95話 感染経路と悪意の布石
現在時刻は夜の十時前。それでもエルリィティアの街並みは街頭や窓ガラスから零れる光に照らされていた。広大な中央都市のとある一角、古風で静かながらに妙な存在感を放つ開店前のカフェの目の前で神谷は呆然とする他にないと言える。
「奏……燐…………あなた達本当にそれでも天剣の座にいる子達なのかな」
「こんなはずじゃ……ないのにぃ!」
窓ガラスの向こうに見えるは三人の女だ。全てが顔見知りであり、それぞれが頭へと三角ナプキンを巻き付け、白いエプロンと私服を装い大掃除をしている様だった。だが様子は穏やかでは無い。扉の隙間から洪水のように水が。
「……なぁ、一応聞くが……何をしているんだ…………?」
「ん?神谷君久しぶり」
水浸しになった店内の床、そして同じく水に滴る二人の少女、反応を示した呆れた様子の政権。張り付いた衣服の先に見えてはいけない下地が透けているせいで神谷は目を逸らした。だがそれにも気付いていない様子で奏が吠える。
「私は悪くないわよ!!モップ掛けしてたら足が滑っただけで!」
「だから奏がこけて私を掴んだからバケツに二人で突っ込んだんじゃん!!」
「あなたが耐えていれば無事だったのよ!!」
「足元滑るよって言ったのに『そんなドジじゃないわよ、私』ってドヤ顔だったの誰かなぁ?アハァっ!」
「……」
「言いたいことは分かるよ神谷君……」
「「神谷はどっちの味方なの!!」」
二次災害、というより女性の理不尽な怒りに触れてしまわぬよう、透けた先のものから視線を逸らしたまま黙秘権を主張した。そこで不自然な神谷の様子に二人とも気が付いたのだろう。黄色い、いや悲鳴にも近い叫び声が夜中のエルリィティアへと響き渡る。
「静かにね〜」
「まさかこんなに簡単に再会できるとはな。ユーリ」
「抱えていた大きな問題が一段落ついただけだよ。時期にまた忙しくなる」
会話も程々に直結者二名の少女へと視線を戻す。透けた衣服を隠すように屈んだ第一星へと上着のコートを被せながら、対照的に堂々としている第四星へと言う。
「少しは恥じらいを持てよ……」
「えー?別に減るもんじゃないしぃ?」
三角ナプキンとエプロンを取り外し始めた第四星と第一星、純白のブレザー姿とは打って変わった私服姿。第四星はいわゆる地雷系と呼ばれる系統であり、奏は膝下程のスカートと大きめのパーカーというシンプルなものだった。
「ところで奏、以前にミリーシャから預かった伝言を渡したと思うんだが、まだデータは残ってるか?」
「へ?あぁ、星雲演舞の企画提出の」
奏にしか見えないメニュー画面を操作する姿を横目に、ユーリへと視線を送る。意図を汲み取ったであろう彼女はただ静かに首を横に振った。
「渡せば良いの?」
「あぁ、ありがとう」
ユーリが。
「恐らくミリーシャという子に悪意はないように思います。というより……事実としてカニスミノールは我が組織に本当に関与していない可能性も疑えます」
「は?理由はともかく、もう保護関係はやめたんだろ?」
「はい。向こうの当主と話しましたが……始めは否定の言葉も建前かと無視しました。ですが不可解な点が多いのですよ」
カニスミノールが悪意を持ってケーニスメイジャーへとメーバーをばら撒くならば、一個体のみに感染を終わらせるなど愚策にも程があるとユーリは言う。例え一体にしか感染させていないと言えど、メーバーの感染力を鑑みればいたずらでは済まないのだから。
「私がカニスミノールの当主ならば出し惜しみなく無作為にばら撒きます。国力の差を見るならば反撃も出来ないほど壊滅的に」
「一個体だけに……いや、奏はランダムに感染者として選ばれた訳じゃない……?」
「良い線です。何者かが狙って奏を感染させた、あわよくば三竦みの関係をこじらせる事が出来ればラッキー……くらいの考えですかね」
「そうなると犯人の特定は材料が足りないぞ。というより容疑者が多すぎる」
「……私は未来生体路線図が読めます。何者かの意思によって奏の感染が万が一、願う未来の結末のための布石だとしたら……犯人の輪郭がうっすらと浮かびますね」
此度の奏の救出が失敗していれば人類は全滅していた。概念と化した奏から無差別に全世界へとメーバーが広がっていただろう。神谷はユーリの仮説の破壊に耳を傾ける他なにも言えなかった。
「メーバーは兵器……その前提を覆して思考を重ねる他答えは見えませんね」
「……シャドウ研究会の討究者、その一人が言っていた。『無心病』とメーバーの関係性は?」
話についていけない様子だった奏が。
「あ……それ浅霧も言ってた。直結者がメーバーに感染すると無心病に行き着くって」
「なにぶんメーバーの感染サンプルが少ないので私にも分かりません。一つ言えることは『無心病』とはその言葉通りの症状です」
「……メーバーの開発者を突き止める他なさそうだな」
「それが出来ていればここまで考えずに済んでいますよ。時に神谷君、奏を助けた際に見えたものは?」
誰にも話すなと釘を刺された件について当人から問われる。巨木と数多の人類の記憶。手短にユーリへとその旨を伝え、奏の視点からも補足されながら話を進めていく。
「巨木だ。触れた途端に吐きそうなくらいの情報が逆流してきた」
「あれって人の記憶よね?自分の意識なのか人の意識なのか、その境界線が分からなくなっていく感覚があったわ」
