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第一部 第五章 ああ無情

「いまだになれないな。」

 そう言い苦笑いをしてサミュエル・ゴールドマンは寝室にある洋服ダンスの鏡の前でネクタイを締めなおしていた。 米国大統領補佐官を経て、日本大使に選ばれ今現在は日本に住んでいるのだが、以前はリベラルな政治家のシンボルとしてネクタイもしなかった上にスーツでさえ大統領の任命式くらいにしか着なかった。 それからかれこれ十年が過ぎ、日本人の妻と結婚してから少しづつ日本文化に感化されて、スーツも着るようになり、今では行政の式典に招待されればネクタイもした。

 サミュエルの後ろからすっとしなやかに手が伸び、ネクタイを締めなおし始める。

「ありがとう、ヨーコ。」

 ふふっと妻のヨーコは器用に彼のネクタイを直し始め、ものの十数秒できれいにウィンザー式に仕上がった。 

「やっぱり君にやってもらわないと。」

そうサミュエルは言い、ヨーコの頬にキスする。

「遅れますよ。」

 ヨーコはそう言って、寝室から出て行った。 

 サミュエルは満足げにネクタイの仕上がりを見直して、白髪交じりの髪に手をやる。

「ネクタイがようやく似合う年になったのかな。」

 そう言って自分も部屋から出て行った。

 その日は都心からおよそ新幹線で一時間半弱の山の中の温泉街に来ていた。 いつもは都心にある大使館公邸に住んでいるのだが、春先の模様替えを兼ねて今度来る新任の大使のために公邸内の検査をしたところいくつか電気敷設の不具合が見つかって、それならいっそ温泉にでも行きましょうとヨーコが言い出した。 ちょうど公務も三日ほどぽっかり都合よく開き、サミュエル自身ラッキーだと思った。 ただ、やはり米大使が来るとなるとどうしても地元の人間が騒ぎ立ててしまい、その町の町長からお茶のお誘いを受けてしまった。 もちろん断る理由もなく、喜んで受けたのだが、やはりカジュアルにと言う訳にもいかず、ネクタイとスーツのお出ましとなったのだ。 

 十時からだったな。 えっと今は・・・

 ホテルの玄関に向かう途中で、そこのオーナーの会釈に笑顔で答え、スマフォを取り出し、時間を見た。 

 九時半、ちょっと早かったかな。 まあ、日本人は約束の十五分前には来ている人種だからな。 私もそれに・・・

 スマフォを胸ポケットに戻そうとした矢先に電話がなった。 

 誰からだ?

 名前はジェームズ・アンダーソンとあった。

 米軍日本基地の指揮官殿だな、ふた月前に横浜で開かれたパーティーで会ったきりだったな。 さて、こんな早くになんの用だろう。

 サミュエルはあまり期待もせずに普通に電話に出た。

「サム? いったい今どこにいるんだ?」

「なんだい藪から棒にそれはないだろう。 僕にだってたまには休暇が必要さ。」

「いや、その、連絡は来ているかい?」

「連絡って?」

「国務省から、それとも国防省かな、どっちだろう?」

「ちょっと待ってくれ、話が見えないな。 順を追って話してくれないか。 これからちょっと出かけるもんでね。」

「キャンセルしろ。 そしてすぐこちらに戻るんだ。 とんでもないことになっている。」

「とんでもないことって、まさか隣国のミサイルが北海道にでも落ちたのかい?」

「それなら我々が責任を持って対応する。 そんなことじゃないんだ。 一体全体何が何だかわからないことが起こってるんだよ。」

「いったい何が?」

その瞬間、サミュエルの電話に写真が送られてきた。

「これは何だい?」

「君には何に見える?」

「木?」

「そうだ、写真じゃわかりづらいだろうが、これはおよそ三マイル先から撮影した写真なんだ。」

「三マイル先? うそだろう、どんな望遠を使ったって三マイル先じゃあ・・・」

「望遠なんか使ってない。 東京湾全体を覆うほどの大きな木がその中心にある工事中の埋め立て地から生えたんだ。」

「え?」

「俺も最初はそう言われてピントこなかった。 第一、日本人はそういったものを作るのが好きだろう。 君はお台場に行ったことがあるかい? 巨大ロボットの模型と言ったらいいんだろうか、子供にせかされてせっかくの休みを使っていったんだが、子供は五分で飽きてしまったんだが、俺の方が興奮したよ。」

