これから始まる物語の序文
二十一世紀も四半世紀を過ぎ、人類はありとあらゆる苦難を乗り越えるすべを持っていた。 もちろん、世界の至る場所で飢餓に苦しむ子供たちはいたし、政治または宗教民族的な対立の問題から紛争や戦争が絶えなく起きている地域もあった。 しかし、それは人類の歴史から見ればある意味必然であり、どの人種も通り過ぎていく儀式のようなものだった。 実際問題として飢餓をなくす技術は存在し、それをうまく利用して栄えている国はいくつもあった。 戦争や対立でさえ無意味であると認識し、異なった人種間でそれぞれの利益をおもんばかりながら争いごとを避け続ける努力をしている国もあった。 それができない国も残念ながら存在した。 それはすべてにおいて旧世界の倫理観や価値観にとらわれ、縛られ続けている人間たちが力を持ち続けているためだった。 ただ、それらもあと少しの間で消えてなくなるであろうと皆が思っていた。
そのような世界の中で日本は稀有な存在だった。 戦後という感覚を持つ人間がほとんど消え、実際はあらゆる対立の中に存在しているのにそのすべての対立とは無関係のようなそんな風に人々はふるまっていた。 もっともそれは人々に緊張感やインテリジェンスがなかったからではなかった。 恐らく厳密に考えて、実際のその危機に直面し対処している人々は世界の中でも選りすぐりのエリートであったろう。 だからこそそこに住む人々は自分自身や家族の幸せを求めることを生きがいとし、政治や世の中に不平不満はあってもなんとかその日その日をやり過ごすことができていた。
そんな中でその奇妙な出来事は起こった。
ある春の日の未明、首都圏の経済活動を支え、日本の重要な世界の窓口である東京湾の中心で建設中の埋め立て地の真ん中からある植物の小さな芽がひょっこり顔を出し、恐ろしい速さで成長を遂げた。 数時間のうちに空を突き刺すほどの高さにまで大きくなり、湾沿いにあるいくつもの市街地に届くほどに枝枝を広げた巨大な木となった。
その巨木の枝枝は近辺の町々に注ぎ込むはずの日の光を閉ざし、濃い緑の混ざった薄暗闇の世界を作り上げた。 人々は突然の出来事に驚き、どう対処していいかわからなかった。 それは地震や火事や台風など何度も経験してきた災害とは全く違っていたし、暗闇に覆われた以外は実害がなかった。 それゆえ、人々はその事態におびえたが、なぜおびえなければならないのかわからなかった。 まさに神の仕業だった。
とりあえず最初の数時間はほとんどの人間が何もわからずにどうしていいかもわからずにいた。
ただ、それはこれから起こる前代未曽有の物語の始まりでしかなかった。