色無き刃に魂を込めて
「あら、奏夜くんでしたっけ? お久しぶりねぇ」
「……」
藤真市図書館。
静かな館内の入り口の受付前に、大人びた女性が一人、微笑んで奏夜の前に立っていた。
奏夜の隣には、スカートとTシャツ姿のエリスの姿。
どちらも少し表情を強張らせながら、眼を動かし周囲を警戒している。
その少しぎこちない様子に、受付の女性にこりと微笑んで、青年の傍に立つ幼い少女に話しかける。
「最近こっちに寄らなかったから少し心配したわ。どうしたの?」
「―――――いえ」
「あら、可愛いわね。妹さん?」
「ええ……俺の妹です」
「へぇ、よく似ているわねぇ……」
「――――おたくらには、見覚えあるでしょう?」
「え?」
「深淵の闇よ……」
そう呟く言葉は硬く、物珍しそうに前かがみに覗きこんでいた受付の女性は僅かに顔を上げた。
―――――ヌゥと虚空から這い出す、水晶の刃。
奏夜が手を掲げた先、景色に罅が走り、空間の裂け目から透明な刀身が迫り出し、奏夜の手に吸いこまれた。
「……二度はありませんよ?」
「……」
スッと長い首筋に添えられる透明な刃。
その冷たい感触に、受付の女性は少しぎこちなく微笑んでは、冷たい表情の二人に躊躇いがちに話しかける。
「あ、あれ? 何を持ち出しているの? 危ないから置きなさい」
そして少し後ずさる――――
「エリィ、フィフテを出せ。ここの連中、恐らく全員グルだ」
「うん。目線がかなり厳しい」
そう言った次の瞬間、何もない景色に亀裂が走り、裂け目から飛び出す黒き巨躯。
見開く五つの眼光。
翼を広げ、大槍を構えて床に足を下ろす黒き『悪魔』を前に、図書館が一斉に静まり返った。
悲鳴はない。
足音もない
怒声もなく、静寂のみで、ただ館内にいた人の気配が一斉に立ち上がる。
その視線が一斉に、深淵の獣へと向けられる――――
――――ここか。ゴキブリの住処は。
「……お兄ちゃん、殺していいよ。どうせ全員人形だし」
「おうよ」
「待ちなさい、図書館で剣を振り回して――――」
――――滑らかに首筋に浮かぶライン。
ポンッ
跳ねる首はそのまま宙に浮かんで、やがて首の取れた胴体と共に、地面に転がり奏夜のつま先を撫でた。
うっすらと刃の切っ先に浮かぶは、黒い液体。
それは、血ではなく、ドロリとしたオイルのような――――
「……ホムンクルスか」
「初期タイプのものだね。結構前の段階から封印魔術師協会は、この世界にいたのかもしれない」
「どっちだっていいさ」
風を切り、刃にこびり付いた黒い液体を払い、奏夜はソッと刀を鞘に収めて周囲を見渡そうとした。
「奏夜・アルテナ・オズワルド……」
――――バチッ
虚空を駆ける鋭い破裂音。
ソレと共に電撃が蛇の如く、空を駆けて立ちつくす奏夜の下へと伸びていく。
その眩さに、奏夜は目を細める――――
―――――悪いな……!
