。


 今にも破裂せんほどに――――


「……すごいな。こりゃ世界丸ごと深淵に堕ちる勢いじゃないか」


 周囲の深淵を吸い込み膨れ上がる巨大な眉を屋上から見上げながら、ゴードンは眼を丸くしていた。


「なら、或いは目覚めるか、奏夜・オズワルド……」


 ドクン……ドクン……


 巨大な繭が脈打ち空気を震わせる。


 そして夜の月明かりすら吸い込み、『深淵』が集まる――――


「或いは、再び眠りの闇に沈むか……」






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