82話 隠蔽工作とその最終兵器
神谷は意識を失った中で不思議な夢のような世界にいた。俯瞰する視点の先には巨大な湖面とその水際に立つ自分自身。吹き荒れる猛風が青年の衣服や髪、そして湖面を波立たせて荒れ狂う。
(なんだ……ここは……)
視界の先にいる青年が一歩、また一歩と湖へと歩を進めていく。その感覚がダイレクトに感じられた。冷たく、吹き荒れる風に足が取られる。自ら溺死を望んでいるかのような感覚に焦りが募った。
(やめろ……やめてくれ…………)
だが自分の意思とは反して視界の先の自分は足を止めてはくれない。荒れた水面は光を乱反射していて水深さえも分からない。だがとても深い事だけは直感的に分かる。
(酷く……冷たい水だな……)
胸ほどまで水へと浸かった刹那、朦朧とした意識へと陥る感覚と共に、知らないはずなのに既視感のある記憶が蘇った――
『僕はね、全部を助けてあげたいんだ。君も、他の人も、そのほかの全ても!私には聞こえるんだよ?世界の記憶……その悲鳴がね』
電脳世界へと意識を帰還させた神谷が飛び起きるように上体を起こした。だが額へと走る強い衝撃と共に二人の小さな呻き声が響くことになる。
「痛ァァァァァァァ!!」
「痛っ!」
バキッ、という鈍い振動と衝撃に、神谷は再び上体を寝かせることに。痛みで眉間にシワを寄せながらも薄目の先に涙ぐむ透華が映る。そして後頭部を程よい反発力で支える柔らかい何かと女性特有の甘い香り。
「膝枕……だと?」
「いった〜!急に起きないでよ!!心配して覗き込んでたのに危ないでしょ!!」
「それはすまなかった……後、怖がらせたよな。本当に悪かった」
「ま、まあ?べ、別に許してあげなくもないけど?」
「怒ってないのか?俺は君の異能神装を取り上げようとしたんだぞ……?君の気持ちなんて何も考えず……ただあの場で勝つことしか考えてなかった……最低だな、本当にごめん」
反省の色を見せる神谷だったが、太ももの上から見あげた透華が何故か頬を紅く染めながら視線を逸らす。もみあげの先端を弄りながら歯切れの悪い言葉を並べながら。
「神谷に異能神装を取り上げられそうになった時ね……そ、その……なんか、なんだろう……?分かんないけど!」
ヤケクソ気味、そして赤い顔のままに透華が。
「神谷の誰も死なせたくない、皆を守りたいって気持ちがなんか伝わって……その中に……わ、私もいるんだなぁ〜って……もういいでしょ!!早くどい――」
「すまない、まだ頭がクラクラしている。もう少し良いか」
神谷は脚フェチだった。誰にも悟られないよう振舞っているが龍奈にはバレている。否、神谷はバレていないと思っているがバレバレである。当然ながら諜報員として動く青年の隠蔽術に抜かりは無い。そこは龍奈の好意から来る、神谷のみを対象とした観察眼の賜物だろう。
「そりゃ良いけどさ……いいの?時間押してるんじゃない?」
「……ヒジリは?後俺はどれくらい意識を?」
「ヒジリさんは特異点?のところに行くとかなんとか……?神谷が寝てたのは十分くらいかな?なんか早くに目を覚ましたら伝えて欲しいことがあるって言われてる」
「十分も寝てたのか……情けない。伝言の内容を教えてくれ」
「『事象が書き換えられた可能性が高い、当初の任務は破綻。救命対象だった第一星を早期に始末せよ』って……これって……私が聞いて良かったやつなのかな……?後で処分されるやつ……?」
当初の任務内容であった『二人を守る』。シルフィーともう一人は久莉穹 奏だった。ヒジリが直接的に始末という指令を出すという意味、そこに神谷は無念と怒りの感情が交錯した。
「最適解の未来を勝ち取れなかったのか……」
「神谷ー?無視ですかー?ねえー!」
「俺にも事態の全貌は分からないが……誰か一人を犠牲に被害を最小限に抑えることが出来る。ヒジリはそう言ってるんだ」
そして鳴り響く轟音と空気の振動が近い。当初向かおうとしていた、学園の外から来ていた何かがかなり接近しているようだった。神谷は改めて認識する。人類の巡らせた悪意と知略を前に、個人ではそれを破壊する事は不可能なのだと。
「そんなのやってみないと分かんないでしょ?神谷の異能神装に触れた時……そんなに諦めが良い性格とは思えなかったけどなぁ」
付き合いの長い神谷だからこそ、ヒジリの先読みと推測の精密さは嫌という程知っている。そんなリーダーが被害0は無理だと、弱った心はそれをただ鵜呑みにしようとしていた。だが神谷は思い出す、それを覆した確かな実績と手応えを。
シルフィーという少女は世界から見れば欠落して当たり前の存在のはずだった。欠落していることが正しく、正しくあろうと世界は彼女を消すため見えない力が働いていた。だがそんな未来は訪れていない。
「……そうだな、そうだよな。決まりきった未来なんて退屈だ」
「どこ向かうの?一応傷は治しといたけど……あんまり無茶はしない方が良いと思う」
立ち上がった神谷は透華の治したという言葉に自身の体を見る。ネームレスの攻防で数箇所浅い切り傷があった部位は確かに治っていた。衣服は依然として切り裂かれたままだが、砕けていたハズの肋骨も痛みがない。