「で、それはそのどこかの企業のPRか何か・・・」

「いや、日本政府に問い合わせたが、そんなことはないと言っている。」

「じゃあ何か、その木は一晩でそんなにも大きくなったって言うのか? そんなバカげたことがあるか。」

「わかってる。 わかってるが、そう言うとんでもないことが起こったんだ。 バカげたことだと言うのは私も重々承知している。 ただ現実として目の前にあんなものが・・・」

「それで俺に何をしろっていうんだ。」

「大使館経由で我々のもとに避難喚起のリクエストが在日の米国市民から多数寄せられてきている。」

「それをどうにかしろっていうのか?」

「とりあえず、そうだ。」

「日本の出入国管理局の数字では六万人強の米国人が滞在している。 そのうちの七割近くが東京または近郊にいる。」

「まあ、全員が帰りたいって言ってるわけではないだろうが。」

「それにしたって・・・ ちょっと待て、なんで大使館から連絡がないんだ。 留守電にも何も入っていない。 あ、メールが入ってた。 『緊急事態により至急帰宅されたし。』」

「東京湾近辺では何かの電波障害が起こっていて、テレビはつかない、インターネットはつながらない、電話も普通にはつながらない。 テレビ局もラジオ局も待機状態だ。 大使館傍の米軍施設に問い合わせたが、やはり同じよう。 ローカルなチャンネル以外は何も映らないって。」

「朝はテレビなどつけないもんでね。 まったく知らなかった。」

「もちろん、我々にはそんなときのための特別なラインがあるからお前ともこうして話していられるんだが。」

「わかった。 と言っても何だかわからないが、大使館に戻ればいいんだな?」

「とりあえずそうしてくれ。 その準備はしてある。 もう五分もすればヘリがホテル前の駐車場にくるだろう。」

「でも、この町の町長は何も言ってこなかったぞ。 これからその人の招待でお茶会に行く予定だったんだが。」

「お前も知ってるだろう。 それがこの国のシステムだ。 上から何も言ってこなければ万事良好、通常運転。」

「俺からすればそれはクレイジーだ。 慣れないよ、その考え方には。」

「向こうからしたら俺たちの方がクレイジーなのさ。 まあ、そんなことはいい。 もうヘリが来る頃だ。」

「そうだな、何だか表の方が騒がしくなってきている。」

「じゃあ待っている。 あ、それと今親父さんはどうしてる?」

「何だい、突然。」

「いや、元気にしていらっしゃるならそれでいいんだ。」

「隠居してもう五年になるな。 生まれた国で余生を過ごすってニューヨークの家を売り払っておふくろと向こうで過ごしている。」

「そうか・・・」

「どうした? 何かあったのか?」

「とりあえずヘリに乗れ。 いったん切る。」

「わかった。」

 いつの間にかヨーコがサミュエルの目の前に立っていた。 

「何かあったのね?」

「うん、大使館に戻らなければならない。」

「じゃあ、お供します。」

「いや、君は残れ。 町長さんによろしく言っといてくれ。」

「でも・・・」

「事の次第では私の仕事の範疇ではなくなってくる。 まずはその状況の確認だ。 その上で出来ることをして、連絡する。 君に来てもらうのはそれからだ。」

「わかりました。 気をつけて。」

「わかってる。」

 サミュエルはヨーコの頬に軽く口づけし、ヘリの音が響き渡る玄関の方へ向かった。

 ヨーコはその彼の姿をしっかりと眼に焼き付けるように見送った。

 それが二人が一緒に過ごした最後の時間になった。


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