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第一部 第六章 春と修羅

 そのころ首相官邸にはあらゆるところから苦情や質問が押し寄せていた。 もちろん玄関前にはどす黒い不衛生な大便に平気でたかるハエみたいにマスコミが押し寄せてきていた。 門はしっかりと閉じられ、誰も中に入ってこられないようにはなっていて、三流のテレビマンやら記者の端くれとも呼べないようなやくざもんにしか見えない者たちが怒号を上げ始めていた。 

 もっとも他のマスコミ連中は唯一つながる手段がメールだというので躍起に何かを打ち込んで、送っては返しを繰り返していた。 そして、何か物音が聞こえるたびに飛び跳ねるようにして官邸内を覗き込んだ。 官邸内からは相変わらず何もなかった。

 最上階の執務室で首相はゆったりとソファに一人座り、目を閉じて、瞑想していた。 先ほどからやたら目ったらスマフォにはメッセージが入ってきていたが、官邸付きの番記者や知らないマスコミ連中からのメッセージばかりで、今の彼の必要としている情報はそこには何もなかった。 実際、テレビ、ラジオ、インターネットで偽情報やら未確認情報などが流れていないことはいいことだと思っていた。

 窓の外には庭先の桜が見えた。 咲き始めの桜はその花びらをいっぱいに開き、そしていまだにいくつものつぼみがいまかいまかと待ちきれないようにふくらみを増していた。 その日は実際彼の主催する句会の日だったので、そんな状態になって憤慨していた。 ただただたんに怒っていても仕方がないので、窓の外の桜でも見ながら一句でもと思っていた。

 そんなことを一言でもマスコミに言おうなら、あいつらはコヨーテが死肉に食らいつくように私を責め立てるだろう。

 こんな一大事が起きているのに一国の首相が句なんか詠んでていいんですか?

 そんなことを言われればこんな時だからこそと詠むんだよと言い返したいのはやまやまだったがそんな風情も情緒もなく育ってしまった彼らにはわからないだろうと心の中にその考えをしまった。

 そんな心の憤りはもう慣れっこだったが、あまり気持ちのいいものでもなかったので、今はただ一人、信頼できる首相秘書に頼みごとをして、そして執務室に隠れていた。 ほかの連中にはもう指示はだしてある。 

 さくら、さくら、さ く ら ・・・

 ノックの音がした。

「どうぞ。」

 首相はノックした人間にわかるくらいの音量で言った。

 ドアが音もたてずに開き、秘書が音もたてずに入って、ドアを閉め、首相のもとに来た。

 秘書の目は動揺と歓喜の両方を含んでいた。 一つには今から首相に伝えることがどんな影響をもたらすのかわからなかったことからの動揺、そして自分の愛し尊敬する首相がどのようにそれに対応するかへの期待からの歓喜。 少なくとも彼女にはそんな心持が存在していた。

 首相はそれを察してか、軽く微笑み、ただ多少の緊張を含ませて、

「調査してわかったことをできるだけ簡潔に主観を入れずに対応可能な事実のみを伝えてください。」

 と言った。

 秘書の心の中に自分の首相に対する感情を見透かされたかのような緊張が走った。 首相は相変わらず仏のように微笑んでいる。

 この人は心の準備ができている。

 そう思うと、静かに自分にだけわかるように深呼吸をして彼女は報告を始めた。

「本日未明、東京湾のほぼ中心にある埋め立て地のセントラルベイパーク建設予定地に巨大な木が出現いたしました。 こちらが今現在ある映像です。」

 秘書はかがみこみ、スマフォの映像を首相に向けて差し出した。 

 首相は細目にその写真をまじまじと見た。 四方に大きく広がった枝枝が東京湾全体に広がっている。 

「そちらは東京タワーからの映像です。 ただものがものだけにどの写真も同じように見えてしまうのです。」

「それで?」

「はい、今現在、我々が何らかの危険な状況下にあるとは考えにくく・・・」

「我々?」

「失礼しました。 国民が危険な状態にさらされているとは考えにくいのですが、何せ今までにこのような例があったわけもなく、専門家チームを現地に送り込んで調査を開始いたしました。」

「そう、他には?」

「羽田の件ですが、すでにご存じかと思われますが、成田空港をはじめ、近隣の空港に離着陸の振り分け作業を行っております。 こちらの方は天候不良などの場合に経験したこともあり順調に進んでいるとのことです。」

「アメリカさんには?」

「とりあえず現在調査中だと、ただ、東京湾近郊には米軍のものと思われるドローンが数機確認されたと近辺の自衛隊基地から連絡がありました。」

「でもドローンを飛ばすって言ったって、電波障害か何かがあるんじゃなかったのかね? おかげでラジオ体操を見逃した。 ネットもできないしね。 その点は?」

「それに関しましては調査中です。 ただ、気象庁によりますと東京湾近郊に異常なほどの花粉のようなものが霧みたいに木のある方向から近隣に飛び散っているとのことです。 それが恐らく原因ではないかと。」

「主観はいいよ。 まあ、何らかの関連性はあるんだろうけど。 じゃあ、つまり今のところ危険が迫ってるわけではなく、対応としてはテレビ局等の電波の復旧にあたる、そう言ったところか・・・」

「マスコミの方はどういたしますか? いずれ会見を開かなければならないと思いますが。」

「うん、そうだね。 今何時?」

「十一時過ぎになります。」

「どおりでおなかがすいてきたわけだ。 じゃあ、閣僚を集めて、すぐに今わかってる内容とその確認、それぞれの省庁のできる調整等を行う指示を出すためにね。 そして、午後一時半、いや、二時に一回ロビーで会見。 そうマスコミに伝えておいて。 それでいいだろう。」

「わかりました。」

「でも、今日のお昼はどうしよう。 蕎麦屋の出前もできそうにないな。」

「その点はもう料理長に伝えております。」

「あ、そう。 でも、また味気のない食事なんだろう。」

「それは首相のご健康を危惧してのことですから。」

「そうなんだけどね、そうなんだけどね。」

 首相は苦笑いとした。 秘書はそれも一つの愛情表現だとお辞儀を返した。

 ぶるっと秘書のスマフォがなった。

 秘書は特に気もせずにスマフォのメッセージを見た。 専門家チームの代表者からだった。 

『東京湾の千葉県沿いの写真です。』

 その写真にはパジャマ姿や寝起きのほとんど裸のものやスーツ姿や制服姿の学生やらいろいろな人間が海際の公園に立ち、大きな木を眺めていた。 まるでそれは世紀末の映画の撮影現場のようだった。 みな寄り添う訳でもなく、ただただとりつかれたように大きな木を見つめていた。

 秘書は思わずスマフォを落としてしまった。

「どうしたんだい?」

 そんな首相の声も聞こえないほどに驚愕して、体が震え始めていた。 今起こっている事は前代未曽有のとんでもないことなんだと言う現実を頭では拒否しているものの体が受け入れ始めていた。


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