風を切る大槍の音。
伸びる電撃を真正面から貫き、巨大な槍が伸びて、二階の踊り場に立つ男の下半身を吹き飛ばした。
ドォオオンッ
館全体に広がる地響きのような衝撃。
壁に槍が刺さり、一階のロビーへと土埃が広がる中、黒き巨獣はその翼を折り畳み、伸ばした槍を引っ込めた。
そうしてその五つの眼で、無機質な敵意を捉える――――
――――まったく、喋る気も無しか。
「化け物に話す口も持たずか……」
「おう、その通りだ。バカ息子」
――――背筋に走る憎悪。
一瞬で全身に浮かび上がる、体中の文様。
刻み込まれた魔術式を身体に滲ませ、奏夜はクワッと目を見開くままに、ゆっくりと振り返った。
そこには散逸的に人影の立つフロアの奥、初老の男が一人、二階の手すりの上に立っていた。
歪に細める紅い双眸。
ニィと口の端を歪め、固めたオールバックの髪を掻き上げ、そこにはゴードンがいた。
「よぉ。こっちに気づくのはさすがだな」
「――――思い出したんだよ」
そう言って奏夜は鼻息も荒く、手に持った刀をきつく握りしめるままに、おどけた調子のゴードンを睨みつけた。
「……。俺、元々本を読むのが苦手だった。……昔は魔術書も真っ当に読まなかったからな」
「ヒヒッ、埋め込んだ記憶がどこまで偽りか、少しは理解できたか?」
「仕込んだのはてめぇだな」
「バカの一つ覚えみたいに、毎度毎度ここにきて。楽だったぜ監視は」
「……」
「まるで犬だな。お前」
「結構……!」
土埃を払うように力強く踏み出す一歩。
グッと奏夜は腰を落として、腰に留めた刀の柄に指を這わせるままに、背中を低く構えた。
音も無く鞘を擦り、引き抜く刀。
スゥと引き抜く水晶の刃。
切っ先を地面に擦りつけ、下段で構えて、奏夜は引き抜いた無刃・閻魔獄をその手に強く握りしめた。
そうして上目遣いに睨むように、蒼き瞳で獣は初老の男を捉える。
蒼き輝きが身体から溢れだす――――
「術式展開……!」
「防御術、か。その程度の初期術じゃ、身体は護れんぜ?」
「答えろ……!」
「いやだね」
「人形相手に問答はもはや無用か……!」
「然り――――攻撃用意」
そう言った瞬間、館内にいた全ての人達が黒ローブを着こむと共に両手を虚空に重ねた。
そして両手の先に、奏夜を捉え、その手の平から炎が火の粉を上げる。
その紅い炎が館内に立ち上り、景色が紅く染まる。
水晶の刃が茜色に映える――――
「命乞いはするか?」
「沙紀を巻き込んで、その顔が綺麗なままでいられると思うなよ……!」
「いい顔だ」
「刻んでやる……!」
「マリア第一統括魔術師には後で許しを貰う。各員オズワルドの祖とはいえ躊躇うな」
――――坊主!
「悪魔が手を出すな!」
「攻撃しろ」
音もなく各方位から囲い込み、覆い被さるように飛び出す炎。
吐き出される炎は尾を引き奏夜へと周囲の本を、床を焦がし飛び出し、熱が頬を叩き、銀色の髪が靡く。
蒼く光る身体の文様。
細めた双眸が、火の粉を受けて茜色に滲む――――
「無刃よ……!」
――――破裂する炎弾。
ドォオオオオンッ
地響きと共に上下する足元。
爆風に周囲の本棚から本が霧散し、火の粉が煙と共に館内の天井へと舞い上がった。
「……炎を吸い込め、閻魔獄」
キィイインッ
土埃を一瞬で散らし響く鋭い風の音色。
虚空に斬痕が鋭く真一文字に浮かび、飛び散った本のページを切り裂いて、刃が閃いた。
スッと翳した刀は、茜色に滲み、刀身に揺らめく炎。
スゥと下ろした切っ先が地面を擦れば、炎が尾を引いて地面に線を引き、火の粉が頬を撫でる。
見開く蒼い瞳。
険しい表情はそのままに、そこには炎の刀を片手に立つ奏夜がいた。
「……炎の色を受け、無刃は色を帯びて名を変える」
「強い炎だ……魔力をそのまま吸い込んだだけじゃないな」
「刀は奏者の魂を映す……!」
「深淵の更に深き地より削り出された、無音の刃……」
「炎刃・崩天蓮華村正……炎を吸い、刃に紅く命を吹き込め」
そう囁きつつ、奏夜は炎を帯びた刀を鞘に収めつつ、胸元にかざして周りを囲う人影に目を細める。
カチン……
鞘に刃が吸い込まれ、奏夜は周りの魔術師に呻いた。
