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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

最後に、いい夢が見れたな

作者: うに
掲載日:2026/02/22

この作品は、鬱展開があります。苦手な方はご注意ください。

雨が降っていた。


佐伯悠人は、信号待ちの横断歩道の真ん中で立ち尽くしていた。傘は持っていなかった。いつものように「後でいいか」と先延ばしにした結果だ。


対向車線から大型トラックが迫ってくる。ヘッドライトが白く滲む。ブレーキ音。遅い。

次の瞬間、世界は黒に塗り潰された。

……。


目を開けると、そこは白だった。


床も壁も天井も、すべてが均一の白。音も匂いもない。ただ、目の前に「何か」が立っていた。顔がない。ただの黒い穴が、悠人を見下ろしている。


「お前は死んだ」


「……試練だ。全部で三つ。お前の人生を時代ごとに切り取って、直視させる。それを乗り越えれば、生き返してやってもいい」


悠人は喉の奥で小さく笑った。いつもの逃げの笑い。


「……分かった。やるよ」


何かは、静かに頷いたように見えた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



最初の試練は、高校時代だった。


十七歳の夏休み最後の土曜日。友達と朝から遊び呆け、夜遅くまでカラオケ。スマホが何度も鳴った。父からの着信。妹からの着信。きっと「早く帰ってきなさい」だろう。面倒くさい。後でいいや、と無視した。


深夜、家に帰るとリビングに父と妹が項垂れていた。母はいない。


「母さんが……急に倒れて。病院で、手術の途中で……」


その瞬間、胸の奥がずしりと重くなった。息が詰まる。膝が震える。


「あの電話に出てれば……すぐ帰ってれば……」


頭の中で同じ言葉がぐるぐる回る。でも、いつも通り「今さら考えても仕方ない」と蓋をしようとした。

でもここでは、蓋ができない。


試練の空間。母はベッドに横たわっている。まだ息がある。悠人を見て、弱々しく微笑む。


「悠人……来てくれたのね」


その一言で、胸の蓋が無理やりこじ開けられた。

涙が溢れる前に、言葉が先にこぼれた。


「母さん、ごめん……俺、電話無視して……遊び呆けて……最期に間に合わなくて……」


喉が詰まって、声が震える。母の手を握ると、冷たくて細くて、でもまだ温かさが残っている。


「俺、いつも先延ばしにして……大事なこと、全部後回しにして……母さんが死ぬなんて、考えたくなくて……逃げてたんだ……」


母は優しく首を振った。


「いいのよ。あなたはいつも、そうだった。でも……それでも、愛してるわ」


その言葉が、胸に突き刺さった。許された気がした。でも同時に、許されたくない自分がいた。


「許さないでくれよ……俺が、こんなに最低なのに……」


母は静かに目を閉じた。悠人は母の手を握ったまま、声を殺して泣いた。


初めて、本当に後悔を味わった。


次の空間へ。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



二つ目の試練は、大人時代だった。


二十八歳。恋人の美咲との三年間。


誕生日も、記念日も、旅行の約束も、全部「仕事が忙しいから」「もう少し落ち着いたら」と先延ばしにした。

美咲は何度も待った。最後に「もう無理」とメールを残して去った。


悠人はそのメールを開かず、削除もせず、ただ放置した。見るのが怖かった。


空間では、美咲が待っている。テーブルのケーキは三年経って形を失い、ろうそくは溶け落ちている。


「悠人、遅いよ。いつもそう」


その声で、胸が締め付けられた。


「美咲……ごめん。俺、いつも約束を後回しにして……お前の気持ち、ちゃんと受け止めてこなかった……」


美咲は静かに見つめてくる。悠人は膝をついた。


「俺、怖かったんだ。お前を本気で好きだって認めるのが。失うのが。失敗するのが。全部、先延ばしにして逃げてた……」


言葉を吐き出すたび、胸の重い塊が少しずつ溶けていくような感覚。


でも同時に、取り返しのつかなさが突き刺さる。


「許してほしいなんて、言えない。でも……一度でいいから、本当にごめんって、伝えたかった」


美咲は長い間黙っていた。やがて、小さく頷いた。


「許すよ。でも、もう遅いね」


その言葉が、優しくて、残酷で、悠人はまた泣いた。


次の空間へ。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



三つ目の試練は、今までの人生そのものだった。


鏡の部屋。無数の自分が立っている。高校生の自分。大人になった自分。今、死にゆく自分。


「お前はいつも、先延ばしだ」


鏡の中の声が、重なり合う。


「母さんの最期を。美咲との未来を。自分の体を。借金を。謝罪を。全部、後回しにしてきた」


悠人は鏡に向かって叫んだ。


「分かってる! 俺が全部悪いんだ!」


声が震える。拳を握りしめる。


「でも……向き合うのが怖かったんだよ。失敗したらどうしよう。失ったらどうしよう。傷ついたらどうしようって……だから、いつも『後で』って言って、逃げてきた……」


鏡の自分たちが、一斉に笑う。嘲るように、哀れむように。


「それでも、お前は生きてきた。先延ばしをしながらも」


「……そうだな」


悠人は深く息を吐いた。肩の力が抜ける。


「もう、先延ばしはしない。全部、認める。全部、受け止める。俺が最低だったことも、弱かったことも、全部」


鏡が割れた。破片が散らばり、光が溢れた。


初めて、心が軽くなった気がした。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



悠人は、何かの前に立っていた。


「終わった……生き返らせてくれ」


何かは、ゆっくり近づいてきた。黒い穴のような顔が、すぐそこにある。


そして、静かに言った。


「最後に、いい夢が見れたな」


……え?


次の瞬間、視界が白から黒へ、そして――






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



雨の音が、ぼんやりと響く。


佐伯悠人は、地面に倒れていた。アスファルトの冷たさが背中に染み込む。体中、節々から痛みが滲み出る。肋骨が折れているのか、息をするたび鋭い痛みが走る。足は動かない。血の味が口に広がる。


視界の左側は、暗い。見えない。ただの黒い霧。右目だけで、ぼやけた世界を捉える。雨が顔を叩き、ヘッドライトの残像がチカチカする。


周りから、声が聞こえてくる。


「誰か! 救急車を!」


「動かないで! 大丈夫ですか!?」


悲鳴。心配の声。足音が近づく。誰かが傘を差し掛けてくる気配。


「ああ……」


悠人の喉から、弱い声が漏れた。


「今までのこと……全部、俺が勝手に作り出した夢だったんだ」


試練も。何かも。許しも。全部、死の直前の脳が作り上げた、都合のいい幻想。


最後の救い。最後の、先延ばし。


「……最後に、いい夢が見れたな」


自分の声だった。かすかで、途切れ途切れ。


雨は、まだ降り続いていた。視界が、ゆっくりと暗くなっていく。

読んでくださり、ありがとうございます。

少しでも気に入って貰えたら、

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