「治癒の力か」
「まぁね。でも万能ではないから無茶は禁物よ」
自身と同じように立ち上がってスカートの裾を直す透華に目を丸くする。つい先程死んでもおかしくない戦場を体験したはずにも関わらず、少女は同行する事がさぞ当たり前かのように肩を並べてきたのだ。
「怖くないのか?戦場も……俺のことも」
「怖いわよ!?神谷も……ちょっと怖かったけど、でもそれ以上に優しさが見えたもの。ついて行くわ。なんかほっとけないしね!」
(面倒見の良いお姉ちゃんだったんだろうな。妹さんからも慕われていたに違いない)
良い笑顔ではにかむ透華に神谷も微笑を返し、二人は頷いた後に音の在処へと走り出した。学園の内部には他の仲間もいる。故に神谷は学園へと迫る不穏な轟音の正体への確認に向かった。
「まずいな」
学園のエリアから少し外れた市街地エリアにて、二人は物陰へと身を隠して覗き込む。その先にはシリウスの警備員が大量に配置されていた。通行規制を広げているようであり、大量の一般市民達が慌ただしく移動している様だった。
「もしかしなくてもこれって……」
「あぁ、十中八九あの轟音からの避難だな。大人しく通してくれるとは思えないし、裏から行くぞ」
「おっけ」
空間を切り裂いて裏の世界から目的地へと急ぐ。透華を抱え、アンカーを繋いで次の座標へと。だがその道中、見覚えのある男の顔に目を奪われる。かつてスカイビーチにて、学年長シャーネスと密談をしていた不審な人物の事だ。
「おいおっさん、こんなとこで何してんだ」
「ん?おおおお!!君は噂の神谷 鏡君か!?」
「うざいテンションだな……アトックの遠征訓練の時にひそひそと何話してたんだよ?あ?」
普段とは違う、ややガラの悪い神谷に透華が苦笑いを零す。だがそんなものお構い無しに男へと圧力をかける。それでも尚、男は終始関心の強い瞳と変わらない態度のままこう言った。
「あれはあの硬い女を利用するために口を合わせていただけだよ!!それよりも君が神谷君かぁ〜!!へぇ〜……!」
「ジロジロ見るな。不愉快だ」
「君強いねぇ〜!シリウスの兵ごときじゃ太刀打ち出来なかったのも頷ける!ここに来られたって事は……うちのネームレスも撃退したってことだろう?」
「その口振りから察するに、お前もシャドウ研究会の者か」
右手へと刀身を出現させた神谷が静かに一歩を踏み出した。敵意を剥き出しにしても男は少しも怯まない。それどころかこちらの動向を知り尽くしているかのように言う。
「良いのかい?急いんでるんだろう!早くしないとあれはケーニスメイジャーを滅ぼしてしまうよ!!ほら!せっかくなんだから一緒に見に行こう!!」
「失せろ――」
手足を切り落とすような斬撃を男は跳ねるような動きでかわした。光の足場から身を投げながらその手に蒼白の銃剣が。銃のような柄から伸びる刀身、引き金を絞ると同時に白刃が回転しながら空間へと飛来、開いた切り口から表世界へと男が落ちていく。
「ユーフィリル・二ーライアのマル秘!神谷 鏡君!!是非とも君の活躍を楽しみにしているよ〜!!バイバーい!!」
「……行ったわね」
「終始うざいテンションだったな。時間があったら本当に仕留めたいくらいだ」
だが男が言っていたように時間が惜しいのも事実。そして気にかかるはユーリのマル秘。あの男はケーニスメイジャーのマル秘ではなく、個人の秘密と神谷を言ったのだ。
(俺と政権はさほど接点がないぞ……?確かに俺の異能は俺自身も未知数な部分が多いが……)
「神谷、急ご!」
「あ、あぁ……」
思考を重ねる暇は無い。透華に急かされた神谷は再び空間を切り裂き表の世界へと身を投げる。一帯を眺めやすいよう、高層ビルの屋上付近へと位置取り、変わり果てた街の姿に驚きを示す。
「なんだよ……!?これは!!」
数分前までは普通の生活を営んでいたはずの市街地は荒廃していた。多くの家屋は崩壊し、時には抉るようにくり抜かれ、歪なバランスのままに風が吹き抜ける。何よりもぽつぽつと横たわったシリウスの兵達が神谷の心をざわつかせた。
「降りるぞ!」
「お手柔らかに……ぃ!」
透華を抱いて下へと降りる。間近で見るとその悲惨な有様は惨いと言わざるを得ないものだった。頭部のない者、足しか転がっていない者、首だけになってしまった者、そのどれもが目を覆いたくなる惨状だった。
「酷い……」
「……」
口を抑えて涙を浮かべる透華、そして神谷は足元に転がっている頭部へと手を重ねる。きっとこの者はとても痛く、苦しかったのだろう。それを物語るように当時を表した苦悶の表情、その見開いた瞼を優しく閉じた。
(殆どが死んでる……か)
転送されていない遺体の山、そして痛みを認知出来なければ再現不能な時の止まったかのような悲痛の表情。直結者である二人だからこそ、言わずともそれを理解して重たい空気を作り出す。
そして背後から瓦礫を踏みしめる音が。この異常事態にもまるで動じていない確かな足音、振り返った先にボサボサの白い髪の小さな少女が苦笑いしていたのだった。