「……学校が始まる前に終わらせたいんだよ」
「ソレが望みなら全てを忘れることだ。
お前の隣に妹はいなかった。姉も父親も幼馴染も誰もいない。お前は生まれてからずっと一人だ」
「記憶を返せ……!」
「できんな」
「何故だ!」
「――――あなたは危険すぎる」
静けさの中に聞こえるのは足音。
パチリ……
周囲の本が燃え上がり、火の手が立ち上る中、エリスと奏夜はハッとゴードンから視線を反らした。
その隣、茜色に揺らぐ景色から滲みだす様に女が一人現れた。
立ち上る火の粉と共に靡く、長い銀色の髪。
冷たい表情を立ち上る火の手に、うっすらと赤らめながら、そこにはマリア・オズワルドが館の二階に立っていた。
「奏夜……私はあなた一人で来るようにと伝えたはずだけど」
「てめぇ……!」
「人の言う事を聞かないのは、どこにいても相変わらずね」
「沙紀をどこへやった!」
目を血走らせる奏夜に、マリアはヒクリと眉をヒクつかせるままに小さく首を横に振った。
「貴方の手の届かない場所」
「心臓抉りだして吐きださせてやる……!」
「――――或いは、あの場所」
獣のようなうめき声を吐きだす奏夜の鬼のような形相に、マリアはか細く声をすぼめて小さく項垂れた。
そして、胸元に手を添え、爪を立てて掻き毟る。
唇を力なく震わせる―――――
「怖くない……怖くない……!」
「てめぇ! ごちゃごちゃ言ってないで沙紀を出せぇ!」
「――――エリス、あなたなら、よくわかるはず」
ゆっくりと手を下ろし、マリアは冷たい表情で、ぎこちなく顔をしかめるエリスを見下ろした。
エリスは顔をしかめ言葉を詰まらせる。
「ど、どうして……」
「そう言う事だから……」
「……」
「奏夜。私はあなたを許さない。貴方から力を奪い、全てを奪い、何も持たないただの人間に堕としてみせる」
「でも、それは封印魔術師協会全体にとってダメージになる。あなたはそれでいいの!?」
「元々行方不明の人間が戻ってくる席なんてないわ」
ため息とともに虚空に手を伸ばしつつ、マリアはそう告げた。
そうして何もない空間から這い出す巨大な剣を見上げつつ、エリスは苦い表情でわなないた。
「……だけど、放っておくこともできない」
「だから、この世界に永遠に閉じ込める。二度と魔術師として生きることのないように」
「人を家畜に変えて……私はそんなやり方を認めない!」
深き地の澱を身体の中に溜めこんだ奏夜・アルテナ・オズワルドの身体にはそれこそ深淵が詰まっている。
貴方自体が巨大な爆弾になろうとしているの」
「だから力と記憶を吸収する――――だけどお兄ちゃんはあなたたちの道具じゃない!」
「私達は封印の魔術師。深淵の浸食を防ぐため、犠牲は最小でなくてはいけない。
奏夜くん……あなたがかつて告げた言葉よ?」
「その為にお兄ちゃんを犠牲にする、それが許される世界なんて認めない!」
「それとももう一度深淵を解放する?」
「お兄ちゃんは、渡さない!」
「危険な綱渡りを、世界の人達に強いることは許されない。
私達は、義を以って行為を成す――――深淵を永久に封印し、あらゆる世界を平和にする」
「上辺だけの言葉を!」
「大義はそれだけでいい……それだけでいいの」
力なくそう呟きつつ、指をならせば、一瞬でマリアの下に集まる十数人の黒ローブの姿があった。
マリアは両手に刀を握りしめる奏夜を見下ろす。
その獣のような目に、顔をしかめて囁く。
「一つだけ聞くわ」
「……」
「……。このまま、私達の所に来ない?」
「黙れよ……」
「この街にはね、各所に封印魔術師達が潜伏した施設がある。あなたさえよければ、この街をあなたと幼馴染にあげてもいい。
今後の生活を全て、私達封印魔術師が管理するわ。絶対に不自由のないように」
ガラガラガラ……
本棚が崩れ落ちる音が館内に響き渡る。
炎が至る所に燃え移り、一帯が紅く染まる中、奏夜は頬を掠める火の粉を拭い、力なく項垂れる。
「なぁ……」
「かつての記憶を全て失い、貴方は普通の人間として、生きていいの」
「何度も……何度も言ってるだろ」
「奏夜……!」