「……記憶ではなく、CPUに残留した人の想いの塊ですね。形や受信の方法は違えど、やはり貴方達は未来生体路線図に触れましたか」
「あれが?」
「どう表現して良いか悩むところですが、人が閲覧可能になる前と言いましょうか。加工前、数多の未来を導き出す原石となるものだと思います。私も科学者達の憶測でしか聞いたことがありませんでしたが……」
理論上存在するかもしれない、その程度の淡い仮説。その木を科学者達は未来生体路線図との識別をつけるため、追憶の想木、空想の世界樹など、枝分かれする木をイメージにあてて仮名称をつけていると言う。
「空想の世界樹……未来生体路線図が何を持って未来を掲示しているのか。度重なる自己アップデートによって起こりうる全ての道筋を導く……研究の末に辿り着いたのは全人類のCPUです」
「……よく分からないが全人類の行動をCPUから予測して未来を掲示しているってことか?」
「予測している限りは概ねその通りです。全人類のCPUを並列に接続し、全ての個体の起こした事象を演算して数多の可能性を示す。元々はそんな機能はついていなかったはずなんですがね」
「待て、それだとおかしい。直結者はどうなる?未来に映し出されないことになるだろ?一つの綻びがあれば緻密な演算ほど土台から崩れてしまう。絶対不変だからこそ、未来改変にみんな夢中だったんじゃないのか」
「言ったはずです。未来生体路線図は自我を持って日々アップデートしています」
神谷は未来生体路線図の自我に伴う不穏な恐怖に僅かながらに理解が及んだ。人類を導く世界の根幹、それに伴う進化は人類から選ぶ権利を奪う。
「世界は滅亡へのレールを歩んでいます。未来生体路線図が直結者の未来掲示と同様に、神谷君の未来改変に適応する前に……僅かでも歪みを起こして滅亡を回避したいのです」
「……言いたいことは分かったが相変わらず話しのスケールがでかいんだよ。ダイアグラムが自我を持っていると言ったが、個体としてテイルニアに降臨してるのか?」
「恐らくは……ですね。ですがシャドウ研究会も、私も……他の三政権もその個体を特定出来ていません。個人的に疑わしい人物ならいますが……」
「それはだ――」
「言えません。知らない個体としてあなたには動いて欲しいです。世界を掌握する相手に頭脳戦は負け戦ですから、無知こそが突破口となり得ます」
まるでヒジリのような事を言う政権に神谷は、隠す素振りもなく嫌な顔をした。答えを急かせばいつもこれなのだ。自分で答えを探させる回り道にはいつも苦労させられたが故に、この手の答えは絶対に帰ってこないと諦めたのだった。
「ひとまず未来生体路線図に自我があるっていう馬鹿げた話しは受け入れるよ。というより……結構重要な話しだった気がするんだが……良いのか?」
横目で見た先には困惑気味の少女二人が。だが政権は仕事スイッチを戻したのか、ややゆるい空気感でこう言う。
「大丈夫だよ。もう二人とも私の直下部隊だから」
「まさか部隊の初任務がカフェオープンとは私もびっくりしたわよ」
「そりゃそうだろうな……」
「さて、夜も遅いし後片付けを終えたらゆっくり休もうか。それじゃあ神谷君、君には大いに期待しているよ」
やや年の離れた少女二人と残された神谷は、ほんのりときまづい空気感の中向き合った。恐らくは今までの話が理解不能、そう言った様子の奏が。
「なんだかよく分からないけど、あなたは最初から深い中枢のところで暗躍していたのね」
「そう見えるか?これでも置いてけぼりなくらいだよ。嫌になる……この業界は」
「そうなの?でもアトックで話していた頃よりイキイキしてるように見えるわ。今のあなたが本来の姿って感じ」
「よしてくれ……まるで仕事が大好きみたいに聞こえるだろ……」
「アハァッ!私も話しに混ぜてよ?」
言葉通りに体を挟んできた燐の瞳に恐怖を覚えた。まるで奏を独り占めするなと、嫉妬のような雰囲気と共にどこか認められてもいるかのような、なんとも言えない感触だった。
「仕事仕事って……あなたはそんな肩書きで動く人には感じられないわ。自分の掲げた理想や矜恃がまるで恥ずかしいように聞こえるけど?」
「理想を語るだけなら誰でもできるよ。実力が伴ってないから自重してるのかもな」
「……今はそういうことにしといてあげるわ。それよりこれについて色々とまた教えてね?私と燐どちらともよ」
そう言って手のひらへと奏が具現化させた異能神装が照明の光を反射させる。他者とは彩りが違う純白の指針。彼女の言う教えてとは、その武具の詳細を求めるものではない。
「聞かなくても本能的に使い方なんて分かるもんじゃないのか?」
「政権が言うには力のリミッター?みたいなのを外しちゃうとまた消えるからって、誰よりも詳しいのは神谷だろうから色々聞いてみたらって言ってたわ」
「……」
自身もよく分かっていない領域、分野でさえもまたもや丸投げかと神谷は呆れる。だが力のリミッターという表現にはどこか覚えはあった。
「俺も詳しくは分からないが、とにかく感情任せに異能神装を振るってはダメだ。何かしらが起きてしまう……と直感が言ってる」
「政権と同じこと言うのね……燐も、それも私は特に力任せに使うなって、めちゃくちゃ釘刺されたわよ」
自らを投げ捨ててでも成し遂げたい理想へと手を伸ばした時、異能神装はその形、輪郭を失い存在そのものを凌駕する。人類はそれを代償という言葉に収めているのだから。