「――――俺はな、いやなんだよ」
見開く紅い瞳。
全身の模様を青くぎらつかせ、奏夜は腰を低く構えたままグッと柄に力を込め、たじろぐマリアを睨みつけた。
「手前勝手な理屈で他人を振り回す巻き込む、そうやって何にも関係のない沙紀を巻き込んでいく。
平穏だ? 黙れよ、手前がくれたものに何の意味がある!」
「奏夜……」
「沙紀を巻き込むな、何にも関係のないアイツを巻き込むなぁ!」
「……」
「お前ら腕全部引きちぎってでも、沙紀を取り返す、ぶち殺してやる!」
「……全員、深淵の獣を召喚して」
そう言った瞬間、炎に揺らめく図書館の景色に、亀裂が走り、裂け目の向こうから荒い息遣いが聞こえてくる。
暗い世界の裂け目の向こうより、『獣』が這い出す――――
「奏夜くん……!」
「絶対に取り返す……もう二度と、沙紀をあんな目に合わせない……!」
「記憶が……?」
「必ずだ……刀魂放気!」
――――カチリ……
柄を握り、引き抜けば鍔の隙間より立ち上る紅い炎。
それは渦を描き、虚空に泳ぐ巨大な蛇の如く、奏夜の頭上をよぎり鞘全体を覆う。
「刃に込められし命を、力を、魂を解放せよッ。万物一切隔たりなく焼き尽くせ、獄炎よりも深く、世界をすらも焼き滅ぼせッ」
「! 退きなさい、この魔術、地の底すら焼き尽くす炎だ!」
ゆっくりと紅い刃が顔を出す。
炎が足元から立ち上り渦を描き、周囲の本棚を舐めるように飲みこみ、拾っていく。
火渦が広がり、竜の如く、黒ローブの群れへと牙を剥く――――
「世を灰燼に帰せ、崩天蓮華村正……!」
――――スッと鞘より引き抜く刃。
刹那、炎が脚元より渦を描いてすべてを焼き尽くす。
周囲の本棚は瞬時に塵に変わって爆風の下に吹き飛び、床は全てめくれ上がっていく
剥きだした地面は、熔岩の如く紅く赤熱する。
天井が膨張する空気に押し出されて膨れ上がり、屋根が剥がれ落ちていく。
そして爆音と共に、屋根が吹き飛び、炎が火柱となって空へと噴き上がり、雲を抉る。
その姿は、天を貫く龍の如く――――
「……逃がしたか」
晴れていく炎の渦。
スッと鞘に収める水晶の刃
骨組みごと全て吹き飛んだ図書館跡の真ん中、奏夜は夏の暑さに俯きながら呟いた。
「奏夜くん……すごい」
――――さすがは、深淵を封じた男ではある。
その背後には巨大な黒い悪魔の背に乗る妹の姿。
「魔術なんて少ししか教えてないのに、もうここまで……」
刀を腰に携えるままに、奏夜は後ろを振りかえると、周囲を見渡しては険しく顔をしかめた。
「あの女……逃げやがった」
だがそこには、炎に吹き飛んで真っ平らになった土地が広がるのみ。
人気はなく、影は二つだけ。
瓦礫、散りすらも残らず、一切が吹き飛んだ場所を見渡し、奏夜は悔しげに顔をしかめた。
「くそっ……くそぉ!」
「奏夜くん……」
「……あの女、どこにいる」
「――――多分、あそこだと思う」
苛立ちに歪んだ顔で振り返れば、そこには少し気まずそうな表情を滲ませるエリスがいた。
奏夜は眉をひそめつつ、首を傾げる。
「どこだ?」
「――――藤真第二小学校」
ポタリ……
汗が頬を伝い、地面に滴る。
奏夜は顔をしかめて、夏の空を背に佇む『妹』に目を細める。
息を吸い込む――――
「……あそこか」
「多分……」
「なんでだ? なんであの――――『姉貴』がそこにいるってわかる?」
「覚えてる?」
疑問に眉をひそめる奏夜に、エリスはそう囁いた。
その表情は日差しを背にして影になって見えず、奏夜は気まずそうに顔をしかめる。
「あの女は、何者なんだ?」
「行こう。多分直ぐに思い出せると思う」
「……」
「まだ夏休みだし、まだ人も少ないから夜だったら、会えるから」
「……」
「大丈夫だよッ、彼女は絶対に無事だからッ」
「……。沙紀」
「何、奏夜くん?」
「――――いや」
あやふやな記憶が頭をよぎる。
夏の熱気に当てられ、汗を滲ませる中、奏夜は俯きがら記憶の欠片を追いかける。
遠い昔。
ここではない、どこかの場所の記憶――――
ここもまだまだぐずぐずやね。もう少しスリムアップ出来たらと思います




